21話 白き塔
関所を通らずに入国したにも関わらず、防壁の門番はカナンたちの姿を見るなりすぐさま鉄格子の門を開けた。
その恭しい態度や、誰何すらしない様を目の当たりにしたブレスは、疎外感に蝕まれていく感覚に不安を覚えている。
(何も知らないのは、俺だけなんだ。でもカナン先生は、いまからそれを教えようとしてくれている……)
背後で防壁の門が閉ざされる重々しい音が響く。
もう二度と外に出して貰えないような気がして、足が止まる。
「戻りますか?」
カナンが振り返ってブレスを見下ろした。
いたわるような、奇妙な表情だ。
まるで、ブレスが先に進まないことを願うかのよう。
「……いいえ」
ここで立ち止まってどうなると言うのだ。
ブレスは唇を引き結び、再び歩き始めた。
壁の中には、外とは全く別の生活圏が広がっていた。
外側は、素朴な家々が並ぶ牧歌的な風景に、模様いりのタペストリーや染められた衣服などが彩りを添えている。
しかし、この壁の中はどうだ。
色という色がそこにあった。
二階建ての屋敷が防壁に沿ってぐるりと立ち並び、屋敷の壁は故意にさまざまな色に塗られていた。
門の両側は赤く、時計回りに徐々に橙色に変わり、蒲公英の色、若葉の色。
晴天の空から徐々に日暮れの紺へと移り、夜明けのスミレ、ツツジの花を経て再び門の赤に戻る。
もとはかなり鮮やかな色で塗られていたのだろう。
経年の変化で微かに色褪せてはいたが、それでもあまりにも不自然で、人工的な光景だった。
自然と共にあることをよしとする魔術師にとっては、とうてい居心地の良い空間であるとは言えない。
だというのに、威圧された。
嫌悪するより先に、警戒心が湧き上がった。
この配色には意味があるのだろう。
(息が詰まりそうだ……)
木や花も植えられてはいるものの、一切の自由な成長も許されないかのようにきっちりと枝が剪定され、石畳にはみ出る草花はひとふさもない。
カナンはそれらに一切目を向けないまま、普段は聡明に瞬いているエメラルドの双眸を陰らせて、機械的に進んでいく。
そして、その人為的なグラデーションの屋敷に囲まれた円の中央に、聖王の住う白き塔がそびえ立っている。
壁沿いの数々の屋敷は防壁の影に収まっていて、それらとは対照的に円の中央で陽の光を浴びるその白一色の塔は、まるで輝いているようにさえ見えた。
広間を行き来する人々は、壁際の屋敷に住まう者たちだろうか。
彼らは家の壁と同じ色のトーガを纏い、カナンの一行に気づくと石畳にひざまづいて右手を左胸に当てる動作をした。
「御心のままに」という意味の、神殿での作法の動作である。
神や精霊に仕えるものの立ち振る舞いだ。
彼らは神官だった。
白き塔の入り口は、宵の紺色に塗られた家壁の向かい側にあった。
彫刻の施された白い柱の一柱一柱に寄り添うように、紺色に染められた、足首まで丈のあるトーガをゆったりと纏った人々が、左右にずらりと立ち並んでいる。
彼らはカナンらを前にするなり一斉に跪いて頭を垂れた。
ブレスには異様な光景であったが、カナンは相変わらず関心を示さない。
「冬の君」
か細い少女の声が聞こえた。
真珠色の長い髪をもつ菫色の目の少女が、白き塔の中にぽつんと佇んでいる。
(この子、白子だ)
ブレスは少女の儚げな、いまにも消えてしまいそうな存在に目を奪われた。
古代、白子が産まれれば、最上の神への供物として捧げられたという逸話が古書にある。
魔術師としては神秘性を感じる色彩だった。
「冬の君、聖王さまがお待ちです」
少女は再びカナンに呼びかける。
ブレスには目を向ける様子がない。
恐らく未だに〈目〉の印に縛られているのだろう。
少女にはブレスが見えないのだ。
「先生、術を解いてあげることは出来ないのですか」
「今はまだいけない」
これほど冷たいカナンの声を、ブレスは初めて聞いた。
衝撃に竦む弟子に気づき、カナンは僅かに振り返って微苦笑をうかべた。
「強い術に幾年も縛られた者にとっては、呪いも体の一部となる。いきなり呪いを引き剥がせば、生皮を剥がれるような苦痛を与えてしまう」
「……はい」
「同行者がおられるのですか」
案内の為に先を行こうとしていた少女が立ち止まり、振り返った。
表情こそ動かないが、彼女の声色には剣呑な響きがあった。
敵意のような。
「僕の所有物に手を出すことは許さない」
カナンは有無を言わせぬ拒絶を示した。
少女は恐れ、あのか細い声で謝罪をすると、再び壁伝いに先を歩き始める。
白き塔は外壁に沿って螺旋状に長々とした階段が続き、その途中途中に扉が点在する数階建ての建築物だった。
ある階では野菜を煮炊きするにおいが漂い、ある階では薬草を加工した香の燃える独特な匂いが鼻先を掠めた。
またある階では金属を研磨するような音が聞こえはしたものの、どの階でも人の話し声や行き交う足音などは一切聞こえなかった。
扉を五つは通り過ぎ、脚に疲労を覚え始めたころ、ふいに辺りが暗くなった。
明かりを取り込んでいた窓が、閉ざされている。
やがて彼らの前に現れた扉は、これまで見たものとは明らかに違っていた。
彫刻の施された白い飾り柱を左右にかまえ、その両開きの扉は重々しく佇んでいた。
カナンの視線が上向き、ブレスもそれにつられて視線を追う。
嫌な感じがした。
扉の上に、あの〈目〉の印が描かれており、彼らを見下ろしているのだ。
フローリスも同じ印を店のドアに描いている。
しかし、こうも受ける印象が違うとは。
ブレスは内心、扉の向こう側にいるであろう聖王を恐れた。
あの〈目〉を通して感じられる、執拗にまとわりつく様な視線。
印の主が許可したのだろう、菫色の目の少女が触れるまでもなく、その扉はゆっくりと開かれてゆく。
左右には、扉を引いたと思われる幼い少年がふたり。
いずれも真珠色の髪を肩で切りそろえ、少女と同じ純白に銀刺繍の長衣を纏っている。
カナンの表情はますます嫌悪を帯びて強ばってゆく。
少年たちはあどけない顔に崇敬を浮かべ、カナンを見つめている。
着いて歩くブレスにも興味を示している様子が見られた。
少なくともふたりの少年は〈目〉の呪いを受けていないらしい。
菫の目の少女は室内に入ることはなく、入室を促すと扉の横に佇んだ。
ふたりの少年が拙い舌で「どうぞお入りください」と声を揃える。
案内役は変わり、今度は少年たちが燭台を手に先を歩き始めた。
僅かな灯りに照らされるばかりでも、贅を尽くした内装であることがありありと判る。
磨かれた床には黒く染められ、巧みに模様を入れられた織物が敷かれ、彼らの行く道を真っ直ぐに示している。
壁側には様々な宝飾品や額縁が所狭しと飾られていた。
その合間には木々や薔薇、ヤマユリや野いちごなどが枝を伸ばし花をつけ結実していたが、それは全て作り物にすぎなかった。
このほとんど日の当たらない部屋で植物が育つはずもない。
なんとも雑多で、まるで収集癖のある生き物の巣だ。
ブレスは、金や宝石を集めては巣に溜め込んでいたという古代の竜の伝承を連想した。
彼らはその収集品を左右に、敷物の道に従い真っ直ぐに歩いていく。
幾らも経たぬうちに前方にぼんやりとした灯りが見えた。
薄い紗に隔てられた空間が、その室の最奥にあった。
僅かな灯りの中で、人影がゆっくりと身を起こした。
髪の長い、痩せ細った男の影だ。
「ああ……この日を、どれほど待ち望んでいたことか」
病んだように弱々しく、しかし渇望に満ちた声がそう言った。
ブレスは固唾を飲み、カナンはぴくりとも動かない表情でそれに応える。
「カトル、トレーズ。こちらにきて、手伝っておくれ。紗を避けて……冬の君とお会いしたい」
案内役の少年ふたりが彼の声に呼ばれ、幼い子供らしくぱたぱたと駆け寄った。
少年たちは彼が脇息にもたれ、乱れた髪や衣の裾を直すのを手伝っている。
その隙に、カナンがほんの微かに唇を動かして、ブレスに忠告をした。
「何が起こっても、幾度問われても、聖王に名を告げてはいけない」
では、彼が聖王なのだ。
ブレスははっとすると同時に違和感を覚えた。
王と称するからには、人々に畏れ敬われるような神々しい存在を思い描いていた。
しかし、紗の向こうの男はどうだろう。
さまざまな高価な品と共に塔に閉じ込められて、これではまるで供物のようだ。
す、とカナンの腕がブレスと男を遮る。
ブレスはもどかしかったが、師に従い大人しく一歩下がった。
ふたりの少年、カトルとトレーズは紗の向こう側から戻るなり左右に分かれ、天井から垂れた赤い紐を同時に引いた。
カナンと聖王を隔てていた紗が、中央で割れる。
ブレスは息を呑んだ。
真珠色の長い髪と赤い双眸──纏う色こそ違えども、カナンと限りなく似た顔立ちの青年が、静かな面持ちで彼らを見つめ返していた。




