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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
4 シャムスの人柱
20/162

20話 シャムス聖王国へ


 

 緑豊かな実り多き山々、見渡す限りの草原。

 かつて、そこにたどり着いた遊牧民がかまえた布の家がいつしか壁を持ち、町となり、規模を広げて小さな国となった。

 それがシャムス聖王国の成り立ちである。


「うわー、ここがあの有名な聖王の国! 礼拝に参加すれば俺も聖王さまの姿を見れるかなぁ。どう思います?」


 道らしい道を行くと国境警備兵に素性を探られるため、当然のように密入国を果たしたふたりの魔術師。


 言うまでもない、視界に広がる異国の風景に浮き足立つブレスと、それとは対極的に頭を動かさないようにして油断なく視線を巡らすカナンであった。


「行きたければひとりで行きなさい。僕は今日と明日はひとまず国を一回りして、追っ手が潜んでいないか確認します。その間、君は今晩泊まる宿を手配しておくように」

「了解です、先生」


 そうだ、遊びに来たのではないのだ。

 ブレスは気を改めて背筋を正す。


 カナンの旅の目的を遂げることは死活問題である。

 それを忘れてはしゃぎ回った己を猛省しつつ、宿の好みを訊こうと顔をあげるが、師の姿は既にない。


「いつのまに……?」


 不可解だ。

 しかしもはやそのような些事にとらわれるブレスではない。

 カナンの不自然さに慣れないことには、旅の道連れは務まらない。


(さて、この辺りに魔術師でも食べられそうな食材は売っているだろうか)


 魔術師であることを悟られないようにそれらを入手するのも大変だろうな、などと考えながら、ブレスは荷物を背負い直してまっすぐに歩き始める。

 何はともあれ、宿を決めなければ始まらないのだ。



 ⌘



 カナンは姿を眩まし、人々の頭上から街々を見下ろしていた。

 風は自然とカナンの肉体を支えるように吹き上げ、カナンはそれを心地よく受け止める。


 若い風の精霊は命じるまでもなく自ら進んでカナンの周囲で戯れ、カナンを彼らの領域へと迎え入れてくれる。


「この国はまだ、白い子供を神と偽って民の心を得ているのか……」


 王国の中央に聳え立つ純白の塔を見下ろしながら、カナンは双眸を冷たく細めた。

 ──人はなぜ神を崇めようとするのだろう。


 周囲を堅牢な防壁に守られ、選ばれたごく一部の人々の贅を尽くした住居にさらに取り囲まれて、聖王の住まう白き塔がそこにある。


 花々や木々は美しく咲いているが、しかし窮屈に整えられすぎていて、ここに妖精は住み着かない。

 防壁は年月と共に厚みと高さを増し、風をさえぎり、鳥や虫たちを閉じ込めている。


 そんな白き塔の屋上に、裾と袖の長い豪奢な衣を纏ったか細く幼い少女が現れた。

 カナンは姿を眩ましたまま、空から少女を眺める。

 少女の髪は真珠のように白く、双眸は淡い菫色をしていた。


「……在りて在るかた」


 菫色の双眸は、術により見えないはずのカナンをとらえたように、カナンの上で止まった。

 少女はまぶしそうに宙のカナンを見上げている。


「長らくあなたのご来訪をお待ちしておりました。どうぞ明日なりにでも、またおいでください。聖王は冬の君を歓迎致します」

「……僕はこの国を七度めに通った時、白き者を祀るのはもう止せと言った。あの日より百年は経とう。だと言うのに、未だ白き者がこの塔に住まうとは」


 カナンは少女を見下ろし、冷ややかに述べる。


「申したきことはあるか。弁明は。そのためにならば明日、また立ち寄ろう」

「ありがたき幸せ」


 慎ましく微笑んだ少女の目から、涙がこぼれ落ちる。

 カナンは憐憫に目元を歪めた。


「塔に戻るがいい」

「必ず来てくださいますか」

「必ず行こう」


 そうでも言わなければ、少女は塔に戻らなかっただろう。

 では、と言い残し、頭をさげて後ずさるように日陰にはいった少女を見送って、カナンは再び風に乗って舞い上がった。




 突然部屋の窓枠に降り立ったカナンを見て、ブレスは腰を抜かさんばかりに驚いた。

 師が戻る前に換気でもしようと開けっ放しにしていた窓のさんに、 鳥でも止まるかのように現れたのである。


「脅かさないでくださいよ!」

「君、この国に入ってから僕の名を口に出しましたか」

「出してませんけど、それがなにか」

「ふむ」


 カナンはひょいと身軽に窓から降り、半分だけ閉めた窓に寄りかかって眉根を寄せた。


「先生? あの、なにかまずいことが……?」


 思念の邪魔になるだろうとは思ったものの、旅に伴う身である以上ブレスにとって他人事ではない。

 カナンは決めかねたように暫しブレスを見つめたが、埒が明かないと思い、もう半分の窓も閉めてブレスを手招いた。


「僕は以前も旅の途中で幾度かこの国を通った事があるのですが、今回はどうやらそれを見通されていたようなのです」

「見通されたって、誰に」

「聖王」

「聖王!? えっじゃあなんです、ついいちに時間前に密入国したばかりなのに、先生はもうこの国の王様に会ってきたってことですか!」

「正確に言えば僕が会ったのは聖王の控えですが、問題はそれではない」


 カナンはもどかしそうに眉間のしわを深める。


「黙っていましたが、僕は関わりあった人々の記憶に残らぬよう細工をしながら旅をしています。

 もちろん同業者には意識して術をかけなければ記憶を消すことは出来ませんが、それでも僕と別れた後は、僕という存在に対する印象はかなり曖昧になるはず。

 故に、有り得ない。僕を待っていた、などということは……不可能なはずだ。聖王本人ならばともかく、僕を見たこともない控えが、僕だと見破ることなど」


 よくわからない。

 ブレスにはカナンの深刻さが実感できない。

 言いたいことは山ほどあったが、ブレスはそれらをひとまず飲み込むことにした。


「それってつまり、他人のつもりで家を訪ねたらドアをノックする前に相手が出てきて『待ってたよ』って言われて不気味だった、みたいな感じで合ってます?」


 カナンは即座に確認を返してみせた弟子を、あっけに取られてしばし眺めた。

 あながち間違いでもなかったので、なおさらだった。


「深刻さは大幅に目減りしたが、的確な例えだと思います。そうですね……不気味だった、確かに。この不快感は」

「ってことは問題は、なぜその聖王……の控えの人は、先生を先生だと認識出来たのかってことか。名前を呼ぶとバレるんですか?」

「場合によっては。ほら、遠視の印があるでしょう」

「ああ、これですか」


 ブレスは宿屋の壁に印を描く。


「これは目の代用ですが、耳の代用になる印もあるのです」

「ああ、そういうことか。見たことは無いですが、本で読んだことはあります」


 カナンはブレスが描いた遠視の印の隣に指先で縦に半円を描き、そのなかにさらに風を表す記号を書き加える。


 盗聴に使われることがもっとも多い。

 しかし、特定の言葉を感知した瞬間に魔術が発動して術者に報せがいく、という応用も効くため、人探しに用いられる事も多々ある。

 その場合、探し人の名前や血、涙などを印に足して使う。


「なるほど……じゃあもし〈耳〉の印に先生の名前や体液が使われていたら、術の有効範囲で誰かが先生の名前を呼ぶと術者にバレるってことか……」

「なにか引っかかっているような顔ですね」

「いや、その。もし〈目〉の印に先生の名前を足したら、どんな風に術が発動するのかと思って」


 カナンの表情に、苦いものが広がっていく。


「おそらく、僕しか見えなくなる」

「……だからだ」


 あの少女が、術により見えず、記憶に残らないはずのカナンを見つけられた理由がわかった。

 彼女は暗闇のなかで唯一目に映ったものを、待ち人であると判断したに過ぎなかったのだ。


 あの少女の体には、聖王の手によってカナンの姿しか見えないように調整された〈目〉の印が刻まれている可能性が高い。


「……それは、ひどい虐待ではないでしょうか」


 ブレスの一言が、カナンに重くのしかかった。

 見過ごせない。

 なんとも人道に反する手段だ。

 

 いつ来るかもわからぬカナンを待ち続け、少女はいったい幾年月を盲て過ごしていたのだろう。

 

 


 カナンはその夜、宿の窓枠に腰かけて灯りの点る家々を眺めながら物思いに耽っていた。

 聖王はそうまでしてカナンを捕らえ、いったい何をさせたいのか。


「聖王が先生を待っていた理由はなんなんでしょうね」


 ブレスはブレスで、市場で手に入れた林檎を齧りながら同じことを考えていた。

 

 この国の市場の品物はとても新鮮だった。

 魔術師がそういうのだから品質に間違いはない。

 

 カナンはブレスの言葉に、力なく首をふる。


「心当たりは……無いわけではない。だが僕には、なぜ彼があれほど僕に執着するのか理解できない。あのような……」


 少女を盲目にし、塔に閉じこめ、人生を犠牲にさせてまで。


「君にはあるだろうか。人生や命を捧げてでも、従事したいと思うものが」

「あ、はい。あります」


 ブレスは即答した。

 カナンはあまりの意外さに、僅かに身を乗り出して問う。


「何です。それは」

「協会長と協会です」

「……君が?」

「それどういう意味です?」


 ふたりは訝しげに顔を見合せる。

 カナンは戸惑いつつも小さく肩を竦めた。


「失礼、君と彼の馬が合うようには、思えなかったものですから」

「まあね。それはそうです、きっと協会長にとって、俺は大勢いる門下生のひとりに過ぎない。それにあの人は口が悪いし、乱暴だし、冷たいし。……でもあの人は、すごいんです。偉大なんです。高潔で、強くて、信じられる人なんです」


 語りながら、ブレスの瞳は輝いていく。

 声は力強くなってゆく。


「あの人は自らを律することを知っています。勲章をつけていたでしょう、マントの胸に」

「ああ」

 

「あれは忘れない為につけているのだそうです。王に貢献して魔法を認められたことではなく、己がいかに戦争で多くの人間を死なせてしまったかを。誇るためじゃない。律するためです。

 俺はあの人のそういう厳しさを尊敬して、信頼しています。だから急に、貴方に着いていけと命じられた時も結局受け入れたんです。

 まあ、先生に弟子入りしたら人生変わるかもって思っていたってのもありますけど」


 最後の方は些か照れくさそうに小声になった。

 カナンは、終始不思議そうにブレスを見つめていた。


「君は……」


 それほどまでにシルヴェストリに心酔しているのなら、協会を離れることは本意ではなかったのではないか。

 しかしここまでの旅路で、ブレスが同行を後悔する素振りを見せることは一切なかった。


 ブレスは変わることも、離れることも恐れない。

 この国はカナンが諫言をしたにもかかわらず、数百年以上同じあやまちを犯し続けている。


 一方は信仰を持ちながらも己の道を忘れず、一方は信仰ゆえに岩のように動かなくなった。

 この違いはなんだろうか。

 

 カナンはゆっくりと詰めていた息を吐き出し、覚悟を決めた。

 理解ができなかった存在と、向き合う覚悟を。

 

「君は、聖王に会いたがっていたね。僕は彼に招かれて明日白き塔へ赴くことになっている。君も伴ってください。そして……」


 微かに自嘲を浮かべ、カナンは顔を背ける。


「それでも尚、僕の旅について人生の変化を望むのか。ここへ戻った時、君の答えを聞かせて欲しい」

「……わかりました」


 ブレスにいま言えることは、それだけだった。


 ──もっとも、聖王のもとから無事に戻って来られるかどうかは、定かではないが。


 カナンの心中を知らぬまま、ブレスは林檎を食む。

 深刻な話の後だというのに、果実の甘みに目元が和んでいる。


 カナンは苦笑し、生徒が調達した林檎に手を伸ばした。

 昔と同じ、懐かしい味がした。


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