19話 アリエスの石
山道を行く。
最後の山を越えれば、そこは国境──シャムス聖王国への入り口である。
その道すがら、魔道具の授業を始めるにあたりカナンが最初に取り出したのは、首から下げた証のペンダントであった。
魔術師の資格を得た者であれば、誰もが肌身離さず身につけているその黒い石の名は、「古代王アリエスの石」。
「えっ。これも魔道具なんですか、先生」
「そう。ここに模様が刻みつけてあるでしょう。これはシギル魔術というものなのですが」
カナンはそのペンダントの石を無造作に握った。
全体的に黒っぽい石だが、所々夜の雲のような青がまじり、金色の模様が星のように散っている。
球を潰したような円形に磨かれており、金色の線で複雑な模様が刻まれていた。
「シギル魔術……それ、本で読んだことがあります。たしか願いを書いた文章から重複する文字を消し、残った文字を重ねたりくっつけたりして模様になおすんですよね。
それを身につけるものに刻みつけたりして……あれ、ということはこの模様、元は文字でなにかの文章だったってことですか」
「その通り。よく学んでいますね」
「でもこれ……読めないな……装飾されていたとしても、俺の知っている文字じゃないみたいだ」
ブレスは己の首にかかる証を目の前に垂らして目を凝らした。
その模様はやたらに線が多い上に石自体も大金貨ていどの面積しかないため、非常に難解だった。
むしろどのようにしてこの模様を石に彫ったのか、疑問である。
石の内側に模様が浮き上がって見える。
カナンは己の旅装束の胸元にそれをしまいながら、遠くを見るように目を細めた。
「君が読めないのは当たり前です。これは古代の文字ですから。人間が自然界に満ちる魔法を真似て魔術という技を生みだした当時、魔術の悪用を危ぶんだ当時の王、アリエス──魔術師協会の先駆けの組織の長でもあったその人物が、力ある魔術師を管理するために作り出したもの。
それがこの〈証〉です。これは歴史を辿れば三千年以上、変わることなく数々の魔術師の首にかかり続けてきた魔術具なのです。そして、ここに記されている模様の意味は〈 裏切り者を罰せよ〉」
ブレスは背筋が寒くなる思いがして絶句する。
「なんか……物騒じゃないですか? それ……」
「それはもう物騒ですよ」
カナンは薄く笑った。
今日の笑みは、話の内容のためかやたら不穏で不気味に見える。
「まあ、魔術具初心者の君を怯えさせるのも気が引けますから、端折って説明します。魔術師の試験を通過した後、君はこの〈証〉と共に、掟の書を授けられたでしょう」
「ああ、たしかに。たしかその年に合格した新米と古株の方々がともに火を囲んで、この証と、分厚くて重い書物を貰いました。一応、端から端まで目は通しましたけど……何だか当たり前のことしか書いてなかったような」
「そしてその〈宵の火の会〉で、君たちは書の掟を守ると誓わされた」
「はい、まあ……」
「あれは一種の儀式だったのですよ。その瞬間、君たちは魔術的にこの〈証〉に誓約させられたわけです。掟を守ることをね。そしてその誓約を破った時にその魔術師に罰を下す魔道具こそ、この〈証〉というわけです」
「それって……なにも聞いてないんですけど……」
話を聞けば聞くほど当たり前に身につけていたペンダントが恐ろしくなってゆく。
ブレスは石に触らないよう、革紐の部分を摘みゆっくりと石を胸元にしまった。
「つまりこれは、俺たちが掟を破らないための見張りの首輪ってことですか。掟を破れば、誓約を破った裏切り者とみなされて罰を受けるっていう?」
「君は理解が早いですねぇ」
「なんか俺、すっごい騙された気分なんですけど! だれもそんな危ない物だなんて教えてくれなかったじゃないですか! ひどい!」
「まあまあ、落ち着きなさい。なにもそればかりではありません。もちろん、掟を守っている限りはこの〈証〉は魔術師の味方です。
この石は雲珠文という強い魔除、悪意の排除、裏切りの回避などの効果を持つ守りの石なのです。持ち主の精神の浄化をも行う優れもの」
「おお!」
「もっともそういう不実に厳しい石なので、証の誓約を破った持ち主に対してはシギル魔術を強化して発動するという呪いの如き難も持ち合わせているのですが」
「絶対そっちが本命ですよね!? お守り効果なんて副産物ですよね!?」
「ははは、君は察しが良いですねぇ」
誓約を破ればどのような罰が下るのかを訊ねる勇気を、ブレスは持ち合わせていなかった。
肌身離さず身につけることも、あの書の掟に記されている。
掟を破りさえしなければ罰は下りはしない。
ならば、毎日これを身につけなくてはならないブレスとしては、たらればの恐ろしい未来など知らない方がいささか気が楽である。
「あのぅ、その誓約の他に、なにか知らないうちに背負わされているモノとかって、あったりするんですかね……」
魔術師の免許は国家資格である。
それ故、規範に縛られるのは仕方の無いことだ。
しかしその詳細を全く知らないという状況は、ブレスにとってあまりにも居心地が悪いではないか。
「そうだね。強いて言うのならば……」
カナンが浮かべていた微苦笑が、ふっと苦味を増した。
「我々は多くの人の死を看取らなければいけない、ということだろうか。我々は特殊な訓練や食生活で体を作り替えて、絶えずこの世界から生命力を分け与えられて生きるでしょう。そのため、一般の人々より肉体の老化に時間がかかるのです。
一般の人々が蝋燭であるとすれば、我々はオイルランタンだ。燃料を補充し続ければ、命の火は消えない。時にはランタン、肉体さえ替えることもある。
そうして何百年、何千年の時を経た魔術師や精霊を〈 古きもの〉と呼び我々は敬いますが、それは生きた年月を讃えているのではなく、永劫の時を耐え抜いた魂の強さに敬意を払うが故なのです」
静かなカナンの横顔をちらりと見上げ、ブレスは視線を落とした。
(この人はきっと、たくさんの人を見送ってきたんだ)
ブレスはまだ、人の死を知らない。
「……では、古きものがもし……人生を終えたいと思い、自らの死を望んた時は、どのように終わるのですか」
「簡単なことです。魔術師を辞めればよい。魔術師をやめ、人間として……一般的な食生活をし、訓練をやめ、精霊との交流を断ち、家をかまえて暮らす。そうしているうちにオイルランタンは蝋燭へ退化し、やがては燃え尽きて灯は消える」
魔術師を辞める機会はいくらでもある。
伴侶と出会い結ばれて、生死を共にしたいと思う者。
任務で死に直面し、続けてゆく意志を失った者。
成長の伸びしろがなくなり、自らに限界を感じて道を断念する者。
力はあれど、王侯貴族の道具のように扱われる立場に嫌気がさした者。
生あることそのものに飽きてしまった者。
そして、孤独に蝕まれる者。
「それが、魔術師であるということなのです。だから君も、どのような一生にしたいのかをよくよく考えて動かなければなりません。いけるところまで行くのか、人間に本来与えられた時間のうちに終えるのか」
「……まだ、わかりません」
「それでいい」
カナンは微笑んでブレスを振り返った。
「急ぎ決めるべきことではないのだから」
どこか寂しげな微笑を見上げ、ブレスはただ、頷くことしか出来なかった。
「さあ、あと三日もすれば山を越えられます」
カナンは普段の調子で、俯くブレスのつむじに告げる。
「魔道具の話をしましょう。君が着ているその旅マントや、先程の髪紐の使い方、送り付けられた呪いを回避する為の宝飾具、古代から存在する持ち主に死を齎す宝石──三日ではとても話しきれませんが、君にはすべて覚えてもらうよ。覚悟するのだね」
「の、臨むところだ! 先生との旅の間に、協会長よりも魔道具に詳しくなってやりますよ!」
「はいはい、がんばってくれたまえ」
その後日、山を降り終えたブレスは思った。
無理だ。
魔術具は無限だ。
到底覚え切ることなど、出来はしない。
(でも……)
確かに知識は、力になり得る。
ブレス自身が底に穴があいた水壺のような欠陥品であったとしても、その穴を魔術具で塞ぐことは出来るのではないだろうか。
もしかしたら、魔術具を考えたり作ったりすることも可能なのではないか。
あらゆる可能性について考えていると、先を歩いていたカナンが立ち止まった。
「どうやら着いたようです。ご覧。あれが次の国、シャムス聖王国」
「わあ……!」
はじめての異国に心が弾む。
ブレスはわくわくと遠目に映るシャムスの壁を見つめた。
カナンの無表情な微笑が、僅かにこわばっていることに気づかないまま。
間話 魔術師であること 終
色々と約束事の多い、魔術師という存在についてでした。
次話から新章に突入します。




