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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
3.5 閑話 魔術師であるということ
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17話 因果応報



 夏が近づいている。

 歩き通していると汗ばむこの時期は、晴れの日が続き清々しい風が吹く。


 ブレスは沢で水を汲み、ついでに顔を洗って立ち上がった。

 師となったカナンはひとりでなんでも出来るくせに、割と人使いが荒い。


「カナンさん、戻りました……って寝てるし」


 戻ってみれば、カナンは青葉茂る立派な古木に背を預け、ゆったりと目を閉じていた。

 穏やかな午睡である。

 木漏れ日が頬に落ちる横顔が、同性として呆れるほど美人だ。


 実は女だったりして、などとくだらないことを考えたこともあったが、そうでないことは残念ながら確認済みだ。

 

 共に旅をしていれば、川や湖で体を洗うこともしばしばある。

 だいたい声も低いし背も高すぎる。


(というか、人形みたいな身体してたな……傷ひとつどころか肌に色むらさえない、筋肉の流れもわからないような……)


 町を出て十日も経たないが、しばしばこの人は何者なのだろうと思う。


「魔術師として感覚が鈍すぎる」と散々あの鬼協会長(シルヴェストリ)に怒られ続けたブレスでも違和感を抱くのだから、カナンの不自然さは相当なものだろう。


「……」


 ブレスは眠るカナンの横顔を見、手元の水筒を見る。

 良からぬ企みが好奇心と連れ立ってやってきて、少しの間葛藤した。

 ほんの少し、時間で言えば数秒の迷いを葛藤と言って良いのなら、だが。


(いきなり冷たい水を浴びたら、もしかしたら驚いて正体を現すのではないだろうか)


 真面目に考えているつもりでいるが、やろうとしていることは子供のいたずら。

 そんなことはブレスにも解っている。

 しかし、解っていても抗えないものが好奇心というもの。


 ブレスはジリジリとカナンに忍び寄った。

 カナンは起きる気配もない。

 

 容易く横に立ったブレスが、いよいよカナンの真上で水筒を傾けようとしたその時。


『ご主人に触るな!』


 青黒い巨大な怪物が、突如としてブレスに襲いかかった。




「な、なんだこいつ……!?」


 人面蛇とでも言うべきだろうか。


 シャーッと激しく音を立て牙を剥く顔は異形ではあるが少年の顔をしており、少年の上半身をしている。

 しかしその下半身は、古木とカナンをぐるぐると巻き込んでなお余りある長大な蛇。


 そして何よりも目を引くものは、少年の背中で力強く広げられた鋼色の両翼。

 まるで羽の一枚一枚が金属を研いだように鋭く光り、巨大な盾であり鎧のようでもある。


 蛇は敵意を剥き出しにし、爛々と両眼を見開いてブレスを見下ろした。

 伸びあがった蛇の下半身のせいで怪物の頭は高く、まばらに伸びた青黒い髪がブレスの頬に微かにかかった。


 フー、フー、と怪物の興奮した生ぬるい呼吸が、首筋に吹きかかる。

 翼を広げた影の中、血の色の眼を見つめながら、ブレスは凍りついたまま己の死を覚悟した──しかし。


「おやめ、テンテラ」


 静かなカナンの声が、彼らの耳を打った。


「カ、カナンさん……」


 カナンはとぐろを抜け出して、蛇の翼の下に立っていた。

 いつも通りの平然とした姿勢には、緊張感の欠片もない。

 

 あの鋭い羽が振り下ろされでもすれば、人間などズタズタに切り裂かれてしまうだろうに。

 恐ろしくはないのだろうか。

 

 少年の顔を歪めて蛇は叫ぶ。


『でも、こいつ、テンテラの兄弟たくさん殺した!  テンテラ覚えてる、同じにおいだ! こいつ、ご主人も殺そうとした!』

「守ってくれたのだね」


 柔らかい眼差しで赤い目を見つめ返し、カナンは胸を開くように両腕を広げた。


「ありがとう、テンテラ。こちらへおいで。彼はもうお前の敵ではないのだよ。僕の敵でもない。だから、安心して戻っておいで」

『うーっ、うーっ』


 暫くのあいだ、カナンと少年は見つめあっていた。

 少年は悔しそうな唸り声をあげてはいるが、それは先程までの威嚇とはまるで違う、駄々をこねるような甘えを含んだ声だった。


 やがて少年は子供が親に泣きつくようにカナンの胸に身を寄せ、擦り寄った。

 巨大な体が縮んでゆく。

 カナンは少年のつむじに頬を押し当て、腕を回して少年を抱きとめる。


「少しお眠り」


 大人しく頷いた少年は、カナンに抱かれたまま腕をすり抜けて、カナンの足元の影にぽちゃんと沈みこんで消えた。


「さて、ブレス君」


 腰を抜かし、口も聞けないブレスを振り返り、カナンは氷点下の笑みを浮かべた。


「僕を殺そうとしたとは思わないが、魔術師ならば使役に誤解されるような振る舞いは慎むことだ。良いですね?」

「は、はい……申し訳ありませんでした…… 」


 カナンをつつくと蛇が出るのだ。

 ブレスはひとつ学習した。




 気まずい昼が過ぎ、焚き火をたく時刻となった。

 次の町まで山を越えなければならないため、ここ最近はもっぱら野宿である。


 山であるから、熊や狼にも遭遇する。

 しかし、野生動物は不思議と魔術師を襲わない。

 

 自然の生き物と魔術師は相性が良い。

 警戒しなければならないものは、魔物の類である。


 焚き火には川でとった魚が炙られ、香ばしい匂いをたてている。

 焚き火の反対側では、カナンがぼんやりと炎を見つめていた。

 目の前で、ぱちんと薪が弾ける。


「カナンさん」

「うん?」


 おもむろに切り出したブレスに、カナンは炎を見つめたまま応えた。


「昼間の、あの蛇の魔物のことなんですけど」

「ああ……あの子は、テンテラというのだよ」

「そのテンテラは、俺に兄弟を殺されたと言っていました。けど俺は、あんな……」


 化け物、といいかけて言葉をのむ。


「あんな魔物、見た覚えもありません」

「……そうだね」


 す、とカナンの双眸がブレスを捕える。

 ブレスは動けなかった。

 炎を映すカナンの目が、いつになく冷ややかに思えたのだ。


「君に言わせれば、そうだろう。だが……君は恐れのために節度を欠いているのだろうけれど、言葉は選んだ方がいい。君がテンテラの兄弟を殺したのは事実なのだから、テンテラの前でそんなことを言えば、君はあの子の怒りを買って殺されてしまうよ」

 

「でも……」

「蛇の魔物の幼体を駆除した、と町で君は言っただろう。覚えているか?」


 頷いた。覚えている。

 裏路地に旅人が迷い込んでいるように見えたので、幼体の生き残りがいるかもしれないから気をつけろ、と忠告をしたのだ。


「ですがあれは……あれはただの蛇に似た魔物でした。人間の頭なんかついていなかった」


「あれはニーズヘッグ。血を遡れば祖先は竜です。テンテラは先祖返りで、姿は多少違うかもしれないが、間違いなく君たちが駆除した蛇の兄弟だよ」


「……そんな。そんなこと、言われたって」


 ブレスは守番の魔術師だった。

 町に魔物が出れば、駆除するのは当然の任務だ。

 

 いまさらそんなことを知らされても、ブレスがあの時蛇を殺さねばならなかった事実はゆるがない。


 どうすれば良かったのだ。

 どうしようも無かったではないか。


「君を責めているのではない」


 カナンは再び炎を見つめ、炙る魚を裏返した。


「ただ、あの子の気持ちを解って欲しいだけです。僕にとってはテンテラもブレス君も友人ですから、傷つけあう関係は悲しい。はい、焼けたようです」

「……え?」

「魚が」

「ああ……」


 祈りを捧げて魚を食すカナンを、ブレスは途方に暮れて見つめた。

 顔を上げたカナンは、ふっとブレスを見やって優しく笑った。


「君、昼間のテンテラのような顔をしていますよ」

「あ、あんな泣きべその子供みたいな顔、してません!」


 落ち込むやら恥ずかしいやら。

 様々な表情を誤魔化すために、ブレスは俯いて魚に齧り付いた。


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