16話 各々の道へ
かくして、カナンの旅には道連れが出来た。
話が決まればカナンの行動は早い。
ボーメインでの会談の翌日の昼には、カナンは旅支度を済ませて別れの挨拶をしに魔術師協会へ赴いていた。
シルヴェストリとブレスの他、カナンにとっては意外なことにジェームズ・サンジェルマンとレディ・メイドのロナー、執事のワーズも別れを惜しんで協会へ訪れている。
「魔術師さま!」
ロナーはカナンを見るなり駆け寄って、感謝と諸々の感情の混じりあった目を涙で濡らした。
「魔術師さまのおかげです。なにもかも」
「いいえ。君が懸命に生き続けたことが報われたのです。逆境のなかで、よく頑張りましたね」
「魔師さま……!」
「ヘロデーのことを、心から感謝申し上げる」
歩み寄ってきた紳士、サンジェルマン氏は握手を求めて手を差し伸べた。
「この歳で私に娘が出来るとは、思いませんでした。ロバートから託されたと思い、生涯大切にします」
「そうなされるのが宜しいかと。ところでサンジェルマン卿は、今後この町をどうなさるのです?」
「私に出来ることは、いかに軋轢を生まずに支配権を民に譲り渡すか……その為の段取りを組むことだけです。それが民の望みですから」
「なるほど」
カナンは何かを見定めるかのように目を細め、やがて満足したように頷いた。
「貴方の願いが叶いますように」
祝福の言葉を告げ、カナンはサンジェルマン氏の握手に応えた。
ふと怪訝な顔をするサンジェルマン氏を残し、カナンは自らシルヴェストリの元へ歩む。
「せっかく怪異を分解したのに、貴方に怪異になられてはたまりませんからね。ヴェスター、貴方にはこれを」
胸元から取り出したそれは、一見すると絹の糸束のように見える。かなりの量だ。
怪訝にそれを受け取ったシルヴェストリは、目を見開いて驚いた。
「髪か?」
「ええ。魔術師の身から溢れ出た魔力は髪となって蓄積、保存される。僕の髪は些か伸びすぎて髪紐で括るのが難しくなってきたものですから、切るついでに貴方の中の飢えたシルフの餌にでも、と思いまして」
「これは……」
不意にシルヴェストリの足元から風が吹き出した。
常人であるサンジェルマン家の者たちの目には映らなかったが、魔術師である三人の目には、シルヴェストリと同じ若菜色の長い髪をもつ風の乙女がふわりとたちのぼり、顕現する様がありありとわかった。
乙女は水中の魚のようにゆったりと宙を泳ぎ、優美な姿でカナンの周囲をひとまわりすると、そのまま宙返りをするようにシルヴェストリの元へ勢いよく飛び込んだ。
彼の手のひらにずしりと掛けられた、カナンの髪の束をめがけて。
そうして手のひらに吸い込まれるように風の精霊が姿を消すと、シルヴェストリの手にあった髪の束もすっかり無くなっていた。
シルヴェストリは茫然と立ち尽くす。
「目が、見える……」
「これで百年はもつでしょう。飢えによりあなたを食い荒らした彼女ですが、もとは貴方とともにうまれ、あなたを愛している。
これからは、彼女が先程食った魔力を駆使してあなたの体を治してくれますよ。フローリスの花園にも、よい風が吹く」
「……私はもう、花を枯らさないのか。フローリスの命を縮める危険も、ないのか」
「ええ。あなたが再び、精霊の魔法を酷使しない限りは」
シルヴェストリは熱く込み上げる激情を、俯き、歯を食いしばって押し殺した。
カナンはつと彼から視線を外し、晴れ渡る青空のもとで突風に大騒ぎしているサンジェルマン家の人々を眺める。
「この町はあたたかいですね」
呟く唇には、微かに笑みが浮かんでいた。
「サンジェルマン卿は信用に値する人物です。彼が町の支配権を住民に譲り渡すためには、多くの協力が必要でしょう。貴方と彼が良い関係を結べるよう、僕は願います」
「ああ」
シルヴェストリは空を見上げ、久々に心から安らいだ顔で首肯した。
「ああ、必ず」
旅人の魔術師が守番の魔術師を連れて出立した日の夜、シルヴェストリは数年ぶりにフローリスを抱きしめ、肉体を交わした。
喜びと安堵に包まれて眠る妻の、涙に濡れた頬に口付けをしたシルヴェストリは、ふと窓の外を何がが横切るのを横目に捉えてびくりと背筋を震わせる。
(あれはなんだ。なにかとても、嫌な予感がした)
窓辺により、注意を払って夜を覗き込んでも、もはや姿は見えない。
ただ、残り香のような邪悪さが、うっすらと漂っているだけである。
それも夜風にながされて霧散していく。
(ただ、通り過ぎただけだったようだが……)
戻ってくる可能性はあるだろうか。
警戒を怠らぬように指示を出さなくては。
シルヴェストリはしばらくじっと窓辺で考え込んでいたが、やがてカーテンを閉ざして愛する妻の隣に横たわった。
彼は、安らかな眠りに落ちてゆく。
魔術師協会長が窓辺で夜を見つめていた頃、時を同じくして窓辺に立つ男がいた。
ジェームズ・サンジェルマンである。
「ナイチンゲール……墓場鳥、か」
男は書斎の出窓を開け放ち、目を細めて飛び去りゆくそれを見送っている。
届くだろうか。
いや、届くだろう。
男の手には、一通の手紙が握られている。
月明かりと燭台の灯にちらちらと照らされたその手紙には、整った字体でこう記されていた。
──この種子は、ある者から採取した病の種です。
あなたがもし、弟君一家を破滅に追いやった貴族への報復を望むのならば、種子にその者の名前を告げなさい。
種子はその者へ届き、その者は死の病にかかるだろう。
病は、発芽して徐々に根を張り開花するまで時間がかかるため、常人の目には病死としかうつりません。
貴方がその口を閉ざしてさえいれば、その病が呪いであることは露見することはない。
僕は貴方がた家族が心やすく暮らすことを願います。
その為に必要とあらば、この種子をあなたへ。
「……恐ろしいお方だ」
昼間旅立って行ったあの魔術師の顔が、うっすらと笑みを浮かべて己を見ているような気がした。
ジェームズ・サンジェルマンは寒気を覚え、夜風の吹き込む窓を閉ざす。
あの時、別れに協会へ行かなければ。
あるいは握手を求めなければ、この手紙は己のもとへ届くこともなかったのだろうか、それとも。
男は過ぎた出来事に囚れる己に気づき、ふと自嘲した。
今更、なにを悩むことがある?
胸の奥に巣食った復讐心のけだものは、いま満足気に喉を鳴らして悦んでいる。
病の種子は飛び立った。
あとはただ、何事も無かったかのように、家族を愛して暮らすだけだ。
数年後、とある公爵家の息子が胸の病に罹り血を吐いて死んだ。
その報せが貴族階級から脱したサンジェルマン家のもとへ届くことは、遂に無かったと云う。
3 ヘロデーの見えざる目 終
病の種は「村娘アンリ」でカナンが収穫したものでした。
タイトルの由来は「恋は盲目」と、姿の見えない亡霊メイリーンから。
正体を知らないまま、カナンに着いて旅をすることになったブレス。
彼はカナンについて行くことができるのでしょうか。
次のお話は閑話になります。




