12話 真実
ヘロデーを連れて神殿へ出現したふたりは、またしても神殿破りの現場に居合わせた神官達の驚愕の顔の数々に迎えられることとなった。
ヘロデーは気をうしなってひどく弱っていたが、ともかく息はしていた。
魔術師でもない人の身で空を飛んだり死霊にとり込まれかけたりしたのだから、当然の結果と言えよう。
ブレスはと言えば、疲労困憊で立っているのもやっとという様子だった。
持てる力の全てを使い切って怪異を分解した反動である。
たった一晩で様々な出来事に見舞われた精神的な消耗も、疲労に拍車をかけたに違いない。
唯一なんの負担も負った様子のないカナンは、普段よりもむしろ機嫌が良かった。
彼にとっては、素晴らしい舞踏会の後にこれまた素晴らしい演劇の一幕を観た、その程度の夜に過ぎなかった。
神殿の人々はひとりやたらと元気なカナンが化け物じみて見えたらしく、恐ろしがって近づこうともしない。
ロナーは、かつてのお嬢様ヘロデーの身の回りの世話を自らすすんで引き受けた。
彼女もなにか複雑な感情を抱えているようだったが、ヘロデーに尽くすロナーの献身によこしまな感情はいっさい無かったと言えよう。
そして──。
疲れ切ったブレスのために貸し出された寝室で、いま、ふたりの魔術師はある人物と相対していた。
「ジェームズ・サンジェルマンと申します」
老従者を連れた、身なりの良いその男はもの静かにそう名乗った。
声には押し殺した緊迫感と苦渋の感情が滲んでいる。
表情はといえば、暗く、思い詰めた様子だ。
一言で言うならば、この男は自責の念にかられているのであった。
「はじめまして、サンジェルマン卿。我々は此度の件に偶然関わりを持った魔術師です。魔術師の掟によって政治的地位を持つ方への名乗りは禁じられております故、名を明かすことはご容赦ください。こちらの彼は昨夜の任務での消耗が激しいため、寝台で失礼します」
(なぁにが偶然ですか。よく言うよ、自分から首を突っ込んだくせに)
すらすらと言葉を並べるカナンを、ブレスはじっとりと眺める。
寝台でクッションに背を預けてどうにか体を起こしているが、眠らずにいるのが精一杯という状態だった。
今すぐ十二時間安眠できるのならば、全財産を出してもいい。
「それで、サンジェルマン卿は、我々に訊ねたいことがおありだとか? 不躾ですが御用をお伺いしても構わないでしょうか」
ジェームズ・サンジェルマン。
ヘロデーの父ロバート・サンジェルマンの腹違いの兄である男は、カナンからそう切り出したことで微かに安堵の表情を浮かべた。
「そのように忌憚なく話して頂けると私としても有難い。恥ずかしながら私はどうも口下手でね……上流階級の皆々が使う、回りくどいやり取りは向かないのです」
ブレスは内心、腑に落ちた気がした。
体格がよく身なりも良いため遠目で見れば威圧を感じさせる男だが、口を開けば表情も和らぎ、いかにも温和そうだった。
「心中お察しします。魔術師もごく一部を除いては野にあり、自然とともに生きる者。時折貴族の方々にお力添えすることはありますが、息が詰まると常々思っておりました」
カナンはふっと微笑を浮かべた。
もはやブレスには一眼で見分けがつく、相手を安心させるためのいつもの作り笑いである。
「話さなくてはならないことがあるのです。その上で魔術師の英智をお借りしてご相談したい。私の姪……ヘロデーに関わる一連のでき事について」
サンジェルマン氏は膝の上で拳を握り、そう切り出した。
「私は、三年前にロバート、弟を失いました。家長である弟が不在の間に、弟の家に火が放たれたのです。
弟は妻子を失い絶望し、やがて自ら命を絶ちました。しかし自死に至るまでの間、弟と私は火事の真相を知るべく、ともに力を合わせてその件を調査していたのです」
「ほう」
カナンは興味深げにそう呟き、ブレスも思わずサンジェルマン氏の言葉に聞き入った。
兄弟とはいえ母親の違うジェームズとロバートが、協力関係にあったという事実を、ふたりとも今初めて知ったのだ。
「弟は復讐を望んでいたのかも知れません。ロバートは元来温厚だった……しかし、家族を失ったあれは人が変わった様に憎しみに支配されていた。情が深いが故のさだめだったのかも知れない。私は……私は実のところ迷っていました。
仇を討ちたいロバートの気持ちはわかるが、それをしてどうなる? 弟に手伝ってくれと話を持ちかけられた時、しかし私はそれを承諾した。それは弟のためではなかった。私は家名を守りたかったのです。
一晩にして名家であるサンジェルマン家当主の屋敷が焼き討ちにあったなど、私には受け入れられなかった。敵の正体を暴き裁きを与えなければ、我が一族は他家に軽んじられることになる。そうなれば権力争いが起きてこの町の秩序が崩壊するやも知れぬ、と」
「この町の秩序はそれほどに脆いのですか? 僕には、皆それぞれきちんと生活している様に見えましたが」
「そう言うわけじゃないんですけど、というよりも、この町は……」
ブレスは言いかけて口をつぐんだ。
サンジェルマン氏は苦笑を浮かべる。
「お若い魔術師の方、私に遠慮する事はない。貴公もお気づきのはずだ。この町は変化の途上にあることを」
「ああ……」
カナンは呟き、いっとき目を閉じた。
「そうですね。伝統ある名家の数々、階級社会がこの町の基盤にある一方で、そうではない民も財力を持ちはじめている。神聖であるべきこの神殿は、ヘロデーを閉じ込めて利用するほど腐敗していた。
民が貴族の庇護がなくとも各々で生きていけるのならば、家の生まれで階級が決まるこの町の仕組みに不満を持ってもおかしくはない。
サンジェルマン卿は、放火犯を捕らえ裁くことによって一門がまだこの土地を支配する能力を失っていないということを民に示したかったのですね。反乱を起こせば必ず報いを受けると」
「仰るとおりです」
氏の表情には疲労が滲んでいる。
「私は長です。サンジェルマン家当主であったロバートは他にいくつか町を持っていて、そのうちのひとつを私に預けた。私にはこの町を治める義務がある。だからどうしても放火犯を捕らえる必要があった」
「ひとつお尋ねしたいのですが……ご気分を害さないで欲しいんですけど」
ブレスは躊躇いがちに、寝台の上で小さく挙手をした。
サンジェルマン氏はあくまで紳士的に「どうぞ」と応える。
「仕事柄、魔術師協会には多くの情報が集まります。今後の火種となりそうな貴族の方々の人間関係も、我々の耳には入ります。
その中でサンジェルマン家は……その、私などの庶民が口を出すのも痴がましいのですが、ご兄弟の弟君が家督を継がれ、兄君は土地の一部を任されるに過ぎないという役不足な扱いをされてきたということで、なんと言いますか……」
「私がロバートを妬み例の火事に加担したのではと言いたいのかね」
「いえっ、そこまでは! しかし、ご兄弟が不仲なのではないかという声も多く、私自身も先程サンジェルマン様と弟君が協力関係にあったという事実、そしてサンジェルマン様が町をあずかることを誠心誠意責務とされていたことが意外だったものですから」
サンジェルマン氏はしばし沈黙した。
「……全ては過ぎ去った今だから言えることだが」
疲れの滲む目元の皺を自嘲にゆがめ、氏はゆっくりと語った。
「ロバートには素養があった。当主を継ぐ者に相応しいたち振る舞いを、自然と身につけていった。当然のようにね。
しかし私は……単純なことだ、私はそういった器用な立ち回りは出来なかった。
私は堅物で、社交的でもなく……たしかに若い時こそ兄として劣等感に苦しみもした。
しかし、生まれ持った性質をいかに矯正したとて己をただ追い詰めるだけだ。
私はそれに気づいた時、ロバートを弟としてではなくひとりの男として接しようと決めました。
私は己よりもサンジェルマン家当主に相応しい男に家督を預けた。私がそう決めたのだ」
「ジェームズ様は賢明であられました」
控えていた老従者は黙っていられなくなった様子で、いかめしく、しかしどこか誇らしそうにそう言った。
「勇敢なご決断です」
サンジェルマンは、また僅かに苦笑を見せて俯く。
「ありがとう、ワーズ。これで納得して頂けたかね、お若い魔術師の方。私は自らを知り、それに従ったのだ。体面よりもそちらを重んじる道を選んだ」
「ええ……よく分かりました。しかし……」
ブレスは歯切れ悪く口ごもった。
しかし、そんな想いを託したサンジェルマン氏の弟は、いまやこの世にはいないのだ。
サンジェルマン氏は続ける。
「ロバートと協力して放火犯を探していた我々は、やがてひとりの青年の存在を知ることになった。政敵の差し向けた男だった。
そしてその男は、血眼で問い詰めるロバートに臆面もなく言った……娘ふたりと使用人の女は、みんな揃ってその男を愛していたと。
いや、あえて奴が言った下衆な言いまわしをそのまま使うが、バカな双子の片方が、妹と使用人も男に惚れていることに気づいて独占欲に目が暗み、言われるがまま計画に加担したと」
「計画……焼き討ちの計画ですね?」
カナンは冷静に、むしろ冷酷に訊ねた。
サンジェルマン氏は込み上げる怒りに両眼を見開いている。
「そうだ。その男は言った。あの火事の日、ロバートの娘はその青年と騒ぎに乗じて駆け落ちをする気だった。
そしてその夜、父親不在の晩に、娘は身の回りの世話をさせるために不寝番の使用人女を連れて屋敷を出た。
騒ぐ口を敵の思惑どおりまんまと連れ出したのだよ。そして屋敷に残されたロバートの家族は何も知らずに燃えて、死んだ。
結局ロバートは、己の娘に裏切られたがために家族を失ったことに耐えかねて自ら命を絶ってしまった……」
深々と悔恨のため息を吐き出して、サンジェルマン氏は深く椅子にもたれかかった。
老従者は髭を蓄えた口元を引き結び、黙して主に寄り添い控えている。
「……葬儀を終えたのち、私は行き場のなくなったその使用人に仕事を斡旋してやり、そして独り残された姪を探すことにした。
我々が捕らえたその青年も何者かの手下に過ぎなかった。姪と使用人の娘を誑かして屋敷から連れ出しておきながら、無情にも置き去りにして逃げたと言った。私は青年を告発し、表向きにはその件は幕を閉じた。
青年の雇い先は突き止めたが、高位の貴族で私などが手を出せる相手ではなかった。いまだ口惜しくてならない……。
姪は……姪はとうとう戻らなかった。戻れなかったのだろうと思う。騙されたと気づいた時には家族を殺されていて、父親まで自死させてしまったのだから、無理からぬことだ。
だが私は探し続けた。罪を犯した愚かな娘とはいえ、実の父親にすら捨てられた世間知らずな不幸で未熟な娘の存在を、知りながら無視する事など出来なかった。私が救わず誰が救おうか?
そうして一年が過ぎ、二年が過ぎ、諦めかけていたある日、サンドラと名乗る異能の娘の存在を知ったのだ。私は会いに行った。ものをよく言い当てると評判だったその占い師に、姪の居所を訊ねにね。藁にもすがる思いだったよ。
そして、結果的には……お解りのとおり、私はヘロデーを見つけた。しかし、姪を説得する間もなく、神殿からの使者が姪を連れ去ってしまったのだ」
「なるほど……そういう経緯で、サンジェルマン卿はこの神殿に訪れていたのですね。ヘロデーを取り戻すために」
ブレスの言葉に、サンジェルマン氏はやや胡乱に眉を顰めた。
「私を監視していたのか」
「神殿を調査しに来ていたおりに、たまたま卿をお見かけしたのですよ」
カナンが何でもなさそうに説明すると、サンジェルマン氏はああ、と頷く。
「そうでしたか。仰るとおりです。私は神殿に、ヘロデーの身柄の引渡しを交渉しに通っていた。……昨夜、神殿から使者がやって来てここへ招かれたとき、私はてっきり姪の引渡しに納得したものだと思っていたのです。しかし、どうやらそうではなかったようですな。この騒ぎは」
「それは、まああの時点では。しかし今となっては、神殿は姪御さんを引き渡すことも吝かではないかと思いますが」
「それは、どういう意味です?」
「我々は、昨夜……」
そうしてカナンは一晩の出来事について語った。
淡々と、事実のみを正確な順序で語るうちに、サンジェルマン氏の表情は様々に変化した。
全てを語り終えた後、氏は奇妙な、事実と理解していながら信じきれないような顔で困惑しているように見えた。
カナンは微笑み、すっと背を真っ直ぐに伸ばして立ち上がった。
「どうでしょう。一度、彼女に会われてみては?」
ふたりと老従者は、気力の限界がきて失神するように眠りに落ちたブレスを残し、静かに部屋を後にした。
連れ立って向かう先は、もはや異能の力を失った寄る辺ない娘、ヘロデーに宛てがわれた一室だった。