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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
3 ヘロデーの見えざる目
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11話 死と欲望の舞踏会 後編

 

 それは月光のもとで白面を輝かせて踊る、花嫁衣裳の亡霊の娘達だった。


 本来ただびとの目に映るものではないそれが、繊細な薄氷のようにうっすらと氷の粒を纏い、儚い姿をこの世に現したのである。


 なんと幻想的な光景だろうか。

 ブレスは思わず心を奪われて見入る。


「彼女たちはヴィリス」


 カナンはそれを、単なる演劇を楽しむかのように語る。


「未婚のまま亡くなった娘たちの未練の姿です。おっと」


 ふらふらと踊りの輪に歩み寄るブレスを、カナンは後ろから襟首を掴んで止めた。

 子猫のように首をおさえられたブレスは嫌がって身をよじる。

 

 その視線は陶然としていて、いっときたりとも娘たちから離れはしない。


「離してください。俺はあっちに行きたいんだ」

 

「踊ってはいけない。ヴィリスたちの相手をすると、死ぬまで解放して貰えなくなる。彼女たちはそうして夫を手に入れるのだから」


「かまうものか。聞こえないんですか、あの笑い声が。呼ばれてる。行かせてください。ほら彼女、俺を見つめて微笑んでいる。離してください」


 ちょっと辟易した様子でカナンは苦笑した。

 ぼんやりと死の舞踏会を見つめるブレスを捕まえたまま、もう一方の指で防衛の印を描く。


「そうだったね。君は若いから、彼女たちの誘惑の影響を受けやすいのだった」


 カナンは宙に描いた印を、ブレスの背に勢いよく叩きこんだ。

 とたん、肺を突かれて息が詰まったブレスは体をくの字に曲げて咳き込み始める。


「ぐはっ! ちょっとカナンさん、なにするんですか!」

「正気に返りましたか」

「え? あ……」

「君はまんまとあれに引き寄せられて、麗しき死の乙女の手を取るところだったのです。自らね」


 死の乙女。

 その言葉の不吉な響きに、ブレスは悪寒に襲われてカナンと踊る娘たちを交互に見比べた。

 

 娘達の亡霊に誘われた瞬間の奇妙な浮遊感と抗いがたい誘惑。

 魅了だ。

 まんまと魔物の術中に嵌ったのだと気づき、ブレスは己の不甲斐なさにがくりと項垂れる。


「……情けないな。目の前に妖魔が現れたというのに、疑うことも警戒することもできなかったなんて」

「無理もない。見ずに済んでいたヴィリスたちを、迂闊にも君に見せた僕も僕でした」


 その言葉に、ブレスは反発してきっと顔を上げた。


「やめてください、あれを見ないままこの場を過ごすなんて魔術師として大損ですよ。だけどまだ死にたくはなかったので、止めてくださってどうもありがとうございました!」


 ぶっすりと拗ねた顔で、なにやら怒りながらも礼を言うブレスを、カナンは呆気に取られて見つめた。

 ブレスは挑戦的な目つきでそれを睨み返している。

 カナンはしみじみと呟く。


「君は変な子ですねぇ。僕は少し、君に興味がわいてきましたよ」

「あなたに言われたくありません。そんなことより」


 ずい、とブレスが指したものは、薄く透ける青白い娘たちのなかで唯一肉体を持ちながら踊る、ヘロデーの姿。

 いまやブレスの目にも、ヘロデーと踊る彼女と瓜二つの透き通った娘、メイリーンの亡霊の姿が見えている。


「ヴィリスは男と踊るんでしょう? なぜサンドラの、いやヘロデーの妹は姉と踊っているんです」


「ヘロデーの妹はヴィリスではない。あれは双子の姉と結びついてこの世に残ってしまった怪異の核です。ヴィリスたちはいわば、怪異の放つ強いエネルギーに引き寄せられて現れたに過ぎません。怪異の核の行き先に怪異が起こるのです」


「つまりここが墓地だからヴィリスが現れたのであって、もし別の場所だったとしたら別の怪奇現象が起きていたということですね」


「そう。例えば呪われたように人が死んだり、窓ガラスがかってに割れたり、人間の少女が宙に浮いたりといった具合にね。もっとも、ヴィリスのような儚い魔物が目の前に現れたとしても、大半の人間は気付きもしないが……」


「人死にがでれば誰であれ気づかずにはいられない、か。あ……」


 ふ、とブレスの表情がかげりを帯びた。

 若い魔術師はいたましげに妹の亡霊と踊る娘を見つめる。


「彼女が人を殺すまで気づかなかったんだ、俺は……俺はこの町の守番の魔術師なのに。本当だったらあの子がそんな罪を犯す前に怪異の核を突き止めて、あの子を救ってやらなくちゃいけなかったのに。

 蛇の幼体なんかに気を取られて、それで仕事をした気になって、馬鹿みたいだ。彼女を止めることが俺のするべき仕事だったのに」


 カナンは何も言わなかった。

 ただ軽く目を伏せて、自責にかられるブレスを普段より柔らかな目で見下ろすだけだった。


「カナンさんは言いましたよね。サンドラという名前を使ったのは、気づいて欲しかったからではないのかって。

 俺は気づいてあげられなかったけど、知ることができた。だからあの子を助けたいです。でも、俺は未熟で知恵も経験も足りない。やり方がわからない。

 カナンさん。どうすればあの娘を、ヘロデーを助けてやれるのか教えてください」

「君はなかなか見所がある」


 カナンは、ブレスの熱のこもった視線と言葉を受け止めて、妖しげに目を細めて微笑した。

 

 それは普段の澄ました表情からは想像もつかない不敵な笑みであったが、同時にとても彼に似合っている。


「よろしい、やってみるがいい。僕はてっきり、君が僕になんとかしてくれと頼み込んでくるものだと思っていたよ。だがそれは侮りだった。僕は君のその心のあり方に敬意を表する。そのあかしとして、君にあの怪異を収めるための手ほどきをしよう」


 

 ⌘



 ──さて、怪異にはなんらかの法則がある。


 メイリーンの亡霊が怪異に変貌を遂げたのは、双子の強い絆が姉のヘロデーの魂と死者メイリーンの魂を、結びつけてしまったからだ。

 

 故に、この怪異は、姉の感情や思惑のままに発動する。

 これが此度の怪異のルールである。


 ──だからねブレス君。この怪異を消滅させるためにまず必要なことは双子の繋がりを断ち切ってしまうことだ。

 それを前提として、いかにメイリーンの魂を傷つけずに天へいかせるか。

 もっとも、ヘロデーの魂はすでにメイリーンに侵食されているようだから、姉妹どちらも無傷、というわけにはいかないだろうけどね。


 ブレスは墓場でヴェールを靡かせて踊り続けるヴィリスたちの輪を抜けて、真っ直ぐに哀れなヘロデーの元へ進んだ。


 妹の亡霊に抱かれた彼女はもはや、真っ白に血の気の引いた顔で、目を閉じてされるがまま揺られている。


 彼女は亡霊に体を預けている。

 怪異の力が増し、実体を持ち始めているのだ。


 ──繋がりを断ち切るのは、君ならばそう難しいことではない。

 祈りの句を唱えて守りの印を描き、君の守護精霊のタリスマンをヘロデーの首にかけてあげなさい。

 そうすれば君の信仰する精霊にヘロデーは護られ、メイリーンは彼女に干渉できなくなる。


「……我が信仰を捧げし森と水と風の精霊よ、か弱きものに加護を与えたまえ。死者は帰る場所へ帰り、命ある者はこの世に留まるべし。これをもって魂の安らぎとし、二度とこの移ろいに迷い込むことのないように……」


『あ、あ、アアアアア!』


 メイリーンの亡霊が聖句を聞くなり頭を抱えて苦しみ始めた。

 髪をかき乱し、耳を塞いで、目は白く裏返って限界まで見開かれている。


「……祈る。無は無へ、在るべきものはあるべき場所へ。ひとつの肉体にはひとつの魂、定められた理によって、お前は抗うことを許されない。さあ、メイリーン」


 苦悶の叫びを上げていた亡霊は、己の名を聞いた途端にぴたりと悲鳴を止めた。


 時が止まったように凍りついたメイリーンの前で、胸元からタリスマンを取り出して己の首から外したブレスは、それに口付けると力強く印を描く。


「お前をヘロデーから解放する!」

『──……あ……』


 とたん、茫然と立ち尽くす亡霊の腕から姉の体がぐにゃりと崩折れた。


 姉、すなわち現世との繋がりを断ち切られた怪異はすでに怪異ではなく、道を外れた憐れな魂のひとつにすぎなかった。


 それはこの世では霞のように非力だ。

 ブレスは素早くヘロデーを抱きとめて、そっとその細首にタリスマンを掛ける。


 メイリーンは希薄になった姿のまま、無表情にブレスを見つめ返した。

 若い魔術師と娘の亡霊が、途方に暮れたように向かい合う。


 ブレスの頬に涙が流れた。

 こんなにも若くして、この娘は燃えたのか。


「ブレス君」


 静かに見守っていたカナンは、背後からそっとブレスの肩に触れた。


「わかっています」


 最後の躊躇を捨て、ブレスは微かに漂うメイリーンの魂の残骸に命じた。


「……天へ昇れ。あなたの翼が、母の(かいな)(いだ)く安寧の国へ、無事に辿り着けますように」

(ああ、この子は二度死んだのだ。二度目は俺が……)


 ヴィリスたちはいつのまにか姿を消し、空は明るみ始めていた。

 夜が明け、静寂の墓地をいくすじもの光が優しく照らし出した。


 日の光を受けたメイリーンは、その姿を白い小鳥の姿へ変じた。

 それはヴィリスたちのように淡く儚い影でしかなかったが、春の雪溶けを思わせる清らかな姿だった。


 姿を変じる直前に見た彼女の微笑は、ブレスの願望が見せた幻影だったのだろうか。


 光の小鳥は音も立てずに羽ばたいて、一心に天へと昇っていく。


 ふたりの魔術師は言葉もなく空を見上げ、ようやく現世を旅立つことのできた小さな魂のかけらを見送ったのだった。


 

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