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100話 海の乙女の島

 

 もといた帆船に降り立ち、ブレスとネモが一息ついていると、なにやら揉めている声が聞こえてきた。

 様子を見てみれば、マリーが操舵手と口論をしている。


「だから、あの島はやばいんだってば」

「しかし食料の補充をしなければ、目的地まで糧がもちません。もとから上陸する予定で航海してきたんです」

「下手したら死ぬかもしれないんだよ?」


 エチカが困った顔で振り向き、ブレスを手招きした。

 大人しく側に寄ると、マリーが「フィーもそう思うでしょ?」と突然水を向けられる。


「……ええと、話が見えないのですが」

「要するに、彼はあの島に上陸したくて、マリー様はしたくないのよ」


 やや憤然としている操舵手に目を向ける。乗船している人間のほとんどはスティクス候の兵士であるが、船を操作しているのは雇われの民間人である。


「はじめまして、魔術師のエミスフィリオです」

「あ、ええ。これはどうも。シルバーホース号の操舵手、サドです」


 握手の手を差し伸べると、サドはやや面食らってそれに応じた。


「海を駆ける銀色の馬ですか。良い名前ですね。粋で」

「そうでしょう」


 船を誉められて嬉しくないはずがない。

 とたんに相好を崩し胸を張ったサドを、エチカは呆れ、マリーはぽかんとして眺めていた。

 ちなみにネモは腕輪で気配を消したまま、いつものように半笑いである。


 ささくれ立っていた空気が落ち着いたところで、ブレスは皆を見回した。


「それで、どうしておふたりは喧嘩していらっしゃったんです?」

「……別に、喧嘩してたわけじゃないもん」

「ああ、いや、お騒がせしました。ついかっとなっちまって」

「あたしこそ悪かったよ。説明もしないで頭っから反対したのはさ」


 一分前までの剣呑な空気はどこへやら。

 勝手に仲直りを始めたふたりを眺めていると、エチカが寄ってきて「ずいぶんと人間を丸め込むのが上手だこと」と白い目を向けられた。

 ブレスは肩をすくめる。この喋り口はカナンの真似だ。


「まあいいじゃないか。それでエチカ、マリー様はどうして反対しているんだ?」

「船室で話を聞いたのだけど、あのあたりの島、マルメーレ諸島には怪物が住んでいるのだそうよ。昼間は人間の振りをしているから安全だけれど、もうじき日が暮れるから、マリー様は一晩ここで過ごして朝になったら行ったほうが良いって言っていたわ」

「怪物?」


 それはまた予想外だ。


「でも彼はそろそろ食料の……ほら、鶏とか根菜とか食べ尽くしちゃったじゃない? あたしたち魔術師はともかく、兵士たちは食べないことには動けないから補充をしないと保たないし、このあたりには人魚(メロウ)が出るから、夜の海は危ないって」

「……うーん、海にいても島に上がってもなにかしら出るのか」


 その島の怪物と海の捕食者と、どちらが危険なのだろう。


「だが、あの島に怪物がいるだなんて話は聞いたことがねえですよ」


 サドは胡乱な目で前方の島を見やる。


「俺たちが立ち寄る島は、船乗りの安息場みたいな島だ。宿屋と市場と(しょう)か──いや、とにかく安全で無けりゃあ成り立たねえ商売ばかりです。

 今時、海賊もでねえし……そりゃあけったいな連中が博打を打っていたりはするが、命までは取られない。人喰い人魚のほうがよほど危ないですよ」


 このあたりに生息する人魚は人を食らうらしい。それは船乗りたちが島に上がりたがるのも当然だ。

 しかしマリーは苦々しい顔で首を振り、サドの意見を否定する。


「人魚なんかちょっと知恵のあるただの魔物だよ。きれいな顔で男を誘惑するしか脳のない……あの島にいるのはもっとやばい女たちなんだ」

「女たち、ですか?」

「そうだよ」


 やばい女と聞いて頭に浮かぶものと言えば魔女であるが、それを当の魔女の前で口に出すほどブレスは愚かではなかった。


 サドは知らない。エチカも、ネモも、他の船員たちも心当たりはないようで、みんなそろって彼女の言葉を待っている。


「じゃあ言うけど」


 躊躇いがちに、マリーは答える。


「あの島に蔓延っている怪物の通り名はローレライ。海の乙女として神子に祭り上げられているけど、実際は人魚の魔法と人間の知能を併せ持った、危険生物さ」




 マリーの警告を聞き、ネモは各船の責任者と話し合った。

 全七隻の大型船にはそれぞれ兵士が百五十人ほど乗っていて、うち指揮官が三名、魔術師がふたりだそうだ。

 魔術師は交代で風を呼び、帆船の速度を維持する役割を担っている。


 各船と〈耳〉の印を用いて話し合った結果、船乗りと指揮官らは全員一致で上陸を望み、魔術師たちは半々で意見が割れた。


「ネモ様が一番偉いんですから、ネモ様が決めればいいんじゃないですか?」


 長々としたまどろっこしい話し合いに辟易してブレスがこぼすと、ネモはのそりと顔を上げて青混じりの灰色の目でブレスを射抜いた。


「青年。そういう独断で動いたから、あなたは死んだのです」

「──……」


 なにも言い返せなかった。言葉を失うブレスを横目で見つつ、ネモは「私はこれでも、みなの命を預かっていますので」と淡々と事実を述べた。


「……申し訳ありません」


 肩を落として謝罪をするが、彼の目はもうブレスを見てはいなかった。

 もつれた黒髪を指でいじりながら、ネモは唸る。


「どうしたものか。ここで人魚の餌になっては進軍してきた意味がないが、上陸して得体の知れないものと敵対してしまった場合の勝率が読めない」

「人魚なんか蹴散らせばいいでしょ? 魔術師が十人以上いるし、あたしもいる。フィーだっている」


 実力行使派のマリーが彼女らしい意見を述べる。マリーはどうしても島に上陸したくはないようだ。


「しかし秋の君よ、目立つ行いは避けなければなりません。帝国に我々の進軍を勘づかれては、任務に差し障りますので」

「ああ、そっか……あれ、でも結局島に上陸していろいろ買い込んだら、目立つよね?」

「多少は。しかし、あの島はもとよりそういった長旅の中継地ですから、そういった客もいないわけではないでしょう」

「それはどうかな。だって軍艦七隻だよ?」

「軍艦ではありません。大砲や船槌を積んだ貿易船です」


(ネモ様、さすがにその言い分は無理があります)


 微妙な顔で沈黙するブレスを振り向いて、「ほら、フィーだってそう言ってる!」と指さした。

 言ってない。思っていただけだ。


「マリー様、結局そのローレライってどんな生き物なんですか?」


「だから、人魚と人間のハーフだよ、簡単に言うとね。厄介なのは声に魔法が宿っていること。ひとりだけでも相当な破壊力をもってる。

 あの島のローレライが一斉に歌ったら、世界の半分の人間は頭が狂ってしまうだろう。あそこが他国から侵略されないで残っているのは、ローレライたちが守っているからなんだ」


 それは確かに「やばい女」だ。できれば近づきたくない。

 話を聞いてさらに頭の痛そうな顔になったネモが、疲れた様子でマリーを見やる。


「あー……では、声を聞かなければ良いのでは? 無駄でしょうか」

「そうだろうね。あたしたちが聞かないんじゃなくて、あいつらの声を封じてしまえれば大丈夫だろうけど」

「あの、ローレライたちは島を守っているんですよね? 支配しているのではなく?」


 気だるげなネモの目が再びブレスに向く。


「つまりあなたは、彼女たちに敵意を抱かせなければ良いと言いたいのですね?」

「はい。だって島民は、彼女たちと共存しているのだろうし……そんなにあからさまに危険だったら、島が栄えたりはしませんよ」


 おそらく人の近づけないローレライのみの島になっているはずだ。

 そうではないのだから、少なくとも彼女たちは人を無闇に害するような生き物ではない。たぶん。


「一理ある。ではこうしましょう。先触れを出して、島に滞在する許可を得てから上陸します。敵意はないことを明らかにして」

「じゃあ、許可が得られなかった場合は?」

「あー……その時は、即刻人魚の海域を抜けてどこか他の島でも探しましょう。少々飢えるかも知れませんが、魔物に食われるよりはマシだとみなも納得してくれるはずです」


 そうと決まれば時間はない。あと二時間もすれば空は夕暮れに傾くだろう。


 ネモは結論を各船に伝え、魔術師の黒ローブを脱いでそれなりに上等な外套を羽織った。

 ブレスは眉を潜める。


「……ネモ様が行くんですか?」

「そうですよ。何かあった時に私が一番生存率が高いですから」

「ひとりで?」

「そうですが。あなた、着いてくる気ですか?」


 じろりと睨まれてたじろぐ。けれど、先ほどから首の後ろがざわざわと鳥肌を立てている。

 魔術師の第六感が、ブレスになにかを警告しているのだ。


「……はい。行かなきゃいけない気がするので」


 負けじとにらみ返すと、一歩も引かないと察したらしいネモは一瞬だけ宙を死んだ目で見つめ「仕方ないですね」と脱力した。


「まあ良いでしょう。押し問答をしている時間もありませんし」

「ありがとうございます。ネモ様の指示に従うことを誓います」

「はいはい」


 信用がない。

 どうだか、と言いたげなネモがそこそこ上等な旅外套をブレスに手渡した。

 魔術師の黒ローブは仕事着なので目立つのである。

 外套を羽織って船室を出る。


 マリーが心配そうに見送る前で、ふたりは空へ舞い上がった。


「途中で疲れて墜落しそうになったら、意地を張らずに早めに言ってください」


 前方を飛ぶネモの言葉に頷きながら、ただひたすらに島を目指して飛ぶ。

 ネモは長距離を加速して飛んで行くので、今度は海鳥よりも早い。


 ちらりと振り向いたネモは、ブレスがちゃんと着いてきているのを確認すると微かに諦めの表情を浮かべた。

 ひょっとすると、着いてこれなかった場合送り返すつもりだったのかもしれない。


(ネモ様は確かに早いけど、でも先生のほうが早かった)


 この場にいないカナンを思いふと視線を俯けると、海面付近に魚影が見えた。

 イルカくらいの大きさの、鰭の長い不思議な影だ。


(……?)


 その正体を見ようと目を細めるが、ゆらゆらとたゆたっていたその影はすっと深くに潜って消えてしまった。


 人魚だろうか。

 それにしては、出る時間が早すぎる。


「ネモ様、人魚って夜行性ですよね?」

「種によって違いますが、ほとんどの人魚はそうですね。繁殖期は昼夜問わず船を襲いますけれども」

「ですよね……」


 違和感を覚えながら、ネモを追って飛ぶ。


 それから後、ふたりは砂浜に降り立った。磯遊びをしていた女子供が目を丸くしてふたりを見ている。

 魔術師が珍しいのだろうか。


「失礼。この島の王か領主、またはその地位に当たる人物と話がしたいのですが」


 ネモに声をかけられた女は子供を抱き上げてその場を逃げ出した。

 慣れきってしまってすっかり忘れていたが、この男の独特な風貌と纏う不気味さは一般の交渉事には全く向かない。


 ブレスだって最初は不信感を抱いていた。

 ネモは人相が悪いのである。


「ネモさま、浜辺で訊いたって仕方ないですよ。もうちょっと人の多い場所に降りて、良い服を来ている中年以上の男を探して声をかけます。私が」

「……どうやら君を連れてきて正解だったようですね」

「はは……こんなつもりで着いてきたわけではないですけどね……」


 怯えて逃げていった女を遠い目で見つめながら、なで肩をさらに落とすネモ。

 不憫に思えて仕方がないが、適材適所だ。

 ブレスの上っ面の人当たりのよさはカナン直伝なので、行きずりの交渉事は多少覚えがある。


 そうして幾度か人を介し、案内を受けてたどり着いた場所は、どういうわけか神殿だった。

 珍しいことに、サタナキアとその子らを祀る神殿ではない。


 足下に珊瑚や貝殻の散らばるその神殿が祀るものは、海そのもの。


「──ここはサタナキアの伴侶、母なる海を祀る神殿。すべての潮の精霊(ネーレイス)たちの女王、原初の女神に仕える海の乙女の住処」


 白い貝殻の残骸を裸足で踏みながら、ひとりの女が現れる。

 珊瑚色の髪の、海の目をした、人成らざるもの。


「彼方の大陸より海を越えていらしたかたがた。ローレライの住処に、何のご用があって?」


 彼女は妖艶な動作で首を傾け、光を反射して輝く虹色の鱗の浮かぶ美しい指先で、そっと髪を肩に流した。


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