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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
3 ヘロデーの見えざる目
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10話 死と欲望の舞踏会 前編


 カナンは微塵も迷わなかった。

 ガラスの砕け散った窓の柵に足をかけ、一歩宙へ踏み出す。


 突然足元から凄まじい風が吹き上がり、彼はヘロデーと同じように容易く宙に浮いた。

 旅装束を風にはためかせながら、カナンは告げる。


「僕は娘を追います。ロナー嬢はここで待っていてください。ブレス君は僕と来なさい」

「あ、はい」


 状況や事情を理解しようと懸命に考えていたブレスは、名前を呼ばれて我に返った。


 青い顔のロナーを駆けつけてきた神官や巫女たちに預けると、ぶつぶつと魔術の文言を言い、確かめるように宙を踏みしめてカナンの傍に立つ。


 足踏みをする度、ブレスの足元は夜の海に漂う光る微生物のように淡く発光した。

 

 空を移動する手段は三通り。

 飛行能力のある使役に乗るか、カナンのように風を纏うか、ブレスのように空中の微精霊を一時的に踏み固めて走るか。


 どうもただ事ではないらしいとざわめいていた神殿の者たちは、見るからに若い、見習いじみたブレスまでもが簡単に宙へ浮かび上がるのを見て度肝を抜かれている。


「魔術師とはかくも奇なるわざを操りし者か」

「特異な能力をもつ巫女を囲うより、魔術師のひとりでも飼ったほうが余程使えるではないか」


 カナンはその不埒な神職にあるまじき私欲まみれの言質を、聞こえない振りをして聞き流した。


「神殿の皆さんは町長と連絡を取ってください。我々は、朝には戻ります」


 去り際にそう言い残し、ふたりの魔術師は一方は翼のない鳥のように、もう一方は空の光る道を駆けるかのようにして、夜闇に消えていった。


 あとには、ただ呆然と立ち尽くす無力な人々が残されるのみである。




 ビュウビュウと耳もと出風が唸る。

 

 ブレスはカナンの着古した旅装束が風を含んで広がるのを追いかけつつ「見当はついているんですか」とその背に問いかける。


 カナンは鳥のごとく体を水平にしてどんどん進んでいく。

 それに対してブレスはあくまでも宙を走っているに過ぎないので、息もきれるし脚も疲れる。


 どうせ話しかけても風音で聞こえないだろうとたかをくくっていたが、カナンはちょっと振り返ると、人差し指をくるりと奇妙に動かしてブレスに向けて印を描いた。


「うわっ……」


 途端足が地を離れ──もちろん走っていたのは宙には違いないが、ふわりと体が持ち上がり、気づけばブレスはカナンと同じように鳥のごとく夜空を舞っていた。


 己の足で走るより格段に楽だ。

 しかも速い。


 背に見えない翼を得たかのようなその飛行は、あまりにも心地が良かった。

 両腕を広げて風を全身に受け、爽快感に目を閉じる。


 こんな状況でなければ、手放しで喜んでいただろう。


「見当はついているよ。というよりは、彼女たちが行く場所はひとつしかない」


 カナンは横に並んだブレスに答えた。

 言葉は聞こえていたらしい。

 ブレスは思考を巡らせる。

 妹が待っている、と彼女は言っていた。

 

「ひとつしかないと言うと、屋敷ですか? 例の火事の?」

「惜しいが外れです。屋敷は完全に取り壊されて、あそこにはもう何もない」

「だったら……そうだな」


 眉根を寄せながら、ブレスは記憶を遡る。

 姉妹に繋がりのある場所、そこは今なお存在していて、霊力の源であり……。


「……あのー、もしかして、当たって欲しくないんですけど、墓地とか」

「よくできました」

「ご冗談でしょ!?」


 にこりと笑うカナンを、ブレスは信じ難い思いで見つめた。


「自殺行為ですよ! この魔物蔓延る町の夜中に、よりにもよって墓地に向かうなんて! 絶対でる! 間違いなく何かしら化けて出ますよ!?」


「そうは言っても君、もうメイリーン嬢の亡霊に遭遇したじゃないですか。何を今更」


「それはそれですよ! そっちは第一見えちゃいなかったし、心の準備が出来ていたからマシで──いやそうでも無いな、なにしろ手首を掴まれて次の瞬間には勝手にご婦人の部屋に……しかも神殿破り。

 あああ、俺の人生終わったかもしれない……魔術師にあるまじき神殿破りの狼藉を働いた痴漢として明日の新聞に載ってしまうんじゃ……うう」


「驚いたり怒りだしたり、落ち込んだり。まったく落ち着きのない」


「聞こえてますからね。カナンさんのせいなんだから、きちんと事情を説明してくださいよ、……か、会長に……」


「会長? ああ、君の所属する魔術師協会の協会長か」


「そうです、すごい怖いんです……やだなぁ明日顔合わせるの、絶対よびだし食らいますよ。出禁になるかも」


「まあ、そちらはどうにでもなるでしょう」

「他人事だと思って」


 風をきって空を飛ぶ爽快感もどこへやら、ブレスは縮み上がってしまった。

 飄々としている隣人が憎たらしく思える。


 そうしてしばらく飛行したのち、やがて行く手に白い布のはためく様子がチラチラと見えた。

 夜闇の中であれ、巫女の白い服装はかろうじてブレスの目にも映る。


「追いついたようだ」


 白い衣を纏う娘は、ふわりと地面へ降り立った。

 カナンは暗闇のなかでさえ異様に輝く双眸を向け、予想的中とばかりに頷く。


「やはり墓地でしたね」


 ブレスは喉を潰したような声で呻き声をあげる。

 信仰する精霊の印を胸のあたりで切りながら、無事に帰れますようにと祈りを捧げた。


 

 ⌘

 


 ヘロデーは虚ろな目で足元の墓標を見つめた。

 裸足の下には、彼女の家族の名前が刻まれている。


 父、ロバート。

 母、ドロテーア。

 兄、エリック。

 弟、ドナルド。

 そして、ヘロデーとメイリーン。


 ヘロデーは己の名前を足の親指でちょっとなぞり、乾いた笑みを唇に浮かべた。


 もし双子ではなかったら、もし何もかもの趣味や好きな物の種類が違ったら、こんなことにはならなかったのかもしれないと彼女は思った。


(双子ではなかったら。妹などいなければ。はじめからわたくしの一部として、一人娘としてこの世に生まれていれば。

 ああ、けれど、そうして生まれたとしたら、それはヘロデーだったのかしら。それともメイリーン?)


 ──どちらでも同じじゃないの。同じ顔、同じ性質の双子なのだから。


 ヘロデーは足元の名前から顔を上げた。

 目の前にはもうひとりの彼女が立っていた。


 月明かりを受けて白く透き通る、ヘロデーと全く同じ顔をした彼女の妹の亡霊が。


「口をきくのは久しぶりね、メイリーン。あなた、わたしのことを思い出したのね。ここに、あなたの体の元に戻ってきたから。あなた、ここに眠っているから」


 ──踊りましょうヘロデー、踊りましょう、朝まで。


 歌うような声が頭の中に響く。

 亡霊はじっとヘロデーを見つめ、けして微笑まないままヘロデーの指先を絡めとった。


「そうね……わたしたちよく踊ったわね」


 いつか素敵な男性と巡り合った時にきちんと踊れるように、ふたりでこっそり練習をした。

 

 乳母にみつからないように。

 ロナーには見張り番をしてもらって。

 秘密を共有することは、ちょっとした悪戯みたいで楽しかった。


(そしてとうとうわたくしは運命の相手と巡り会えた……そう思っていたのに)


 メイリーンはヘロデーと手を合わせ、そしてコツンと額を合わせる。


 ──ふたりでひとり。ふたりでひとつ。わたしはヘロデー、あなたはわたし。


「いいえわたくしはヘロデーよメイリーン……わたしは……あれ……?」


 うふふふ、ふふふ。

 頭の中に、笑い声が流れ込んでくる。

 ひどく頼り無げな顔で、ヘロデーは己と同じ女の顔を見つめ返した。


「……わたしは……」


 わたしは、どっちだっけ?



 ⌘

 


 墓石の上で白いドレスを揺らめかせ、ひとりの若い娘が鼻唄を歌いながらワルツを踊っている。


 地上に降り立ったブレスは不気味そうに、怯えた顔でそれを見つめた。

 ヘロデーの振る舞いは完全に気の触れた人間のそれだった。

 ブレスは助けを求めてカナンを見上げ、ぞくりと寒気を感じて黙り込んだ。


 カナンは何を見ているのか、見開いたエメラルドの目を輝かせて陶然と笑みを浮かべていた。

 

 その笑みには見覚えがある。

 フローリスの花園に咲き誇る花々を見たカナンは、今と同じ笑みを浮かべていた。

 

 とても気に入ったものをみつけた、美しいものを鑑賞する嬉しげな笑みだ。

 それはあまりにも、この場にそぐわない。


「カ……カナンさん。どうしたんです。いったいなにをそんなに、楽しそうに見ているんですか」

「君には見えないのか、ブレス君。この素敵な舞踏会が」


 カナンはうっとりと囁く。


「舞踏会? 正気を失った女がひとり、踊っているだけじゃないですか」

「ああ……そんなふうにしか見えないと言うのなら、僕の見ているものを君にも見せてあげよう。この光景を見逃すなんて、とても勿体ないことだからね」


 なかば夢の中にいるような口調でそう呟くと、カナンは片手のひらを己の顎に無造作にそえて、何かの粉でも吹き飛ばすようにフーッと息を吐いた。

 それは冷気だった。


(寒い……)


 粉雪が月光をあびてきらきらと煌めき、宙を舞う。

 寒暖差により煙のようになった冷気が、月明かりに照らされて青く周囲へ広がってゆく。


 ブレスは急激に冷え込み始めた空気に鳥肌を立てた。

 凍えてしまいそうな寒さだ。

 ところがエメラルドの目を持つ魔術師は、まだその異様に冷えた吐息を吹き続けている。


 まるで、突如として冬が訪れたかのようだ。

 カナンの目は爛々と輝いている。

 ブレスは恐ろしさを覚えた。


「カナンさん……」


 もうやめてください、と言いかけて顔を上げたその時、ブレスは目の前の光景に息を呑んで立ち尽くした。


 それはたしかにカナンが言う通り、紛れもない舞踏会だった。

 青白く光る薄氷の娘達が、数々の墓標をダンスフロアにして、いまいっせいにドレスを翻していたのである。


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