パートナー
いくら相手が資産家とは言っても、許可が出るのに時間がかかりすぎだろーが。上の奴は何やってんだよ。
レイザック達がワイマーズ家の疑惑を報告したのは、夜中。太陽が上がってずいぶん時間が経った昼を過ぎても、まだ捜査の許可は出ない。その間に何か起きたりしたら、誰が責任を取るつもりなのだろう。
レイザックはいらいらしながら、許可が出るのを待った。他にもやらなければならないことがあるのに、いつ許可が出るかわからないから気軽に席を外すこともできない。
魔法使い協会ディルアや父のブレイズに連絡を取ってみたが、まだルビーの親が見付かったという報告はなかった。それなら別の情報屋や、何か知っていそうな妖精から話を聞きたいのに。
どうやら、もし情報が間違いであれば色々な圧力をかけられる、と上層部が尻込みしていることが原因のようだ。どういう職場でも、上にいる者の腰は重いらしい。
それでも、ようやく許可が出たので、レイザックはマグテスとともにワイマーズ家へと向かった。
魔獣を売った魔法使いがもしいれば、それを捕まえるのが崩れ部の仕事。
一方で、法を犯していることを知りながら、魔獣を手元に置いているのが普通の人間であれば、役所の管轄だ。
そのため、二人の他に魔法使いではない役人が同行していた。許可が出るのが遅れたのは、二つの役所が絡んでいたからだ。
これまでにもこういうパターンはあったが、今は少しでも早く済ませてしまいたい、という焦りがあるためか、ひどく苛立つ。
街の中を移動するため、乗るのは馬。これもまたレイザックをいらつかせた。魔獣の力を借りれば、現場へは一瞬で着くのに。
「ガセじゃないんだろうな、この話」
何せ中心となる情報源が妖精なのだ。彼らの存在は魔法使いと一部の人間にしか見えないため、そんな見えない存在の情報があてになるのか、という不安と疑いが役人達にはある。
魔法の力は信じているものの、自分達に扱えないものだからか、うさん臭いものという認識を持つ人も多いのだ。
「自分達にとばっちりがあっては困るので、その周辺から妖精がいなくなるのはよくあることですからね。ぼく達が呼び出した妖精自身が、他の仲間にも知らせて離れるようにしているようです。この情報にまず間違いはありません」
こういう言われ方をすることに慣れているマグテスは、冷静な口調で言い返し……もとい説明した。
こんな風に言われると、レイザックならもっと攻撃的な口調になってしまいかねない。レイザックも同じく言われ慣れているはずだが、そこは性格の差が出るのだろう。
なので、出かける前にマグテスから何も言うな、と言い含められている。言ってみれば共通の敵を倒しに行く「仲間」なのだ。道中で仲間割れしていては、敵に逃亡されてしまうこともある。今は表面上だけでも仲よく、という訳だ。
「……あいつ、何をしているんだ?」
ワイマーズ家が見えてきた頃。役人の一人が怪しい影を見付ける。
敷地を囲む高い壁に手をつき、上や周囲の様子を窺っている男がいた。
「あれは……魔獣です。ぼく達が先に行きますから」
今回は明らかに魔獣絡みの事件なのに、普通の人間である役人の方が前を走っていた。
しかし、そこにいるのが人間の姿になった魔獣と気付いたマグテスは、彼らを抜かして馬を走らせる。レイザックもその後を追った。
マグテスが魔獣だとわかったのは、艶やかで鮮やかな赤の髪と端正な横顔が見てとれたからである。同時に、彼をとりまく気配も普通の人間とは違う、と感じたからだ。
「マグテス、どう思う? 暴れそうな気配はないけど、仲間を取り返しに来た奴かな」
「たぶん。他の用事で来たなら、タイミングがよすぎますからね」
「だよな。魔獣が人間の資産家に何の用だってことになるし」
蹄の音に気付いた男性が、こちらを向く。緩くウェーブのかかった長く赤い髪が、近くまで寄るとさらに鮮やかに見えた。
彼に近付いてみてわかったが、その瞳は少し暗めの赤だ。気配をうまく隠していたとしても、その瞳では普通の人間と思えない。
火の妖精は、捕まっているのが何の魔獣かわからないが火に属するはず、と話していた。仲間を取り返しに来たのなら、彼の髪が赤いのも頷ける。
「ここで何をしているのですか?」
馬から下りながら、マグテスが尋ねた。男性は二人を見て、気配から魔法使いだと悟ったらしい。
「この中に、私の妻がいる」
「わかるのか? 間違いなくあんたの妻だってことが」
レイザックの質問に、男性は小さく頷く。
「ひどく弱々しいが、確かに彼女の気配がする」
スーバの山から来たという男性は、オルフォードと名乗った。
彼が留守をしている間に妻がいなくなり、彼女の気配を懸命にたどった末、ここへたどり着いたのだと話す。
「すごいな。スーバの山からって……そんな遠くからでも追って来られるのか」
レイザックは、そしてマグテスも素直に感心する。魔獣のすごさなのか、愛情ゆえか。彼の場合、両方だろう。
「で、街の中だから、人間の姿になっていたのか」
「魔獣の姿では目立つと思ったからだ」
「んー、わからなくはないけど」
レイザックはわずかに苦笑した。魔獣の姿でなくても、こんな美形が屋敷の周囲をうろついていたら、それはそれで目立つような気がした。
実際、屋敷より彼の方が目についてしまう。
「今から乗り込むつもりだったのですか?」
妻の居場所がわかったのだ、あとは連れ出すために中へ入る……となるはずだが、オルフォードは何やら調べていた様子だった。
「この辺りは結界が張られているようだ。私なら破ることができるが、それをすると中にいる妻に衝撃が加わるかも知れない。今の彼女はひどく弱っているから、それに耐えられないはずだ。そうならないよう、結界のほころびがないか、探していた」
「なるほど。……ああ、確かにかけられていますね」
マグテスが頷き、レイザックも結界の気配を確認した。
外からの刺激を防御するための結界ではなく、中から出られなくする檻のような結界の気配だ。
まだ彼らは知らないが、昨夜この屋敷へやって来たラグトムによって張られた結界である。吸魔石が使われており、仲間が無理に結界を破ろうとしてもその力が吸い取られるようになっていた。
「お前達は魔法使いだろう。だったら、このいまいましい結界を何とかしてくれ」
吸魔石のことは別として、魔獣なら力ずくで、魔法使いなら手順を踏んで結界を破ることになる。今は魔法使いがした方が、周囲にダメージを与えることなく破れると彼はわかっているのだ。
「結界はぼく達が破ります。ですが、破った途端にあなたはすぐに中へ入るつもりでしょう?」
「当然だ。妻が中にいるんだぞ。言っただろう、彼女は今弱っている。早く連れ出してやらないと」
妖精も弱っていたみたいだと話していたし、それなら早く助けなければならない。
「助けたいのはわかります。ですが、あなたはここで待っていてください」
マグテスの言葉に、オルフォードの表情が険しくなった。
「なぜだっ。いるのは私の妻だぞ」
人間の姿とは言え、怒った魔獣に迫られると迫力がある。
「中にいる人間に対して、あなたが手を出したりしないようにするためです。魔法使いがすることはご存じなのでしょう? 人間に害をもたらす魔物や魔獣を排除することです。あなたがここへ入る理由にどれだけ正当性があっても、人間に手を出した途端、あなたは追われる立場になってしまいます。最悪だと、あなたのパートナーの目の前で、ぼく達があなたに手を下さなければならなくなるかも知れません。ぼく達はここに魔獣がいるらしいという話を聞いて、助けに来ました。それなのに、あなたを捕まえるなんてことをしたくありません」
「……」
「会ったばかりで難しいだろうけど、俺達を信用してまかせてくれないか。あんたのパートナーは必ず助けるから」
オルフォードは、二人の魔法使いの顔を交互に見る。
「私はお前達と契約はしていない。私は自由だ。だから、中へ入る」
オルフォードの気持ちは揺らがない。
「……」
こうもはっきり言われては、魔法使い達も何も言えない。彼の言う通り、契約をしていない魔獣は当然自由だ。人間の命令を聞く義理はない。
「だが、中にいる人間に一切手出しはしない。お前達は私のために、入ることを一度止めた。そのことは心にとどめておく。私は妻を取り戻すだけだ」
「わかりました。では、ぼく達が先に入りますから、後から来てください。それくらいはお願いしても構いませんよね」
妻がいるとわかっても、力任せに結界を破ろうとはしなかったし、目立たないように(実際は目立っていたが)人間の姿になった。大切なパートナーが連れ去られても、オルフォードは冷静に行動している。彼は感情や本能で動くタイプではない。一緒に中へ入っても、おかしな動きをすることはまずないだろう。
「……ああ。では、そのように」
後から来た役人二人は、彼らの会話を聞いて不安そうな顔をしていた。だが、中に魔獣が確実にいるとわかった以上、崩れ部であるこちらが主導的な立場になる。
マグテスが結界を解くとレイザックが門扉を押し開き、全員が順次敷地内へ入って行く。本家は別にあるとかで、ここは「離れ」のようなものらしい。
しかし、庭などの面積も合わせれば、庶民の平均的な家が十軒は建てられそうだ。
玄関の扉を叩き、中から使用人の女性が現れた。いきなり現れた数名の男達に、若い使用人はひどく不安そうな表情を見せる。
代表して、マグテスが身分を明かした。
「こちらに常駐する魔法使いは?」
「魔法使い? いえ、ここにはいません。あの……」
役人だけでなく、魔法使いが来るなんて何事だろう。
口にしなくても、そんな疑問と不安が彼女の顔にありありと表れている。
「こちらで魔獣が確保されている、という情報が入りました。魔法使いが常駐せず、一般人のみで魔獣を所有することは違反にあたりますので、屋敷内を捜査させていただきます」
マグテスが捜査の許可証を見せる。中身を読まなくても役所のはんこがでかでかと押されているので、公文書だとわかるだろう。
「え、あの……」
いきなり言われても何のことかわからない、という顔の使用人は置いておき、レイザック達はさっさと屋敷の中へ入った。
「右前方から気配がする」
一番後ろにいるオルフォードが、その存在があるはずの方向を示唆する。それを聞いて、全員が早足でそちらへ向かった。
結界も消え、屋敷の中へ入ってしまえば、オルフォードが自分の妻の気配を見逃すはずもない。迷うことなく、その部屋へと近付いて行く。
「な、何だ、お前達」
ある部屋の扉が開くと、中年男性が現れる。誰もワイマーズ家の息子ジェインズの顔は知らないが、着ている高そうなシルクのシャツを見て、ここの主人だろう、ということは推測できた。
「こちらに魔獣がいるという情報を得て、調べに来ました」
マグテスが冷静な口調で告げる。途端にジェインズの顔が青くなった。
「な、何かの間違いだろう。うちに魔獣なんて」
「間違いかそうではないかは、これから調べさせていただきます」
「ちょ、ちょっと待て。そっちの部屋へは行くな」
大人の姿でも、頭は子どもだろうか。何かある、というのがバレバレな発言だ。焦っているのか、本人は気付いていない。
「この屋敷を調べてもいい、という許可証がありますので」
マグテスがまた許可証を広げ、ジェインズに見せた。
「そ、そっちは……そう、そっちには私の恋人がいるんだ。少し具合が悪くて寝ているから、調べるなら別の日にしてくれ」
「そうはいきません。少しの不調なら、そう問題はないでしょう。部屋の中を見るだけですし、時間はかかりませんから」
「時間がかからなくても、お前達みたいな奴がどかどかと部屋へ入るだけで、余計に彼女の具合が悪くなるんだ」
言い訳感たっぷりなセリフだ。
「医者には診せたのですか?」
「人間の医者が診てわかるか」
「では、誰ならわかるのですか?」
問われてジェインズはさらに青くなった。
人間の姿であっても、相手は魔獣。人間専門の医者が診察したところで、よくなるはずはない。
そういう考えがつい口を出たのだ。単に「まだ」と言っておけばよかったのに。
ジェインズの答えを聞いて、マグテスとレイザック、そしてオルフォードが再び歩き始める。
「ま、待てっ」
それを止めようとしたジェインズを、役人二人が遮った。
「ここだ」
オルフォードの差す扉をレイザックが開く。遠くで「やめろーっ」とジェインズが叫んでいるのが聞こえた。
「ファルジェリーナ!」
ソファに倒れ込んでいる女性を見て、オルフォードが叫ぶ。その赤い髪を見て、レイザックとマグテスは彼女がオルフォードの妻であり、妖精が話していた魔獣だとわかった。
「ファル、目を開けてくれ」
オルフォードが駆け寄ってファルジェリーナを抱き起こすが、彼女に何の反応もない。
「捕獲されて間がないはずなのに、どうしてこんなに弱ってるんだ?」
ファルジェリーナの様子にレイザックは首を傾げたが、その首にあるチョーカーに気付く。白い石が着いた黒いチョーカーは、以前にも見たことがある物だ。
魔獣の魔力を奪う吸魔石。闇の市場で出回る魔法道具は、魔獣にとって迷惑きわまりない代物だろう。使い方によっては、彼らの命に関わる。
「オルフォード、ちょっと彼女を寝かせてくれ」
レイザックに言われるまま、オルフォードは目を覚まさない妻の身体をソファに横たえた。
「かわいそうに。苦しかっただろう」
レイザックはそのチョーカーに手を伸ばす。しゅっという空気が抜けるような音がして、チョーカーは簡単に外れた。魔獣には無理でも、人間の手にかかれば一瞬だ。
「この石一つでこんなに弱るはずはないんだけど」
レイザックは自分の手元にあるチョーカーの石と、ぐったりした魔獣の女性を見比べる。
「ファルは最近出産したばかりで、体力が落ちていた。普段より抵抗力が落ちているせいで、こんなに……」
そうオルフォードが話していると、ファルジェリーナのまぶたが動いた。吸魔石を取り除いたことで、意識が戻ったようだ。見ているうちに、赤い瞳がゆっくり現れる。
だが、半分しか開かない。
「ファル、私がわかるか?」
夫の声に、ファルジェリーナの視線がそちらへ向く。そこにいるのが誰かわかったようで、口元にうっすらと笑みがこぼれた。どうやら最悪の事態は免れたらしい。
「……トゥールは?」
かすれた小さな声で、ファルジェリーナが尋ねる。その途端、オルフォードのほっとした表情がまた硬くなった。
「まだ見ていない。きみの気配しかわからなくて、とにかくきみを追って来たんだ。私はきみのそばにいるものだと……」
「私が気付いた時、魔法使いがいて……あの子に会わせてと言ったけれど、結局顔も見せてくれなかった」
時折、消え入りそうな声のファルジェリーナ。彼女を捕まえた魔法使いのことを聞きたいが、今は休ませる方を優先するべきだろう。ある程度のことは、ジェインズからも聞き出せる。
「さっきの男は? あの男がファルジェリーナを買ったんだろう? その時に子どもが一緒にいなかったか、聞いてくれないか」
「子ども? 子どもも一緒に捕まっていたのか」
ついさっき、ファルジェリーナは出産したばかりとは聞いたが、子どもまで被害に遭っていたとは思わなかった。
妖精はそんな話をしていない。オルフォードが尋ねると言うことは、彼に子どもの気配を感じ取ることはできないのだろう。だとしたら、この屋敷にいないのではないか。
そこまで考えて、レイザックは思い出す。ずっと魔獣の子どもの親を捜していたことを。
「なぁ、オルフォード。あんた達は何の魔獣なんだ?」
人間の姿でも気配でも、魔法使いなら相手が魔獣だとわかる。だが、人間の姿のままでは、どういった種族の魔獣かまでは無理だ。
「……小竜、だが。それが何だ?」
シェルリス命名のルビーは火の小竜。目の前の夫婦も小竜で、しかも火属性。これでつながらないなら、運が悪すぎる。
マグテスの方を見ると、彼も小さく頷く。
「オルフォード、この屋敷に子どもはいないけど、たぶん俺達はその子を知ってるぞ」
「……どういう意味だ」