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或る町の風景

作者: kazuunnabe

 池袋の駅前は人で溢れて、まるで洪水のようでした。コロナ禍で自粛とは関係ない顔で闊歩している男女が多かったように僕には見えました。

 いや、僕の心がそう見せたのかも知れません。

「コロナは嘘でした」来年あたりそんな報道がされるのではないかと思うほどこの国は平和そうに映るのです。僻み根性があるいはそうさせるのかも知れません。

 自殺率は上昇を続け、GDPは中国に抜かれ、年収は下がる一方なのに池袋に来るとそれが忘れられるのです。生きる熱意のようなものがこの街には確かにあります。

 自分が消費しない代わりに他人が消費するのを眺めるのが最近の僕の習慣なのでしょう。大食いタレントが10人分のラーメンを食べるのを見るようなものかもしれません。

 一人きりでアパートの部屋に引きこもると寂しさで押しつぶされそうになり、夜10時という中途半端な時間に東武東上線に乗り池袋へ目指します。特に何をする訳でもなく人々を眺める。

 そう言えば昔女の子と人間観察をしたことがありました。何を喋るでもなく小一時間同じ時間を共有すると少し二人の距離が縮まった様な気がするのです。

 保育士を目指して貧乏な女の子だったと記憶しています。子供が好きで彼氏持ちで僕に興味のない女の子。でも、その記憶すらも僕が都合のいいように改変された過去なのかもしれません。なんせ過去は美化されていくものですからね。だから人は思い出を懐かしく語るのです。


 Twitterのタイムラインを眺めたり、街を眺めたりを交互に続けるとインターネットで起きたことなのか、現実に起きたことなのかわからなくなるようになりました。トランプが選挙に負けました、株価が上がりました、新しい薬が承認されました、アイドルが浮気をしました、新しいゲーム機が発売されました。一体どこまでが現実でどこまでが虚像なのでしょうか?そもそも僕が考えてることそのものが、組織に作られた偽の記憶なのかもしれません。

 ああ、組織ですか?僕が勝手に妄想しているFBIや公安のような巨大なものです。

 僕が思っていること、もの、見てる景色、それらが「そこにある」という証明は誰もできません。1メートルの定規が1メートルである証明には別の定規が必要です。また、その定規を証明するにも別の定規が必要になり、永遠と1メートルの証明はできません。それらと同じようにあるいはこの現実を証明する術はあるいはないのかもしれません。

 もうとっくに世界なんて破滅して我々の肉体は宇宙のちりとなり、僕たちが考えていることはたぶん、電気信号のオンとオフの違いなだけで政府の都合の良い景色を見ているだけなのかもしれません。認知症の母を見ると一体どこまでが人間でどこまでが人間じゃないのかわからなくなってきます。

 排泄すら満足にできない大人を人間と言っていいものなか・・・少なくとも選挙権はこの国に認められております。であるなら辛うじて人間なのかもしれません。

 犬のように汚く臭い飯を食う「それ」を眺めながら人権について考えてみましたが思考はまとまらず空を回るだけで結論には着地しませんでした。

 携帯代金もまともに払うことも出来ず、バイト先では罵倒され、人に有らずと烙印を押された僕は逃げるように東京にやってきました。鬱が進行すると服用する薬が増えます。

 睡眠薬やハルジオンは僕のお守りのようなものになりました。バイトへ向かう時にこっそりと鞄に薬の瓶を忍ばせておきます。薬を摂取することはありませんが、店長に怒られた時、薬の瓶に触れるだけで少し気分が楽になるのです。


(大丈夫、気分が落ち込んでもこれを飲めば寝れるはず)


大丈夫、大丈夫、大丈夫と3回心で唱えます。

おばあちゃんから教えてもらった呪文のようなものです。


 僕は人間ではなくなりました。かつて芸人を目指したこともあります。芸人は僕にとって憧れであり神様のような存在でした。悲しいことを笑いに変える能力を、たしかに彼らは持っていました。ゴミをダイヤに錬金する錬金術師だと思ってました。

 そんな芸人に憧れオールナイトニッポンのハガキ職人を2年ほど続けました。何度かハガキを読まれたことはありましたが、ついには放送作家になることはできませんでした。

 パーソナリティの「東京へ来い」という言葉もありがたいと思いました、思いましたが人間嫌いの僕がまともに大人達と喋れるはずがありません。MCもかつて人見知りだったと公言していますが彼と僕を分つものは何だったのでしょうか?それは些細なことのようなことにも思えますし、あるいは決定的なことのようにも思えます。

 池に映る月と本物の月が姿が似ていてもまったく本質は異なるように、僕は池に浮かぶ月をいつまでもいつまでも掴もうとしているのです。そこにあるのにいつまでも掴めない月、はかなくもろく、そして残酷なのはそこにいない、ということです。


 全て失いました。

 母親もハガキ職人も芸人になるという夢も。


 たとえば来週見たいアニメがあるから生きていけると言ったら人は嘲笑するでしょうか?僕の体、心、そして精神は全てアニメでできています。かろうじて呼吸できるそのエネルギーをあの二次元と呼ばれる仮想空間から摂取しているのです。

 現実はどこまでも厳しく仮想空間はどこまでも優しい、それが罪だと誰が言えるのでしょう?たとえ現実の女性を愛せないとしてもそれがなんの悪影響を与えるのでしょうか?少子化が止まらないのは僕のせいではなく社会のせいです。バイトがまともに出来ないのも人と喋れないことも僕のせいなのでしょうか?


 アニメと映画とジャニーズとその仮想空間にどれだけの違いがらあるかぼくはわかりません。すくなくともぼくは攻撃することをしないのに奴らは(あえて強い言葉を使います)僕を見つけては嘲笑しあぜ笑い攻撃します。なんのために?僕もわかりません。一体、ひとを攻撃することになんの意味があるのでしょう?


 もし、賢者と呼ばれるひとがこの世にいたら問いたいです。なぜひとはひとを攻撃することをやめられないのか?と。弱い人がさらに弱い人を探し罵倒し攻撃することに何の意味があるのでしょうか?そのか弱く脆いひとはあなたになにをしたのでしょう?気分を害したというならばその存在を消してくれるだけの勇気を持って欲しかった!


ただ少し僕はおもうのです。


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