The 8 knots 『Welcome to the fold』
神と名乗る奴が動画ハイジャックをした日から六日が経った。
失踪者の捜索届は落ち着くどころか日増しに増加している。
失踪者の原因が犯罪者によるものなら、地域が限定されたり何らかの痕跡が残るものだが、失踪者は日本だけにとどまらず世界中で増加している。
規模の大きさから特定の犯罪組織と考えるのは無理がある。
世界的に共通点として見受けられる事は今のところ二つ。
一つは失踪者の一部は脳を剥き出しにされた死体で発見されている事。
失踪者の一部と言ったが、今の所例外はない。
単純にまだ他の失踪者が脳を剥き出しにされた死体として発見されていないだけかもしれない。
もう一つは、失踪前に「自分は神に選ばれた」という発言や、
「ノアの方舟に乗って生き残るんだ」などの発言をしていたという事だ。
これについても失踪者全員に確認が取れてる訳ではなく一部での話だ。
だがこれも今の所例外はない。
色々考える程、事態の異常さに嫌になってくる。
岬はやや乱暴にタバコを口に咥え、火をつける。
目をつぶり、肺どころか脳までタバコの煙で満たそうとするくらいに大きく吸う。
タバコの煙は脳には行かない事は百も承知だ。
それでもゴチャゴチャした頭をクリーンにしてくれるんじゃないかと期待した。
岬の淡い期待に反して、タバコの煙が全て肺から出ても頭のゴチャゴチャは変わらなかったのは言うまでもない。
動画ハイジャック後、岬にも神と名乗る奴から選別の結果が来た。
『信用スコアと危険スコアの結果、あなたはノアの方舟に乗れる資格を得ました。
あなたの魂は選ばれたのです。
ノアの方舟には人数制限があるのと出航まではそう時間がないので、速やかに乗船手続きをして下さい。
国や地域によって手続き場所は違いますので、準備ができましたら下部にある[乗船場所を探す]をクリックして下さい。
選ばれたのに関わらず乗船を辞退する場合は、下部にある[乗船を辞退する]をクリックして下さい。
ただし、一度辞退すると乗船枠は他の人に移譲されるため、辞退の撤回は不可になりますのでご注意下さい。
選ばれた魂をお持ちのあなたのご乗船を心よりお待ちしております。』
岬はこの内容を見た直後、すぐにテロ爆破事件が起こり現場に急行し、それと重なるかのように失踪事件が多発したのでこの内容は保留になっていた。
その後、失踪者が脳を剥き出しにされた死体として発見されたのを目の当たりにし、神と名乗る奴がこの選別の結果を送りつけて呼び出した人を殺害してると推理し、岬は[乗船を辞退する]をクリックした。
今となって岬は乗船を辞退するにクリックした事を後悔している。
ノアの方舟に乗りたくなった、という訳ではない。
[乗船場所を探す]をクリックしていれば犯人に辿り着いていた可能性が高いと気付いたからだ。
我ながら馬鹿な事をした。
試しに[乗船場所を探す]をクリックしてみたが、警告ウィンドウが出て、『一度乗船を辞退した方の撤回は不可です。』と表示された。
やっぱり無理か、とまたタバコを吸ってため息のように吐く。
その後もタバコを口に運びながらボーッと文面を改めて見ると、違和感を感じてきた。
違和感の正体は、全体を通して内容が現代的で事務的だからだろう。
神とかノアの方舟などの神話寄りの神秘的な単語が出ているのに関わらず、信用スコアや危険スコア、下部をクリックなどの現実的な単語が混在している。
宗教団体の勧誘メールなら失格なクオリティだ。
この神秘的な単語と現実的な単語の混在は動画ハイジャックの内容の時も感じた。
神と名乗る奴がM-apと言っていた。
違和感全開だ。
ただ一つ、違和感以外の何かを感じるのが信用スコアと危険スコアについてだ。
信用スコアとは社会的に信用され得る人物かどうかを評価した物で、学歴・身体と精神の健康状態・ボランティア活動履歴や果ては公共料金の支払い状況までもがスコア化されている。
対して危険スコアとは社会的に犯罪や潜在犯となり得る人物かどうかを評価した物で、犯罪歴はもちろん、交友関係や反社会的思考、差別思考までもがスコア化されている。
2018年に捜査のみに使用する条件で試験運用を極秘に開始し、その後に危険スコアが低い人は統計的に犯罪をする傾向が低く、危険スコアが高い人は犯罪をする傾向が高い事が実証された。
それにより速やかな犯人逮捕が増え、誤認逮捕が減った事からこの二つのスコアの使用条件が緩和され、今では就職や受験の合否にも参考にされるようになった。
ちょっと前に、2025年十二月にこの信用スコアと危険スコアの収集率が世界人口の九十%を越えたというニュースがやっていたのを覚えている。
そしてそれを待っていたかのようなタイミングで神と名乗る奴が動画ハイジャックで信用スコアと危険スコアによる選別を開始するという宣言。
計画的なのか、タイミングが良すぎる。
岬はカフェで人を待っている。
待ってる間に事件の事をあれこれ考えていた。
ため息が多いから灰皿には沢山の吸殻が溜まっていた。
コーヒーは飲むのをほとんど忘れていてとっくに冷めている。
考えすぎて眉間にシワが寄っていた。
「そんなに眉間にシワが寄っていたら婚期がもっと遅れるよ〜。」
そう言ってクスッと笑いながら女性が近付いて来た。
杜泉 仁美だ。
岬の高校からの同級生で保育士をしている。
髪はいつでもふんわりロングで維持され、どうやってスタイリングしているのか今でも岬は不思議がっている。
目はいつも笑って見える笑い目。
服装は女性らしいロングカーディガンにロングスカートをあわせ、ふわふわ揺らしながら歩く、いわゆる癒し系女子と呼ばれるタイプだ。
高校の時から男受けが良く、結婚して子供も一人いる。
「私は刑事だから良いの!
威厳を高めるためには眉間にシワが必要なのよ。」
岬はタバコを仁美に向けて力説する。
「威厳は眉間になんて宿りませんよ〜。
もう、岬はモデルのようにカッコいいのに本当、もったいないねぇ。」
仁美はそう言ってニコニコしながらテーブルを挟んで真向かいに座る。
岬はそれに対して、ハイハイと軽くいなして、
「で、相談って何?
何かあったの?」と尋ねた。
昨日の夜に仁美から相談があるから会わないか、と連絡があった。
文面的に真剣な内容でありそうだったので、今日の午前中にすぐ会う事にした。
「え、うん。
いきなり変な事聞くけど、こないだの神の宣言の後、選別の結果がどうとかあるじゃない?
あれって、刑事の視点からはどうなのかなって。」
仁美は岬の反応を伺いながら言う。
「う〜ん。
まだ調査中だから言えない内容が多いんだけど・・。
今の考えとしては、犯罪に繋がってる可能性がありそうなんだよね。」
岬は職務上言えない事が多いので、言葉を選びながら答える。
「犯罪の可能性!?
そうなんだ・・。」
それを聞いて仁美の表情が曇る。
「何かあったの?」
岬はそんな仁美を見て何かあったのだと直感する。
「・・旦那がね、帰って来ないの。
選別の結果を見て、俺選ばれたんだよ、って言っていて。
その次の日から家に帰って来ないの。
連絡しても一切繋がらないし。
それで捜索届を出した方が良いと思ったけど、まずはその前に刑事である岬に相談しようと思って。」
話してるうちに仁美は今にも泣き出しそうだ。
岬はそれを聞いて絶句した。
間違いない。
仁美の旦那は神と名乗る奴らに連れて行かれた。
そして、その後は・・。
岬はそこまで考え、起こり得る結末が予想できてしまったために、返す言葉がなくなってしまう。
「そうなんだね。」
と、目を逸らして言う事しか浮かばなかった。
「やっぱり岬は選別について色々知ってるんでしょ?
知っていて、それが悪い内容だから私に言えないって事なんでしょ?」
仁美の声は震えてる。
岬はそう言われて仁美を見つめる。
仁美は今にも泣きそうなのをぐっと堪えながら岬を真っ直ぐに見つめる。
岬は耐え切れなくて再び目を逸らしてしまう。
「私もね、選ばれたんだよ。」
仁美はゆっくり話す。
岬はそれにすぐ反応して、前に乗り出す。
「もうクリックしたの!?」
「いや、まだ。
でもね、乗船をクリックしたら旦那の所に行けるから、一緒に連れて帰って来れると思うの。」
仁美はそう言って目の前の自分の紅茶をスプーンで混ぜる。
「ダメ!
クリックしちゃダメだよ!」
岬は焦って引き止める。
「・・やっぱり、岬は色々知ってそうだね。
そう思って、クリックする前に岬に相談しようと思ったんだよ。
何がダメなの?」
仁美は岬から情報を引き出そうと問い詰める。
「・・それをクリックすると、危険なのよ。」
岬は言葉を濁す。
「あのね、岬。
私は岬に会う前から、これをクリックして、旦那を捜しに行く覚悟を決めてるの。
岬に会ったのは、その前にある程度の情報を教えて欲しかったからだよ。
もう、覚悟は出来てるの。
だから・・教えて。」
仁美は泣きそうではあるが、力強く真っ直ぐ岬を見つめる。
昔から仁美は癒し系でソフトな話口調ではあるが、一度言い出したらテコでも動かない頑固さがあった。
岬は仁美とは長年の付き合いがあるから、こういう時の仁美はもう説得が難しい事を知っていた。
岬はタバコを大きく吸ってため息混じりに吐き出して言う。
「もう、こういう時のあなたは頑固だからねぇ、ホント。
あのね、全員ではないから旦那がそうなったと確定ではないと思うけどね。」
岬は仁美がクリックするのを考え直してくれるように、あえてストレートに隠さずに言う。
「選ばれた失踪者の一部が脳を剥き出しにされた死体として発見されてるの。」
それを聞いて仁美は両手で口を塞ぎ絶句する。
ああ、やっぱりショック受けるよね、と思いながら岬は続ける。
「だから、旦那は私がちゃんと捜索するから、あなたはクリックしないで待っていて欲しいの。
危険だから。」
仁美は少し考えてる様子だったが、岬の方を再度見つめて言う。
「岬が心配してくれてるのはちゃんと分かった。
でもね、だからこそやっぱり私はクリックして捜しに行くわ。
私を手伝って。」
岬は身を乗り出して語気を強める。
「だから危険だって言ってるでしょ!?
相手がどんな奴か、一人なのか集団なのか、全く分かってないんだよ?
手伝えって言われても、仁美を守れないかもしれないんだよ?」
身を乗り出した岬に全く気後れせず、仁美はゆっくり話す。
「そこまでまだ何も分かってないのに、旦那がまだ生きてる可能性があるうちに見つけ出してくれる方法が他にあるの?」
岬はその問いに返せない。
「日数が経つ程、旦那は生きて帰って来る可能性が低くなる。
でしょ?
私はもう覚悟できてるよ。
だからお願い・・力を貸して。」
仁美は変わらず真っ直ぐ見つめて来る。
笑い目で目力はないはずなのに、なんでこんなに迫力があるんだろうな、と岬は苦笑する。
「私が協力しなかったら、一人でもやりそうだよね、仁美は。
・・分かったよ。
ただし、やるからには私の計画に従って貰うからね!」
仁美はありがとう、と更に目を細めて笑った。
この決断を後で岬は後悔することになる。
この世は理不尽に溢れている。
その理不尽で涙するのは、いつだって弱者だ。
錯綜する不確かな情報。
また一人、身近な人が失踪する。
次回、The 9 knots 『Back in black』
もう想いだけでは世界は止まらない。