後輩男子の行った世界
腕時計の針は18時を少し超えたところ。
冬の空はもう夜だけど、都会の街は華やかに明るい。あと少しでクリスマスだ。
今日は契約が1本取れた。悪くない。書類を一度持って帰らなきゃいけないから帰社。
ユミリとの約束には少し遅れるから、むくれられそうだ。
ユミリのことを考えると、契約で上がったテンションが下がる。
つきあって3年、26歳、結婚して専業主婦になりたいらしい。
26歳で結婚って、早くねえ? ユミリと俺は同学年、女と男じゃ違うんだろうけどさ、俺の給料で専業主婦とかちょっと無理だし。
社の前につく。社屋を見上げると、営業部と総務部のあるフロアはもちろんまだ電気が点いていた。
契約1本。先輩たちと軽くヨロコビを共有してから、ユミリに立ち向かう、とか。
なんだそれ。
足が沈み込むような感じを受けたのは、その時だった。
ビルが揺れている。
地震だ。
高層ビルは大きく揺れた。コンクリの塊がぐらりとしなって。
折れた。
いろんなものが降ってくる。逃げようとして立ち止まった。どこに逃げる? 先輩たちは?
頭に衝撃が走った。
目を開けると、天井が見えた。木製、すすけてる。
起きようとしたら、うめき声が出た。
「グランフォード!」
かわいい顔をした女の子の顔が視界に入ってきた。猫耳の獣人、アルア。
次いで、耳の大きい美人、エルフのトリータ。
最後に、白い髪と赤い目の人族、コユラ。
体を起こす。
痛いとかはないけど、だるい。最後に受けた魔法の影響だろうな。
「剣は?」俺の最初の第一声。それがないと魔王を倒せねえ。
コユラが横にあった剣をかかげた。
落とさなかったか。
魔王を倒せる剣があるというダンジョン。最上階についたのはいいが、ラスボスにてこずった。
なんとか倒し、剣を手に入れたものの、攻撃を受けて倒れたアルアとコユラを抱え、トリータとダンジョンを下ろうとしたところで、死にかけのラスボスの最後の攻撃を背に受けた。
コユラの治癒魔法もつきてたから、そのまんま、なんとかダンジョンを出たんだけど。
こんなとこで死ぬわけにはいかねえ、そう思って。
頭に残っていた勇者グランフォードの記憶はそこまでだ。
今は、勇者の体の中に俺の意識が入っているけれど、勇者のときのことも覚えているって感じ。
それで、俺はどうしたらいいんだ?
営業やってた会社員が魔王を倒しに行くって無理じゃね?
そもそも俺、魔王倒しになんか行きたくないし。行くの止めればいいんだよな。どうせ夢だし。
ざわ。
あれ、なんか心の奥がざわっとする。
グランフォードだから魔王を倒しに行かなきゃいけないのか?
あ、そーいうこと?
ちっ、しょーがねえなあ。
「俺は何日寝てた?」
トリータが指を3本立てる。三日か。寝すぎだな。
右腕を伸ばす。少し動きに違和感があるが、寝てたからなのか、それとも心と体が違うものだからか。
まずはどの程度動けるか試してみないとな。
勇者グランフォードの体はすごかった。
力も速さも反射神経も、中学高校サッカー部レギュラー(最高で県大会2回戦出場)の俺は到底及ばない。
そして、こっちもだ。
ベッドで5時間。腰砕けになった3人の女体を侍らして、ちょっとヤリたりないな~と思ってるところ。俺だったときは、って、うるせーよ!
近くにあったアルアのおっぱいをもんでみる。駄目だ、全然起きねえ。
しょうがない、俺も寝るか。
にしても、なんかいつものことっぽくヤル感じになっちゃったからヤッたけどさ、3人ともどうみても10代。俺としてはちょっと抵抗はある。
ヤッたけど。
みんなおっぱい大きいしな。
いや、違うよ、おっぱいが大きくなきゃ女じゃないって人種じゃないよ、俺。
先輩くらいでもOKよ、俺。
契約1本。あの後、会えてたら、いつもみたいに。
おっ、やったじゃん!
にやっと笑ってくれたんだろうな、きっと。
だろ? 美鶴。
飲み会のとき、酔ったふりして顔を近づけ、名前を呼んだら挙動不審になった。
それが楽しくて何度も呼んだ。次の日、出社したら、もとどおり「先輩!」って声をかけて。
先輩、定時で帰っててくれればいいのに。
そうしたら、あのビルの中にはいなかったのに。
先輩が定時で帰ってる確率10%くらいなんだけどさ。わりと社畜だし。
それなら、せめて、先輩もこの世界に来なよ。
この世界なら、先輩も巨乳になれる! どう?
「魔王を倒したら、グランフォードのお嫁さんにしてね!」
「私も!」
「私もです」
うん、とうなずく俺も、アルアもトリータもコユラも、その日が来ないことを知っている。
目の前の魔王は強すぎる。俺たちはもうズタボロだ。
最初にコユラが倒れた。
向かっていった俺とアルア。
アルアが魔王の爪に串刺しになって。
俺は叫びながら魔王の首に剣を振り下ろした。
青い血のようなものが噴き出す。まだだ、倒せるほどの傷じゃない。
でも、これで動きが弱まれば今度こそ狙える。
跳び退って、魔王が咆哮とともに飛ばした魔法をよける。その勢いで爪からはずれたアルアの体が吹っ飛んだ。
よけた魔法をトリータが受けた、が、受けきれなくてトリータは一瞬で塵になる。
俺は、跳ぶ。
負った脇腹の傷が熱い。
渾身の力をこめて、魔王の額の第三の目に剣を刺す。
剣を残して俺は振り落とされ、地面にたたきつけられた。
腕も足ももう動かない。たたきつけられたうつ伏せの姿勢のまま、わずかに顔を上げる。
暴れる魔王の体が剣の刺さったところから崩れていく。
あの日のビルみたいだ。
魔王1本。
先輩、やったじゃん! って言うかな。
瞼の奥の先輩の姿が薄れて、姫になる。
この国を助けてください。
白く細い指がグランフォードの手を取る。
ご無事で。
悲し気に見上げる美しい顔。
それもまた少しずつ薄れ、ふふっと笑う先輩の顔になって。
グランフォードの体は動かなくなった。
目を開けると、天井が見えた。真っ白の。
「お兄ちゃん!」
視界に入ってきたのは妹の顔。
すぐに後ろを向き、半開きのドアに向かって叫ぶ。
「お母さん! お母さん! お兄ちゃん起きた!」
長い夢、だったな。
夢、うん。
夢じゃなきゃ何だって言うんだ? そうだろう?
どこからが夢かは今は考えない。
俺はもう一度目をつぶった。