09 ロクサーヌ
ロクサーヌ・ファルコーネは忘れられた子供だった。
カルタス伯爵を父に、ファルコーネ公爵令嬢を母に持つ彼女は、本来なら輝かしい未来を約束されていたはずであったが、カルタス伯には、第二婦人にすでに美しい娘が二人おり、ロクサーヌの半年後に第三夫人の生んだ嫡子に父親の関心は移っていった。
元来そういった事に関心の薄かった彼女の母親も、夫の愛情を運ばない娘にすぐ興味を失った。
大人しかった彼女は、特に使用人たちの手を煩わせる事もなく。
ただそこにいるだけの子どもになっていた。
9歳になった頃、その全てが変わった。
叔母でもあるマリーダ后妃の息子、第一王子の婚約者候補に選ばれたからだった。
宰相オルコス・ファルコーネは、異母妹の娘であったロクサーヌを養女に迎え、第一夫人の娘とした。
二人の息子に恵まれたが、娘のいなかった夫人はロクサーヌを愛したし、兄たちも突然やってきた妹を可愛がってくれた。
親の愛情を受け、ロクサーヌは花開き美しい娘になった。
カシム王子とも仲が良かった。
王子は、母親とそっくりの栗色の髪と茶色の瞳を持つロクサーヌが王宮に来ることを好んだ。
彼は幼い頃から気の短い所があり、時々癇癪を起して周囲の人々を怖がらせたが、ロクサーヌにとっては、一つ年下の彼が時々起こす癇癪も、煩わしいものでは無く、自分に甘えていると思えて嬉しかった。
大人に近づくにつれ、周囲の目を盗み軽く唇を合わせる事もあり、王子が16歳になったら、自分が婚約者となる事を信じて疑いもしなかった。
彼女の名前を聞いたのはそんな頃だった。
王子に自分以外の婚約者が選ばれる事は承知していたが、西方辺境伯の娘が選ばれるとは思いもしなかった。
王都に一度も来た事のない、地方貴族の娘。
辺境の貴族は、確かに力があったがあくまで伯爵でしか無かった。
おまけに西方辺境伯の妻は、子爵家の出で、公爵家の血を引く自分とは全く違う。
だがその娘を第一夫人にするため、カシム王子が18歳になるまで婚約が行われないという。
そしてその間、自分は婚約者のいない貴族の娘でいなければならない。
なぜそんな地方の娘に気を使う必要があるのか判らないが、養父がそれを望んでいるのであれば従うしかなかった。
自分は幼い頃とは違う、今では多くの人々が自分を美しいと評してくれていた。
その為の努力をしてきたし、自信もあった。
それにカシム王子は、辺境伯の娘をなぜか嫌っていたし、自分と早く婚約したいと望んでいてくれた。
園遊会の前日、辺境伯の娘が王都に来ている事を知った。
おそらく明日の園遊会で、王子と初めて会う事になるのだろう。
一年前イルゼルト家の兄妹が社交界にデビューした時が頭を過るが、それは彼らが王都では珍しい黒髪をしていた事が影響していた。
辺境伯の娘は、母親に似て金髪だと聞いているし、緑色の瞳もそう珍しいものではない。
おまけに緑色の瞳を持っているのに、魔力を全く持たず、癒しの力を使う事も出来ないらしい。
母親の魔力を奪っておいて、自分が全く受け継ぐ事も出来なかった娘なんて、とも思う。
それでも王子が好きな色のドレスを身につけ、だれにも負けない様に装った。
「はじめまして、ロクサーヌ様」と挨拶される。
彼女は王子に対しても、自分に対してなんの感情も持っていないように見える。
彼女は何も知らないのだ。
自分が王子の婚約者候補である事も。
ロクサーヌが、同じ婚約者候補であり、ライバルである事も。
そして自分がどれだけ彼女を意識しているのかという事も。
王子の視線が、彼女の後を追っているという事も。
それらがどれだけロクサーヌにとって、許せないという事も。
彼女が嫌いだった。
だが愚かな事をしてしまったとも思う。
自分の古都での行いを、彼女やあの従者がウエストリア伯に伝えれば、彼から王や養父の耳に入るかもしれないし、なによりカシムに知られたくない。
数日後、王子の所に行くと、乳兄弟のライルにブツブツ言っているのが聞こえてくる。
ウエストリア伯が娘と共に王宮に来ているらしいが、なぜ会う必要があるのかと文句を言っているが、色々言ってはみてもソワソワした様子は見て取れる。
カシム様の事はよく知っている。
口で言うほど嫌がってはいないのだ。
気にする必要などない。
今までも何人もの相手が彼の側にやって来ていた。
けれど結局残ったのは、自分に良く似たマリグリット嬢と、全く会う事がなかった辺境伯の娘になった。
彼女が今までの相手と違うとも思えない。
彼が嫌いになる女性が、どういう人か自分はよく知っているのだから。




