7:冷蔵庫の中のお菓子と電話の向こう側の人
「イヨヒくん……」
トイレから出て、すぐチオリと目が合った。彼女が今黙ってボクの着ている服を見つめている。
「どう……かな?」
「……」
チオリが答えずに目を逸らした。顔は赤くなったようだけど……。
「さあ、食堂に行こう」
「……っ!」
無視された? なんで? それはそれでショックだ。確かに今もし『似合う』とか、『可愛い』とか言われたら恥ずかしくて死んでしまうかもしれないけど、無視されるのもそれはそれで落ち込んだよ。
「うふふ、緻織ったら……」
「え?」
そんなチオリの反応を見てなぜか緻渚さんがくすりと笑った。
「可愛いよ。似合うよ。イヨヒお姉ちゃん」
「へぇ!?」
そんな褒め言葉を言ったのはチオリではなく、緻羽ちゃんだった。
「緻羽ちゃん、ありがとう……」
もしかして、ボクが子供に気を遣われた? やっぱりいい子だ。
「みんな、うじうじしないで、早く行くぞ」
「あ、うん」
チオリに急かされたから、今とりあえずチオリに追いかけていく。
・―――――・ ※
ボクたちは階段から降りて、この家の1階にある食堂に着いた。
食堂の真ん中には6~8人で囲めるくらいの大きさの丸い食卓が鎮座している。その周りに椅子が並んでいる。
「さあ、どうぞ。どの席でもいいよ。お菓子を持ってくるから、ちょっと待ってね」
「はい」
ボクたちは食卓の周りに座っている。まだ夕飯の時間ではないので、今はお菓子を食べながら話の続きをすることにした。
「あの、そういえば父さんは? 今日も夜まで仕事があるの?」
チオリがお父さんのことを緻渚さんに訊いた。お父さんか……。そういえばボクはまだ会っていないよね。今いないようだから。
「うん、そうね。とりあえず、一父さんに電話で緻織が無事に帰ってきたことを伝えておこうか」
「いいね。あたしが自分で伝えるよ。きっと父さんが喜ぶ。そういえばあたしのスマホは今どこ?」
「私の部屋に置いたよ。でも、今電池が切れているはずだから、とりあえず私のスマホを使っていいよ」
そう言って緻渚さんは長くて平たい立方体の物件をチオリに渡した。色は全体黒い……と思ったらチオリが指でふれたら、一面がいきなり明るくなってきた。
「チオリ、これは何?」
「イヨヒくんはこんなものを見たことがないよね。これは『スマホ』だよ」
「素魔法……?」
何かの魔法かな? でもここでは魔法がないよね。やっぱりこの世界の科学技術で作られたアイテムだね。
「これはいろんな機能を持っている機械だけど、今使うのは『電話』だ。遠くにいる人と連絡を取ることができるよ」
「ほー、こんなこともできるのか。便利だね」
あっちの世界でも、魔法でただ念じたら遠くにいる人と通話することができるけど、あれはあまり簡単な魔法ではないから、使える人は限られている。このように誰でも使うような一般化された道具ではない。
「もしもし……はい、お父さん、ただいま。うん、心配かけてごめん。大丈夫、あたしは今元気だよ」
チオリはそのスマホを耳元に当ててお父さんとの会話を始めた。スマホからは男の声が聞こえた。声が小さくて内容までは聞き取れないけど、それはチオリのお父さんの声のようだ。
電話ってこのように使うのか。少し勉強になったよ。なんか面白い。こんなものはボクも使ってみたいな。
そのうちに緻渚さんは、『扉が付いている大きな箱(?)』みたいな何かに向かって、その箱の扉を開けたら、箱の中から光と冷気が出てきた。
「何これ? 冷たいの」
「これは冷蔵庫よ」
「霊造庫……?」
精霊に造られた倉庫のこと?
「冷たいものを収めるために使うの。この中にいっぱい食べ物や食材が入ってるよ」
あっちの世界でも魔法で冷却することはできるけど、これも個人用だけで、このように簡単に使われる道具にされていない。
チオリ曰く、この世界では魔法が使えないけど、その代わりに科学が発達して便利な道具がいっぱいあるって。この冷蔵庫以外にも、例えば天井に光っているあれや、ずっとフラフラして回って風を吹き出してくれるあれ。
魔法では風や光を引き起こすこともできるけど、ここでは魔法を使っていないのにどうやって動かせるのかな? 不思議だよね。ボクも気になるから、後で絶対訊いてみる。
とにかく、今ボクが注目しているのは、あの冷蔵庫の中から持ち出されたあれのことだ。皿の上に載っていて、茶色の立方体の姿をしている、柔らかそうなお菓子。そのお菓子はこっちの食卓の上に置かれた。
「これは羊羹というお菓子だよ。イヨヒくんも食べてみて」
「うん」
ボクがこのお菓子の一部を匙で切って、口に入れた。
「甘い。美味しい」
そしてボクたちは食べながら話を始めた。
「で、どこから始めればいいかな?」
「そうね。聞きたいことがいっぱいあるし」
「じゃ、今のところ母さんはあたしとイヨヒくんの異世界のことをどれくらい把握できている?」
「えーと、今のところわかっているのは……
1. 緻織が異世界へ行ってきた
2. あっちは魔法も使える世界
3. あっちで緻織が勇者になった
4. イヨヒちゃんも仲間の一人になった
5. やっと魔王を倒した
6. それでこっちに帰還した
7. イヨヒちゃんも一緒に付いてきた
8. 緻織はイヨヒちゃんが男の子だと思っていた」
緻渚さんが先ほどの話から知っていることを纏めてみた。
「待って! 母さんのそんな言い方だと、なんかまるであたしが男と女の区別ができなく勘違いしていたみたいじゃないか。さっきも言ったでしょう。あっちでイヨヒくんは本当に男だったって」
「あ、そうだったね」
「はい、そうです。ボクもここに来たら女の子になったってことは本当に予想外です」
正確に言うと、『なった』のではなく『戻った』だ。ボクが最初から女の子だったからね。
「でもね、やっぱりあたしにとってイヨヒくんあまり変わっていないと思うよ」
「そう? ボクはこのように体が女の子になったのに?」
しかも今女の子の格好しているし。
「わかってる。でも女っぽいってのは最初からだろう。だからイヨヒくんはそんなに変わっていないよ」
「うっ……」
またそう言われた。これは喜ぶべき? 確かに男になっていた時でもボクは女顔で背が低くてあまり男っぽくなかったよね。自覚していたよ。今までずっとそんな目で見られていた。
「正直ね、私は今でもまだあまり信じていないよ。こんな美少女が男だったなんて……全然想像できない」
まあ、緻渚さんはボクが女の子に戻った後で会ったからね。チオリみたいにあっちのボクと会ったことがない。今のボクの姿を見れば男になる時の姿なんて想像しにくいだろうね。
「母さん、そんなに難しくないよ。今よりちょっと背が高くて、髪の毛が短くて……。それくらいかな」
「……」
そう聞いてまた複雑な気持ちだ。それってつまり他の部分は全然変わっていないと言うの? そんなはずないよね。顔つきとかは少し変わったはずだろう? 確かに男になってもまだ女顔だけど、本当に体が男になっていたからもちろん少しくらいもっと男っぽかったはずだよ。
「イヨヒくん、なんで溜息?」
「いや、別に……。それより話の続きを」
別にそんなこともうどうでもいい。気にしすぎては駄目だ。
「そうね。イヨヒちゃんのことはさておき、今は最初から緻織がいきなりここからいなくなったことから始めよう」
「わかった」
「そうだ。その間に、私がイヨヒちゃんに髪を梳かしてあげるね」
結局髪の毛のことまで緻渚さんに任せることになったね。でもボクはこんな長い髪の毛を扱ったという経験がまったくない。これからも自分でやらなければならないと考えてみただけで疲れそう。
「あの日は確かにあたしがいきなり召喚されたのは全ての始めだった」
「異世界ものではよくある勇者召喚か。やっぱり本当に突拍子もない話ね。そもそも異世界に転移するなんてどうやって? これだけでもあまり信じられない話よ」
「そうだね。さっき言い忘れたけど、実はこれは神様の仕業だ」
「神様……? これもテンプレでよくあるわね。まさか本当に神様は存在するの?」
緻渚さんは『神様』という言葉を聞いて、一瞬ボクの髪を梳かしている手が止まった。
「そう。『グルノティトゥヨヨイェンタフェー』っていう神様だ」
「はい?」