49:いまはいなねいよひ
「イヨヒちゃん、いきなりどうしたの? 泣いてる?」
気がついたらボクの目に涙が付いているようだ。ボク、またいつの間にか泣いたのか? でも今はもう泣き止んでいる。
紗織さんは心配そうな顔で、両手でボクの肩に当てている。
「すみません。いきなりボク……」
「ううん、でもいったい何かあったの?」
「えーと、よくわかりませんが。なんか誰かの声が聞こえた気が……」
あれは誰の声なのか? ひょっとして今起きたのは緻渚さんに抱きつかれた時も今回みたいな現象かな? 聞こえた2人の名前も同じだ。
「誰かの声?」
紗織さんもこれは何なのか、全然かわからないみたい。
「いいえ、何でもないです」
「イヨヒちゃん、大丈夫?」
ボクの今の様子はどうやらチオリまで心配かけてしまった。
「ううん、よくわからないけど、もう大丈夫みたい」
さっきのおかしな感覚はもう消え去った。まださっきの声は何なのかわからないけれど、今はそんなことを構う場合ではないよね。
「もう大丈夫そうね。では、本題に入りましょうか。紗織先輩」
緻渚さんの言った『本題』ってのはもちろんボクの『戸籍改竄』のことだね。これはここまで来た本来の目的だから当然だ。
「うん、そうだよね。わかったわ。じゃ、まずは……」
その後、紗織さんはボクやあっちの世界のことをいろいろ訊いた。写真も何枚撮られた。そしてボクの(架空の)過去を新しく設定してもらった。
後で聞いたが、どうやら彼女の旦那のお父さんは偉大な政治家だから凄まじいコネがあるらしい。
戸籍ってどうやって作ったかな? 手段は? それはボクも知りたいけど、どうやら秘密なので、そんな細かいことは大目に見ておこう。
とにかく『戸籍改竄』はできそうで問題ないみたい。(もちろん、実際にこれは犯罪だけどね!)後は待つだけ。もし間に合ったら、この新学期に学校に通うこともできる。
・―――――・ ※
「久しぶり、兄さん」
紗織さんと離れた後、次は緻渚さんの実家に来た。この家から出てきたのは緻渚さんのお兄さんらしい。
「緻渚、それと……緻織ちゃん、こんなに大きくなったな」
チオリのことを『ちゃん』付けで呼ぶなんて初めて聞こえたね。
「はい、久しぶり、矢凪伯父さん」
「その子は緻羽ちゃんだよね? この前会った時はまだ小さかったね。あの子は?」
彼はボクと緻羽ちゃんを見て訊いた。
「あ、緻羽とイヨヒちゃんは初めてだよね。これは私の兄。緻羽の伯父さんね」
「遊佐矢凪です。はじめまして」
緻渚さんのお兄さん……矢凪さんはボクと緻羽ちゃんに自己紹介をした。
「伯父さん、はじめまして、稲根緻羽です」
「可愛い女の子だね。緻羽ちゃん今いくつ?」
「チハネは7歳です」
「もう7歳か。この前会ったのは確かにまだ4歳の時だったね。小さかったから覚えていないだろうけど」
緻羽ちゃんも挨拶をしたから、次はボクの番ね。
「この子は、家にこの子を引き取ったの。今は私の養子よ。ほら、イヨヒちゃん、自己紹介」
「は、はじめまして、稲根夷世姫と申します。16歳です」
さっきでボクの新しい名前も決めた。名字はチオリの家族と同じ稲根で、名前はボクの名前そのままだけど、漢字で当ててみた。
夷世姫の当て字はチオリと緻渚さんが一緒に考えてくれたものだ。ちゃんと適切な意味を持っている。
『夷』は『異邦人』という意味があって、差別的な意味合いで使われることもあるらしいけど、ボクにとってむしろこれはぴったりの名前だと感じるね。異世界から来たこと自体は吹聴するようなことではないかもしれないけど、別に悪いことばかりだとは思わないから。
『世』は『世界』の『世』で、『姫』は『お姫様』のことだ。つまり夷(異)世界から来たお姫様のことだ。『姫』という字が名前に入れるのはなんか恥ずかしいけど、日本では実際にこの字を名前に入れることも多いようだ。
ちなみに、最初は「『異世界幼女姫』だから『異幼姫』にしよう」と、緻渚さんが提案したけど、そんなのやっぱり却下だよね。『異』という字より『夷』の方が気に入っているし。それに『姫』はいいけど、『幼女』はなんか違うよね。大体ボクが『幼女姫』だったのは8年前のことだよね。今はもう16歳だよね。
「君は16歳!? まだ幼い女の子に見えるのに。緻織ちゃんと同い年なの? 」
やっぱり、この反応だよね。年齢を教えたら信じられないような顔をされた。いつものことだ。実はボクのこの外見では年齢が誤解されやすいようなので、さっき訊かれる前にボクは先に自分の年齢を教えておいた。
「うん、でもイヨヒちゃんの方は誕生日が緻織より少し後だから、妹ね」
やっぱりボクは『妹』として紹介されている。実際に今ボクはチオリの義理の『妹』だということになっている。そんなことはわかっていることだけど、どうしても微妙な感じだよね。それにチオリ本人はボクが『弟』だと認識しているけど。
「女の子3人もいるのか、いいよね。3姉妹は」
「うん、そうね。結局家は女の子ばかりよ」
「でも、夷世姫ちゃんって、変な名前だな? この白い髪の毛も、これ本物? ひょっとして外国人なのかい?」
やっぱりこれも疑われるよね。実際にボクは外国人ではなく、異世界人だけどね。
「いや、そうじゃないけど、一応イヨヒちゃんは混血だよ」
「なるほど」
緻渚さんはボクの代わりに答えた。
ボクの外見は日本人とは似ているけどちょっと違うので、混血だという設定は採用された。
ボクが異世界人って言う事実は、家族の人以外に知っているのは紗織さん一人だけ。他の人には、ボクは『緻渚さんの友達の子であり、わけあって養子として引き取った』と教えた。緻渚のお兄さんである矢凪さんにも本当のことを教えていないらしい。
その後ボクたちは矢凪さんの家で昼ご飯を食べた。そして次の予定は、東京観光だ! せっかくここまで来たからいろんな物を見たいしね。
「じゃ、私はここに残るから、3人で遊びに行ってね」
「「「はい!」」」
緻渚さんは今夜ここに残る。ボクたち3人は遊びに出て、その後3人でホテルに泊まる。
「どんな場所に連れて行くの?」
「それは見ての楽しみだ。まずは電車に乗るために、稲城駅に戻って、その後は……」
ボクと緻羽ちゃんはここに来たのは初めてだから、全然何もわからないので、予定は全部チオリに任せた。どんな場所に連れてもらえるかな。楽しみだ。




