41:転生幼女はこれからも大変になる?
「疲れたね」
家に帰ってきて、まずボクは緻羽ちゃんと一緒に寝室に入ってベッドに座った。今夜も緻羽ちゃんと一緒に寝ることになっているから。
今緻渚さんは晩ご飯を作っているから、ボクたちはしばらくここで待つ。
「この世界は本当に最高だね」
「イヨヒお姉ちゃん、ここを気に入ったようだね」
「もちろん、今回始めてのお出掛けでいろいろ経験したし」
電車に乗って、一日中金沢で買い物と観光、本当に楽しかったよ。この世界についていろいろ勉強になった。
「チハネにとっても、今回も前世の記憶が戻ってきてから初めての出掛けだよ」
二人きりになったら、緻羽ちゃんと前世の話ができた。今日朝からずっとチオリと緻渚さんと一緒にいたから、こんな話ができたのは昨日ぶりだ。
「そうだね。どう? そういえば金沢に行ってきたのは今回始めて?」
「記憶に残っているから、多分昔行ったことがあるけど、まだ幼かった頃のようだからはっきり覚えているわけではない」
確かに緻羽ちゃんはまだ7歳だから、たとえ今までの記憶を辿ってみても、はっきり覚えていることは少ないだろうね。
「そうか。でも今日緻羽ちゃんなんかずっとあまり喋らなかったね。普通はこんなに静かなのか?」
「ううん、実は今日まだずっといろいろ考え込んでいるから」
「まだ意識混乱しているの?」
「まあ、でも外に出ていろいろ見てよかったと思うよ。今もう随分落ち着いてきた」
やっぱりいきなり前世の記憶が蘇ってきてまだ多少混乱しているようだ。今日一緒に出掛けてよかったかも。少なくとも気晴らしにもなれたはずだから。
「緻羽ちゃんもこの世界のことが好き?」
「もちろん、あっちよりずっといいよ」
どうやら緻羽ちゃんもボクと同じく、あっちからこっちの世界に来て嬉しいと思っているようだ。
「なんか異世界から来たのがボクだけではないってわかったら心強いって感じだ。こうやって緻羽ちゃんと一緒に住むことになってよかったと思っている」
「チハネも、イヨヒお姉ちゃんがここに来て、姉になってくれて本当に幸せだよ」
姉か……昨日ばかりだからまだあまり実感がないね。昔とは逆な立場になっていることもなんか不思議って感じだ。でも本当に嬉しい。
「ボクも緻羽ちゃんが妹になってくれて嬉しい」
そう言いながらボクは緻羽ちゃんの頭を撫で撫でした。彼女も可愛がられて喜んでいるみたい。
実はボクだって妹や弟が欲しいのよね。このように誰かに慕われてみたい。
「だからね、何かあったらこのお姉ちゃんに任せよう!」
今ボクはなんか『お姉ちゃん』として目覚めたような気がする。本当は『お兄ちゃん』の方がかっこよさそうだからそう言いたいけど、今の姿ではさすがに無理だよね。
「イヨヒお姉ちゃん、大好き!」
もちろん、この場合の『好き』ってただ姉妹としてだよね? 別に深い意味はないはずだから、ならボクも同じ気持ちだと思う。
「ボクも……好きだよ。もちろん、家族のみんなも緻羽ちゃんのことが好きだよね」
「そうだね。みんな緻羽のことが好き。でも多分それは元の緻羽という女の子だよね。ボクじゃなくて」
「え? どういう意味? なんでこんなこと言うの? 緻羽ちゃんは……あなたは緻羽ちゃんでしょう?」
今『ボク』って言ったのは前世の自分を示すためだよね。でもどっちも同じ人ではないか? 人格も一体化したはずだ。
間違いなく、今の緻羽ちゃんは今までの元の緻羽ちゃんの記憶や感情を受け継いでいる。本人もそう言ったし。そのはずだから、自分が緻羽ちゃんではないような言い方はなんか変だよね。
「それはどうでしょうね。……余程複雑な問題かな。多分そうだとは言えるけど、同時にそうではないとも言える。あまり簡単に説明できない」
また結構難しそうな話になっている。ちゃんと集中しないと把握できないかもね。
「人格も記憶も、前世と現世のものが今ごちゃごちゃ混ざっているという状態だよ。でも、そもそも緻羽はただ7歳の子供だから、人格も自我もまだ脆弱で希薄なもの。欲望とか将来の夢とかまだあまりはっきりと成り立っていなかった。こんな状態で、すでに16歳になった前世の人格と一体化したらどうなると思う?」
「……」
あまり想像したくない。なんか怖い話になりそうだから。
「だから、今の人格は……つまり性格や思考や好き嫌いや自我は……、元の緻羽よりもほとんどボクのものになっているよ」
ここまで言ったら緻羽ちゃんの目から少し涙が零れ出た。きっとこんなことで苦しんでいるはずだよね。
「そんな……」
「結果として、家族に対する気持ちと思い出はそのままだけど、あの純粋な女の子である緻羽はもう消えたとも言えるかもね。家族のみんなに可愛がられていた緻羽はボクじゃない」
「それは……なんか」
まるで体が乗っ取られた、みたいな? でも乗っ取ったのは他人ではなく、もう一人の自分自身そのものなのに。
「酷い話だよね。だから本当にこの娘に悪いと思って謝りたい……と言ってもおかしいんだよね。だって、実際にこの娘も自分自身だからね。結局誰に対して謝罪するのかわからなくなっちゃう」
本当にややこしい話。そもそも人間の人格や自我って何? どんな手段で決まって、どうやってどんな風に成り立つものなの? これだけでも相当難しい哲学的な命題だよね。
「でも、今あなたはこれからも緻羽ちゃんとして生きていくつもりだよね? それは一番いいはずだ」
「うん、そうとしかできないよね。せっかく生まれ変わったから自ら命を絶つなんて考え方はもちろん一切ない。そんなことしても元の緻羽が戻ってくるわけでもないしね」
「そう……だね。それでいいと思う」
そう聞いてちょっと安心したかも。少なくとも緻羽ちゃんは短絡的な行動を取ったりすることなんてなさそう。
「確かに、元の緻羽と同じようにはなれないかもしれないけど、少なくとも家族との関係は変わらないようにしておきたい」
「そうだね。変わってしまったものは仕方がないけど、全てが変わってしまうわけではないよね」
「だからね、もしみんなにバレてしまったら……」
確かにこの秘密は家族の人に絶対に言いたくないよね。自分は緻羽ちゃんだけど、元の緻羽ちゃんではないから。そんなことを知ったら受け入れられないかもしれない。一旦ああなってしまったら今までみたいな緻羽ちゃんの生活は崩れてしまうかもしれない。
「わかっている。まだバレていないはずよ。チオリにもまだ言っていない。今はまだ言うつもりはないよ」
人格が変わっても家族への想いは変わっていないから、緻羽ちゃんは家族との関係が変わってしまうことが怖い。
でも正直言うと、異世界転移経験者であるチオリなら他の人より一番受け入れやすいはずだ。きっと問題ないと思う。今このことはまだチオリに打ち明けるつもりはないかもとれないけど、いつまでも隠し続ける気はない。
「ありがとう。チハネもバレないように頑張る」
「昨日からずっと混乱のままで考えて悩んでいたの?」
「うん」
「そうか。なんか大変そうだね」
例え人格は前世のものだとはいえ、体も精神もまだ子供だから、そんな難しいこと考え込んでどれくらい辛くて苦労しているだろうね。
「ごめんね。辛い思いさせて。ボクがここに来なかったら……」
こうなったのもボクの所為。
「自分を責めないでね。チハネはこうやってイヨヒお姉ちゃんとまた会えるのは本当に幸せだと思っている」
「本当に?」
「うん、だって普通はあり得ないはずでしょう。きっとこれは神様が与えてくれた奇跡だよ」
「奇跡か……そうかもね」
世界を越えてまた再会できるなんて、本当にありきたりなことだとは思えない。
「だから思い悩むのは止めよう」
「でも……」
「自分が悪いとか言うのも止めよう」
それはわかっている。駄目だな、ボク。目の前にいるこの人は子供なのに。ボクの方が姉なのに、慰められているのはボクの方になった。
でも、例え緻羽がボクを責めなくても、ボク自身はまだなんか腑に落ちない気がする。8年前のことも、昨日のことも、全部の起因が本当にボクなのだから。
「イヨヒお姉ちゃんに幸せになって欲しい」
「ボクも、緻羽ちゃんのここでの幸福と安易を望んでいるよ。まだボクにできることとかある? もしあったら言ってね」
「今は、そうね……。なら、とりあえず抱かせて」
それだけなの? 意外と簡単なお願い。
「うん。いいよ」
そう言って緻羽ちゃんはボクをそっと抱き締めてきた。
「イヨヒお姉ちゃんと抱き合う時は、なんかポカポカと温かくて落ち着くのだから」
「うん、わかった。今ボクができるのはこれくらいだからね。満足するまで抱き締めていてもいいよ」
それに、ボクも緻羽ちゃんと抱き合うと気持ちいいよ。やっぱり幼女最高……って、別に変な意味で言っているわけではないよ。ただなんか小さくて可愛くて守ってあげたい。笑顔にさせたい。そして抱いたら元気になれたような感じだ。ひょっとしてあの時のテンソア様……前世の緻羽ちゃんもこんな風にわたくしを見ていたのかもね。今立場が逆になって気持ちわかったかも。
その時誰かがこっちへ歩いてきている足音が聞こえてきた。そしてこの部屋の扉が開かれる音もその後すぐ。
「イヨヒくん、緻羽、夕飯は……って、二人何をしているの?」
ボクと緻羽ちゃんとの感動の場面の最中に、チオリがいきなり割り込んできてしまった。
「ち、違うよ。チオリ」
ボクが緻羽ちゃんと抱き合っているから、いきなりチオリに見られるとなんかつい口が動いてしまう。
「ふん? 何が違うの?」
「いや、何でもない」
そうだよね。なんでボクが誤魔化そうとするような真似をしなければならないの? こんな時むしろ取り乱したら変だと思われてしまうよね。別にボクは変なこととか考えていないのに。浮気なんかしていないよ。緻羽ちゃんはあくまで妹なのだからね!
てか、そもそも緻羽ちゃん相手に頭の中で『浮気』なんて言葉が浮かんでしまった時点で駄目かも。違うはずなのに。まさかボクは本当に緻羽ちゃんのことを……。いや、絶対にそんなことないよね。
「2人すごく仲がいいみたいだね。いつも抱き合うの?」
「うん、イヨヒお姉ちゃん大好き」
その言葉と同時に、緻羽ちゃんはもっと強く抱き締めてきた。
「……そう」
緻羽ちゃんの告白(?)を聞いて、チオリは一瞬黙っていたが、すぐ笑顔に変わった。
「うん、そうだね。2人は……それはよかったね」
「そ、そうだよ。緻羽ちゃんは可愛い妹だからね。ボクも緻羽ちゃんのことを……可愛がっているよ」
そうだよね。普通の妹だよ。てか、なんでボクがまだそんな必死になっているのよ? なんでもないはずなのに余計に意識するなんて。まったく、ボクの馬鹿。
「チオリ、晩ご飯できたの?」
とにかくボクがもっと混乱する前に、とりあえず話題を変えよう。
「うん、だから2人を呼びに来た。それだけ。じゃ、あたしは先に……。2人早くね」
言い終わった後、チオリがすぐ部屋から出ていった。
「はーっ……」
「どうしたの? イヨヒお姉ちゃん?」
チオリがこの寝室から出た後、ボクはつい大きな溜息をした。そんなキョロキョロと落ち着かないボクの様子を見て緻羽ちゃんもちょっと心配してしまったみたいだ。変だと思わなければいいけど。
「ううん、何でもないよ。そうだ。今日ボクたちが金沢の近江町市場という大きな市場に行ってきたよね? 今夜の晩ご飯の食材もあそこで売られているものらしいよ。緻渚さんはいっぱい買ってきたからどんな料理を作ったのか、楽しみだよね」
ひとまず晩ご飯の話題でべらべら喋って上手く誤魔化そうとした。
「……イヨヒお姉ちゃん? なんでいきなりテンション上がったの?」
「まあ、お腹が空いたからかな。早く食べたいよね。とりあえず今みんなが食堂で待っているのだろうね。さあ、行こうよ」
「あ、うん」
そしてボクたちは寝室から出て、みんなと一緒に夕飯を食べるために食堂へ向かう。




