30:馬車でも電車でも ◎
『次は、宝達、宝達』
今ボクたちは金沢に向かう電車に乗っている。さっき車内放送が響いて、次に止まる駅の名前を告げてくれた。ボクたちが降りる駅まではまだ遠いようだ。この電車の中で過ごす時間はまだまだしばらく続くらしい。
その間に、窓から周りの風景を見ながらボクはいろいろと思い馳せている。昨日チオリはボクたちが出会った時のことを家族に話したから、今もボクはそんなことについて思い出してしまう。
それはボクにとって特別に大切な出会いであった。そしてそれは全ての幕開きでもあった。
・―――――・ ※
ボクがチオリと出会ったのは5月1日。それは約3ヶ月前のことだ。ボクが神官長に呼び出されて神殿に来たら、勇者様……チオリに紹介された。
「ボクはイヨヒと申します。えーと……勇者様」
「あたしは稲根緻織、『チオリ』って呼んでいいよ。はじめまして」
「は、はい。はじめまして……」
勇者様はやっぱりまだボクと同じくらい若いけど、彼女の方は背が高い。女の子らしく体がやや細くてあまり強そうには見えない。でも可愛らしくて親切で、どこかで温かくて安らげられるような情緒が醸し出されて、彼女の微笑みを見てボクはなんか落ち着く。とにかく初めて会った時の印象は全然悪くはない。
彼女は優しそうな人なので、多分接しやすいかも。だけどボクは相変わらず知らない人と話すのが苦手だった。彼女と最初の会話はあまり順調ではなくて、ぎこちないと言われるほどだった。
「イヨヒ……くん。魔道士なの?」
「はい……」
「すごいね。まだこんなに小さいのに」
小さいって? この人はボクが何歳だと思っているの? 同い年だと聞いたのに、子供扱いだなんて。まあ、確かにボクの方はちょっと体が小さいけど……。
「年齢訊いてもいい?」
ちょうど彼女に年齢を訊かれたので、教えてやる。
「ボクは……16歳……です」
ほら、ボクは全然子供ではないでしょう。
「16歳? キミは!? てっきり……」
勇者様はなんか意外そうな顔をした。やっぱり彼女はボクが子供だと思っていた!
「ごめん、年下だと思っていた。あたしも16歳だよ。同い年だから敬語は使わなくていいよ。名前も呼び捨てでいい。友達になろうね。イヨヒくん」
「いいえ、勇者様にそんなことはできません」
本当に同い年みたいだけど、いきなり友達になろうと言われても。ボクにとってそんなに簡単なことだとは思えない。
この人は神様に選ばれた偉大な勇者様なのだから、ボクなんかと釣り合えるわけがないよ。
だから、当初ボクはまだ彼女に対して慇懃な態度を取って敬語を使い続けて、しばらくそのままでいた。
自己紹介した後、王様と会うためにボクたちは王宮に行くことになった。彼女は王様と会うことを相当怯えているみたい。実はボクも同じようなことを考えていた。なんでわざわざ王宮まで行かなくてはならないのだろうね。ボクにとって懐かしい場所だけど、悪い思い出の方が多い。
それに、王族たちがいっぱい住んでいる場所なので何をしても監視されて居心地があまりよくなさそう。ボクの正体を見破るはずがないだろうけど、一応バレる可能性も考えられなくはない。気をつけないとね。
「あっちは何?」
今ボクは勇者様と一緒に神殿から出て馬車に乗っている。
「市場です」
「大きくて綺麗だね」
「……」
道すがら、彼女はずっと面白そうな顔で周りを見回していて、よくボクに話しかけてきていろいろ訊いてきた。もしそれが質問なら、ボクがそのまま答えたけど、それ以外はどう答えたらいいかわからなくて、沈黙しかできなかった。
「イヨヒくん、王宮に行ったことがある?」
「え? あ、ありませんよ」
その質問を聞いてボクはついちょっと躊躇ってしまった。もちろん、今のは完全に嘘だからね。今まで秘密にしていたことだから、誤魔化すのは当然なことであるはずだけど、なんかこんな優しい勇者様に対して嘘を吐くと、やっぱり罪悪感が湧いてきてしまった。
今の身分……イヨヒとしては一般の庶民……しかも田舎者は、王宮の辺りに行く機会はほとんどなかった。王宮に行くのは、イヨヒとしては今回で初めてだ。勇者様と一緒ではないと多分行く機会がないかも。
「イヨヒくんはこの町に住んでるの?」
「はい」
「素敵な町だね」
「……」
「イヨヒくんはこの町出身?」
「……いいえ」
またボクのことを訊かれた。そしてまた嘘を重ねた。たとえ勇者様が異世界人だとしても、ボクは本当のことを言うわけにはいかない。
馬車が走って、途中でいきなり狙撃に遭遇した。誰かが3階の建物で待ち伏せしていて、ボクたちの馬車がこの辺りを通りかかった時を狙って、魔法の矢を射て勇者様に危害を加えようとした。
幸い、あの時ボクがすぐ気づいたから障壁を貼って勇者様を守れてよかった。まだ魔法の勉強をしていなかった勇者様にあんな魔法の矢の攻撃を受けたら、どうなるかあまり想像したくない。たとえ致命的ではなくても、多分あまり洒落にならないだろう。
その後ボクはあの犯人のところに飛び込んで攻撃した。そして彼奴を拘束してその辺りに巡回していた護衛兵たちへ渡した。
そして後の拷問でわかったことは、やっぱり彼奴は魔物に魂を売った人間だった。だから勇者の命が狙われていた。
案の定、魔物の方が勇者の存在を発覚して行動を始めたようだ。こんな状況ではボクも勇者様も油断は禁物だ。
普通は魔物が帝都に入ることができるはずがないけど、魔物に魂を売った人ならどこに潜んでいるかはわかりにくい。あの狙撃者みたいに犯罪を起こさなければわからないだろう。
「勇者様、無事ですか?」
「大丈夫。助けてくれてありがとう」
勇者様の安否の確認ができてボクも一安心できた。
「当然です。もし勇者様に何かあったら、ボクは処刑されますので」
「は? 何これ、怖い!」
ちょっと大袈裟に言ってみただけで彼女が随分怖じ気づいたみたい。
その後、勇者様はなんか落ち込んだ。多分狙撃される羽目になったから気を落としたよね。
そもそも彼女が安易な生活を送っていられるはずの平和な国から来た人間なのだから、こんな危険な場所に来た時点できっと相当心細く感じてあまり泰然としていられないはずだろう。しかもこの後まだ魔王と戦わなければならないと思ったら尚更不安になるはずだよね。
ボクはそんな彼女を見てなんか心配になって、鬱憤とした気持ちが湧いてきたけど、あの時ボクはどうしたらいいかわからなかった。
あくまでボクの任務は彼女の身の安全を守ることだけだった。それはさっき狙撃を阻止できて喜んで満足したはず。
それなのに、彼女の暗い顔を見るとボクもなんか心が痛んでしまった。ボクなんかは彼女の力になれなくて悔しく思ってしまった。
確かに先ほどから勇者様からいろいろ話しかけられて結構煩いよな……と思っていたけど、いざ沈黙されるとなんかしっくりこないね。
「ふん?」
勇者様は、ボクにじっと見つめられていれることに気づいたみたいで、ボクの方に視線を向けた。
「イヨヒくんはどうしてこの戦いに参加するの? 無理矢理押しつけられたとか?」
「……いいえ」
「自分の意志でなの?」
「はい」
ボクは自分の意志でこの戦いに飛び込んだのだから、無理矢理召喚されたあなたより覚悟がちゃんとできているはず。
「なぜ?」
「……」
ボクが戦う理由か……それは確かにいろいろあるけど、どうやって言葉にしたらいいかわからない。『困っている人たちを救いたい』とかかっこよく答えてみたら? いや、そんなのただの綺麗事などだと思われるかも。だから結局ボクは何も答えなかった。
「イヨヒくん、強いね」
「べ、別にボクは普通です」
本当にただ普通だよ。あなたの方がボクよりもっと強くなれるはずだ。あなたは魔法が使えたらボクなんて必要なくなるだろう。
「イヨヒくんはいつから魔法を勉強し始めたの?」
「小さい頃からです」
「つまり数年前からってこと?」
何歳からかよく覚えていないけど、自分が魔法の才能を持っているとわかって以来かな。
「ならあたしなんかいきなり魔法使えるのかな? たった一週間だけで」
勇者様はそんなことを心配して悩んでいるのか?
「あなたはあの神様に選ばれた勇者ですので」
「あ、そうだね。強くなれなければ困るよね」
悔しいけど、この人は神様によって選ばれた勇者様なのだから、きっと最初から才能に恵まれているに違いない。ボクは数年間ずっと勉強していた魔法技術も、彼女なら短時間で習得できるはずだ。才能の差はこんなものだろうね。
ボクもある程度才能があると言われたけど、ただ凡人よりちょっと上だっていう程度に過ぎない。それは勇者様とは比べ物にはならないはずだ。
「あたしは頑張るから。これからよろしくね」
「……」
当然だよ。あなたに頑張ってもらえなければ、ボクたちは困るからね。才能があっても努力がなければ凡人にも敵わないはずなのだから。
「ずっとあたしのそばにいてくれるかな?」
優しい声と笑顔で勇者様がボクにそんな質問をした。なんか可愛くてかっこよくて頼りになりそうな女神って感じ。なのでボクがドキッとして一瞬意識が奪われてしまった。
「……はい」
その時ボクは本気でこの人とならずっとそばにいて身も心も捧げてあげてもいいとか思って、つい素直に受け入いれてしまった。
「に、任務ですので」
すぐ集中力が戻ったら、とにかく彼女に変な誤解をされないように、ボクは一言添えた。別に嘘ではないし。ボクがあなたのそばにいるのは感情的な理由とかではなくて、あくまでただの役目だから。これはボクの責任なのだからね。
それに、『ずっと』とは言っても、それはただ魔王が倒される時までの間だけのはずだし。どうせ結局お別れになるから、未練など残ってしまったら困るよね。寂しく感じるようになるかもしれない。
その後も勇者様からいろいろ質問された。彼女は積極的にボクと会話をしようとしていた。最初はなんか面倒くさいと思ってボクがただ無愛想な態度で答えたけど、なんか別にあまり嫌って感じはしなかった。
むしろ少しずつ自然と話し合えるようになってきた。彼女の声が聞こえていない時には落ち着かなくて寂しさも感じるようになってしまった。
そしてようやく王宮に到着して、王様に謁見した。この人は本来ならわたくしの叔父上なので、お姫様だった頃何回も会ったことがある。もちろん、彼はボクの正体をわかるはずがないからバレる心配がないか。
やっぱり、今でもこの王様に対する印象は、ぶっちゃけて言うと、あまりいいものだとは思えなかった。勇者様も彼のこんな待遇を受けたら同じように考えたみたい。
別にこの王様は暴君とかではないけど、やっぱり目下の人のことにあまり気を遣っていないみたいだ。この数年裏でこの王様の様々な悪い噂がボクも聞いたことがある。今回だって勇者様がわざわざ戦うためにやって来てくれたのに、扱いはなんかとことんまで荒くて、あまり大切にされているという感じはしなかった。
王様の次に、第2王子であるコルヒア様が紹介された。本来なら彼はわたくしの従兄だった。あの時からかっこよくてイケメンだよな。今もう21になったようだ。顔だけではなく、彼は本当に優しくていい人のようだ。ちゃんと勇者様のことに気を遣ってくれた。
場所を変えてコルヒア様と勇者様とボク3人での会話になった。実際にボクはただ2人の話を聞いていただけでほとんど喋っていなかった。でも、いきなりコルヒア様はボクに話しかけた。
最初は彼がボクのことを聞いたことがある、と言ったらボクがちょっとビビったけど、やっぱり彼がただボクの国立師範学院の生徒としての実績を知っただけで、別に昔のわたくしのことを覚えたってわけではない。だからボクがあの日から勇者パーティーのイヨヒとしてコルヒア様ともう一度関係を作るこになった。
・―――――・ ※
こうやって、ボクはチオリと出会って、一緒に馬車に乗って、王宮まで行って、コルヒア様と話した。
それはさておき、先ほどまで電車がたくさんの駅で止まったりしていた。もう何回か覚えていないけど、ボクたちが降りる駅はそろそろかな?
『次は、森本、森本』
また車内放送から次の駅の名前が聞こえた。これもまだボクたちが降りる駅ではないみたい。
「はー……」
電車が森本駅に止まって、乗ってきたり降りていったりする人集りを眺めながらボクはつい溜息をした。
「イヨヒくん、ずっと同じようなことが繰り返されるのを見て、つまらないと思ってるよね」
そんなボクを見てチオリは話しかけてきた。
「ううん、ちょっとだけ。全然大丈夫」
「まあ、電車はこんなもんだよね。私は幼かった頃からいつも乗っているから慣れてるわ」
緻渚さんも話しかけてきた。
「イヨヒちゃんも、これからまだまだ何度も電車に乗る機会があると思うから、そのうち慣れておかないとね」
「はい、そうですね」
これはこの世界の人たちの日常だよね。あっちの世界の馬車と同じようなものだろう。電車は初めてなのでまだちょっと慣れていないけど、馬車と比べたら電車の方が速くて乗り心地がいいから余裕だと思う。
それに、チオリのそばにいられる限りつまらないことなんてないよ。たとえ馬車でも電車でもね。
てか、今とあの時とは立場逆転ね。今ボクはこの世界に来て電車に乗って、チオリはボクに道案内をしてくれている。
あの時初めて馬車に乗ったチオリは、今初めて電車に乗ったボクと同じだよね。好奇心旺盛で周りを調べて知らないことを訊きまくった。
でも今ボクが何も訊かなくてもチオリが勝手に教えてくれているね。あの時のボクはただ黙っていて質問を聞くしかできなかった。だから、こっちでもあっちでも変わらず会話の流れを決めるのはチオリだよね。
ボクはチオリみたいに上手く人と会話できる人にはなれないと思うけど、チオリのおかげで少なくとも今のボクはあの時のボクより大分よくなってきたはずだ。
「まだ遠いかな?」
「もうすぐだよ。次の次の駅」
「よかった」
そして、やっとボクたちは目的地に辿り着くね。




