3:実はわたくしは……
ボクがチオリに大切なことを伝えようとしたところに、誰かがこっちに向かって部屋に入ってきた。
女の人だ。年齢は多分30代くらいかな。チオリと同じく髪の毛も瞳の色が真っ黒だ。艶やかな髪はチオリと同じように首の少し下まで長い。整った顔で魅力的な大人の女性だ。
彼女がチオリを見てすぐ飛び込んで抱き締めてきた。
「母さん……」
「緻織、どこに行ってきたの? もうずっといなかったから心配していたのよ」
「ごめん、母さん、心配かけちゃって」
どうやらこの人はチオリのお母さんのようだ。チオリはあっちの世界に渡って今まで3ヶ月も経ったのだから。家族の人が心配で仕方ないのは当然だよね。だからこれは親子の3ヶ月ぶりの再会だ。
よかったね、チオリ。やっと家族と再会できて……。そのためにずっと頑張ってきたのだから。今はとても感動的な光景だ。
「緻羽! ……今緻織は帰ってきたよ」
チオリのお母さんが誰かをここへ呼ぶように叫び出した。その後すぐこっちへ向かってくる足音が聞こえてきた。
「姉ちゃん……!」
入ってきたのは黒髪の可愛い幼女だ。年齢はまだ幼い。多分7~8歳くらいかな。彼女が部屋に入ってきた途端、すぐチオリに抱きついてきた。
「緻羽……久しぶり」
「姉ちゃん? 本当に、姉ちゃんなの?」
「うん」
この女の子はチオリのことを『姉ちゃん』と呼んでいるから、多分妹だね。『チハネ』っていう名前のようだ。
「緻織、なんで突然いなくなったの? 一体どこに行ってきたの? みんな心配したのよ。その格好は何? どうしていきなり部屋にいたの? どこから入ってきた?」
「あの……、とにかく落ち着いて母さん……」
質問が多すぎてどう答えたらいいかよくわからなくて、チオリが困っているようだ。
「それと……」
チオリのお母さんはボクの方に視線を向けながら、もう一つの質問を。
「……この子は? それにこの格好は? 緻織もこの子も二人ともコスプレ?」
その時お母さんと妹さんの視線はボクの方に集まってきた。なんかじっと見つめられているね。ボクの格好は変なの? 確かにサイズが合わなくてちょっとおかしく感じるけど、多分その理由だけではないようだ。
今ボクが着ているのはいつもみたいに、水色のシャツとズボンの上に、紺色のローブ。あ、そういえば靴はいつから脱がされたようだ。
でも確かにあっちの世界の服とこの世界の服のデザインは違うよね。こんな格好はここではあまり一般的ではないかも?
チオリも今勇者服を着ている。これも多分ここでは普段着ることはない装束だろうね。
「あ、じゃまずはこの質問からだね。紹介するよ。この子はイヨヒくん。異世界で一緒に冒険をしていた友達だよ」
「は? イセカイ?」
チオリのお母さんは、「この子、何わけわからないこと言っているのよ……?」と言わんばかりの顔をしている。
「うん、異世界だ。つまり、こことは異なる世界」
「緻織……、頭大丈夫?」
「やっぱりそんな反応だな……。でもこれは本当のことだよ。母さん、信じてよ!」
「いきなりそう言われてもね。本当に本当なの? どうやって? 何をしに行ってきたの?」
「えーと、ちょっと信じがたいかもしれないけど、あたしは異世界に召喚されて、あそこで勇者になって冒険に出て、そして魔王を倒したから元の世界に戻れた」
「あー……、うん……」
チオリの簡潔な説明に、どうやらお母さんはまだあまり呑み込んでいないみたいだ。
「母さん、やっぱり信じてくれないみたいだよね?」
「緻織は嘘を吐くような子じゃないってのは私もわかっているけど……。これはなんか小説っぽいというか。小説を読みすぎるんじゃないかしら?」
どうやらお母さんは異世界のことを簡単に信じてくれないようだね。
チオリ曰く、今まで自分も異世界とか魔法とかのことが実在することを知らなかったらしい。多分この世界の人たちも普段はそのような常識を持っているからね。
だから、いきなり『異世界に行ってきたよ。えへへ』って言っても、やっぱりすぐには信じがたいだろうね。
「まあ、確かにそうだよね。実際にあたしに起きた出来事は、ほとんど異世界ものの小説やアニメでよくあるような展開だ」
「じゃ、この服は勇者の服なの?」
「まあね。似合うかな?」
「どう見てもコスプレだけど」
「やっぱり、そう思われるよね……」
そう言われてチオリはなんかがっきりしたね。実は随分この服が気に入りのようだから。『コスプレ』ってどういう意味かボクはわからないけど。
「それで、さっきこの子があの異世界から来たって言ったっけ?」
やっと質問はまたボクの方に戻ってきた。
「うん、その通りだ。イヨヒくんはあっちの世界の人間だよ」
「それって、やっぱり本物の異世界人なの?」
お母さんは珍しいものを見るような顔でボクを見つめている。『異世界人』だなんて……確かにここの人から見ればボクは異なる世界から来た人間だよね。だからそう呼ばれるのはおかしくないかも。
あっちの世界にいた時には逆に、チオリの方が『異世界人』と呼ばれていたけどね。
そう呼ばれると、もうここは本当に自分の住んでいた場所とは違う世界だな、っていう実感が湧いてきた。
「まあ、そうだよ。あっちの世界ではあたしはイヨヒくんにたくさんお世話になったよ」
「そう? あの、はじめまして、私たちの言葉わかる?」
お母さんはボクに挨拶をした。突然だからどう反応したらいいかよくわからなくてもじもじしているボクだけど、とりあえず挨拶と自己紹介だよね。
「は、はい。はじめまして。ボクはイヨヒと申します」
「ふん? 『ボク』って?」
ボクの自己紹介を聞いて、チオリのお母さんは不思議そうな顔をした。あ、そういえば今ボクの体が女の子になっている。だから男みたいな言葉使いはおかしいと思われるよね。
「母さん、実はイヨヒくんは男の子だよ」
「へぇ!? でもどう見ても女の子だよ? しかも美少女」
び、美少女だなんて……。そう言われるとなんか恥ずかしい。まあ、さっきボクが手鏡に映っていた自分の姿を見た時もついそう思ってしまったけどね。自分のことなのに。
「いや、ここに来たらなぜか女の子になったけど、元々は男の子だよ。まあ、確かに女顔で背が低くて子供っぽいってところは元からだけど」
後半は余計なことだ! 気になっていたのに。チオリ、なんかどさくさに紛れて酷いこと言っているよね。
「そうなの? だから『くん』付けで呼んでいるよね?」
「まあ。でも今の姿はもしかして『ちゃん』の方がいいのかな?」
「そんな気遣いは要らないよ!」
こんな姿になったけど、やっぱりボクの心は今までのままだよ。いきなり女の子扱いはむしろ困るかもね。
それより、さっきからボクがチオリに何か大事なことを言い出そうとしていたよね。お母さんがいきなり入ってきたから途中で止めてしまったけれど。
「あっ……!」
いきなり誰かがボクの長い髪の毛を引っ張っているような感覚が……。
「お姉さん、髪が素敵……」
先ほどまでずっと黙っていたチオリの妹さん(らしい幼女)は不思議そうな顔でボクに近づいて手で髪の毛を握っている。今ボクの髪がいつもより長いから掴まれやすいよね。
この子はいつの間にかここに? 多分さっきボクが話に夢中していた所為で気づいていなかった。
「緻羽、ちょっと、何をしてるの?」
チオリが妹さんの行動を見て止めようとしてくれた。
「ごめんね、イヨヒくん。あたしの妹、緻羽がまだ子供だから許して。多分こんな白っぽい髪を見たのは初めてだから」
「うん、わかったけど」
やっぱりボクのこの白銀色の髪の毛はここの人から見れば非常識みたいだね。ボク以外にこの場にいるみんなは黒髪だし。ううん、多分この家の人だけではなく、チオリから聞いた話によると、日本人はほとんどこんな黒髪だそうだ。
ボクの世界でなら髪の毛や瞳の色は多様で、緑や紫や青など、どんな色の髪でも存在する。むしろここの人みたいな真っ黒な髪の方が珍しい。
「緻羽、イヨヒくんが困ってるから、髪を放してくれないかな?」
「はい。わかった。姉ちゃん」
意外と素直で簡単にボクの髪を解放してくれた……と思ったら、次はいきなりボクの体に抱きついてきた。
「あの……」
「ごめんね。緻羽はなんかイヨヒくんのことを気に入っているようだから」
たとえそうだとしても、軽々しくくっついてくるとは。別にボクは嫌ではない。妹さんは可愛い女の子だし。触れた肌の感触は柔らかくて温かいし。むしろ気持ちいいかも。だから、つい甘えさせてこの子の好きなままにさせることになっている。
でも、この子と触れ合うとなぜか懐かしいような感じもした。会ったことないはずなのにどうしてかな?
「その白くて長い髪、地毛なのか?」
お母さんが不思議そうな顔でボクの髪を見て訊いてきた。
「うん、こんな髪はあっちの世界では普通だよ」
ボクの代わりにチオリがお母さんに答えた。ボクはさっき挨拶した後、全然みんなと何も喋っていなくて、ずっとボクの代わりに答えてくれたチオリを見ていただけ。
そもそもボクは人付き合いなんて苦手で、チオリみたいに誰とでもすぐに仲良くなれるというわけではない。
「こんな髪の毛を見て、これで異世界のことを信じてくれた?」
「いや、異世界のことだと魔法とか見せて欲しいわね」
「もちろん、あっちでは魔法が使える。でも残念、こっちに戻ったらもう魔法が使えない」
「そうか。見てみたいのにね」
お母さんが残念そうな顔をした。
確かに今はいつものように魔力を感じることができない。やっぱりこの世界に来たらボクも魔法が使えないようだ。
え? 待って。これはまさか……。
「魔法が使えないって……。もしかして、これはボクが女の子に戻った理由かも」
この世界で魔法は無効のようだ。それってつまり……。
「戻ったってどういう意味? そんな言い方だとまるでイヨヒくんが最初から女の子だったような……」
「それは……」
ボクはつい『戻った』という言葉を自然に使ってしまった。言い間違いだと思われるのもおかしくないよね。でもね、実際にこの言い方は間違いなく当て嵌まると思う。
「お姉さん……?」
ボクが突然固まった所為か、ボクを抱いている妹さんも変だと気づいて不安げな声を出した。でもまだ抱いたままだ。
「イヨヒくん? どうしたの?」
「ごめん、実は今までずっとチオリに黙っていたことがある」
「え? 何のこと? まさか……。いや、冗談だよね?」
「やっぱり、今もう真実を伝えなければならないようで」
この世界に来たのだから、もう隠す必要がないだろう。ボクもこれ以上チオリに秘密にし続けるのはしんどい。そもそもいつか伝えるつもりだから。今すぐ覚悟を決めて打ち明けないとね。
「イヨヒくん? 何のこと?」
チオリが難しそうな顔でボクを見つめている。
「実はボク……ううん、わたくしの本当の名前はイヨヒではなく、エフィユハ・フレイェンと申しますの」
「え?」
やっと言えた。久しぶりこんな女の子っぽい口調をしてみたけど、やっぱりあまり違和感がないね。今の体は完全に女の子に戻っているようだからかな。
「わたくしは、フレイェン帝国の元王女です」
とっくに逃げて捨てていたわたくしの正体を今この場で明かすことになるとはね。