15:異世界でも箸が使われているとは
「もうこんな時間? そろそろ夕飯の準備をしないとね。話の続きは夕飯の時にしよう」
緻渚さんはスマホで時間を調べながらそう言った。確かにいろいろ話をしたから、気がついたら夕方になったみたい。
「そうだね。つい長話になっちゃった」
「まあ、いろいろ話さなければならないことがあるからしょうがないわね」
「ごめん、あたしがいきなりいなくなって、いきなり帰って、しかも勝手にイヨヒくんを連れてきて……」
「気にしないで。緻織がこうやって無事に戻ってこられただけで、私はとても嬉しいよ。それに私もイヨヒちゃんと会えてよかったと思うし」
「あたしもまた家に帰ってきて母さんと緻羽と再会できてとても嬉しいよ」
チオリ、本当に幸せだよね。こんな風にやっと家族の元に……ここに戻ってきて、また大切な人に会うことができたのは。
「ボクもここに来て、緻渚さんと緻羽ちゃんに会えて嬉しいと思っています」
緻渚さんは本当にボクのことを受け入れてくれたみたいで嬉しい。
「それに緻織はずっと3ヶ月もいなかったから、いっぱい話したいことが溜まっているのはしょうがないしね。私の仕事も今は、急がないといけないような〆切はないし、緻羽も夏休みだし」
そういえば緻渚さんの仕事は小説家だったね。そしてチオリと緻羽ちゃんはまだ学生だ。
「夏休みか。なんか時間の流れは速くて、光陰矢の如しだね。あたしは春休みが終わって、新学期が始まったばかりだと思ってたのに。あっという間に」
夏休みって、ここの学校の、夏の間の休みってことね。チオリから聞いたことがある。ちょうど今の時期みたいだ。
学校か、ボクも帝都ウハリレン市で国立師範学院に通っていたね。でも突然魔王が復活したから、学校は休みになっていた。もちろん、今はもうあっちに帰って復学するつもりはない。これから通うのならこっちの学校だね。
「ところで、今緻織は特に何を食べたいものがあるかしら?」
「そうだね。あたしは今ここの料理なら何でも懐かしくて食べたいって感じだね。簡単に決められないかも。イヨヒくんは? 何が食べたい?」
チオリはボクの方に話を振った。でもそれは困るかも。
「いや、ボクに訊かれても……」
そもそもここにはどんな料理があるのか、ボクは全然知らないし。
「ところでイヨヒちゃんは、箸が使える」
「はい、もちろん使えますよ」
「へぇ? 使えるの? なんか意外ね!」
ボクはあっさりと答えたけど、なぜか緻渚さんは随分と不思議そうな顔をしている。
「外国人なら箸が使えない人も多いのに、なんで異世界人が使えるの?」
「あたしもあっちにいた時に箸を使ったことがあるよ。なぜかわからないが、あっちでも箸は使われている。日本ほど普及ではないけど」
考えてみれば、チオリがあっちで初めて箸を見た時も、なんか意外と嬉しそうな顔をしたね。そもそもあっちでも箸が使われていることは予想外だったらしい。
「そういえば、あっちでは箸を使い始めたのは100年前くらいだそうです。あの時期に召喚された勇者様が料理人で、その後彼女はあっちに残ることを選んだので、箸を使うことが普及になってきた」
ボクが以前聞いた噂話の内容を伝えてみた。
「あの転移勇者も日本人なのか? あ、でも中国人かもしれないわね?」
「ただ噂話程度です。そもそもあの勇者様に関する噂や逸話が多いけど、詳しくは記録に残されていないみたいです」
転移勇者はみんな『黒髪若者』っていう共通点があると聞いたので、もしかしたらみんなはこの世界の人間……しかも日本人である可能性も随分高いよね。
「へぇ……。こんなこともあるんだね。とにかくイヨヒちゃんは箸が使えるのは助かったわ。それと、食べられないものとかある? 味の拘りは? 肉も野菜も問題ない?」
「えーと、拘りとかは特にないと思います。肉でも野菜でも問題ありません」
「あっちの料理は地域によって大きく違うから、旅の時はいろんなものが食べられないと困るよね。あたしたちは遠くまで旅をしていたから」
そんなことを自慢げに言ったチオリだけど、実は食べ物の拘りがボクより多いみたいだよね。旅の時だって、食べられなくてボクと交換したことがよくある。
「そうね。3ヶ月ならいろんな場所に行ってきたよね」
「まあ、あっちにも様々な国があるから」
「異世界の国か……。この話も後で聞きたいわね。でも、今まずは料理のことね」
旅の頃のことを話題にしたら長くなりそうだから今はまだ語らない方がいいかもね。
「そういえば、地域によって料理が違うってのは、どっちの世界でも同じみたいだね」
「日本国内でも、ある地方しか食べられない食べ物とかがあるよね。例えば、ここ石川県ではとり野菜とか……」
「とり野菜……。それいいかもね。母さん」
「うん、そうね。とり野菜はどうかな? イヨヒくん」
緻渚さんから料理メニューっぽい名前が出た。名前からとりあえず野菜があるのは見当がつくけど、もちろん具体的にどんなものなのかはわからないから、ボクに訊かれても困るよね……。でも、チオリがいいと言ったから問題ないはずだ。
「はい、チオリがそう言うなら……」
「じゃ、これで決まりね。私は今夕飯を準備しに行く」
緻渚さんは料理の準備のために食堂から出て台所に向かった。ボクとチオリと緻羽ちゃんはまだこの食堂に残っている。
晩ご飯は楽しみだね。
「そうだ。今ちょっと外を見に行ってみない? イヨヒくん」
緻渚さんが食堂から出た後、チオリは新しい話題を始めた。
「外って、家の外か?」
「うん、イヨヒくんはここに来てからずっとこの家の中にいて、まだ外に出たことないよね」
「まあ、そうだね」
あっちから転移したら、いきなり家の中にいたから、そもそもこの家の入り口から入ったことさえない。この家が異世界と繋がる扉みたいなものだね。
「夕飯の時間を待っている間に町の中で散歩しようか。イヨヒくんにもここの町を案内しておきたい」
「うん、それはいいと思う。ありがとう」
こっちの世界の町か。どんな町かな? ずっと気になっていたから、もうすぐ見られるよね。
「あ、しまった。どうやら外で雨が降っているようだ」
外から雨の音が聞こえているから、チオリの言った通り、雨が降っているようだ。大雨ではないみたいだから、部屋が静かではないと聞こえない。先ほどまでずっとお喋りをしていたからいつから雨が降り始めたかよくわからない。
「あ、本当だ。やっぱりよく雨降ってるね。相変わらずここは」
「ここって雨が多いの?」
「うん、日本は雨の多い国だし。それに、ここ北陸地方は日本の中でも特に雨の多い地域だよね。今8月は比較的に雨が少ない時期だけど、それでもあっちよりずっと降りやすい。秋になったらもっと雨がよく降るよ。冬になったら雪になるけど」
「大変そうだね」
「でも、もしイヨヒくんが今出掛けたいのなら、別に今出てもいいよ。大雨ではなくただの小雨みたいだし。どうせここで暮らしていくのなら雨にも慣れていかないとね」
「そうだね……」
どうしようかな? 雨が嫌いだというわけではないけど、降らない方がいいことであるのは確かだ。
「でも明日がいい天気かもいれないよね。もしそうなら明日でいいかも。スマホで明日の天気予報をチェックしてみようかな」
「スマホって天気まで予報できるの?」
ただの小さい立方体の箱みたいなものは本当に意外といろいろできるね。
「いや、そういうわけじゃないけど、ただ気象庁の天気予報をチェックする応用」
「きしょうちょう? あぷり?」
「イヨヒくんにはちょっと難しいよね。えーと……要するに、日本では全国の数日後までの天気を予報するための機関があって、その予報の結果はスマホで調べることができるってこと」
「天気予報もできるなんてすごいね」
「100%正確としいほどではなく、間違うことも多いけどね。でもここではよく雨が降ってくるから、出掛ける前に普通は天気予報をチャックしておいた方がいい。傘もいつも持っておかないとね。ここでは『弁当忘れても傘忘れるな』と言われているくらいだから」
実はボクにとってあっちでは傘があまり必要なかったよね。魔法で水障壁が作れるから。服が濡れたら乾燥魔法ですぐ乾かせるし。しかもあっちでは雨降る日が少ないし、天気予報もないから、わざわざいつも傘を持っている人はあまりいないかも。
「あ、そういえばあたしのスマホは……確かにまだ充電していないよね。スマホ持たずに外に出るのはちょっとね……」
「なんで? スマホがないと外に出られないの?」
「まあ、そうとも言えるね。スマホには必要な機能がいっぱい入っているから」
「そうか」
「とりあえず、やっぱり今日はまだ出掛けなくてもいいと思う。せっかく初めてのお出掛けだから、こんな天気じゃ多分あまり感動できないかも」
どうやらチオリはあまりボクに悪い印象を待たせたくないと思っているようだね。
「うん、わかった」
今すぐ出掛けることができなくてちょっと残念だけど、明日まで待っていても問題ないと思う。急がなくてもいいよね。
「じゃ、今はイヨヒくんに家の中の案内をする。それと家電とかもいろいろまだ見慣れていないよね? 少しずつ教える」
「ありがとう」
こうやって今ここで話は一旦終了して、続きは晩ご飯の時だ。




