小野田さんのぱしり
小野田さんのぱしり
夏美
「小野田さん」
ある日、クラスの女の子から声をかけられた。
「ね、今日の夜暇?」
たまたまバイトのない日だった。
「空いてるけど」
「ね、じゃあ、合コンあるんだけど来ない?一人急に来られなくなっちゃって」
合コン?わたしが合コン?
「えっと、こんな服で?」
「大丈夫大丈夫!」
彼女はにっこり笑って、わたしの肩をばしばしたたく。きっと人数さえそろえば彼女は大丈夫なのだろう。合コンか。よく考えればわたし、そんな普通の女子大生がやること全然やったことないな。
「うん。いいよ」
「ほんと?よかったぁ」
相手の男の人たちは、どこぞの大学のヨット部だそうで、とにかくなんだかごっつかった。筋肉自慢とかいって男子が力コブを見せ、女子がキャーキャーいう展開で、はじっこで見てる分には面白い見世物だった。
「何?今日つまんない?」
わたしと同じように端っこに座って、輪の外で静かにしていた男の人に声をかけられた。
「えーと、普通かな?」
「俺、つまんないな。ああいうのつきあうの」
女の子たちは教室で話すより声のトーンが高い。
「どうして彼女たちあんなにはしゃいでるんですか?」
彼はじっとわたしを見た。
「うちのヨット部って名門。全部いいとこのぼっちゃん、よりどりみどりだよ。君はそういうのめあてで来たんじゃないの?」
そうだったのか。
「あ、わたしは出席するはずだった子がだめになっちゃったから、代わりに来たんです」
「ふーん」
この人もみんなと同じでがたいがでかかった。腕にミサンガ?っていうんだっけ、腕輪をつけていて、よく日焼けしていた。
「ねえ、二次会に流れる時、抜け出して二人で飲まない?」
「え?」
どうしよう。
「この近くの店。まだ、早いしさ。一時間だけつきあわない。おごるよ」
「……じゃあ、一時間だけ」
どうしてこのときOKしたのか、単純に断り慣れてなかったんだと思う。それに彼は女の子を誘い慣れていた。
「俺、みやさかっていうんだ。みやさかだいすけ」
「小野田夏美です」
「小野田さん、よろしくね」
がっしりした手でにぎられた。宮坂さんは手も日焼けしていて、指にはシルバーの指輪がはまっていた。
「いろいろ聞かれたらめんどうだからさ、みんなの一番後ろからついてって、途中で曲がっちゃおう」
しばらくして、「こっち」と手を引っ張られた。細い道を進むと、別の通りに出た。通りに出ても、宮坂さんはわたしの手を離さなかった。手はひんやりとして乾いていた。
「ここ、おりたとこ」
黒い鉄の階段をおりていくと、シックな感じのバーがあった。扉にTAPASと飾り文字で書かれている。宮坂さんは慣れた感じで、店の扉を押すと中に入った。
「こっち、座ろう」
カウンターに並んで腰かけた。
「おすすめのカクテルがあるんだ」
そう言って彼はわたしに何も聞かずにオーダーをしてしまった。鈍い光の中でバーテンダーがシェーカーを振る。店内には低い音量で音楽がかかっている。いいお店だと思ったけど、なんだか落ち着かなかった。きっとよく知らない人とここにいるからだ。
「失礼」
宮坂さんはわたしに煙がかからないように、煙草を吸った。手にじゃらりと高そうな腕時計をしていた。
「あ、トイレ行きたかったら、奥にあるよ」
わたしはスツールをおりて、奥にあるドアに向かった。戻ってくると背の高いグラスに淡いピンクのお酒ができてた。
「きれいですね」
夜の光の中にぼんやりと輝くそれは確かにきれいだった。
「じゃ、かんぱーい」
陽気な声に合わせて、わたしはグラスを合わせてそれをのんだ。
「どう?」
「……おいしいです」
ほんというと、ちょっと苦味がある気がしたけど、言わずにおいた。それから、宮坂さんが一方的に話すおしゃべりにうなずいているうちに、なんだかひどく頭が重くなってきて、眠くなってきた。
「どうしたの?よっぱらっちゃった?」
相変わらずテンションの高い声で宮坂さんが騒いでいた気がする。
***
そして、気が付くと見慣れぬ天井が見えた。うすぐらい室内のベッドに寝かされていた。起き上がって、慌てて自分の身体をまさぐった。
(よかった服着ている)
水音が聞こえて、誰かがシャワーを浴びてた。そこで、記憶がつながった。わたしはさっきまで初めてあった人とお酒を飲んでたはずで、今はきっとその人とホテルにいるみたい。
(やばい。逃げなきゃ)
ベッドから立ち上がると、地面がゆれた。まっすぐ立てない。壁に手をついて身体を支えた。すると、水音が止まった。
(まずい)
洗面所のわきを通りぬけて、ドアへ向かおうとして気づいた。
(わたし、靴はいてない)
「あれ、起きちゃった?」
バスローブはおった宮坂がお風呂から出てきた。前あいて、見えてんですけど。
「まあ、ちょうどよかったわ。今夜は楽しもうよ。朝まで」
彼は壁際にぴったりと身体をつけたわたしににじりよってきて、両手でわたしの肩をおさえつけてきた。すごい力。その後、唇をおしつけてきた。やつの舌が無理やりわたしの口をこじ開けようとする。うぇ~。
「いった!」
太ももで思い切り急所を蹴り上げてやった。両手が離れた、隙にドアへ裸足で駆け出す。あとちょっとで外へ出られるところだった。
「このアマ」
わたしは腕を後ろから思い切りつかまれた。
「いたい」
そのまま部屋の奥へひきずられる。そして、宮坂は思い切りわたしの頬をぶった。衝撃でベッドにたたきつけられた。ショックで動けないでいるうちに男のからだが上にのしかかってくる。慣れない男の香りに包まれる。
「手間かけさせやがって」
乱暴な手つきで服が脱がされていく。もうだめ……。あきらめそうになったとき、どこかで誰かがわたしの名前を呼んだ気がした。わたしは目をあけた。ベッドの上のほうに、手のとどくところに、ライトがあるのが見えた。読書とかに使いそうな細長い形を手で自由にまげたりのばしたりできるライト。わたしはそっと手をのばしてそのライトの曲がったところをぎゅっと握った。
(神様……)
思い切りふりおろした。ガツッという鈍い音がして、宮坂がうっとうなって動きをとめた。重い身体の下から自分の身体をなんとか引きずり出した。
「くそ!いてぇ」
宮坂は頭をおさえて唸っている。やつの指の間から血が流れるのがみえた。わたしはドアへかじりついてそれをあけ、廊下へ出た。右か左かわからず、とりあえず右へ走る。エレベーターがみつからない。ただ、非常階段の照明が見えた。わたしはドアを開けた。屋外の非常階段に出た。さっきまでいた渋谷の街が見える。後ろを見た。誰も追ってくる気配はなかった。裸足のままで階段を降り始めた。体ががたがたと震えだした。
清一
なつの家の隣に家を建ててそこに移るまで、僕の家はおばあちゃんちの隣のマンションだった。学校が終わると、僕はまっすぐおばあちゃんちに帰って、宿題をしたり、テレビを見たりして過ごし、ごはんを食べてからマンションへ帰った。あれは学校に上がったばっかりだったと思う。「ただいま」と言ってマンションへ戻ると、母はたいてい暗い部屋でぽつんとしていることが多かった。僕はおばあちゃんからごはんを預かって帰っていて、台所や冷蔵庫の中を見て、母がご飯を食べていないようならおかずとごはんを温めて、食卓に並べた。母はそれを食べるときもあったし、食べないときもあった。
僕はソファに座ってテレビをつける。静かだった部屋に音が満ちて、少しだけ家に生気が戻ってくる。僕は一人ごとのようにその日学校であったこととかを母に話して、しばらくたつとお風呂にお湯を入れる。
母には調子がいい日と悪い日があって、調子のいい日にはそうじや洗濯をする。でも、料理についてはほとんどしなかった。だから、毎日おばあちゃんが様子を見に来て食卓に食事を置いた。朝は出勤前の父さんが準備して、昼はおばあちゃんが、夜はおばあちゃんが用意したものを僕が並べる。そういう生活だった。おばあちゃんは料理のほかに、母さんが調子が悪いときには、お風呂が汚かったら洗うし、洗濯物がされてなかったらしてくれた。
僕がマンションへ戻ってすることは、まず、母が食事を取ったかの確認で、その次が洗濯物だった。取り込まれていないときはそれを取り込んだ。調子がいいときには、母は洗濯物を取り込むだけでなくたたんでしまっているので、その状況を見れば母が今日どのぐらい元気なのかがわかった。
ある時、いつものようにマンションへ戻ると、母はぽつんと座ってさえいなかった。家の中を探すと、寝室で床に座った状態でベッドにもたれかかり寝ていた。母の周りに薬の瓶がいくつか転がって白い錠剤が床にいくつか落ちていた。何かがおかしいと感じてすぐに祖母の家に取って返した。
「おばあちゃん、お母さん何か変」
どう変なのか、何を見たのか、祖母は一切聞かずにすぐ部屋に取って返した。救急車が呼ばれて、母は病院へ運ばれた。祖母と病院の冷たくて暗くて静かな廊下に座っていると、父が息を切らしてかけてきて、祖母といくつか話をした。
「清一?大丈夫か?」
その後、僕の所へ来て屈みこんで顔を覗いた。父の低い声を聴いてとても安心したことを覚えている。
「お母さん、大丈夫?お母さん、死んじゃうの?」
父は何も言わずに僕を抱きしめた。
母は、助かった。発見が遅かったら間に合わなかったそうだ。
そんな昔のことを久しぶりに思い出していた。
あの頃、なつの家を一方的に飛び出して、彼女に対して心を閉ざしていたあの短い期間。僕は本当に彼女と会わなくなるつもりだった。でも、今になって振り返ると、子供のように駄々をこねていたんだと思う。どこかで、彼女が最後には迎えに来てくれると信じていた。僕はどんなに僕が拗ねて、奥の奥のほうにもぐってしまっても、彼女がそんな僕を見つけ出して手をとってもう一度明るいところへ出してくれるのを待っていた。きっと、本当は。そこまでしてくれたときにきっと、僕は信じることを始めようと思っていた。彼女があるいは、この世界の誰かが、僕を心から愛して受け入れてくれるということを。
そんなひねくれた気持ちで僕は、毎日の彼女からの着信を受けていた。コール数すら数えていたかもしれない。そして出なかった。絶対に彼女は途中で僕を見捨てて電話をしなくなるという自分と、絶対に僕が出るまで何回だってかけ続けるという僕と、二人の僕がいて、心の中で葛藤している。でも、今になって思う。本当はさっさと出てしまうべきだった。僕がさっさと電話に出ていたら、もしかしたら彼女はあんな厄介なことに巻き込まれなかったかもしれないんだから。
***
「中條清一さんの携帯電話で間違いないですか?」
見知らぬ番号からの着信に出ると、知らないおじさんの声がした。
「はい」
「渋谷の派出所のものです」
僕は立ち止った。十一時ちょっと前、バイトから帰る途中だった。
「ええっと、僕になにか?」
「小野田夏美さんをご存知ですか?」
なつの名前を聞いて、僕の心臓は強く打った。
「なつ、夏美さんに何かあったんですか?」
「実は今、こちらで小野田さんを保護しています。一人で帰せる状況ではないので、迎えに来られる人がいないかとご本人に尋ねたところ、あなたを指名されたので」
「何があったんですか?」
「ちょっとけがをされましてね。詳しい話は電話ではちょっと。今、どちらにおられますか?」
僕は自分の居場所を告げた後、すぐに迎えにいくと伝えた。警官は派出所の名前と位置を教えてから、電話を切った。
電車で向かう間、頭の中で警官が言った言葉を反芻した。保護した。ちょっとけがをした。ホームにおりて改札をくぐる。ふと思い立ってATMで現金をおろしておいた。派出所は簡単に見つかった。明るくついたライトの下に一人の若い警察官が立っていた。
「あの、中條です。ええと……」
「ああ、彼女の迎えの人かな?」
警官はよく通る声で答えた。
「こちらに座ってください。すみませんが、身分を証明できるものを持っているかな?」
僕は部屋を見渡した。机といす二脚、小さなキャビネットと壁際に小さな革張りのソファがおいてあって、その脇に一つドアがあった。
「あの、夏美さんは?」
「奥で休まれています」
僕が奥へ向かおうとすると、肩をさっとつかまれた。
「ご本人に会われる前にちょっとお話させてください」
顔も声も穏やかだったけれど、肩におかれた手の力は強かった。僕は机の前の椅子にすとんと腰かけた。
「何があったんですか?」
「お話しする前にすみませんが身分を証明できるものを見せていただけませんか?決まりなものでね。」
僕は学生証を見せた。警官は受け取ると、手元のノートに何か書き込んだ。
「小野田さんとのご関係は?」
「えっと…、幼馴染です」
警官は僕を真正面からじっと見た。どきりとするような鋭い視線だった。
「何があったんですか?」
一体僕はさっきから何度このセリフを言っているんだ?
警官は、ノートを閉じて、両ひじをつくと手の上にあごをのせた姿勢で話し出した。
「知り合いの男性と二人でお酒を飲んで、そのとき眠ってしまったそうです。気が付くとホテルの部屋にいて、襲われそうになったと」
耳を疑った。嘘だ。そんなこと。膝の上で両手のこぶしを握り締めた。
「何とか逃れて、この派出所に駆け込んだと話されています」
僕は立ち上がった。
「すみません。もう少しだけ、よろしいですか?」
僕はしぶしぶまた腰を下ろした。
「小野田さんのご家族は近くにはいらっしゃらないんですよね?あなたを親族の方とみなしてお話しさせていただいてもよろしいですか?」
「はい、かまいません」
「その知り合いの男性というのは、今晩大学のお友達とみんなでの飲み会で、まぁ合コンですね。知り合ったばかりだったようなんですが、お話しからみると、おそらく小野田さんの飲み物に薬をまぜたようなんですね。で、また、ホテルで目覚めた後に彼女をなぐってけがをさせています」
「……ひどい……ですね」
「ええ、かなり悪質ですね」
こほんと警官は咳払いした。
「今はまだご本人も判断できないと思うのですが、立件されるということになれば、警察もお話しに沿って捜査をすることになります。それにあたって一個問題があって」
「はい」
「薬を飲まされたかどうかというのは、すぐに病院へ行って検査して結果を残さないと、体の中の痕跡が消えてしまうんです。また、暴行された跡も写真と医師の診断書が必要です」
「ええと、それは明日でも?」
「できるだけ早いほうが確実です」
これからか。疲れているなつを連れて帰って早く寝かしてやりたかった。
「それは、その診断書というのは、立件しないときは必要ないんですよね?」
警官はじっと僕をみた。
「小野田さんは、相手の男から逃げるときに部屋にあった電気スタンドで相手の男性をなぐったそうです。そのとき、相手にけがをさせています」
「それはだって……」
「中條さん」
僕は口を閉じた。それはだって誰が見たってなつが悪くないってわかるじゃないか。
「密室で起きたことというのは、本当は何が起こったのかというのは当事者同士しか知らないんです。だから小野田さんが事実を話していたとしても、それを裏付ける証拠がないとそれは法的には無効なんです」
「それは……」
「それはつまり、実際には可能性は低いですが、相手の男性が立件したら小野田さんが罪に問われる可能性もあるということなんです」
僕は何も言えなかった。ショックで。
「こんなこと言いたくないですが、女性を殴って平気な顔をしている男なんてものには一般的な常識なんて通用しません。職業柄いろいろ見てるんでね。こんなこと言うんですが。だから、彼女をより確実に守りたいのなら、今夜のうちに病院に行かれて検査を受けられたほうがいい」
警官は近くにある深夜でも診察を受け付けてくれる病院を紹介してくれた。
「明日以降所轄の刑事からまた一回お話しをうかがうことがあると思います。できれば、中條さんを連絡先にさせていただきたいんですが。よろしいですか?」
「かまいません」
ここでやっと警官は立ち上がって奥のドアを開けた。
「小野田さん、お迎えの方が来ましたよ」
僕はふらりと立ち上がって、奥の部屋に入った。
なつがこっちを見た。
「せいちゃん……」
会いたかった人にこんな形で再会することになるなんて、思いもしなかった。
彼女は頬にタオルでくるんだアイスノンをあてていた。半袖から伸びた右腕には、手の形にくっきり痣がついていた。唇の片方の端が切れて青黒くはれ上がっているのが見えた。僕は何も言えずに、腰かけているなつの前にしゃがみこんだ。
ほおにあてている手をそっと外させた。左ほおが大きく腫れていて、赤い痣が浮かんでいた。あごに手をあてて、左右に少し動かさせてけがの様子を見た。
「女の子の顔に傷つけやがって、痕が残ったらどうするんだよ」
僕はつぶやいた。
「ごめん」
「なんでなつが謝るんだよ」
「暗記している携帯番号、せいちゃんのしかなくて……」
「暗記って、携帯は?」
「逃げ出すのに精一杯で置いてきちゃったの」
「ホテルに?」
彼女はこくりとうなずいた。
「俺が明日取りに行ってやるよ」
「ホテルの名前とかわからないの」
「明日、相談しよう」
外へ出ようとして気づいた。なつは裸足だった。
「靴もなくした?」
彼女はうなずいた。僕はもう一度しゃがみこんで彼女の裸足の足をひっくり返してみた。ひっかききずだらけだった。
「こわいおもいしたな」
僕はぽつりと言った。かわいそうに。
僕はコンビニでサンダルを買って彼女にはかせた。まっすぐ家に連れて帰りたかったけど、忠告にしたがって病院へ行った。タクシーに乗って彼女の家に着いたときには四時ぐらいになっていた。
「水、飲む?」
「うん」
彼女はグラス一杯の水を痛そうに飲んだ。口の切れたところがしみるようだった。グラスを受け取ってシンクへ置こうとすると、僕の手を彼女がつかんだ。
「帰らないで」
「帰らないよ。そばにいる。約束する」
それだけ聞くと、彼女はすぐに目を閉じて眠ってしまった。
次の日、午後になってから、なつと一緒にまた渋谷へ行った。口元の傷を隠すために近くの薬局で大き目のマスクを買って、髪の毛をおろした。派出所からたどってなつが昨夜いたホテルを探し出した。入口から入っても無人で誰もいない。部屋の写真入りの案内板のわきにスピーカーとボタンをみつけて、押した。
「お客さん、ご休憩?」
「あ、いえ。あのう、昨日忘れ物をしてしまって」
「お客さんの?」
「いや、彼女のかばんなんですけど」
「ちょっと待ってね」
しばらくそのまま待っていると、
「確認しましたけどね、昨日は忘れ物はなかったって」
「え、そうなんですか?」
「うん。ごめんね~」
そういうと、スピーカーの接続がぶつりと切れた。外で待たせていたなつの所へ行った。
「なかった」
「え?」
二人とも口に出さなかった。けど、昨日の男がおそらく持ち去ったのだろう。体温がすっと少し下がる気がした。
「もう、いいよ」
「よくないよ」
マックで僕らは隅っこの席を選んで、なつはアイスティーを飲んでいた。
「相手の連絡先わかる?」
なつは首を振った。
「誰かわかる人いないの?」
「クラスの子ならわかるかも。野村さん」
「連絡取れる?」
「携帯がないと……」
「あ、そっか」
昔はなかったものなのに、いつのまに僕たちは携帯がないと生活ができないようになってしまったのだろう。すると、僕のポケットでまさにその携帯がなった。
「渋谷署のものです」
女性の声だった。
「小野田さんのことで何点か確認させていただきたいことがありますが、ご本人と連絡取れますでしょうか」
僕は彼女と一緒にいることを告げ、こちらから警察署に行くと伝えた。
***
「こちらの写真を見ていただきたいのですが、ホテルに行く前に立ち寄ったお店というのはこちらで間違いないですか?」
僕たちは警察署で小さい会議室に通された。若い女性が来て挨拶をした。僕が立ち会うべきか迷ったのだけれど、なつが希望したのでそのまま部屋に残った。なつはノートパソコンの店の写真をじっと見た。
「はい、間違いないです」
「では、こちらの映像を見ていただけますか?」
店員が立つカウンターの内側からとっている映像のようだった。しばらくすると男と女がやってきて座った。刑事は映像を一時停止した。
「こちら小野田さんご本人。こちらの男性が、ええと、K大の宮坂と名乗っていた男性で間違いないですか?」
刑事は手元のメモ帳を見ながら確認を続けた。
「……はい」
なつの顔がこわばっている。
「ここは早送りさせていただきますね」
なつが席を立ち、バーテンがカウンターに二つカクテルを置く。そこで彼女は早送りを停めてもう一度映像を流した。男がバーテンが見ていない隙に懐から小さな紙袋を出して破り、粉末上のものをグラスに入れるのが映っていた。
「次が出入り口につけられた監視ビデオの映像ですが」
腕を肩にかけ、身体に腕をまわして男がなつを抱え込んで出てくる。吐き気のこみあげる画だ。
「正直、この出入口の映像はななめ上からの角度で顔がはっきりうつっていないので、証拠能力は高くないんですが、たまたま座った位置がよかったんですよね。このカウンターの映像は顔がちゃんと映っているので使えると思います。病院で薬物検査はされましたか?」
「はい」
「その結果があれば立件も難しくないと思いますが、小野田さんは望まれますか?立件されるということであれば、この男性を特定し事情をきいたり、更に細かな捜査を進めることになりますが……」
まだ若い人だった。グレーのスーツを着て、化粧っけはあまりなく切れ長の目をしていた。
「わたしは……」
なつはことばにつまった。手が少し震えていた。僕は彼女の手をとって握った。
「はい」
「すみません。ちゃんと調べてもらって、でも」
刑事はちょっと考えてから話した。
「すぐに結論を出されなくてもかまいません。ちょっとゆっくり考えてみてください。立件されたいときはご連絡いただければ大丈夫です」
僕たちは署を離れた。
「お父さんとお母さんが苦労してやっと東京に出してくれたのに、わたし何をしているんだろう」
なつはぽつんとそういって泣いた。僕はただ彼女のそばについていることしかできなかった。
「わたしが警察につかまるなんてことないよね。あの人血流してた」
僕は彼女をひきよせて抱きしめた。
「もう考えなくていいよ。そういうことは、大丈夫だから」
「うん」
彼女はそのまま僕の腕の中でじっとしていた。しばらくして彼女は言った。
「わたし調べてくれた刑事さんには悪いけど、忘れてしまいたい。全部悪い夢だったって」
「うん。わかったよ」
「それでいいかな?」
「なつがそれでいいなら、いいよ」
***
「すみません。あなた、ここの学生さんじゃないよね」
門のところで保安に止められた。そりゃそうだ。女子大に男子はいない。
「どこかの業者さん?」
「いや、あの……妹が通っていて」
「妹さんはどこの学科?」
僕はなつの学科と名前を告げた。保安の人はパソコンの画面で言っている内容が正しいかどうか確認しているようだった。
「で、何の用?電話で連絡取れるでしょ。中入らなくたって」
僕は両手で窓のへりをがしっとつかんだ。
「それが急を要するんです。あいつ、携帯の電源切っちゃってて。母が急に倒れちゃったんで……」
おじさんはいい人なんだと思う。え、それは大変だ。いいからすぐに行きなさいと言って、ビジターの来校証を渡してくれた上、現在なつたちが授業をしている棟まで教えてくれた。ちょっと良心が痛む。それにしても身分証の提示を求められなくてよかった。見せたら、なつと名字が違うのがばれてしまう。
「わたしが自分で行くからいいよ」
というなつを近くで待たせて一人で来た。彼女のあの今の顔でクラスメートに会うのはよくないと思ったから。
なつのクラスの子の授業が終わるのを教室の外で待つ。ベルが鳴って、あちこちから学生があふれ出てきた。全てが女子なのが共学に通っている身としては、違和感を通り越してちょっとした恐怖を覚える。しかも、彼女たちはまるで僕が自分たちの船に乗り込んだ敵であるかのような視線を通り過ぎ様に浴びせて行った。
「すみません。あの野村さんっていませんか」
なつのクラスから出てきた子に聞く。彼女は振り向いて、
「ゆかちゃーん。なんか男の人が来てるよ。」
と、大きい声で言った。その声でクラスに残っていた女子全員が一斉に僕を見た。その中からなんかふわふわした髪型と服装の子が、何、ゆかちゃん彼氏?えーちがうよ。なんて話しながらこっちに来る。
「誰ですか?」
「あの、同じクラスの小野田夏美の……」
「彼氏さん?」
「いや、その、友達です」
え~そうなの?びっくりしたと楽しそうに笑う。なつが昨日の夜携帯なくしちゃって、どうやらその携帯を宮坂さんって人が持っているみたいなんだけど……。かくかくしかじか。
「どうして小野田さんが自分で聞きに来ないの?」
もっともな疑問。
「彼女今日ちょっと具合悪くって、でも携帯ってなくすとすごい不便じゃん」
「それでわざわざ女子大まで入ってきたの?」
「……はい」
「お兄さんって小野田さんのぱしり?」
「……」
答えにつまったが、(人生において初めてぱしりと呼ばれた)その質問の答えは彼女はどうでもよかったらしい。
「すみませ~ん。今、電話大丈夫?え、昨日一緒に飲んだじゃん。ゆかだよ」
彼女はしばらく相手と楽しそうにおしゃべりした後で、一枚のメモ書きをくれた。
「はい」
「ごめん。ありがとう」
僕が行こうとすると、
「ねえ、小野田さんと宮坂さん昨日途中でいなくなっちゃったんだよね。それで小野田さんの携帯を宮坂さんが持ってるって、なんかあったんだよね」
「さぁ、なんかあったのかもね」
君が考えているような楽しいことではなかったんだけどね。
「それでその小野田さんのために一生懸命がんばって……。お兄さん、同情するよ」
「はぁ」
「でも、がんばってればきっといいことあるからさ。お兄さんにも」
そういって肩をぽんぽんとたたかれた。
***
「中條君、今日どうしたの?休んじゃって」
なつの部屋に帰った後、一人コンビニへ行くといって外へ出て、携帯で相澤さんに電話をかけた。
「ごめん。ちょっと調べてほしいことがあるんだけど、いいかな?」
「調べてほしいことって?」
「たしか、相澤さんのお兄さんってK大じゃなかったっけ?」
「そうだけど?」
「あの、ヨット部の宮坂って人、もしお兄さんが知っていたら、どんな人か聞いてほしいんだ」
「ん~、わかった。聞いてみる。何年生?」
「それはわかんないんだけど」
相澤さんはちょっと黙った。
「なんかあった?」
僕は躊躇した。
「うん。ちょっとね」
「ふうん」
彼女はちょっと何か考えているようだった。
「ま、いいわ。分かったら教える。明日は学校来る?」
「まだわからないけど、たぶん行けると思う」
部屋に戻ると、なつが姿見の前でガーゼをはずしてほおの様子をみていた。
「ただいま」
なつはこちらを見て、おかえりと言った。
「この顔じゃ、まだ学校行けないね」
くちびるがまだ腫れている。
「せいちゃん、今日もう帰っていいよ。わたし一人で大丈夫だから」
「いや。今日もここにいる」
なつがこっちを見た。
「だって着替えとか持ってないんでしょ」
「別に平気だよ」
なつはもおと言って、クローゼットを物色しだした。
「この前まで何度電話かけても出なかったのに、今度は帰らないのね」
「……ごめん」
「このTシャツなら男物だったんじゃないかな?ほら、シャワー浴びてきなよ」
「怒ってないの?電話出なかったこと」
「……怒ってたっていうより、悲しかった、かな?」
なつはクローゼットを閉じた。
「でも、会えなくなるつもりはなかったよ。電話でだめなら家に行こうって思ってたし。場所知らないけど」
ここでいうべきはやっぱりごめんなんだろうか。
「呼び出しちゃったから結局会っちゃったけど……」
なつは寂しそうに笑った。
「せいちゃんは、やっぱり会いたくなかったよね。わたしには」
そんなことは断じて全然なかった。僕はずっと彼女に会いたかった。とても。
「いいや……」
「せいちゃんはあの日、自分はわたしにふさわしくないって言ってたけど……」
なつはぽつりぽつりと話した。
「わたしに誰がふさわしいかはわたしが決めることなんじゃないかな?あなたじゃなくて。ただ、そう言い返したかったのにすぐ行っちゃうし、電話には出てくれないし」
彼女は目をぎゅっとつぶった。
「もうやめよっか、こんな話。ほら、シャワー浴びてきなよ」
僕がお風呂からあがると、なつが今度は姿見の前でマスクをつけていた。
「これだったら学校に行けるね」
「明日、もう学校行くつもり?もうちょっと休んだら?」
「なんか忙しくしていたほうが気がまぎれるし」
「ご飯食べるときはどうするの?」
ああ、そうか。と言ってもう一度マスクをはずして、自分の口元をみた。
「これじゃあ、転んだって言い訳できないよねぇ」
***
「中條君、ちょっと」
学校へ行くと、僕の顔を見るなり相澤さんは僕を教室の外へひっぱりだした。
「一限は……」
「一限よりこっちのほうが大事。どうして宮坂って人のこと調べてるのか教えて」
彼女の顔はいつになく真剣だった。
「お兄さん、知ってたの?」
「学校じゃ有名人だって。悪いほうの意味でね。お前はかかわるなって釘さされたわよ」
「なるほど」
相澤さんはつかんだままの手を離して言った。
「ねえ、なんで調べているの?教えてくれなきゃ、聞いたこと話さない」
「友達がちょっと彼がらみのトラブルにあって」
「女の子?」
「うん」
相澤さんは軽く目を閉じて、それからまた目をあけた。
「場所変えようか?」
***
「幼稚園からずっとエスカレーターであがってきているお坊ちゃんだって。十代の頃からいろいろ悪さしているらしいけど、無免許でバイク乗り回したり、同級生ぼこぼこにしちゃったりね。親が有力者でもみ消してるんだって」
「なんか、ドラマの悪役によく出てくるやつみたいだね」
「大学生なってからは、女の子レイプしたりしてるって……」
「……」
「ねえ、中條君。宮坂のこと聞いて何するつもり?」
「とりあえずは、彼女のバッグを彼が持っているので返してもらう」
相澤さんは黙った。
「その人って結構プライドとか高くて、自分に逆らうやつとか許せないタイプだったりするのかな?」
「気に入らないやつがいると、徹底的に痛めつけるって、誰彼かまわず」
「男女の別なく?」
「男女の別なく」
僕は、今、なつが置かれている状況を理解した。
「ねえ、それは本当に中條君が関わらなければならないトラブルなの?他の人じゃだめなの?」
「これは他の人に任せられないし、任せたくない」
「去年、彼を怒らせた四年生が、めぼしい内定つぶされたりしたこともあるんだってよ」
うわ、それはまた……。相澤さんは少しもじもじした。
「ねえ、その、その友達って、もしかして前面倒みていた後輩の子?」
僕は彼女を見た。
「中條君、それはあなたが行っていい要件なの?もっとドライに対応できる別の人のほうがいいんじゃないの?」
「俺は感情的にはならないよ」
「本当に?」
「感情的になってトラブルが解決するならなるけど、話から聞く限り、更に怒らせてもいいことのなさそうな相手だしね」
彼女はまゆをくもらせながら、僕を見ていた。
「女のわたしが出てったほうが、相手が気を許すかもよ」
僕はそれを聞いてちょっと驚いた。
「そこまで言ってくれるなんて、相澤さん、もしかして俺に気があるの?」
「……わたしはちゃんと彼氏います」
そうだったのか、知らなかった。
「彼女が傷つけられて、怒ってないの?」
「未遂だったんだ。相手殴って逃げてきちゃったの。だからぎりぎり我慢できる。そうじゃなければ、殴りに行っているよ」
相澤さんは少し少女的な表情をした。
「きっとこのタイプの男は、そういう向かってくる弱者を力で屈服させるのが三度のめしより好きなやつなんじゃないかな?」
物語の中ではお姫様を助けるのは王子様で、王子様は悪者には負けない。それは物語の中だけなんだ。残念ながら。
「俺はただ、彼女を普通の毎日に戻してあげたいんだ。まじめに誠実に頑張っていれば、小さないいことに出会えるような普通の生活にね。平民には平民の勝ち方があるよ」
「今はそんなこと言ってても、いざとなったらかっとなったりしない?」
僕は少し考えた。
「ときにはプライドのために生命をかけてでも戦わなければならないっていうことは理解しているよ。だけど、プライドの持ち方っていうのは人それぞれじゃないのかな?相手が誘いだそうとしている土俵にわざわざ出ていく必要はないと思うんだ」
相澤さんに対しては、軽く話していたけれど、僕はなつが宮坂を殴ってしまったことを気にしていた。それにやつは当初の目的を果たしていない。病的な執着心で引き続きなつを追い回さないか心配だった。世の中狂っているやつというのは、とことん狂っているからだ。それに対して正攻法で反撃したらどうでるやつなのか?証拠がそろっているから立件してたたかうと脅したら、大人しくなるやつなのか?話から聞くに、下手に脅しをかけたら力でねじ伏せてくる相手のように思えた。女をレイプしようなんて男はひたすら自分の力の強さを誇示したいんだ。だから、カードをそろえて対峙したかった。僕の目標はただひたすら、相手のターゲットレンジからなつを外すことだった。
「ねえ、相澤さん。現場に出てくれとは言わないけど、今日の放課後、もうちょっと手伝ってくれないかな?」
***
「誰?」
二コールで相手は出た。
「小野田夏美の代理のもので、中條といいます」
「小野田って誰?」
声のトーンでわかった。知らないふりをしているだけ。
「一昨日の夜に渋谷でいっしょにお酒を飲んでいるはずなんですけど……」
「ああ、あの彼女ね。で、あんた彼女の何?ずいぶん若いみたいだし。弁護士とかじゃないよね?」
「僕は彼女の同郷のもので、彼女の両親に頼まれて電話しています」
しばらく相手が黙った。
「で、何か用?」
僕はまず彼女の持ち物を持っていたら、返してほしいという話と、会って直接話したいことがあると伝えた。男は新宿の喫茶店を指定してきた。
***
「用意してくれた?」
「こんなんでどう?」
相澤さんが袋から出した赤いシャツを見て、僕はうわぁといった。
「自分だったら絶対買わないよ」
「いや、意外と似合うかもよ。ほら、時間ないよ。早く着替えてきな」
トイレから出てきた僕をみて、あきらかに相澤さんは楽しんでいた。
「別人みたい。笑えるわ」
「ちゃらくてばかな男に見える?」
「見える。見える。人って服でこんなに変わるのね」
それから、彼女は僕のことを頭から足先までチェックしていった。
「あ、その時計だめ。スニーカーはそれでいいよ。ああ、やっぱりあの安いサングラスも買って来ればよかったわ」
「そこまでやったら、ちゃらい専門学校生を越えて、ちんぴらになっちゃうから。やめて」
僕はテーブルの上の水を飲んだ。
「カメラ持ってたら、写真撮ったのにな」
よかった。カメラ持ってなくって。
***
男が指定した店は、西口から地下をオフィスビルが林立する方へ向かって二~三分歩いたところにある店で、平日の夕方はガラガラだった。地味な店内にTシャツにジーンズ姿のラフな格好の男がいた。男はキャップをかぶってうつむいて、くわえたばこで週刊誌を読んでいた。
「宮坂さんですか?」
男は顔をあげた。がっしりした体つきだが、顔には知的な雰囲気があった。片耳にピアス。全体的にシンプルな出で立ちだが、一つ一つの持ち物がどれも高そうだった。立ったままの僕を下から見上げた。右のこめかみにガーゼがあてられているのが見える。
「中條です。電話した。座ってもいいすか?」
「どうぞ」
彼は向かいの席を示した。手を差し出したときに、シルバーのごつごつした指輪がみえた。
「お姉さん、あ、アイスコーヒーでいい?」
僕がうなずくと、彼は注文を済ませた後、かぶっていたキャップを脱いで、テーブルにおき、灰皿をよせてから、たばこに火をつけた。深く吸い込んでから吐き出す。
「こっちもちょうど連絡したいって思ってたんだよね。これ、この頭のけが、彼女にやられたんだよ。顔だしさ、痕になったらどうしてくれるんだよってさ、思って」
僕は無表情に彼の額をみつめた。
「慰謝料請求しちゃおうかなぁ」
こいつ、金には全然困っていないだろうに。
「たしかに乱暴ですよね。彼女」
宮坂はじっと僕をにらんだ。
「なに、あんた彼氏とか友達とかじゃないの?」
「ぱしりです。俺は彼女の」
宮坂は目を丸くした。僕は笑いをこらえるのに苦労した。ちょうどアイスコーヒーが運ばれてきて、会話がとぎれた。のどが渇く。僕はストローを取り出して、アイスコーヒーを一口飲んだ。
「どういう意味?」
「彼女の親が地元ではそこそこの有力者で、うちの親が昔から頭あがんないんですよ。金借りちゃったりもしてるし、その関係で小野田には子供のころからぱしりみたいにこき使われているんです」
「はぁ」
「あいつ表の顔はいいやつぶってるけど、裏では結構えぐいやつで、今までさんざんいじめられてきました。宮坂さんも気を付けたほうがいいですよ」
「何を?」
「あいつ、結構虚言癖あるんすけど、なんか?警察に頼んでいろいろ調べて、証拠集めて裁判起こすって騒いでるんですわ。まぁ、いっつも嘘ばっかつくんで周りも半身半疑でね。地元でも男に襲われたって、騒ぎ立てたことがあって、実際は小野田のほうから誘ってたのにみたいな。それに小野田の両親も地元での立場があるんで、東京に出した娘が裁判だなんてしゃれにならないんですよ」
僕はここまでしゃべって、水を飲んだ。
「そんな女に見えなかったけど」
「すいません。たばこ切らしちゃってて、一本いいすか?」
むせずに吸えるか、ちょっと心配。宮坂は赤マルとライターをよこした。僕はタバコを吸った。
「信じなくてもいいですけど、まぁ、意外とめんどくさいことになると思いますよ。もちろん。宮坂さんみたいな東京の人に田舎からでてきたばっかりの娘が勝てるなんてないと思いますけど、本人が分かってないんで。時間が無駄になっちゃうでしょ?宮坂さんの」
もう一口吸ってはく。全くおいしくない。たばこなんて。でも小道具として重要なんだ。今は。
「それと、ぶっちゃけ、この面倒が片付くまで俺もちょくちょく呼び出されるし、今日を最後にもう会わないで終わり、みたいにしたいんですけど。お互いに、どうです?」
宮坂は腕組みをして僕を見ている。
「終わりって、どういうこと?」
僕はかばんからクリアファイルに入った書類と、ペンを取り出した。
「向こうの両親からの提案なんすけど、あの両親も正直娘には手を焼いていてね。言うこと聞かすためには、裁判もなし、示談もなし、何もなしでは上手くいかないって。だから、この誓約書に署名してほしいって言われて預かってきました」
今後二度と小野田夏美には近づかないという旨の誓約書だ。宮坂はテーブルに置いたその書類を手に取ってじっと眺めた。
「以前も娘のことば信じて、裁判起こしかけて痛い目見てるんすよ。だから、もうそういうことはしたくないんですよね」
宮坂は僕の顔と覚書を交互に見ていた。
「ペンよこせよ」
僕はテーブルの上からペンを渡そうとして、彼の足元に落とした。
「すみません」
立って拾おうとした。
「いいよ」
彼はかがんで自分の足元に手を伸ばした。
僕は彼の前に覚書をおいた。水がこぼれないように、グラス類を遠ざけた。彼がサインするのを見守って、書き終わった紙を回収した。
「君、さ。学生?」
「専門学校生です。服飾の」
「ふうん。結構かっこいいし、もてるんじゃない?」
僕は笑った。
「正直、たしかにもてますけど。寄ってくるのは頭の弱いどうでもいい女の子ばっかですよ。ちゃんとした子はもっと金持ってたり、頭いい人のところいくんで……。俺、実家、金ないんでね。ホストでもなろうかな?」
じっと見られている。さぁ、もっと同情してくれ。
「すみません。あと、小野田のかばんいいですか?」
宮坂が脇からかばんを取って、僕に渡すまでの短い時間、それでも僕は緊張していた。最後の最後まで、何か見落としやミスなかったか……。
「今日はほんと、呼び出してすみません。俺、これからバイト行かないといけないんで。もう失礼したいんですけど、いいすか?」
「どうぞ」
彼はまた、優雅に手を出して、僕の退出を促した。それから、新しいたばこに火をつけた。その動作は、彼が育ちがいいのを象徴しているように思えた。育ちはいいが、乱暴な男。もう、二度と関わりたくない。
***
「終わった~」
相澤さんが待っていたミスドに戻った。相澤さんは、雑誌を読んでいた。
「どうだった?」
「アカデミー賞取れると思うよ。主演男優賞ものだよ」
「ちゃらい専門学校生ばっちり演じてきたの?」
「うん。もう二度とやりたくないけど」
僕はかばんからクリアファイルを取り出して彼がサインした書類を取り出した。
「これ、見てみなよ」
相澤さんは書類を受け取って、読んだ。
「誓約書?」
「よく見てよ。これ、苦労したんだから」
彼女は書類をひっくりかえしたりした。
「なにこれ、変。二枚の紙がくっついてるの?」
「蒸気あてながらゆっくりはがせば、あいつが本当に署名した書類が出てくるの。こっち」
僕はクリアファイルからもう一枚紙を出した。それは、あの夜に起こったこと。彼が薬を飲ませ、眠った彼女をホテルに連れ込み、先に彼女を殴ったこと、その後に彼女が彼をなぐったこと、故に彼女に殴られたことについては、自分に非があることを認め、責任を問わない旨の内容が記されている。
「ええっ!何これ、相手だまして署名させたの?」
「うん」
「そんなの、取得の過程で問題のある証拠なんて、裁判とかで使えないんじゃない?」
「それは裁判で使うようじゃない、裁判に行く前の交渉で使うものだよ。だから、正式な証拠能力とかなくていいの。それらしく見えたらね」
相澤さんは、以前としてちゃらおの服のままの僕をじっとみる。
「惚れ直した?」
「もともと惚れていないけど」
彼女はもう一度書類に触れた。
「でもさ、これ、触ったときにこの感じで鋭い人だったら紙重なっているって気づいちゃいそう」
「だから、すり替えたんだよ。最初に重なってない紙を触らせて十分確認させた後に、ペンを落として拾わせた。その間にすり替えて、その後はテーブルに書類を置いて、触れさせなかったんだ」
今度こそ彼女は唖然とした。
「中條君、詐欺師とかなれそう」
「やりたくないけど、やらなきゃいけなくなったら、できるかも」
そう、今回だって必要に迫られて、必死だったんだ。
「でもさ、この念書はあくまで予備だから。一番のいい解決はこのまま何もないことなんだ。つまり、相手がこんなチャラい男や気違い女はほっとこうって思わせるのが一番大事だったからさ」
「これが平民の勝ち方ってわけ?」
「俺にとってのね」
僕は彼女のカバンの中をチェックして、財布、手帳、ノート、本等取り出した。
「何してるの?それ彼女のでしょ?勝手にみていいの?」
「個人情報がどれだけ入っていたかチェックするだけだよ」
彼女の個人情報は、学生証。学科と大学名がばれる。これはもともとばれてる。でも、幸いなことに現住所を確定するものはなかった。ただ、コンビニのレシートが入っていて、なつの家の近所のものだった。
「ここまで細かく見ているかわからないけど、しばらくはやっぱり一応警戒していたほうがいいかな。最寄り駅で待ち伏せとか、変質者だったらするよね」
一通り確認して、少しずつ安心してきた。
「俺、着替えてくるわ」
トイレから戻ってみると、相澤さんがにやにやしていた。
「なに?」
「見ちゃった」
テーブルの上に写真が四枚。なつと友達が高校の制服で写っているのと、俺の一人で写っている写真、学食でみんなで撮った写真、最後が……。
「ねえ、なんで彼女が中條君の寝顔の写真持ってるの?しかも、これ明らかにどっちかの部屋の中だよね」
なつ、俺が知らない間に寝ている顔、写真に撮ってたんだ。
「なんで、他人の物勝手に見てるんだよ」
「中條君だって、さっき見てたじゃない」
「相澤さんは彼女と知り合いでもなんでもないじゃん」
「そうそう。中條君は彼氏だから勝手にみてもいいんだよね」
「……彼氏じゃないよ」
「寝顔撮られていて、それでもまだ彼氏じゃないの?」
うーん。まずい写真をまずい人に見られてしまった。
「ねえ、普通好きな人のためじゃなかったらここまでいろいろやらないよ。そろそろ自分の気持ちに正直になりなよ。それに、彼女だって中條君のこと好きなんじゃない。普通、女の子は好きでもない人の写真を持ち歩いたりしないよ」
「……自信がないんだよ」
「……え?」
「素の自分を見せて、それでも、好きだって言ってもらえる自信がない」
相澤さんが絶句した。言うんじゃなかった。
「まだ黙り続けるの?」
「いや、あんまり驚いて。あなたが女の子に対して自信がないなんて、今まで一瞬でも見たことないんだけど?」
「彼女は特別なんだよ。俺にとって」
「そうみたいね」
僕は高校の制服を着て、友達と笑っているなつの顔を見た。
「こっちの子でしょ?」
相澤さんが指さした。
「なんでわかるの?」
「おさげの方の子は大人しそう。中條君は自分がパッと見大人しく見える方だから、好きになる子は反対に明るくて元気な感じの子なのかなって……」
明るくて元気な感じの子か……。
「ねえ、さっき言ってたことだけどさ」
「なに?」
「素の自分を見せて、好きだって言ってもらえる自信がない。それってみんなそうだと思うよ。わたしだってそうだし。中條君は今まで、素を見せて付き合いたい子と付き合ってなかっただけ。ぶつかるのを避けて逃げ回っていたら」
「逃げ回っていたら?」
「一生ひとりぼっちで暮らすことになるよ」
***
相澤さんと別れてなつの部屋に戻る途中。アドレナリンが収まってきて、気分がぐっと悪くなった。僕が大切にしてきたものの中に、なつのまっすぐな笑顔があって、そういう笑顔ができない僕にとって、それはとても貴重なものだった。いつでも。彼女はその貴重さに自分では気づいていなくて、僕はそれは彼女がいつも幸せで怖い目とか辛い目にあったことがないからだと知っている。だから、そのままでいてほしかった。僕が守ってあげたかった。だけど、踏みにじられてしまった。これからもなつはあのまっすぐな笑顔で僕に笑いかけてくれるだろうか?
平民は平民の戦い方があるなんて、相澤さんに説明しながら、本当にけむに巻きたいのは、自分自身の心だった。こんなのやっぱり勝ちなんかじゃない。『忘れてしまいたい』と彼女は言った。『戦いたい』とは言わなかった。だけど、彼女の中にくやしい気持ちがないはずはない。だから、泣いたんだ。忘れてしまいたいって言ったって、本当にきれいに何もなかったなんてことにはできない。僕の一番大切なものを傷つけられて、ばかにされて、そいつが目の前にいるのに一発も殴ることもできない僕の心が、『勝った』と思うことなんてない。時にはプライドのために生命をもかけなきゃいけない時が人にはある。それは正しい。
「全部返してもらったよ」
なつはかばんを受け取って、中身をひとつひとつ確認していた。
「なくなっているものない?」
「うん」
なつは床にぺたんと座って、しばらくぼんやりしていた。
「ただ合コンに行ってみただけなのに、こんな目に合うなんて、東京ってやっぱりこわいところだよね」
彼女はそこでちょっと止まった。
「お父さんが危ないことはしないでねって言ってた。心配でたまらないんだって、だから絶対知らせたくない」
「知らせないでいいよ」
「みんなが、せいちゃんだってわたしのこと心配していろんなこと言ってくれたけど、今までちゃんと真剣に聞いたことなかった。わたしの周りはみんな優しくて守ってくれる人ばっかりだったから、ほんとにみんなが心配するようなことがあるなんて、わたし知らなかったんだね」
僕は彼女の後ろに座って、後ろから軽く抱きしめた。僕の腕の中にすっぽりくるまれてしまうくらいに小さかった。
「あの時、一回あきらめようって思ったんだ。そしたら誰かに名前を呼ばれた気がしたんだよね。そして目を開けたら電気スタンドが目に入ったの」
「うん」
「よかった……」
「え?」
「電気スタンドがちょうど手の届くところにあって」
「……」
「わたし今日考えたんだよね。学校行けなくて暇だったし。あの電気スタンドがもし片手で握れるような変わった形してなかったら、やっぱり助からなかったって」
「うん」
「だからね、思ったの。あの声はきっとご先祖様で、あの電気スタンドはご先祖様がわたしに渡してくれた武器だったんだよ」
大爆笑した。腹の底から。抱えていた彼女の体を離して。
「もう、せいちゃん。わたしまじめに話してるんだけど」
「なんかそれ、主人公がピンチのときに光輝いてあらわれる伝説の剣みたいじゃん。ドラクエっぽいよ」
「きっとあの時、わたしの背後には既に霊となった小野田一族が揃っていたと思うよ。この悪党めってさ」
ここでまた笑いが止まらなくなり、しばらく話せなかった。
「本気で言ってるの?」
「そうでなきゃあんな筋肉むきむきのやつに、特に格闘スキル持っているわけでもないキャラが勝てるわけないじゃん」
どうしてきちんと愛されて育った人というのは、折れることのない強さを持っているのだろうかと思う。平民には平民の盾と剣がある。というか、なつのような本当の意味で強い人にとっては、平民とか雑草とかそういうカテゴリーは必要ないのだと思う。宮坂みたいなやつが一生ほしくても手に入れられないような物を彼女は既に持っていて、しかも、それは力では奪えないのだから。
だけど、だからこそああいうやつは、なつが彼には奪えないものを持っていると気づいた瞬間に、がむしゃらに向かってくるだろう。僕の心の中にはまだ不安があった。
「ねえ、なつ。しばらく俺の部屋から学校通えよ。一週間くらいでいいからさ」
「えっ」
彼女はまゆをひそめた。
「めんどくさい。やだよ。そんなの。なんで?」
「心配だから」
「また、保護者っぽい」
「これからは周りで真剣に心配してくれる人の忠告は聞くんじゃないの?」
「え~!」
コンビニのレシートから最寄り駅が知られているかもしれない。それが不安だった。
「いつから?」
「今から」
「え~!」
彼女はぶつぶつ言いながら、荷物を詰め始めた。
「一週間なんて言ったら、教科書とかすごい重いんだけど」
「俺が持ってやるから」
彼女は作業の途中で、また姿見を覗いて、傷の様子を見ていた。
「あ~、もう面倒くさいから彼氏に殴られたって言っちゃおうかな?」
「やめろよ。変なやつだと思われる」
なつがびっくりした顔でこちらを見た。
「今、自分がわたしの彼氏だって認めた?」
「……」
なつはそれから口元を嬉しそうにほころばしながら、作業をつづけた。僕はその微笑みを見ながら、彼女がこっそり僕の写真を手帳に挟んで持ち歩いていたのを思い出した。一部の写真は去年の写真で、そうすると一年以上も彼女は僕の写真を持ち歩いていたことになる。その時間の長さを、彼女の想いの深さを想った。
***
「ええ?ウソ。なにこれ?広い。天井高い!」
僕の部屋に入ると、なつは感嘆の声をあげた。
「なんかベッドない。なんで?あ、ロフトなの?」
キャーとかうわーとか言いながらひとしきり見て回る。
「なんで学生がこんないいとこ住んでるの?」
「父さんの知り合いの人が設計した部屋なんだよ。ご厚意で安く借りているの」
ふうんと言いながら見回す。
「上、あがっちゃえ~」
ロフトの階段をあがっていく。上から声が聞こえる。
「長い髪の毛とか落ちていたりして」
「それはないよ」
「なんで言い切れるの?」
「俺や父さん以外でこの部屋入ったの、なつが初めて」
「うそ?」
彼女がロフトの手すりの上から顔を出した。
「ほんと」
僕は彼女を見上げながら答える。
「なんで?こんなかっこいい部屋だったら友達とか彼女とか呼んで自慢しない?」
彼女はとんとんと音を鳴らしながら、上からおりてきた。
「俺、自分の部屋に人が来るの好きじゃないから」
「わたしはいいの?」
「いや、なつは……。今までだってさんざん俺の部屋入ったことあるじゃん。君は例外」
「それは、そうか…」
彼女はすとんとソファに座った。もう一度まわりを見まわしながら言う。
「こんなに広くていい部屋なのに、どうしてうちにちょくちょく来て寝るの?」
「そんなに広くないよ。面積はなつと同じくらい。ただ、縦が長いから広く見えるだけだよ」
「でも、物少なくてすっきりしているし、わたしの家ってもっとごたごたしているじゃない」
「でも、なんかなつの家のほうが落ち着くんだよな」
彼女は僕を見た。
「なら、せいちゃんがうちに来て、わたしがこっちで住もうか?」
「それはだめ」
「え~」
君の部屋が落ち着くのは、君がいるからであって、部屋が落ち着くわけじゃないんだけど。あなたのいない部屋にわざわざ行く意味はないんだよね。
***
「本当にせいちゃんがソファーで寝るの?」
「いいよ。俺が言ってなつを来させたんだし」
せいちゃんはソファーにタオルケットをおいてる。
「なつ、髪の毛乾かせよ」
せいちゃんはテレビでニュースを見ていた。メガネをかけている。
「夜はコンタクトじゃないの?」
「寝るときは外すよ。普通」
「うちに来たときは?」
「寝る前に捨てて、朝新しいの入れてる。忘れて寝ちゃったことあったけど」
わたしはニュース見ているせいちゃんの横に座って、ドライヤーのスイッチを入れる。
「あっちでやんなさい」
「ここがいい」
彼はあきらめて、テレビの画面に戻る。
「せいちゃんも乾かしてあげる」
ドライヤーかけて髪の毛に手を入れる。しばらくの間されるままになっていたけど、
「自分でやるよ」
取り上げられてしまった。
「わたしの隣で寝ればいいのに」
ついぽろりと言ってしまった。せいちゃんはドライヤーのスイッチを切って、くるくるとコードをまとめて洗面所に片した。聞こえないふりをされてしまった、と思ったら、
「なつの隣で寝て朝まで何もせずにいる自信はないよ」
「でも、一人で寝られないよ」
せいちゃんは困った顔をした。
「怖い思いしたから?」
わたしはうなずいた。
「でも、昨日は寝てたじゃん」
「昨日はもうちょっと近かったもの。今日は上と下で遠いよ」
せいちゃんはため息をついた。
「なつが寝るまでだよ」
せいちゃんの布団も枕も彼のにおいがした。わたしが布団に入ると、彼はかたわらに横になった。電気を消した。ロフトの横の小さなあかりとりの窓から弱い月の光が入ってくる。
「手、つないで」
布団から手を出した。せいちゃんは黙ってわたしの手を包んでくれた。わたしは目を閉じた。
「ねえ、せいちゃん」
「なに?」
「今はわたしが元気ないからそばにいてくれるの?元気になったらまた電話でなくなっちゃうの?」
彼はすぐに返事をしなかった。その時間は待っているわたしには永遠に感じられた。
「ちゃんとつきあおうか、うまくいくかどうかわからないけど……」
わたしは目を開けた。彼の顔がすぐそばにあった。
「本当?」
「なつはそれでいいの?」
「聞くまでもないよ、それは」
彼はつないでいた手を離して、そっとわたしの口元に触れた。
「早く治るといいね」
わたしはとてもどきどきした。だけど、彼はその後目を閉じて気持ちよさそうに寝てしまった。しょうがないのだと思う。彼はくたくたに疲れていたし、わたしは口元に怪我をしていたし、ほかの事情もあったし、しばらく彼の寝顔を眺めたあと、わたしも寝てしまった。