事故にあったらしい
なにがどうなったのかわからないが、気づいたら枯れ葉の上に大の字で寝転がっていた。
ベッドの滑らか感とは違うが、これはこれでふかふかして気持ちがいい。とはいえ、顔に枯葉のとがったところが当たってちくちくするので位置をずらしたいな。
顔をずらそうとするが、動かない。
そのまま起き上がろうとしたけど、小さな無数の手で押さえつけられているみたいで、身動き一つ取れなかった。
殺気は感じられないから今のところ大丈夫だと思うんだけど、どうなってんだ?
クスクス……。
クスクス……。
耳の近くでたくさんの何かが笑っている。
たくさんの目で見られていると思うとなんだか恥ずかしい。
色々試したが、指先一つ動かせなかった。目を閉じていてよかった。開けっ放しで動かなくなってたら確実に目が死ぬ。
少し抵抗して諦めた俺は、大きく一つ溜め息を吐いた。
まずは落ち着こう。
次に状況把握。
どうしてこうなったかはそのあと考えて、と。
そんなことを思っていたら、無数の声が聞こえてきた。
「意外に驚かないね」
「むー。つまんない」
「えい!くすぐっちゃえ!」
声と同時に、わき腹やわきの下に小さな手がたくさん入ってきて、わしゃわしゃと動き始めた。
うひゃあああ!
絶妙なくすぐり加減に悶絶する。
うわ、服の中はやめて、死ぬ!!
うひゃ、だめだって、そんなところに入っちゃ……。
「こら、よせ、やめろって! ひゃああああああ!!!」
あ、声は出た。と言っても嬉しくない。
じたばたと暴れたいが身動きできない辛さ!
なんだこの地獄。泣ける。
一体全体なんだってこんなことに!?
「あー、泣いちゃったー」
「可愛い子だねえ」
「このままここに閉じ込めちゃおうよ」
「ずっとここにおいとこうよ」
くすくす笑いとともにそんな声も聞こえる。
色々勘弁してください……。
心の中、涙目で訴えると、上から厳しい声が降ってきた。
「これ、やめないか、妖精ども!」
妖精?
なんだ、妖精の仕業だったんだ。
って、お願いします、もうくすぐるのはやめてください……。
必死になってお願いすると、もしゃもしゃ動いていた手が止まった。服の中からもたくさんのモノが出てくる感触。そんなにたくさん入ってたのかい! なんか恥ずかしい……。
「つまんなーい」
体にかかっていた力がなくなった。
やっと動けるようになって、ほっとする。
うわあ、涙と鼻水と涎ですごい顔な上に、枯葉がついてすごいことになってる……。
「ほれ」
上から大きな葉っぱが差し出される。これで拭けってことなのかな?
ありがたく受け取る。葉には細かい産毛がたくさん生えていて、上等の布のような手触りだった。こんないいものを汚くしちゃっていいのかなと思うけど、背に腹は代えられない。少し湿り気があるので汚れがすっきり落ち、すごくさっぱりした。
「ありがとうございます」
やれやれ、と身を起こす。
目の前にはきれいな緑色の足があった。そのまま上へ視線を移していく。はち切れそうな腰とくびれ過ぎなウエストと豊満な胸を深い緑の短いドレスで覆っている女性。真っ赤で大きな髪飾りがとても似合ってる。顔は鼻と口が大きめの個性的な美形。可愛いと言うより美しいと言う感じかな。
彼女が笑うと、花飾りからふわりといい匂いがする。
妖精が言うことを聞くということは。
心当たりがあり、俺は臣下の礼を取って頭を下げた。
「助かりました。貴女はドライアド様ですね?」
王都とナナト大河の間にあるミスト大森林の管理者、ドライアド様は森の中央に位置し、この国が始まる前より大樹だったと言われる神樹の化身だ。ドライアド様は一人であり同時に複数であると言う。彼女はその一人に違いない。大輪の赤い花と緑を持つ女性。伝承通りの姿だしな。
「ほう、さすがに知識はあるのだな。ベルグリフ王子」
ドライアド様はにやりと笑った。
ナナト大河の渡し船付近に大蛇が現れたと連絡が入った。
ナナト大河は王国の北から南を縦断し、隣国を抜けて海に注ぐ、我が国の水源と言える河だ。他国との貿易拠点であり、町も大変にぎわっている。王都からは馬車で半日の近さにあるため、王宮に入る大使たちはここで手続きをする者も多い。国の玄関口と言ったところだろうか?
渡し船は隣国や辺境を結ぶ大事な交通網。貿易だけでなく、いろいろな人々に利用される大事なものだからと、騎士団が管理をしている。外国との密貿易、罪人の入国を阻止するなど、常に騎士たちが目を光らせているのだ。
そんな渡し場に、2月ほど前から大蛇が現れている。
最初の報告では、大蛇は姿を見せるだけで何をするでもないとのことだったので、急ぎの案件ではないと判断した。実際に自分の目でも確認したところ、本当にただ泳いでいるだけに見えたしな。
大蛇は渡し船の三倍ほど大きな蛇だった。立派な体躯は銀色のうろこでおおわれていて、遠くで見る分にはとても美しい。近づいてみると紅玉のような美しい赤い目をしていた。もっと近づいて毒気など確認したが、それもない。
「どうしてこんなところにいるんだい?」
話しかけてみると、ちょっとだけこちらを見たが、すぐにプイっと横を向いて泳いで行ってしまった。言葉がわからないわけではないようだ。口調が馴れ馴れしすぎたかな、と反省した。
その後数日観察したが、大蛇は悠々と泳ぐだけで特に何かしてくることはなかった。大蛇と船が接触しないよう注意すれば問題なさそうだと思い、俺は騎士団に指示して城に戻った。
それから1か月後。
再び連絡が入った。
「困ったことになっています」
聞くと、大蛇が渡し船の運航を邪魔しているとのことだった。
船を転覆させたり、人々に害を及ぼしたりするわけではない。
ただ、ある時間になると、船の運航を妨げるのだ。3.4時間のことらしいので大変なことにはなっていないと言うが、それでも急を要する荷などの時もあり、困っていると言う。
「妨害する大蛇に矢を射かけたのですが、大きな魔力の盾を出して防いだだけでなく、刺さった矢を返してくれました。あれだけ大きな魔法が使えるのに、こちらには一切攻撃しないのです。しかも水の中に落ちた分まで、全部拾って戻しに来るなど、大変几帳面な大蛇で、なんだか申し訳なくなって射手たちが落ち込んでいます。無理やり出した船も大きな体を器用に生かして元の陸まで返しました。傷ついたものも出ていません」
なんというか、逆に処置に困る魔物らしい。ただ暴れるだけだったら対処のしようもあるのだが、こちらに害を与えない魔物を一方的に殺すということは騎士団の良心に反するのだろう。
「時間が過ぎるといなくなりますので普通に運航できるのですが、人々が怯えてしまい、船が少なくなっています。貿易船も今が最盛期というのに半分になってしまいました。このままでは越冬用の資材を十分に蓄えられないうちに冬になってしまいます」
それは困る。死活問題かもしれない。
というわけで、再び俺が現地に行くことになった。
だが現状は視察してどうしたらいいのか考えようと言う話で止まっている。これといった対応策がないままの現地入りは不安だけど仕方ない。
王宮の地下にあるポータルに行き、ナナト大河付近に出る出口を選択する。王国の主たる町はポータルでつながれていて、許可があればだれでも通ることができ、とても便利なのだが、魔法ゆえに時折不具合もある。
ふと、先ほど聞いた話を思い出した。
「ただ、最近ナナト大河行きのポータルが不安定なときがあるのです。移動魔法はいつも通り稼働していますし、問題がないはずなのですが、送られた物資が届かないことがまれにあります。これを使うのは少し心配が……」
通信係の魔法使いは不安そうだった。一応王族の俺に何かあったら、と思ってくれたのだろう。
ま、俺はこれでも一応Bランク冒険者でもある。他の人間が行くより何とかなるに違いない。
「ありがとう。気に留めておくよ」
そう言ってポータルに入った瞬間。
キーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!
耳元でガラスをひっかくような音が響き渡り、頭がくらくらすると思った直後、下に向かって引っ張られた。
そして今に至る。
ドライアド様が招待してくれた場所はでこぼこした木で囲まれた小さな部屋だった。
聞いてみたところ、客に応じていろいろな場を用意しているそうで、ここは『可愛い子専用』とか。この年で可愛いと言われるのは複雑だけど、何百年と何千年と生きていると聞くドライアド様にとっては俺など赤子なのだろう。
「まあ、座れ」
部屋の真ん中に丸くて小さいテーブルとスツールがあり、湯気の立つポットが乗っている。
「おいでー」
「もういじめないよー」
「ここだよー」
テーブルの周りにはたくさんの光る球が浮いている。よく見ると羽が生えた小さな人みたいな生き物がわさわさと飛んでいた。これが妖精か。初めて見たよ。
「ええい、散れ、妖精ども!」
ドライアド様はうざったそうに手を振った。きゃーっと可愛い悲鳴が上がり、ドライアド様の手が通ったあたりだけ光の玉がなくなったが、すぐに元に戻った。なんだか微笑ましい。
「お邪魔します」
俺はにこりと笑い、スツールに腰かけた。
ドライアド様が出されたお茶はすごい緑色で口をつけるのを悩んだが、飲んでみるとさわやかな後口でなかなか美味い。凹みかけていた心が洗われるようだ。なんというか、生き返る思い。
促されて事情を説明すると、ドライアド様は苦笑し、妖精たちはキャラキャラと笑った。
「災難だったな。それはグマラ砦に最近住み着いた泣き女のせいだろう」
「泣き女ですか?」
聞いたことがない。妖精だろうか?
話によると、二年ほど前、突然泣き女が今は放置されて無人になっているグマラ砦に姿を現したという。
最初は特に何をするわけでもなく、そこにいるだけだったのだが、ここ何か月かは時折、甲高い声をあげて泣くのだ。
その泣き声がすると、この辺りの魔力均衡が崩れ、いろいろと害が出るのだと言う。その被害もまちまちで、最初はキノコの胞子が1日遅れで発芽したり、妖精のスカートの色がピンクから黄色になったり程度だった。だが先日、泣き女のせいで嵐が進路を変え、この辺りに少なからぬ被害が出たそうだ。しかもそれを皮切りに、少しずつ被害が大きくなっているらしい。
「ちょうど先ほど、泣き女が泣いていた。ベルグリフがここに落ちてきたのもそれが原因だな。移動中に魔法が切れたのだろう。地面にたたきつけられる勢いだったから、つい手を出してしまったのだ。妖精たちに絡まれていたのは想定外だったがな」
なるほど、それでここにいたのか。
「助けていただいてありがとうございます」
礼を言うと、ドライアド様はひらひらと手を振った。
「誤解するな。この森を血で汚したくなかっただけだ」
なぜか耳のあたりがやけに濃い緑になったけど大丈夫かな?
その後、ドライアド様は一口茶をすすったのち、渋い顔をして言った。
「泣き女はもともと北国の精霊だ。その地の危機を泣いて知らせる精霊なのだが、声を聞いたものは呪われるとも言われ、隣の彩の国では忌み嫌われている」
「隣国の精霊がなぜここに?」
「わからん。だが、泣き女には産気づいて苦しむ女の腹の子の代わりに泣いてお産を軽くしたり、独り暮らしの年寄りの話し相手になったりする優しい女としての一面もある。簡単に滅ぼしていい相手ではないのだよ」
それにオレと同じ精霊だしな、とドライアド様は薄く笑う。
「何もしないならここに置いていてもいいと思い様子を見ていたが、最近はあれが泣くと厄介なことが起きて困っている。人が降ってきたのはベルグリフが初めてだが、これが続いて死人が出ると面倒だ。オレは森に人がたくさん入るのを好まないし、神の樹も同じ。そちらも魔法が安定せずに事故が起きるのはよくなかろう?」
話しているうちに理解した。
「わかりました。ちょっとグマラ砦に行ってきます」
つまり、これ以上面倒になる前に泣き女を何とかしてこいってことだ。助けてもらったことだし、俺にできることなら協力したい。
「頭がいい子は好きだよ」
ドライアド様の微笑みはとても美しかった。
読んでいただいてありがとうございます。
ここからは新章です。前回までの振り返り部分より1話が短くなるかもしれませんが、更新滞らないように頑張りますのでよろしくお願いします。