賭け
「野郎ども、賭けはメルルの一人勝ちだ、畜生め!」
キーさんの背中から何とか降りた俺が見たのは、悔しそうに地団駄踏んでいる小柄な騎士とその前に膝をついているライルの後ろ姿だった。
まだ酔いが残ってふらつく体を絶妙な加減で紫黒が支えてくれる。おかげで集まってきた騎士たちに恥ずかしい姿を見せずに済み、助かった。いつもながら紫黒には頭が上がらない。
『ごめんね、ベルちゃん。まったく、ライルちゃんがいきなり降りるから!』
そう、ライルは柔らかく輝く半円に入り、人影を見つけたと思ったら、すとんと飛び降りたのだ。紫黒が俺たち二人に巻きついているのを忘れてたんだろうな。そのせいで俺も落ちそうになり、正直焦った。まあ、ライルだから仕方ないか。
「大丈夫。ありがとう、キーさん、紫黒」
俺は紫黒とキーさんの首周りを撫で、礼を言った。
両手を合わせて謝るライルに軽く手を振り、一息ついて、ぐるりと見回す。
山の真ん中の夜はほぼ暗闇だが、虹色に輝く半円が夜間照明程度の明るさで周囲を照らしてくれているおかげで、騎士たちが野営をしている状況がとてもよく見えた。
大きめの天幕が四つあり、一つは団長やその周りの者が使うのか印が付いている。俺が一度だけ参加した山での訓練の時は天幕はなく、それぞれがマントにくるまって夜を過ごしたのだが、長期間の訓練なのできちんと休む場所を用意しているようだ。
天幕の真ん中にはかまどのようなものもあり、端のほうには用を足す場所も作られている。どちらも近くに大きな樽があり、水場もしっかりと設置されているのだなあと感心した。
長期遠征にも時間があったら参加したいと思うけど、今の立場だと難しいかな。
観察していると、ライルの前にいた騎士が天幕の中から出てきた騎士たちを連れて俺の前に膝をつき、頭を垂れた。両腕を胸の前で重ねる、騎士の正式な礼だ。
「遠路はるばる我らのために足を運んでいただきましたこと、感謝します。ベルグリフ殿下」
小柄な騎士、ガイ=ウェインライト第三騎士団長が最前列で定型の口上を述べる。
「あなた方の献身に感謝します」
こちらも定型の短い返答をして、ガイの頭にそっと手を置く。簡略だがこれをしないと何かあったときにお互い礼を尽くしてなかったと言われたりするのだ。
手を離して膝をつき、視線を合わせると、ガイはニヤリと笑った。振り返ってしっしとばかりに手を振ると、騎士たちが礼を解く。
「あー、負けた負けた」
ガイは俺の前で胡坐を組み、大きくため息を吐いてニヤリと笑った。
「俺の予想では殿下がここに着くのは3日後だったんだ」
「3日?」
「ライルがここを出て今日で4日目だろ? 1週間はかかると思ってたのにな」
ガイのため息に乗っかるように、後ろの騎士たちが口々に話し始める。
「いや、団長、一週間だって早いって。小僧は1か月かかったんだからさー」
「俺なんか来ないってのに賭けてたんだぜ!」
「俺も! 普通に考えて第二王子殿下がこんなところまで来るなんてありえねぇ」
「ありえねぇってんなら魔獣に乗ってくるってのだってそうだよな。メルルさんが当たるほうがおかしい」
「え~。そんなこと言われても~」
非常に盛り上がっているところ申し訳ないが、何を言っているのかさっぱりわからない。
首を傾けていると、騎士たちを掻き分けてライルが来た。
その横には2頭のキーさんがいる。よく見ると右側のキーさんのほうが角が少し短いが、片方だけならどっちかわからないだろう。
『この子たち、ベルちゃんがいつ来るか賭けをしてたのよ』
分身のキーさんがフンと鼻を鳴らしつつ、本体のキーさんに寄り添った。そのまま吸収されるように溶けて一つになる。それを見てどよめいた騎士たちはキーさんに睨まれておとなしくなった。
『ったく、アタシが聞いていないとでも思ったのかしら?』
「仕方ねぇだろ、暇なんだから」
ガイはキーさんに睨まれても全く気にせず、ひょいと肩を竦めた。
その後の話で詳しく賭けのことを教えてもらった。
聞けば、中身は本当に大したことではない。単にライルが王宮に戻ってから俺を連れてここに戻ってくるまでどのくらいかかるかを一週間ごとに率を決めて賭けていただけだ。ちなみに1週間以内はメルルと呼ばれた魔術師一人で、続いてガイと副長のビルと二人ほどの騎士が2週間以内、残りの半分は1か月以内でそのほかは戻ってこないだったと言う。
「戻ってこないはないだろう?」
ライルが不服そうに言うと、そっちに賭けていたらしい騎士の一人が言い訳のように、お前は戻ってくると信じていた、と言った。
「お前が旅立ってすぐに、ビル副長がそこの魔獣がベルちゃんって呼んでいたのがベルグリフ殿下だってことを教えてくれたからな。余計に戻ってこないだろうなと」
「なんでだよ?」
「だって、あのベルグリフ殿下だろ? ひ弱で魔法も剣も適当で頭でっかちな文官だって噂の」
「そうそう。病弱で年間の半分は姿を見せないって聞いたぜ」
「陛下の弟としては軟弱で、スペアにすらならないって話だし」
「王族としても役には立たないから、陛下にお子ができたら放逐されるらしいじゃん」
ライルと話していた騎士に近くの騎士たちも同調する。
なるほど、そう来たか。
「まあ、確かにそう言われても仕方ないな」
本人を目の前にしてと思ったけど、まるきり嘘でないので騎士たちの情報収集力に感心した。
確かに俺は国にとって大事なパーツじゃないし、騎士みたいな強さもない。さらに言うと、一人では何もできない無力な役立たずだ。放逐のほうは、むしろ歓迎。兄上にお子ができて世継ぎの不安が解消したら、晴れて冒険者となって城から出られるんで、冒険者として兄上を支える目標に近づける。
苦笑いしつつ肩を竦めた時、紫黒が俺の前に出てきて大きく鋭い息を吐いた。そうしてみるみる大きくなり、俺の体を隠すほどの大きさになる。なぜかわからないがものすごくお怒りのようで、体から発する威圧により周囲の温度が少し上がったような気がした。
「お前らにベル様の何がわかる?」
気が付けば、すぐ隣に来たライルが力をなくしている俺の手を両手でつかむ。
「この手はたしかに俺たち騎士みたいに分厚くもないし、そこの魔術師みたいに綺麗じゃない。だけどな!」
ライルは大きく肩を震わせて何度も深呼吸した。
「ベル様は俺よりずっと努力してるし、仕事だってしっかりしている。つい先日だってナナトの街を救って死にかけたし、昨日だってほとんど寝ないで文官の仕事をしてたんだ。文官たちはベル様がいないと仕事にならないと、王宮の事務仕事のほとんどはベル様じゃないとわからないと言ってた。ひ弱な頭でっかちにできる仕事か!?」
ライルの剣幕に、騎士たちの動きが止まる。
「それにな、ベル様はたった2年で、しかも王宮を出たこともなかったのに、Bランク冒険者にまでなったすごい奴だ! 年間の半分姿を見せないのは冒険者として外に出てるからで、そこで得た金は取り分の1%以外はすべて国庫に入れている! それのどこが軟弱なんだよ!?」
「……」
「陛下はベル様のことをスペアだなんて思ってない! 兄馬鹿ってくらい溺愛してるし、この国にとって大事な存在だと言ってる! お子ができたって放逐するなんてありえない! 騎士のくせに、陛下を若造だと馬鹿にしている貴族たちが勝手に広めた噂を信じてベル様を貶めやがって! ふざっけんなよ!!」
肩で息をしながら言い切ったライルに、紫黒はそっと摺り寄った。よくやった、と言いたげに尻尾で太ももの後ろを叩いている。
「今回だって本来ならまだベッドにいなくちゃならないところを、無理して出てきたんだ! そんなベル様だから、ドライアド様や泣き女様やキーさんが味方してくれる! なのにお前らはつまんねぇ賭けなんてしやがって! 俺は心からあんたらを軽蔑する! 同じ騎士だと思われたくない!!」
ライルの言葉の激しさに驚いたが、正直なところものすごく嬉しかった。
思えば、学院にいた時から、ライルはまっすぐに俺を庇ってくれたっけ。陰口を言う奴らからサイラスやジャスと一緒になって俺を守ってくれてた。ライルは物理的に、サイラスは精神的に、ジャスは社会的に、制裁をしたとか言ってたな。あの時の環境は今より酷かったからとても苦労させたけど、気にしないと言って笑ってくれてとても心強かった。
今になってもそれは変わらなくて。ライルは俺の剣だと言って、行動でも言葉でも、いつも正面から庇ってくれる。それがどんなに嬉しいか。それだけのものをライルに返せているか不安になるほど嬉しい。
マズイ、うっかりすると泣きそうだ。親友ってありがたいなとしみじみ思う。
「ライル、ありがとう」
俺は空いているほうの手でライルの手を軽く叩いた。
「でもさ、俺の体調はライルが言うほど悪くないよ。ミラに治してもらったし、キーさんにも、ね?」
「ベル様……」
「それに、全部が全部間違ってるわけではないよ。俺は確かにひ弱でキーさんに乗ってて酔っちゃったし、すぐ魔力切れになるし、何度も死にかけてるのは事実だしさ」
ライルは情けなく眉尻を下げて落ち込んでいる。庇ってもらえて嬉しいけど、俺としては体力はほぼ回復しているし、何か言われたところで害はないので気にしていない。
そのとき。
『何度もですってえぇ!? もおぉぉぉ!!』
唐突にキーさんが体当たりしてきた。
勢いが良すぎてぐほっ、と変な息が出てしまったし、危うくすっ飛ぶところだった。ライルと紫黒が支えてくれて助かったよ。さすが親友。
『ちょっと、そこ詳しく教えなさい! っていうか、あたしもうベルちゃんから離れないいいい!!』
「ちょっ、キーさん、落ち着いて!」
濡れた鼻面を胸に押し付けられ、ぐりぐりされるとその部分がべちょべちょに濡れてしまった。あとで風魔法持ちの人に乾かしてもらうか着替えないと。
紫黒とライルはキーさんの反対側から必死になって俺を支えてくれている。おかげで挟まれてものすごく胸が圧迫される。うん、息苦しい、死ぬかも。
「キーさん、ごめん。俺、今、死にかけ」
『きゃあああ! ごっめーん!』
キーさんが慌てて離れたので、後ろから押していたライルがつんのめってぶつかってきた。そのまま前に倒れそうなところを紫黒に巻き付かれて事なきを得る。
よかったよかったと笑いあっていたら、目の前にいたガイが大声で笑い出した。
「たしかに、ひ弱ではなさそうだ。お前ら全員謝れ! ああ、俺もか!」
ガイが俺の前で膝をつき、謝罪の礼をする。
周りにいた騎士たちは、第三騎士団の選ばれし騎士たちだと言うのにライルと同じくらい情けない顔をしている。
そして彼らは口々に謝罪の言葉を述べ、膝をついてくれた。
なんというか、ものすごく居心地が悪かった。
読んでいただいてありがとうございます。
少し短いのですが区切りがいいので切りました。
続きも近いうちにあげたいです。
登場人物紹介をつけてみました。
ナナトの人物紹介位置も地味に変えてます