キーさん
夕闇で暗くなってきた世界が一瞬にして真っ白く光り、遅れてやってきた轟音がポータルの建物を揺らす。すぐそばにある待合所の小さな建物が歪むほどの衝撃に、耳が壊れるかと思った。
続けて、ぱらぱらと大小の雹が落ちてくる。
これはちょっと前に体験したのと同じ奴だ!
「ベル様!」
俺はすぐ隣に立っているベル様を背後から抱え込んだ。護衛対象の背中に隠れたみたいになってるが、正面には紫黒さんがいるから大丈夫だろうと踏んでの行動だ。魔術師は背後を守ってやらないといけないからな。
紫黒さんは雷が鳴るのとほぼ同時にベル様から降りて俺と同じくらいの大きさの大蛇になっている。なんかすげえ! と感動していると、ベル様が何かつぶやいて手を大きく一振りした。それだけで薄い水の膜ができて雹を弾いている。水の防御魔法、こうして見ると傘みたいだなあ。
っていうか、第三騎士団の防御陣、結構早い時点で破られてたよな!?
ということは、これもすぐにパチンと弾けるんじゃないか!?
まずい、俺の魔法は攻撃型だから、防御なんてできないぞ!
いざとなったら身を盾にするしかないかと思っていると、紫黒さんが長い尻尾をくるんと回し、シャっ!と鋭く息を吐いた。
水の膜に丸い模様のような波紋ができて中心に小さな穴が開き、そこから圧縮された空気の弾がまっすぐに飛んでいく。空気だから見えないが、俺の魔法属性は風だから特別な動きをする空気の動きはわかるんだ。
弾はうまいことデカい銀色の顔の眉間に当たった。雷の音に混じってペチンと軽い音が聞こえる。
『いたいっ! もおっ! なにすんのよ!? 蛇のくせに!』
シャシャッ!!
『はあ!? 知ったような口利くんじゃないわよ!』
シャシャッシャッ!!
紫黒さん、つえぇ……。
術で大きくなっているとはいえ、銀色の生き物と蛇の紫黒さんでは力の差は歴然だ。それなのにベル様の前に立ちはだかって、自分よりもでかい銀色の生き物と対峙する姿はさすがナナトの蛇の長だな。
殺気だった空気の中、ベル様が俺の腕と紫黒さんをポンと叩く。
「紫黒、ライル、大丈夫だよ。このヒト、友達だから」
ベル様はそっと俺の腕から抜け出すと、紫黒さんの横に立ってにこりと笑った。
「キーさん! 久しぶり!」
『やっぱりベルちゃん! 会いたかったわあ!!』
「2年ぶりくらいだよね? 俺も会えて嬉しい。そっちに行きたいから雹と雷止めてほしいんだけど」
『あらいやん、アタシったら! 興奮しちゃったわん。ベルちゃん、人間だったのよね。すっかり忘れてた』
大事なことを忘れるなよ……。
銀色の生き物はキーさんというらしい。ベル様の困った顔を見るといそいそと尻尾を振った。それだけでピタリと雷と雹が止み、何事もなかったように穏やかな空気になる。崩れそうだった建物などもゆがみが取れても度に戻った。時を巻き戻した感じ? 次元が違うなあ、この銀色。
雹が止んだのを確認したベル様が水魔法を解除すると、キーさんがすごい勢いで走ってきて、ベル様に摺り寄った。
『ちょっと見ないうちにいい雄になっちゃってえ。でもまだ十分可愛い!』
「ありがとう。キーさんは相変わらず美人さんだね」
『やだん、美人さんなんて。もっと言って!』
嬉しそうにくねくねしつつベル様の頬に鼻を押し当てる馬面の魔獣。そういえばすごいお姉さんな言葉遣いだけど、声はうちの団長張りのバリトンだ。体が大きいから声が深くなるんだろうか? 偏見はないつもりだが、違和感がすごい。
キーさんがさりげなく弾き飛ばした紫黒さんは俺の横でシャッシャッと息を荒げていた。気持ちはわかるんだが、俺に被害があるので落ち着いてほしい。
「遅くなったが連れてきたぞ。騎士たちはどうしてる?」
聞くと、キーさんはものすごく鼻を膨らませて俺に詰め寄ってきた。
『ほんと、おっそいわよ! なにしてたの!?』
「あー、ごめん。それは俺のせい」
ベル様が申し訳ないと頭を下げる。
「ちょっと前、ナナトに行ったときに体調崩してね。今は大丈夫なんだけど、休んでいた分仕事をため込んでしまってて、すぐに出られなかったんだ」
『体調を崩した、ですってえ!!』
キーさんが土色の目をまんまるくして高い声をあげる。
『ちょっと、それ、詳しくって言いたいところだけど、診せなさい!』
キーさんがベル様の額に自分の額をくっつけると、ふわんとした銀色の光が辺りを包んだ。ついでに俺と紫黒さんまで包まれたが、ポータル移動の疲れがすっきりしたのでありがたい。すごい癒し効果だ。
光が収まったころ、そっとベル様をキーさんから離した。キーさんがなぜか号泣し始め、ベル様の頭にかじりつきそうになったからだ。困った顔のベル様には紫黒さんもさりげなく巻きついている。思うところは同じようだ。
『もおおお! またこんな無茶してぇ!!』
キーさんは天を向いて雄たけびを上げると、再度詰め寄ってきて、額をぐりぐりとベル様の胸に押し付けた。
『アタシのときだって、仲間っていう人間の冒険者以外を敵に回して大変なことになったじゃないの! しかも後ですごく怒られたりいじめられたりしたって聞いたわよ! それだけでも森の一つも枯らせてやろうと思ったわ!』
「しないでくれてよかったよ。キーさん、優しいよね。ありがとう」
『んもーう! 照れちゃう』
くねくねと悶えるキーさん。乗合馬車の馬と同じくらいの大きさの生き物がデレデレに蕩けている姿は、なんかすさまじい。
『しかもアタシ以外の神獣にも手を付けられて! アタシだって加護与えたかったぁ!』
「神獣の加護? そんなのついてないと思うけど」
『嘘ぉ! だってベルちゃん、緑臭いし塩臭い!!』
緑? 塩? あ、なんかわかった。
「ドライアド様と泣き女様じゃないか?」
「あー」
ベル様はポンと手を叩いた。
あー、って……。我が国の神樹の精霊と今は暫定でナナト大河の主をしている精霊の加護ってすごいことだぞ……。そういえばナナトの件では大海の龍神とその娘のナナト様と、あと紫黒さんの伴侶の蛟とも縁ができたって聞いたっけ。
というか、話の流れで行くと、この銀色の生き物、神獣なのか!?
『アタシ以外の神獣とも親しくしてるなんて! この浮気者!!』
「ドライアド様も泣き女も神獣じゃなくて精霊だよ」
『そんな細かいことはいいの!! ごまかさない!』
涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔も同じようにベル様の胸に押し付けてくる。ああ、あれは肌着まで濡れたな。さぞ気持ち悪かろう。
そんなことは気にもせず、ベル様はものすごく困った顔で何度もごめんと謝りながら、優しくキーさんのたてがみを撫でていた。
「心配してくれてありがとう。相変わらずだね、キーさん」
『んもぉ。とりあえず治りきってないところ治しておいて、疲れも取ったからね。ついでに加護つけちゃえ』
角の先がピカッと光って俺とベル様を包む。見えない何かがぺたりと貼り付いた感じがしてすぐに消えた。
まさかとは思うが、これが加護? ついでにつけられるものなんだ……。まあ、ベル様だからな。
俺はちょっと遠くを見た。俺にもなんかがついでについた気がするんだが、考えるのはあとにしよう。
ベル様はにこにこしながら間に入って互いを紹介してくれた。
それによると、キーさんはベル様が心当たりだと言った魔物、いや神獣か、だった。キーさん曰く『麒麟』という種族の『索冥』という種類の神獣で、もとは彩の国の西側に住む神獣だそうだ。特段彩の国にこだわりはないので、こうして世界中を回っているのだという。ちなみに、雄だった。話し方が丁寧なので雌とよく間違えられると笑うキーさんはちょっとキラキラしてた。
やり取りの間、紫黒さんがじりじりとキーさんからベル様を離そうとしているが、離れる分詰めてくるので全く距離が変わらない。その分じりじりと俺に寄り掛かってくるので体勢がきつい。
しばらくして気が済んだのか、キーさんがベル様から離れた。
『終わったことは仕方ないわね。許してあげる。でも、その前に』
そう言うと、キーさんはいきなり紫黒さんの眉間に頭の角をズブリと刺した。
突然だったので紫黒さんは身動き一つできず、致命傷になりえる角を受け入れて硬直している。ずっぼり刺さっている角は紫黒さんの額を貫通していた。丸みを帯びた先端は突き刺すことなんてできないと思っていたのに。
「紫黒!!」
ベル様が険しい顔でキーさんを睨む。手を伸ばしてキーさんを離そうとしたら、紫黒さんが止めた。たしかに、この状態で無理に角を抜くと大惨事になりかねない。
ふわり、と先ほどと同じように銀色の光が紫黒さんを包んだ。
それからさほど間を置くこともなく、キーさんは紫黒さんから離れた。同時に、大きくなっていた紫黒が縮んでポータル移動時にベル様に巻き付いていた時と同じ大きさになる。これが本来の姿なんだろう。
角が抜けた時は地面に崩れていた紫黒さんだったが、ふるふると頭を振りながら起き上がり、口を開けて息を吐いた。
「突然何をする、バカ者が」
その口から掠れたような渋い声が出てくる。なんというか、熟練騎士のおっさんみたいだ。見回しても俺たち以外の人はいない。ということは?
「え、し、紫黒さん?」
「ライル、今のわかったの?」
「あ、いや、たぶん、そうかなって感じで……」
確証なかったけどやっぱりそうなんだ。
そう言えば紫黒さんの言葉、ベル様には通じてたんだよな。普通蛇の言葉とかわからなくないか? まあベル様だからと気にしなかったけど。
不思議に思っていると、キーさんがふふんと鼻を鳴らした。
『アンタ、ベルちゃんのために命張って頑張ってたから、軽く二段階くらいレベルあげといたわ。これで気を許す相手に言葉が通じるはずよ。蛟になれば自分の言葉がわかる術を相手にかけられるようになるから精進なさい』
「……、余計なことを」
紫黒さんは忌々し気にシャッと息を吐きだす。
『なによ、生意気ね!』
「こんな反則みたいなことをして少しばかり術が使えるようになっても、嬉しくない。ワシは自分の力で蛟になりたいのだ。そうでないと愛する可愛い月白の前で胸を張れない」
紫黒さんの気持ちはすごくよくわかる。同じことされたら俺も怒ると思うし。だって、自分で得た力以外はうまく使いこなせないし、何より気分が悪い。
でもキーさんの気持ちもわかるなあ。ベル様のために紫黒さんが頑張った話は聞いてるし、今だってこうして守ろうとしてくれてる。紫黒さんは『蛟になるための修行にちょうどいい』とか言ってるけど、効率を考えたらベル様についてくるよりいい方法があるはずだ。そう考えたら、キーさんが紫黒さんに良かれと思ってやったことをただのお節介などとは思えない。
こういうのって、難しいよな。
意外に蛇とか神獣とかでも俺と同じ気持ちを持ってるんだと気づく。なるほど、ベル様は自然にそれがわかってるから、いろんなモノに好かれるのかもしれないな。
とか思ってたら、紫黒さんがぺこりと頭を下げた。
「いや、すまぬ。これはワシの我儘だな。主の気持ちは嬉しいし、蛟に近づいたことはありがたい。礼を言う」
『……、アタシも、ごめんなさい』
「主が謝ることはない。さすが神獣だな。謙虚で美しい上に、受け取った力も澄んで心地よい」
『あ、ありがと。……、なによ、やだ、この蛇、かっこいい……』
わかるわかる。そこでお礼を言える紫黒さん、かっけーよな。
うんうんと頷いていると、ベル様が笑い出した。
「月白さんは紫黒がずるしたなんて思わないよ。そんなヒトじゃないじゃない」
「まあそうだな」
「キーさんも俺たちに気を遣ってくれてありがとう。ひょっとして、ライルにも加護をくれた?」
『うん』
「あ、やっぱりさっきのそうなんだ。体が軽いぞ。ありがとう!」
『……、あ、うん、いいのよ』
微妙な空気になりかけたが、ベル様がうまく取り成してくれてよかった。
そんなことをしていると、ポータルの建物から人が出てきた。今到着した人というより、外が静かになったので様子を見に来た感じだな。
キーさんと紫黒さんを見た人々がざわめいている。騒ぎになる前に離れたほうがよさそうだ。それを考えると町に行く乗合馬車が出発したばかりで周りに誰もいなかったのは不幸中間幸いだったかもな。
「人が出てきちゃったね。キーさん、俺たちを連れて移動できる?」
『もちろん。さあさ、乗っちゃって!』
ベル様の言葉に軽く許可をくれるキーさん。神獣に乗るなんて、20年生きてて初めてだが、馬には乗れるし何とかなるか。
見ると、いつの間にか紫黒さんはベル様の肩に乗って巻きついている。慣れた様子に笑いつつ、ベル様をキーさんに乗せて後ろに座った。意外とふかふかしていい座り心地だ。
『適当に掴まって。落ちないようにね』
そう言うと、キーさんは町を見渡せる高台に向かって走り、あっという間に空高く飛んだ。
読んでいただいてありがとうございます。
キーさんが好きでつい文字数が増えました。