ポータルに到着
ゼブラシア山脈近くのポータルに到着したのと、山脈の一番高いところに日が落ちるのはほぼ同時だった。小さな窓から覗く山脈が夕日に影を落とし、幻想的な雰囲気を作れ出している。
「あー、やっと着いた」
よろよろと魔法陣から出た俺は、大きくうーんと伸びをした。
さすがに1日で5つのポータル移動は辛い。魔術師たちが話し合いで決めた規定で一日3つまでとなっているのは理にかなっているのだなとしみじみする。
実はポータルを使う移動はまだ完全に原理がわかっていないのと、中は魔力で満ちているのとで体にかかる負担がものすごく大きいのだ。今のところ報告されている事故は俺があったものくらいだけど、それで初めて危険なものだと実感もできた。今までずっとほぼ無事故なのは優秀な職員たちのおかげだ。
魔法陣から離れ、その場にいたポータル職員の魔術師たちに会釈すると、にこりと笑って返してくれた。いい職員だなと思う。俺が第二王子だと知っているはずだが、今の格好から冒険者のベルで来ていることを理解してくれている。冒険者が多数利用するポータルならではの心遣いだなと感心する。
残念だが3.4番目のポータルは違った。ポータルに着いた瞬間、その地の権力者らしき数人に囲まれ、腕や足を引っ張られて大変な目に遭ったのだ。
急いでいるのでなるべく魔法陣から離れたくなかった俺はその旨を告げたが、構わずに屋敷の連れ込もうとするので閉口した。ライルが来るのを待っている間、矢継ぎ早に話しかけてくる人々は迷惑以外の何物でもなく、困っていたところで紫黒が鎌首を上げて威嚇してくれた。友達はありがたいな。
共にいた紫黒に気が付いていなかった人々が驚いて離れた時、ちょうどライルが魔法陣から出てきたので、王族特有の笑顔を残して魔法陣に飛び乗った。まったく、困ったものだ。ポータルを監視する者でもいるのかな、とげんなりしたが、それが彼らの仕事だと言われればそれまでだ。とりあえず王宮に報告して対処を頼もう。帰りはいつになるかわからないからな。
そんなことを思いつつ、首に巻き付いている紫黒を軽く叩く。
「紫黒、重たい」
鎧のふりをしている紫黒がシャッ、と息を吐いた。
そう、なぜか紫黒は俺が王宮のポータルの魔法陣に乗ると同時に肩に飛び乗り、そのままずっと巻き付いているのだ。ナナト大河のほとりで会って、初めて一緒に街に入ったときと同じスタイル(首と肩の周りに収まってしっぽを咥えた蛇革ネックガード風)で、普段鎧など着ない魔術師の俺には正直ちょっと苦しい。
あの時のナナトは蛇を連れ歩くのが危険だったからそうしていたけど、こんな擬態みたいなことをしなくても問題なくポータルは使えるんだがなあ。実際、テイマーが相棒の大狼などとポータルをくぐるのは日常茶飯事だ。
巻きつかれた時にそう言ったが、紫黒はこのまま行くと言って譲らず、結局ここまでの5つのポータルすべてでこの状態でくぐった。
不満を口にすると、紫黒はフンと鼻を鳴らす。
『甘い! ヌシはナナトに来るとき、事故に遭っているのだろう? 我はどこにおっても独りで何とか出来るが、ヌシは無理ではないか』
確かに、あの時はドライアド様と妖精たちが助けてくれたからよかったものの、死んでもおかしくない状況だった。俺一人が死ぬのは構わないが、そのことでポータルの魔術師たちを始めにナナトの皆に迷惑かけるとこだったと思うとぞっとする。
『こうして一緒にいれば、何かあったときにワシと離れることも少なかろう。ヌシの兄や聖女たちからヌシを見守るよう頼まれておるからな。文句を言わずに運ぶがいい』
「……、よろしくお願いします」
そう言われると反論できない。というか、兄上やミラがそんなことをしてたんだ。なんだか嬉しい。
おとなしく頭を下げると、紫黒は満足げに尻尾の先で俺の鼻をピシッと弾いた。地味に痛かった。
そうしていると、シュッという音がして、魔法陣の上にライルが現れた。当たり前だがどこにも異常は見られない。
「あー、しんどかった!」
俺と同じように伸びたライルはぴょんと勢いよく魔法陣から出て俺のところにやってきた。
俺の肩をポンと叩き、続けて紫黒の尻尾と自分の右手を軽く合わせる。
「やっと着いたなあ」
ライルが笑っていると、ポータルの職員の一人がライルを見て寄ってきた。
「一昨日の騎士さんじゃないか。無事に王都に着けたんだな。よかったよかった」
「お、あの時の! その節は世話になったなあ」
ライルはポータル職員の近づくと親しげに会話を始めた。
「あのおっさんたちは無事に王都に着いたのかい?」
「おかげさまで。いやー、まじ大変だったよ。俺もポータル5つ梯子したのは初めてだったからへとへとになったけど、おっさんたちは2つ目からすでにへろってて愚痴ばっかりだし、王宮に着いた途端に倒れちまって、ほんとに参った」
「あちゃー。それは大変だったなあ。まあ、正直たまにいるよな、そういうおっさん。僕も仕事だから対応するけど、プライベートだったら置いてくかも」
「わかる。俺も仕事じゃなかったら3つ目のポータルに置いてたな」
「まあ、ポータルでの移動は見た目よりしんどいからわからなくもないんだけどね」
「だな。でも俺たちは騎士だからそれくらいでへたばってたら仕事にならん。おっさんたちのことは上に報告したから、また兵士に戻ると思う。最も、もう騎士になりたいとか言わないんじゃないかな」
「違いない。僕も騎士は無理だからね」
ライルは苦労して王都まで戻ってきたんだなあ。仕事が残っていたので仕方ないとはいえ、すぐに対応できなくて悪かった。
その後もライルはしばらく雑談をしていたので、俺はポータルの休憩室で癒し水を作って紫黒と飲んだ。試しにとドライアド様の花びらを小指の先よりも小さくちぎって使ったらものすごいいい水ができてびっくりだ。しかも大量にできたので急いで収納袋からありったけの瓶を出して詰めていく。それでも足りなくて小ぶりの樽に手を突っ込んでなんとか全部入れた。
『何してるんだ……』
慌てふためく俺を紫黒が生暖かい目で見ている。うう、いたたまれない。
それにしても、これは大事に使わないともったいないな。今は入れ物が余っていたからいいけど、できた水を地に吸わせるのはマズイ。そこだけ癒されて地質が変化するからなあ。
「お待たせ、ってなにしてんだ、ベル様……」
話し終えてやってきたライルは瓶と樽に囲まれた俺を見つけて呆れた声をあげた。
うん、まあ、俺もそう思う。
「せっかくだから、ポータル職員に少し置いていくよ」
ライルと話をしていた職員に樽を渡すと、近くにいた職員全員が歓声を上げた。
「おおっ、これがナナトで噂の『王子様の美味しい水』ですねっ!」
「これが本物かあ。ありがたや」
「現地でも品薄で手に入らないんですよー」
「それにナナトで売ってるのはエルファリア商会の水魔術師が作った模造品だもんね。嬉しいなあ」
「おおお、王子様の手で作った水……」
声を聞きつけた職員たちが続々とやってきて、嬉しそうに頭を下げながらささっと樽を引き上げていった。
喜んでくれて嬉しい、うん、嬉しいんだけどさ……。
「ベル様、『王子様の美味しい水』ってなんだ?」
「……、それは俺が聞きたい」
まあ、犯人はわかってるんだがな。
取り急ぎ瓶をカバンに詰め込んで、職員たちには別れを告げる。水を飲んだ職員が元気に手を振って見送ってくれた。喜んでもらえたし、良しとするか。
ポータルがある建物を出ると、眼下に広がる町が見えた。
ゼブラシアのポータルは街を見下ろす高台に設置されているらしい。まっすぐに伸びた少し急な坂道には夕暮れにもかかわらず小さな馬車が行き来している。きっと夜中になっても途切れないのだろう。基本的にポータルは丸一日稼働しているから、早朝でも深夜でも訪れる者はいる。
眼下の街は思っていたより大きかった。
坂道の先には背の高い壁があって、町をぐるりと取り囲んでいる。その先にある城砦は王宮には負けるが巨大で、領主の力を示しているように見えた。
「あそこがパスコー辺境伯の城砦かあ」
何度か誘われているが、まだ行ったことがなかったな。
この土地を治めるアルバート=ツィル=パスコーはライルの父で第一騎士団長のランダルフ=ツィル=バーバリアに負けない領地を持つ辺境伯。代々騎士の家に生まれたアルバートは三兄弟の長子で、家系には珍しい文官肌男だった。ぽっちゃりした体に優しい瞳をしたぱっと見人がいい紳士だ。
物腰が柔らかく、落ち着いた話し方をする、王宮でも人望がある男だが、正直俺は苦手だった。
ジャスの父、ジェロームは若い時に一緒に旅をしたことがあるそうで、今でも親しく付き合っているというが、エルファリア商会をコンフォートビター1の大商会にしたジェロームが『タヌキ爺』と呼ぶ相手なのだから推して知るべしというところだろう。
まあ、それくらいでなければ、国で一番危険とも言われるこの地域を平和に治めることなどできないのかもしれない。今回も勉強させてもらうくらいの気持ちで行けばいいだろう。
とはいえ、今回の最初の目的地はあそこではない。その後ろにそびえる山脈の中だ。挨拶に行く必要はあるが、今でなくても大丈夫。そう考えるとほっとする。王子としてはダメだが、今の俺は冒険者だからいいんだ、うん。もう一度言う、いいんだ。
「ここから町まで1時間ほど馬車に乗るんだけど、この時間だと乗り合い馬車はないなあ」
馬車の時刻表を見たライルが大きくため息をついた。馬車は5分ほど前に出発していた。
「俺が雑談してたばかりにごめん」
申し訳なさげに手を合わせるので、いいよと笑う。のんびりしていた点では俺も同罪だ。
俺はもう一度街を見下ろせる崖の上に立ち、夜に染まり始めた街を見た。ところどころ明かりがつき始めていて、とても綺麗だ。きっと真っ暗になったらたくさんの灯りが瞬くのだろう。星の海に似た風景を想像して口元が緩む。
「近くに見えるけど、歩くと遠そうだね」
「歩いたら4時間はかかると思う。地味にアップダウンがあるから」
「そかあ」
時刻表を見ると、次の乗合馬車までは2時間ほどあった。
「2時間くらいなら待合所で待てばいいさ。どうせ今日はこれ以上先には行けない」
話している間にもどんどん日は落ち、夜の闇がじんわりと周囲を覆っている。馬車を待って街に着いたときにはすっかり夜になっていることだろう。ポータルで宿の手配ができると聞いたが、その前に冒険者ギルドでいろいろと手続きをしたり情報を仕入れる必要がある。
「ライルを待ってる魔獣の情報はギルドにはないと思うんだけど、山で何が起こっているのかの手掛かりくらいあるかなと思って」
言うと、ライルは顎に手を当てたまま何度か頷いた。
「さっきの職員の話だと、最近は町から離れる冒険者が多いらしい」
聞けば、冒険者たちは揃って『こんな稼ぎが悪いと思わなかった』『働きに見合った稼ぎがない』『危険度の高い魔物から出る素材がしょぼくなった』と口にするそうだ。体を張って見返りが少ないのでは割に合わないと出ていくものが多くなるのは当然だろう。噂が流れているのか、以前より冒険者が低ランクになった気がするとも言っていたらしい。
「まあ、名を上げたいとかそういうのでなければ、高ランクになればなるほどレベル上げに魔物を倒すより稼ぎだよね」
「だが低ランク冒険者だと倒せない魔物も増えてるらしくてな。危険だから無理と逃げてく冒険者も増えたって話だぞ」
「うーん、困ったねえ」
山脈で何が起こっているのかはわからないが、面倒なことになりかけているのは事実のようだ。
「実は俺もドラゴンの巣が見つかったと聞いて素材を売って国庫に当てようと思ってたんだ。いい素材が取れないのは正直痛い」
はあ、と大きくため息をつくと、ライルは相変わらずだと言ってけらけら笑った。
「王子様が国庫のために狩りとか。ダメな国になってないか?」
「そうなんだよなあ」
国土からの収入ではなく、私財を投入しないと成り立たない国は、その時はよくても長い目で見たら破綻する。
王が兄上に変わっていろいろと改革はしているのだが、新しいことに嫌悪を示す輩や、古い血をやたらと誇りにしている貴族はまだ多い。国民の大部分は市井にいて兄上を支持してくれているのに、指示が広がらないために未だに恩恵を受けていない地域だってあるのだ。
まあ、その件を知った父上がなぜかミラを連れて各地に飛ぶことにしたようなので、少しは安定すると思いたい。領地からの税収が増えれば、道路や水路を整備したり学校を作ったりでき、国民に還元できると思っているからな。
「まあ、何するにしても金はかかるんだよ」
「うん、なんか王子が切ないことを呟いてるが無視してあげよう」
「いい友達だなあ、ライル。今回の報酬、国に還元してくれる?」
「いいよ。とりあえず町でたっぷり飲み食いしてやる」
稼いだお金を使えば店の収入になって結果的に金が回るか。さすがライル。
「飲み食いと聞いておなかが空いたよ。街に着いたらまずは腹ごしらえしようか」
そんな話をしながら馬車の待合所に向かおうと振り返ったとき。
『もおお! ベルちゃん、おっそい!!』
背後に小さな竜巻が湧き、大きな雷が落ちた。
読んでいただいてありがとうございます。




