やっと出発
翌朝は早くから窓をペチンペチンと叩く音で目覚めた。
時計を見ると、ベッドに入って5時間経っていた。もう少し寝たいところだが、執務中はいつも3時間くらいしか寝られないので十分かな。
窓を開けると、紫黒が飛び込んできて首に巻き付いた。最近はキュッと締め付けられることこそなくなったが、勢いづいて飛びつかれると衝撃に負ける。
そのままベッドに逆戻り、みたいな感じで紫黒と倒れ込んだ時、扉がノックされてミラが入ってきた。
「あらやだ、お取込み中?」
なぜか嬉しそうにニヤニヤ笑うミラ。変に絡まって身動き取れない俺をじっと見つめて尊いとか呟いている。相変わらず独自の感性だな。
「ミラ、ノックして返事来ないまま開けるのはやめたほうがいいよ」
「そうねえ。息子がイチャラブしてるのに悪いよね」
「違うって」
すっかり絡まってしまった紫黒が心外だと息を鳴らす。
「あ、ごめんなさい。不倫になるから妄想やめとく」
どんな妄想を、と言いたくなったけどミラのことだから俺にはわからない答えが返ってきそうと思ってやめた。
「冗談よ。ちょっと急いでたから、ベル君なら起きてるだろうって勝手に思って開けちゃったの。ごめんね」
ベコンと頭を下げたのち、ミラは今から城を立つのだと言った。
よく見るとミラはすっかり旅支度で、いつものドレスではなく足のところが分かれた女性用の長いズボンを着ている。たしかミラがデザインしたスカンツとかいう服だったな。動きやすいのにドレスのように見えると女性に人気が出ていると聞いた。枕の半分くらいの大きめカバンを斜めにかけていて、父上でも着られそうな大きめ上着を羽織っている。あのカバン、無限収納バックだっけ? あれもミラの発明品だったはず。ミラはそのほかにも便利な魔道具や生活品をたくさん提案して形にしていた。転生者がいると文明が進むってのは本当だなと実感する。
まあそれはともかくとして。
「いきなりだなあ」
昨日まではそんなこと話もしてなかったと思うんだけど。
そう言うと、ミラはちょっと頷いたのち、バッグから大きめの封書を取り出した。
「あ、それ?」
「うん、昨日のベル君の仕事だよね」
にっこりと笑うミラ。
「チャーリーがさ、なんか夜中からベル君の仕事のチェックし始めたらしくて」
「うわあ……」
たぶん昨夜頑張った仕事の書類のことだ。元王の検閲は、嫌だなあ……。
「それで、あちこちの領地でアーチー様の手が回ってなさそうなところがあるんだなって言いだしてね。ベル君一人じゃ無理だとか急に張り切りだして、さっさと身支度始めちゃったの」
「父上が?」
「うん。おかげでたたき起こされちゃったよぅ。なんだかんだで息子が可愛いとか、ツンデレ可愛い夫が辛い」
父上を可愛いと評するのはミラくらいのものだな。
苦笑していると、ミラは俺の隣に座り、くしゃっと髪を掻き混ぜた。
「ベル君、君のことだからね?」
「え?」
「可愛い息子のとこ。アーチー様もそうだけど、ベル君も可愛いんだよ、チャーリーは」
は? いやいや、そんなはずはない。
「それはないよ。父上は俺の仕事が中途半端で、任せてもこれしかできないんだって呆れてるんじゃないかなあ。だから自分の目で確かめに行くんじゃないか?」
ミラの気遣いは嬉しいけど事実を曲げるべきではない。そう思ってたしなめたつもりだったのだが、なぜかミラは大きく上を向いてため息を吐き、やっと体がほどけて膝に乗っていた紫黒には尻尾で顔をはたかれた。
「やれやれ、親の心子知らずだねえ。ねっ、紫黒っち」
『シャッ!』
鼻息も荒く紫黒が同意している。
紫黒っち? 愛称みたいだけど、いつの間にそんなに仲良くなったんだろ?
「まあいいか。こういうのは周りが入っても拗れるから本人同士解決させよう」
ミラはうんうんと頷くと、紫黒の鼻先をちょんと突き、立ち上がった。うんと伸びをし、くるりと振り返って上から俺を覗き込む姿勢になる。
「でもま、これだけは言っとこうかな。チャーリー、ベルの作った書類を見て『よくできてる。俺には無理だ』って言ってたよ。すごく嬉しそうだった」
「俺?」
「そこ食いつくか! チャーリーはね、私の前とか気が抜けたときは『俺』になるんだよ。萌えるでしょ?」
「父上に萌えることは一生ないと思うけど、そうなんだ」
「まあそれはそれとしてね。つまり気が抜けるほどびっくりして、感動したみたいなのよ。それで手が足りないところは自分が行って怒鳴りつけてくるって言い出してね。仕方ないからちょっと手綱握ってくることにしたってわけ」
腕が鳴るなーと呟くミラ。父上はいい伴侶を得たなとしみじみ思う。まあ俺にはミラを伴侶にするなんて度胸と勇気は欠片すらないが。
「というわけで、お芝居のネタを仕入れてくるわ」
さすがミラ。転んでもただで起きない。むしろ転んだ時の視点で利益になるものをちゃっかり持ち帰るんだからすごいよなあ。
じゃねっと手を振るミラを見て、聖女様の台本をいっぱい書いて第二王子シリーズはやめてくれと心から思う。多分顔に出ていたんだろう、ミラは意味ありげににっこりと笑って去っていった。
入れ替わりにやってきたライルがまだ夜着姿の俺を見て遅いと文句を言ったが、俺のせいじゃない。
いろいろあったのと、昨日の仕事に関しての報告に時間がかかったのとで、出発は昼過ぎになってしまった。
兄上と姉上、それにライルと紫黒とドライアド様というメンバーで食卓を囲む。
食事と言っても、執務中になることが多い昼食時は時間が取れないのでサンドイッチ程度の簡単なものだ。食卓も王と王妃と第二王子の食卓とは思えないほど小さな丸いテーブルで、椅子も町の職人に作らせた木枠の椅子。どちらも簡単にたたんでしまえる。これはずいぶん前に他国に来た転生者が伝えたものと言われている。
ドライアド様は水以外のものは取らないのだが、こうしてたまに加わっては、会話を楽しんでいた。
今日初めて加わったライルはいつになくカチコチに緊張している。兄上や姉上がいるときも緊張するみたいだけど、今日はドライアド様がいるのでなおさらみたいだな。
「で、またベルは出かけると?」
ドライアド様は持参の木製グラスに入れた水を飲むと、俺を見てしょんぼりした顔をした。ここ数日は毎日のように顔を合わせているので寂しいとまで言ってくれる。愛し子でもない俺をそこまで気にかけてくれるなんて、ありがたい話だ。
「はい。実は遅れているので、申し訳ないのですが食べたらすぐに出かけます」
「そうか。行先はゼブラシアだったな。気を付けて行くのだぞ」
そう言うと、ドライアド様は自らの頭の花飾りに手を伸ばし、花びらを一枚千切って俺にくれた。
「魔力切れでどうしようもなくなったら使うといい。今回はこれしかやらん。与えすぎると負担になるのだと知り、後悔したばかりだからな」
ふわりと手に乗せられたそれからはドライアド様の優しい香りがする。ありがたく礼を述べて受け取ると、姉上がまあと口を押えて驚きの声をあげた。
「名付け親様、それは少しとは言いませんわ。花びら一つでこの国のすべての国民に一年ほど魔力が行き渡ります」
「え、そうなのか?」
「もう。名付け親様らしいですわね」
ふふ、と笑う姉上とばつの悪い顔でこちらを見るドライアド様は愛し子と名付け親という関係のせいか何となく似ているがする。二人は花のような笑顔をこちらに向けながら、少しずつ千切り、癒し水を作るときに使うといいと教えてくれた。
「そうすると癒し水を作る魔力もいらなくなるし、なにより普通に作るより効果があるからな」
それはリックに飲ませたかったな。いや、飲ませたらもっと作れと言われそうだからいいか。ただでさえダシとか言われてる癒し水がもっと美味しくなったら極上ダシとか言いそうだ。
「ありがとうございます。ゼブラシア山脈のある地方は厳しい環境だと聞いていますので、さっそく作ってみますね」
俺はミラにもらった無限収納バックから布の袋を取り出し、花びらを入れて大事にしまった。
食後はすぐに王宮のポータルに向かった。
そこで一つ問題が浮上する。
王宮のポータルは他と違って特別なので、こちらから飛ぶときは登録していないと使えないのだ。もちろん、王宮外のポータルから王宮のポータルに来るときも同じ。登録していない者はポータルからやんわりと弾かれて外に落ちる。
ここまでどうやってきているかはわからないが、紫黒はポータルに登録されていないから、ここのポータルは使えないんだった。
仕方ない、少し時間はかかるけど城下にある民間のポータルに向かうか。
そうと思っていると、紫黒がひょいっとポータルの魔法陣に飛び乗った。
同時に魔法陣が小さな音を立てて動き出す。
「えええっ!?」
驚いていると、紫黒はニヤリと笑って尻尾を床に打ち付けた。
いつの間にやったのか、紫黒は王宮のポータルに登録されていたようだ。
ぽかんと口を開けていると、得意げに頭を持ち上げる紫黒がひょんと飛んでこちらに戻り、隣にいた兄上の掲げた手のひらに尻尾の先をパツンと当てた。ハイタッチみたいなものらしい。これまたいつの間にこんなに意気投合してたんだろ?
「ふふふ、甘いな、弟よ! 兄様のすごさを思い知ったか!」
わざわざ見送りに来てくれていた兄上は、紫黒がポータルの光に弾かれないことに驚いた俺を見て笑い、いたずらが成功したと言う顔でニヤリと笑った。
「こんなこともあろうかと、紫黒殿が王宮に来て俺の部屋まで訪ねてきたときに登録しておいたのだ。紫黒殿もナナトからもすぐに来られてよかったろ?」
『シャッ!!』
なるほど、それで紫黒はちょくちょく月白さんのところに戻ってたのか。早いのは修行の一環だとばかり思ってたよ。
それにしても、さすがは兄上。そろそろ出かけたいと思っていたのはバレていたのか……。
だってほら、ナナトの街の復興資金とかいろいろで国庫が心配だったし……。
ゼブラシアの件は予想外だったけど、冒険者ギルドの討伐依頼を受託してお金を稼ぎたいと思ってたんだよね。渡りに船とか思ったなんて、冒険者ベルとしては言えても第二王子ベルグリフだと言えないしさ。
でもおかげで助かる。紫黒が王宮のポータルを使えたら色々助けてもらえそうだし、なにより友達にすぐ会いに行けるのは素直に嬉しい。
「兄上、気を遣ってくれてありがとう。嬉しい」
満面の笑みで礼を言うと、兄上はエヘンと言って胸を反らした。
「感謝の気持ちがあるなら、今度から俺のことを『アーチー兄さん』と呼ぶのだ。いいな!?」
「え、それはちょっと……」
いくら弟とはいえ、陛下を兄さんと呼ぶのは問題があると思うんだけどな。
そう思って断ったら、兄上はあからさまにショックを受けた顔になり、ぐらりとよろけて膝をつく。何もそこまでしなくても……。
というかなんでいきなり、と首を傾げていたら、一緒に来ていた姉上が呆れた顔で笑った。
「アーチー様、ベル様が困ってますわ。そんなところでグリム様と対抗しなくても」
「う、だって、だって……」
なるほど。先日グリム兄さんが来ていたからか。昔から兄上はグリム兄さんと変なところで張り合うよな。どっちも大好きで大切なかけがえのない兄様なのに。
「王宮で第二王子の俺がそんな呼び方をしたら、反対派の貴族たちになんて言われるかわからないので困るよ。今も面倒なのが残ってるって知ってるよ。それにわざと残してるって言ってたじゃない」
「あ、うう、そうだよなあ……」
兄上はしょんぼりと肩を落とす。
「なんてね」
俺は先ほどの兄上と同じ顔でニヤリと笑った後、俺より高い位置にある広い肩に腕を回して抱き着き、耳元で囁いた。
「今は冒険者のベルだからいいよね。行ってきます。アーチー兄さん」
「!!!!」
「兄さんが喜びそうなお土産を持って帰れるよう頑張るよ。紫黒のこと、ありがと。どこにいても愛してる」
一度ぎゅっと抱き着いた後、ライルと紫黒と一緒にポータルの魔法陣に乗り、手を振る。
「それじゃあ、行ってきます。姉上、兄上を頼みました!」
「承りましたわ。よい旅を、ベル様」
こうして、ものすごくいい笑顔で手を振る兄上と、くすくす笑いながら小さく手を振る姉上に見送られて、俺たちは王宮を後にした。
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