ミランダ 3
夏も終わると、アーチボルト様は大変お元気になられました。
うん、もうね、丁寧語で言いたくなるくらい、お元気に。
狭い部屋が暑苦しくなるほど筋トレするのはいかがなのかと思うけど、きっといろいろ発散してるのね。王子とはいえ男の子だもんね。
生暖かい目で見ていると、いつも一緒にここに来るベルグリフ様は苦笑する。
そんな生活に変化が訪れたのは10月。学園祭が終わって2週間が過ぎた日だった。
いつものように神殿に行くと、神官たちがざわめいていた。神官長ノウア様のところに通っていることになっている私はすっかり皆様と顔なじみだったので、挨拶がてら何があったのか聞く。
「陛下が突然やってきたんだ」
なるほど。それは大変だわ。
さらに詳しく聞くと、王宮内の神殿とはいえ、何かの儀式の時くらいしか陛下はここに来ないらしい。信心深い王だった時は週2で来ていたという話もあるけど、今はそんなことはないのでのんびりとした職場なのだそうだ。
「突然ってところが大変なのですね」
「そうなんだよ。神官長様は顔に出さないけど相当あたふたしてるよ。さっき帽子が逆だった」
なにその萌えポイント。見たい!
「というわけで、神官長はお忙しいから魔法の勉強は難しいね」
「そうですね。それでは今日は失礼します。情報、ありがとうございました」
にっこり笑うと、神官様は赤くなってくれた。ふふ、いい反応だわ。スマイル0円、プライスレス。
もちろん、帰るつもりなどさらさらない。帰宅するふりをし、隙を見て隠し通路に入る。万が一のためにと教えてもらっててよかった。
こっそりこっそりと歩き、ノウア様のお部屋の裏口の扉に貼りつく。
「話はベルグリフから聞いている」
部屋の中から知らない男性の声がした。
おおっ、これはいいバリトンボイス。お耳の栄養だわ~。
「ずっと我を謀っていたのか、ノウアよ?」
「それは違います。陛下」
王、なるほど、この声の主がアーチボルト様とベルグリフ様の父親ってわけね。いい声なのも合点がいく。ほぼ間違いなくイケメンだわ。
「ただ、私は思ったのです。あんなに小さな子供が一人で必死になって助けを求めてきた。命の危険があるだろうに、自分を顧みず兄を助けたい、その気持ちだけでボロボロになりながらここまで来たのです。無事にたどり着いたのは神の意思でしょう。神官長である私が神の意志に逆らうことはできない、と」
「その神の意志を我に伝えるべきではなかった、と言うのだな?」
「……、はい」
「なぜだ?」
「陛下に伝えれば、アーチボルト様は確実に、ベルグリフ様は8割くらいの確率で、命を落とすのがわかっておりました故」
沈黙が落ちる。
私は先日王家の歴史という授業で習ったのを思い出していた。
たしか、神官長は神の代弁者として王と同程度の権力を有していたはず。政治と宗教を分離してそれぞれの役割を果たしているのは前世と変わらないなと思って聞いてたから憶えている。過去、それで政治が乱れたことがないと聞いてすごいなあと思ったのよね。
その神官長のところに直接陛下がやってきた。
部分的な言葉から推測すると、ベルグリフ様が陛下にアーチボルト様のことを伝えたみたい。そういえば昨日すごく落ち込んでいたけど、これが関係してたのかな?
「とにかく、ちゃんと確認したい。アーチボルトのところに」
「こんなところで何してるんだい?」
突然背後から肩を叩かれて、口から変な息が漏れた。
振り返ると、ベルグリフ様が小首をかしげて私を見ている。
こ、この王子、間が悪すぎやろ!!
ため息ついていると、扉が勢い良く開いた。
「誰だ!?」
こちらまた知らない男性。多分護衛騎士様。凛々しくていい男だけど今はそんな場合じゃないわね。
「すみません、私でした」
私は肩をすくめて「テヘ」と舌を出した。
その後、私達はアーチボルト様の病室に向かった。
「そなたが噂の令嬢か?」
金髪のナイスミドルが声をかけてくる。若いときはアーチボルト様にそっくりだったんだろうなと思わせる風貌に、年齢による渋みが加わって、顔だけならもろ好みだわ。イケメン王様イイネ!ベルグリフ様と同じくらいの身長で、さほど見上げなくてよいのもありがたい。
この人が王様なのねえとしみじみ見つめていたものだから、顔が赤くなってしまった。
しかしすぐに姿勢を整え、やっと身についてきたカーテシーをする。
「失礼いたしました。お初にお目にかかります。ミランダ=フールーでございます、陛下」
「かしこまらなくてよい。ここにあるのはそなたの馴染んだ目だけであろう?」
ま、言われたらそうなんだけど。
正直なところ、私はこの王があまり好きではない。直接会ったことがない人を嫌うのは心苦しいのだけど、会ったこともないアイドルのことをなんとなくいけ好かないと思うのと同じだ。
政治面では申し分ない、と聞いている。この王になって隣国との関係が改善されたし、外交もしっかりやっているそうだ。一年に二回は道路など公共施設の整備もしているとか。名君とまではいかずともいい王様であることは間違いない。
だけど、実生活はいい話を聞かない。いわゆる『仕事ばかりして家庭を顧みない男』の典型だと思う。
前世の職場では管理職に多いタイプだったなあ。朝は6時に出勤して帰るのは午前様とかそういうのが当たり前の職場だったから仕方ないったら仕方ないのかもだけど、なんというか、複雑。働き方改革って難しいよね。
会社員でそれなんだから、王様は24時間いろんなものと戦ってるんだろう。それ考えると同情の余地がないわけじゃないのだけど、ベルグリフ様やアーチボルト様の今を見ると何とも言えない。
アーチボルト様の襲撃の際、負傷したセリア様を辺境に返してそれきり何もしていないとも聞く。
辺境まで距離もあるし百歩譲って仕方ないとして、ベリンダ正妃殿下が開く夜会でいろいろと問題が起きても無視しているのはいかがなものだろうか? 奥さんの手綱くらいちゃんと握っててほしいわ。
まあこんないろいろあげたけど、一番腹立つのは『ベルグリフ様をこんな性格にしてしまった』こと。
もちろんそんなことは言わない。
「恐れ入ります」
にっこり微笑んで頭を下げると、背後でベルグリフ様が吹き出したのが聞こえた。
あとで殴ろうと思う。
その後のことはあまり知らない。
親子の感動の対面の時はノウア様と外で待っていたし、アーチボルト殿下の治療後はすぐに外に出されてしまった。まさかここでずっと待ってろと、と思っていたらノウア様のお部屋で待つように指示される。送ってもらえたからよかったのだけど、どうしたらと困ったわ。
誰かに会ったら神官長から連絡が来て自習していなさいと言われたと言いなさい、そういって神官長は戻っていった。
ただ待つ時間は長い。
ノウア様の表情が微妙だったのと、ベルグリフ様がこわばっていたのが心配だった。
しばらくして、ノウア様が陛下とベルグリフ様を連れて戻ってきた。
陛下ははっきりとにやけている。アーチボルト殿下との対面はよほど嬉しかったのね。
ただ、そのにやけ面が意味もなく腹立たしい。ご機嫌で去っていく陛下をカーテシーで見送ったのち、私は大きなため息を吐いた。
「大丈夫?」
神殿から出て学院に向かう際、思い切って聞いてみた。
ベルグリフ様はしばらく無言だった。気づかなかったらしい。
可愛く服の裾をつまんだけど無視されたので、ジャンプして後頭部をひっぱたいた。最近はこんな感じで全然王子様扱いしない私である。
「うん、大丈夫、だと思う。ちょっといろいろあったからね」
「これから先のこと?」
「うん」
まだ本決まりじゃない、とたどたどしく、呟くように話す。半分くらいしか聞こえなかったので、途中でぶった切ることにした。どうせ詳しく聞く日も来るだろう。
「もちろん私は手伝うよ。なにしたらいい?」
「手伝い?」
ベルグリフ様は私の問いにきょとんとした顔をした。
あれ、これは、ひょっとして……。
「全部一人でやるつもりだった?」
ギクリ、という音が聞こえたような気がした。
私が怒鳴って泣いたあの日から、ベルグリフ様は時折子供のような顔をする。私に対する壁が低くなっているみたいで、可愛いじゃないか、と嬉しくなる。
私はうつむくベルグリフ様の鼻を人差し指で弾いた。
「あのね。企画は一人でやれると思うの。だけどそれを実行するときは、絶対に誰かの手がいるのよ」
「うっ」
「たとえば、話しているときに誰かに出てきてほしいとするじゃない? その誰かは誰が呼びに行くの? 待ってるにしても場に入るタイミングは誰が出すの? 何かあった時に独りで身を守れるの?」
「ううっ」
「というわけで、手伝うわよ。そんな人は私以外にも少なくとも三人心当たりがあります」
サイラス様、ライル様、ジャスティン様の名をあげる。
ベルグリフ様は露骨に顔をしかめた。
「その三人は……」
「信用できない?」
「……」
お、葛藤している。
私はちょっと彼らが気の毒になった。ベルグリフ様がいないときは四人でいろいろと話をする。婚約者がいないので実に気楽にしゃべれる三人は、それぞれの想いでベルグリフ様を心配していた。
「あの方は、なんか、ほっとけないというか……」
「そうだよね。一人で何でもできちゃうから手はいらないのかと思うけど、実は一人で全部抱え込んでるだけだと思う」
「少しは俺たちを頼ってくれと思うな」
ほっとけないは私も言われたんだけど、同じくくりではないと信じたい。
まあそんな話題が出るほど仲良くなった私達とベルグリフ様にはちょっとだけ隔たりがある気はしてた。
彼らは高位貴族だし、家のことを考えるならば、一口乗るのは難しいかもしれない。
ベルグリフ様は貴族が苦手なのか、自分から進んで交流を持とうとしてないのはわかってた。学院でもあれだけ人気があるのに友達は少ないみたいだし。いろいろな人と話しているのは見るし、楽しそうだなと思うけれど、どこか線引いている気がするのよね。
「ミラの言う通りだ。俺は、あの三人を心から信じきれない」
悲しそうな顔で、ベルグリフ様は言った。
「俺のせいで人が傷つくのをたくさん見てきた。正直、ミラとこうしているのも本当にいいのかと悩んでる。毎日鉢植えが降ってくる生活なんておかしいだろ? たくさん迷惑かけてると思ってる。ごめん」
たしかに、毎日鉢植え生活はおかしいよね……。
「でもそれはベルグリフ様のせいじゃないからね。自惚れんな」
「うっ」
「ベルグリフ様といるから嫌がらせされてるわけじゃない。それは理由の一つかもしれないけど、一番の理由はわからない。それをする人の心にあって、他人の私は推測するしかできないもの。なんでも自分のせいって思うのは、ちょいナルシストよね」
「ううっっ」
「ま、人を信じられないってのはわかるよ。私もそうだったときある。ここまで達するには20年早い!これからの自分に期待なさい」
「……、はい」
というわけで、私は生徒会の三人にも打ち明けることを約束させた。あの三人ならきっと何とかしてくれる、私はそう信じている。
「大丈夫! 彼らの黒歴史はしっかり握ってるから、絶対裏切らせないわよ!」
嬉しそうに言うと、ベルグリフ様は頭を抱えたのだった。
そして年越しパーティの日。
計画は無事に終わった。
「ええ話や」
目の前で繰り広げられる兄弟の熱い抱擁に、私は涙を抑えられなかった。
いろいろあったけど、よかったー。
ほんと、大変だったけど、よかったあ。
今後もきっと大変だろうけど、とりあえず今は泣いておこう。
涙を拭きながらバルコニーに移動する。
冷たい風が心地よかった。久しぶりのコルセットでのぼせそうだったからちょうどいい。
手すりにもたれてぼーっとする。
いろいろあったけど、収まるところに収まった感じ。よかったなあ。
「そろそろ年明けですよ」
給仕の男の子がワイングラスをくれた。淡いピンクのワインはアーチボルト様とアナスタシア様の真っ赤な顔みたいでなんだか微笑ましい。いい選択だわ。
しばらくするとカウントダウンがあり、年が明けたようだ。
「あけましておめでとう」
私は一人、前世の新年のあいさつとともにワインを飲み干した。
誰とも乾杯しなかったけど、いいのだ。
今は一人でいたい、そういうときがあってもいいよね。
と、思ったとき、ふと気づいたことがあった。
「……、結局、誰も攻略できてない」
今宵はここまでにしとうございます。
読んでいただいてありがとうございます。
ミランダの暴走が続くのでいったん〆ました。彼女の色々は閑話で書きたいと思います。
過去話はこれで終了です。次回からは新しい話に入ります。