5 アナスタシア
ベル様がナナトから戻られてもうすぐ1か月になります。
仕事が回らなくなってきた、と涙目になっている執務室の方々と共にお仕事をさせていただく日々に未だ慣れず、今でも苦労しております。何でもないようにこなしていたベル様は本当にすごい方です。
そんなベル様をわたくしたち家族だけでなく、ミラ様を始めとするお友達がお見舞いに伺っております。
お友達の中にはドライアド様や暫定的に大河の主となった泣き女様、ナナト大河に棲む蛇の紫黒様と月白様のご夫婦、神の樹の森の妖精たちなど、人ではない方々もいて驚きです。
特に、ドライアド様と泣き女様はほぼ毎日のようにいらして、わたくしの部屋でお茶を嗜んでお帰りになります。毎日名付け親様に会えるわたくしはとても幸せですが、ベル様の容態はそれほど良くないのだろうかと、とても心配です。
「ああ、そうじゃない」
聞くと、ドライアド様はいつも困った顔で微笑まれ、泣き女様とお顔を見合わせます。
「オレが心配で来てるだけだ。つい手を出してしまったのはオレだからな」
そう言うと、ドライアド様は少し寂しそうに微笑まれました。
「結果的にたくさん手を貸すことにはなったんだが、ベルはオレに助けを求めなかった。体が心配だからとかそう言うのではなくな、根本的に他人の力を求めようと思わなかったのだろう。手を貸すと何度も「すみません」と困った顔で笑っていた。それが可愛くて、オレにしては全然使った気がしないほどわずかな力を与えていたら、危うく殺すところだと知って焦った」
ほう、とため息を吐く。
「それを言うならワレとて同じだ。月が綺麗だなどと可愛いことを言う子が愛しくて、つい手を出しすぎた。そのせいで彩の国では嫌われたと言うのにな」
泣き女様も肩を落としております。
そういえば、古き世に傾国の美姫と呼ばれた聖女がいて、その聖女を手に入れようと王族を始めとする高位貴族がもめ、国が乱れたと、書物で読みました。美姫の隣には美しい女性の精霊が付き従っていたとありましたが、それが泣き女様だそうで驚きです。
書物にありました聖女は鮮やかな桃色の髪に赤い目だったそうです。瞳の色は違いますが、ミラ様と髪の色が一緒だそうで、泣き女様が懐かしそうにミラ様を見ていたのを思い出します。わたくしがこの世から去ったのち、ドライアド様も同じようにわたくしのことを思い出してくれるかしらと思うとなんだか切ないですね。
「ベル様は隠し事がお好きですから。わたくしもそれで悲しい思いをしたことがございます」
だけど、その隠し事は『相手のために』することが多くて、こちらから抗議の一つもできないのがまた辛いのです。
「それでも、わたくしはベル様がとても好きですわ。婚約者であったときよりも、今のほうがずっと好ましいです」
もちろん家族として、ですが。
「奇遇だな。オレも会ったときより今のベルをより愛しく思う」
ドライアド様がにこりと微笑みました。
「ワレは出会いし時と同じくらい愛らしく思っているぞ」
泣き女様も名前に似合わぬ素敵な笑顔でおっしゃいました。
そして、早くベル様がよくなることを祈りつつ、わたくしたちは顔を見合わせて微笑み、お茶を楽しむのです。
3日後、彩の国から再び大使様がお見えになりました。
彩の国の大使様はアーチー様の従兄だそうですが、血のつながりはベル様にある方です。
大使であるグリム様は今は亡きベリンダの弟君、グレイアム様の第二子です。ウエイルの血を嫌って彩の国に亡命したグレイアム様は彼の国で頭角を現し、現在も外交官として働いています。チャールズ陛下からアーチー様に代替わりした際、グレイアム様は息子二人を伴ってお祝いに来てくださいました。
その時から我が国と彩の国を結ぶパイプ役になってくださっているのが、グリム様でした。
ベル様とグリム様は幼少のみぎりからとても親しい間柄で、アーチー様の戴冠式でお会いした際には抱き合っておられたのを思い出します。アーチー様が王座から歯噛みするほど、親しく微笑み合っておられたのが印象的です。
そんなグリム様ですが、先日、ベル様が不在の時にいらした際は別人のように険悪な雰囲気を醸し出しておりました。
食事会の際、わたくしも同席したのですが、アーチー様とはお小さい頃から親しくないようです。国交のための話をしただけで、すぐにご帰還なさってしまいました。
そのようなわけですので、正直なところ、お会いするのは少し勇気がいります。
わたくしの顔を見、手の甲にキスしてくださるのですが、目は笑っていないのがわかるのです。その目はまるでベル様を裏切った女と語っているようでした。誤解、と言い切れない自分が情けないです。事実、婚約していた時はベル様との結婚には義務しか感じておりませんでしたから。
そんなグリム様ですが、ベル様が王宮に戻っていると聞いた際には満面の笑みを浮かべていました。
すぐに面会を求められ、アーチー様がご多忙のためわたくしが付き添ってベル様のお部屋に伺いました。
ベル様はようやくベッドから離れる許可が出ましたが、まだお部屋からは出るほどではありません。それでも多くの方がお見舞いに来るので、体を休める時間を取るように侍女たちが目を配っていました。
ただ、それはあくまでも人に限るようで、今日は大きな黒い蛇がベル様の膝に乗っております。
申し訳ないのですが、わたくし、蛇は苦手でして……。
「あ、姉上! ごめん、紫黒、ちょっと出てて」
ふらりと倒れそうになり、グリム様に支えていただきました。
ささっと窓から出ていった大蛇はナナトでベル様の助けとなってくれた恩人(恩蛇?)と聞いていますので心苦しいのですが、こればかりはいかんともしがたくて辛いです。
王妃なのですから、苦手な方々にも毅然とした態度で臨まなくてはならないのに、と悲しくなります。
「ごめんなさい。わたくしが未熟なばかりに、恩のある方を不快にさせてしまいますね」
肩を落とすわたくしをベル様はいつも慰めてくれるのです。
「紫黒はこの程度じゃ怒らないから大丈夫。それに、別に蛇が嫌いでも問題ないよ。ナナト様も苦手だって言ってた」
「ナナト様はナナトの街の守り神さまでしたね」
「正確には違うらしいんだけどね。でもナナト様は眷属が蛇だけど蛇は苦手なんだ。それでも蛇たちの厚意は受けていたし、自分も受け入れようと努力はしてた。結局うまくいかなかったけど、そういう努力が大事なんだなって教えてもらった。俺もナナト様を見習いたい」
「わたくしもです……」
でもやはり蛇を見ると背筋が寒くなってしまいます。ナナト様のように心を受け取れる方になりたいですね。
「ベルは相変わらずですね」
わたくしの隣にいたグリム様がくすくす笑いながらベル様の枕元に行きました。
グリム様が王宮に滞在していることはサイラスが伝えたと聞きましたが、面会は初めてです。わたくしと並ぶ殿方がグリム様だと理解したベル様は目を大きくし、花が咲くような笑みを浮かべました。
「座っても?」
「もちろん。久しぶりだね、グリム兄さん」
嬉しそうに微笑むベル様を見るグリム様の笑顔はとても優しくて驚きます。アーチー様とわたくしには決して向けられないリラックスしたお顔です。
「姉上もこちらに。女性を立たせっぱなしでごめんね」
「大丈夫ですわ。いつもお気遣いありがとうございます」
招かれてベル様の側に行くと、グリム様が立ち上がって椅子を勧めてくれました。
椅子はまだあるからと辞退しようとしましたら、グリム様はベル様のベッドのすぐそばに膝をつき、ベッドの上に腕を載せてそこに顎を置いてにこりと笑います。
「彩の国の大使様が床に膝なんかついていいの?」
「ベルが姉君を大事にしているのだから、私も倣います。それにこのほうがベルを近くで見れますしね」
「相変わらず優しいな、グリム兄さんは」
ふふ、と笑いあう二人はまるで兄弟のようでした。王族ではないので瞳の色は違いますが、ウエイルの血が濃いのか、グリム様はベル様と髪の色が同じです。さらに親御様が姉弟だからか、顔つきも何となく似ています。
幼いころから親しいせいか、アーチー様は『兄上』とお呼びしているのに、グリム様は『兄さん』で、少し驚きました。
仲睦まじいお二人を見ていると、なんとなく、アーチー様が嫉妬するのもわかる気がしました。アーチー様は精悍で太陽神のような方ですが、こちらの二人は月や星に愛されるような繊細な美しさを感じさせるのです。
「そうそう、私ね、彩の国では別の名があるのですよ。アーチーボルト陛下にはそちらで呼んでいただいてます」
「へえ! いいなあ。なんて名前?」
グリム様はベル様の書き物机に会ったメモとペンを取り、カリカリと何か書きました。
「『緑夢』と書いて『ぐりぃむ』と読みます。グリムを彩の国の文字にすると緑の夢と書くのですよ」
「へえ。音は同じなんだね」
「発音が少し違うんですよ。そちらの王妃殿下は私を古い名で呼びますけどね」
さりげなく落とされた気がいたしますが、事実なので仕方ありません。
眉尻を下げると、ベル様は苦笑してわたくしの手を握りました。
「ごめんね、姉上。グリム兄様は少し口が悪いんだ。悪気はないんだよ」
アーチー様とのやり取りを見ていたわたくしは『少し』ではないし、悪気は十分に含まれていると知っていましたが、曖昧に微笑んで済ませました。
それからしばらく、わたくしはグリム様とベル様の会話に口を挟まず、椅子に座って見守っておりました。
ベル様の話にいちいち驚くグリム様がなんだか新鮮で微笑ましいです。うっかり笑いそうになったら冷たく睨まれてしまいましたので窓の外に目を向けてごまかしましたが、ベル様には気づかれてしまいましたね。
「ベルが冒険者をしているだけでも寿命が縮んでいると言うのに……」
話を聞き終えたグリム様は、大きくため息を吐き、ベル様の腿に額を押し当てました。子どもがするようにグリグリと押し付けてベル様を困らせています。その仕草はアーチー様がわたくしにするものに似ていて、従兄なんだなとしみじみしました。
「まあでも、おかげで私の仕事が一つ片付きましたがね」
そう言って、グリム様はこの国に来た訳をベル様に話しました。
グリム様がアーチー様に話したこの国に来た理由は『先日再開した織物の税率の話』がメインだったのですが、ベル様に話しているものは全く違っていて驚きです。
「え、じゃあ、グリム兄さんは泣き女のことでこの国に来てたの?」
「ええ。二年ほど前からふっつりと姿を消したと聞き、探していたのです」
グリム様のお話では、彩の国では過去の悲劇を再び起こさないように、泣き女の居場所は常に把握するように努めているそうです。
これはコンフォートビター王国では知られていないことで、王妃であるわたくしが耳にしていいものか悩んでおりますと、ベル様が苦笑して、グリム様の口に人差し指を当てました。
「姉上が困っているよ、グリム兄さん」
「国政には関係ありませんし、聞かれて困ることじゃありませんよ。それに、父も問われなかったから答えないだけでしょう」
「そうなんだ」
「まあ、もし叱責されても問題ありません。ベルのおかげで泣き女はしばらく大河の主なのでしょう? 移動することもなくなりますし、我が国に関わることもなさそうです」
微笑みながら、ベル様の頭を撫でるグリム様。
「それに、アナスタシア様は神の大樹の精霊の愛し子。私ごときが多少口を滑らせたところで、何かするとは思いません」
アーチー様に言ったら〆る、と言うことですわね、わかります。
苦笑していると、ベル様はグリム様の額を指で弾きました。
「姉上をいじめたらだめだよ。それに、この話は兄上にも内緒にはできないでしょう?」
「いじめるなんて人聞きの悪い。まあでも、王妃様と王様が情報共有できないのはよくありませんね。どこまで知らせるかは任せますよ」
「またそう言う意地悪な言い方して」
ぺちん、と額を叩かれても微笑まれているグリム様ですが、わたくしに向ける目は冷ややかでした。
「そうだ。なんなら泣き女に会っていけばいいよ。たしか毎日姉上のところでお茶してるよね?」
「え、ええ」
「それは辞退します」
グリム様はわたくしの返事を待たずに拒否いたしました。彩の国の者として、災厄を招くと言われる精霊と会うのはよろしくないのかと思っておりましたら。
「その時間があるならベルと話したいので」
こう続いたので思わず吹き出してしまいました。
そういえば以前、アーチー様にグリム様の人となりを聞いたとき、こんな返事をいただきましたっけ。
「奴はベルが大好きなんだ。……、うん、そりゃあもう大好きなんだ。いろいろ屈折して、俺に対して腹を立てるくらいにな」
実はグリム様のご一家が彩の国に亡命する際、まだ幼子だったベル様を連れ出そうとして失敗してしまいました。アーチー様とほぼ同じ時期に生まれたお子なので、過度の期待を背負わされるのが目に見えているから、何としても救い出したかったのだとか。
しかし、そのせいでベル様はウエイルの実家に囲われるようになり、虐待を受けてしまったのだそうです。
それをグリム様のご一家はずっと気に病んでいるのだろう、とアーチー様は言いました。
「まあ、過去のことは仕方ないんで俺も何も言えないんだがな。奴はベルが自分の弟になっていたらと、すっと俺を恨んでる」
「そんな……」
「ま、ベルの兄は俺だけだからな。どれだけ羨んでも事実だから仕方ない。毎回そう言って自慢してやってる。はっはっは」
こういう時どう返したらいいんでしょうね。
その後もしばらく、ベル様とグリム様はお話を楽しんでおりましたが、執務室のジョシュアがベル様に用事があると部屋を訪れたことでお開きとなりました。
先にわたくしに話してくれたところによると、ゼブラシア山脈にいる第三騎士団がベル様にどうしても来てもらわなくてはならない案件があるとのことでした。
「ゼブラシア山脈と言えば」
ベル様のベッドに腰掛けていたグリム様が顎に人差し指を当ててわたくしを見ました。
「聞こえてしまいました。申し訳ありません」
「グリム兄さんったら」
「構いませんわ。なにかありまして?」
のらりくらりとアーチー様の話をかわすグリム様が珍しく情報をくださるようです。
「私の国にいた幻獣をゼブラシア山脈の近くで見たと言う話がありました。麒麟という、大きな鹿に似た獣です。基本的に穏やかで人の言葉を解しますが、人目につくのを嫌いますので見られたこと自体が本当かはわからないのですが、ここ数年、国にいた形跡がありませんのでこちらも泣き女と同じく探しているのですよ」
「そうなんだ。いないと問題があったりするの?」
ベル様の問いに、グリム様は困った顔で眉を下げました。
「泣き女の鳴き声のように直接的な問題はないのですけどね。いなくなると国が傾くと言われているのです。詳細は不明なのですが、最近魔獣の類が多く出るのはそのせいではないかと言われていて、私たち大使も外国に行った際は情報を得るように言われています」
「そっかあ」
「ベルも何かわかったら教えてくださいね」
それでは、と言って立ち上がったグリム様はわたくしを残して一人で部屋を出てしまいました。
ジョシュアと執務室に戻るでしょうと微笑まれましたが、たぶんそれだけではないでしょうね。
正直、グリム様といると気が張ってしまいますので、パタンと扉が閉まったときにため息をついてしまったのは仕方がないと思います。
それを見たベル様は苦笑し、ごめんねと頭を下げました。謝らせてしまって申し訳なく、わたくしも頭下げましたら、うっかりと肩に頭をぶつけてしまい、とてもいたたまれない気持ちになりました。
そんなわたくしを見て、ジョシュアはにやにやと笑っています。
「そうそう、この話を持ってきたのはライル様ですよ。先ほど無事に戻ってきました。すぐにお会いしますか?」
「それは嬉しいな。兄上との話が終わって、仕事が済んだら会いに来てと伝えてくれる?」
「承りました」
ベル様とのご学友であるライルは、ゼブラシア山脈の近くでドラゴンの巣が見つかったため、100キロ行軍訓練をしている第三騎士団に調査させるよう連絡係として派遣されていたと記憶しています。たしか、ベル様がナナトに行く少し前の話ですわね。
なんとなくですが、ベル様が大変なことに巻き込まれる予感がして、ふるりと体が震えました。
読んでいただいてありがとうございます。
あれ、おかしいな、友達のライルがまだ出てこないよ……。
今回はすごく前のほうに出ていた彩の国の大使を出したくて書いた閑話でした。グリム兄さん、設定した時からお気に入りなのですが、本編では機会がなくてなかなか出せません。




