3 サイラス
夕食前の仕事の合間にベル様の寝室を見舞うと、なぜかミラがベル様の枕元に顔を埋めて悶えていた。
魔法の使い過ぎで倒れたのかと、青くなって飛び込んだら、ものすごい勢いで笑い出したミラ。チャールズ陛下、もとい、チャールズ様と結婚して少しは落ち着いたかと思っていたが、年を重ねるごとにパワフルになっている。まあ、年は私と同じだし、聖女が元気なのは好ましいが、病人の側ではまずかろう。
ふくれっ面のベル様の横で、ミラは腹を抱えて笑いながら、涙をぬぐっている。
「で、壁ドンされて、顎クイされて、くっ殺したと! 裏切らないな、もう!」
相変わらず何を言っているのかわからないが、ベル様も同じようなので問題はなさそうだ。
「さらに筋肉系アニキ騎士に背面抱っこされてキスマーク、イケオジ大蛇に歯型って!? もう、さすがベル君! おなかいっぱいだよ!」
「ちょっ、それ捏造だからね!」
ベッドの上、たくさんのクッションに埋もれるように座っているベル様は顔を赤くして反論しているが、きっとミラには届いてない。ミラはああなると妄想が暴走するからな。
「ミラ、ベル様はまだ体調がすぐれないのだから耳元で馬鹿みたいに騒ぐのはやめなさい」
ため息交じりに注意すると、ミラは楽しそうに笑って手招きした。
「ラス君、久しぶり。元気そうだね」
「おかげさまで」
胸に手を当ててお辞儀をする。元とはいえ王の配偶だ。ひと通りの礼は尽くす。
とはいえ、ミラと私は共にベル様の企みに乗った身(脅迫されたがそんなものはなくても引き受けた)なので、一通り終えると元に戻る。2年経って立場には差がついてしまったが、私、ベル様、ミラ、ジャス、ライルは今でも年に一度はバカ騒ぎをする仲だ。
「ちょうどいいところに来た! サイラス、頼みがあるんだけど!」
ベル様が私を見てにこりと笑う。この笑顔とお願いのセットは正直碌なものではないのだが、つい聞いてしまうのはこんな風にベル様に頼られるのが嬉しいからだと思う。我ながら困ったものだ。
「ベル様の頼みなら断らんよ」
「よかった! 助かるよ」
本当は仕事が山積みだが、それは夜中にでもやればいいか。
いいですよ、と答えると、ベル様はとても嬉しそうに笑った。
「ミラに話をしてだいぶ整理できたからさ、報告書を作ろうと思うんだ。でもまだ手にあんまり力が入らないから、口述筆記してくれる?」
なんだそんなことか、と二つ返事で引き受ける。確かにベル様の報告書がないので滞っている場所はたくさんある。仕上げてしまえばベル様も先方も楽になって一挙両得だな。
というわけで、私はベル様の部屋にあるわずかな家具の一つ、書き物机を使い、白紙の用紙とペンを取った。
この時の私は、そのせいでこの後一週間ほとんど寝られなくなるとは思いもしなかった。
涙で前が見えない……。
滲むインクが広がるのを凍らせて押さえ、ぐじぐじと鼻をかんだ。袖はぬぐった涙でぐっしょりと濡れている。眼鏡は話の途中から役に立たなくなって机に放置されていた。
「よぐ、よぐ、ごぶじで……。わだじがぶがいないばっがりに……」
「サイラス、そこまで泣かなくても」
「いや、無事だったら寝込んでないからね、自覚してね」
「すみません」
本当によく戻ってきてくれた。帰ってくるなり倒れることは過去も何度かあったが、回復にここまでかかるのは初めてだったため、よほどのことがあったとは思っていたが、まさかこれほどとは。
そして、ミラもよく帰ってきてくれた。たまたまらしいが、絶対に神の導きだろう。あとで神殿に寄付をしなくては。
「それにしてもその状態でよく書類作ったわねえ」
ミラが呆れながら新しいタオルを渡してくれる。実はこれで5枚目だが、在庫は十分なので問題なかろう。
ベル様の書き物机には複数の報告書が山になって積まれていた。すべて今、ベル様の話を元に作ったものだ。ベル様の体験を残らず書き留めておけるなど、なんと素晴らしいネタも、げふん、記録だろう。
「仕事だからな」
ずび、と鼻をかみつつ答える。
このくらい、ベル様がナナトの街でしたことに比べたら大したことはない。これだけたくさんの報告書をかけるほどの仕事を、ポータルの事故を除けばたった2日半でやったのだから。
しかし、記録だけでは報告書としては出来が甘い。
「ベル様、いくつか付け加えたい点があるんだが」
書きながら思ったことを指摘し、ベル様の意見を聞きつつ補足していく。途中、衝撃で胸が詰まったり、視界がぼやけて苦労したが、何とか提出できる程度の報告書になった。
「ありがとう。サイラスのおかげで気になってたことが片付いたよ。さすが俺の片腕だね」
ベル様は嬉しそうに笑う。
片腕、そこまで褒められると嬉し過ぎて顔が緩む。
ちなみに、ジャスは心の友、ライルは剣と盾だとか。三人とも大事な存在と言われて抱き合って泣いた。後悔はしていない。
ミラを加えてしばらく他愛ない話をしたのち、ベル様はナナトの街はどうなっているのか尋ねてきた。自分が寝ている間にいろいろと滞っていたのではと心配しているようだ。
「心配ない。渡し場はベル様が帰城した日の午後から再開したそうだ」
あの日はバタバタしていたが、エルファリア商会会頭の手は早かった。聞いたところによると騎士団団長や各ギルドのマスターがすべて後手に回るほどだったらしい。相変わらずの手腕だな。
「ベル様が倒れた次の日にジャスとエルファリア商会会頭が来て、陛下と話をして帰った。ベル様の見舞いもしたかったようだが、その時はまだ意識がないので断ったぞ。ジャスは半泣きだったがな」
「悪いことしたなあ」
「でも、ミラにベル様が癒しきれなかった傷を治療してもらえて跡形もなく消せたし、来た甲斐はあったと思う」
その時は同席できなかったのでわからなかったが、とてもひどい傷跡だったとミラから聞いた。こちらももう少し時間が経っていたら聖女の力でも傷跡すべてを消すことはできなかったと言うので、神には感謝しかない。もちろん、多額の寄付済みだ。
「渡し船、最初に乗るって言ってたんだけど、約束守れなくて悪かったな」
ベル様がしょんぼりする。そんなことまで約束していたのか……。
「仕方ないさ。ベル様が倒れたのはすぐにナナトポータルに知らせたから、エルファリア商会会頭と騎士団長と冒険者ギルドマスターが対応した。渡し場の最初の船にはジャスと対応した三人が乗ったから問題ない」
ジャスが楽しそうに報告を送ってきたからな。
そういえば、いつからジャスはベル様のことをベルと呼ぶようになったんだ? 弟キャラと言えどもなれなれしい! 私でさえベル様呼びなのに、ギギギ……。
まあ、それはそれとして。
「そうそう、川の中ほどで黒い蛇と銀の蛇に遭遇したとのことだ」
こちらの報告のほうが喜びそうだと判断し、蛇の話を持ち出すと、ベル様は花が咲くような笑顔を見せてくれた。
「それはきっと紫黒と月白さんだな!」
「先ほどの話からするとそのようだな。蛇が出た! と船員が怯えてパニックになりそうだったが、ジャスが舳先で手を振ったら頭を下げて去ったとのことだった。おかげでジャスは渡し場の人気者らしい」
「さすがジャス君。いいとこ持ってくわね」
ミラが呆れつつも楽しそうに笑っている。そう言えばこの時はまだ治療してなかったんだな。ジャスもベル様のために頑張っていたのだろう。その点に関しては褒めてやるか。
「そうだ、ついでなのでこちらからも報告をいいか?」
明日でいいと思い後回しにしていたが、ミラのおかげでベル様の体調がよさそうだし、報告書を作ったついでにこちらも報告しておこう。
「ナナトに駐留中の第5騎士団とナナトの各種ギルドから見舞いと礼状が届いている。特に商業ギルドと職人連合はベル様に一生ついていきたいと書いていた。せき止められていた対岸の物資も無事に届き、いつも以上の忙しさで街はとてもにぎわっているそうだ」
「よかった」
「陛下から、ナナトに見舞金を出すとの達しがあった。一人につき金貨一枚、老若男女関係なく出して、事業者には別に出すとのこと。ちなみにベル様の預金から出すのは禁止と言っていた。国庫の余裕を考えると、冒険者に依頼して魔物でも狩ってきてもらわないといけないなと仰っていた」
「お、久しぶりに冒険者の俺の出番だね!」
ベル様の目がキラキラする。まったく、このお方は懲りないな。
「……、ベル様はまだ駄目だ。行くなら私もついていくぞ。そのために冒険者資格を取った。ちなみに今はCランクで魔弓師だ」
「う、うわあ……」
「ラス君やるぅ!」
「当たり前だ。ジャスもライルも冒険者資格を持ってる。いつでも一緒にパーティを組めるが、仕事をしているとどうしても時間がなくて、ベル様のランクに追い付くまで少しかかるな」
思わず「ドヤァ」と言いたくなったが堪える。ベル様は目を真ん丸くしていた。気づかなかったと言ってるがそうだろう、言わなかったし。
「それはまあおいといて。あとは昨日、大きな蛇が王都の真上を飛んでいたとのことだ。王宮の上をくるりと回って大河のほうに消えたとのこと。ベル様の報告にあった蛇だろうな」
「紫黒……」
「陛下から蛇のことを聞いていたので攻撃させなかったが、一部の貴族は怯えているらしい。何におびえているか口を割らないのだが、身に覚えは?」
「……、紫黒は俺の中に入っていろいろと見たらしいから、それかな……」
「わぁお、私も会いたかった! いいネタになるし!」
ミラはキラーンと目を光らせてこちらを見ている。言いたいことはわかるぞ、ミラ。あとで二人で話し合おう。
「急ぎの報告はそれくらいだ。あと、復興予算なんだが」
私は余っていた紙にさらさらと数字を書いた。
「このくらいが限度だ。ほかにも使いたい部分があるのでな」
「どれ?」
ベル様が身を乗り出してきたので紙を渡す。
視線が上から下に流れていき、途中で止まった。変なうめき声をあげつつ、視線が動く。
「サイラス、一つ聞きたいんだけど?」
「はい」
「この『芸能収入』ってなに?」
「ああ、今から新作を作って発表した時に入る見込み額だ」
「し、新作?」
「んむ。いいネタが手に入ったからな。今からミラと話を詰める」
私はミラと目を合わせ、同じ笑顔を作った。
ベル様の顔がだんだん青くなってくる。たらたらと汗が流れだしたが、具合が悪いのだろうか?
「サイラス、ミラ、確認したいことがあるんだけどさ」
「はい」
「なに?」
「ひょっとして、こないだからホープス一座がやってる舞台の脚本って」
「ああ、私が書いてる」
「私は原案、みたいな?」
あれ、言ってなかったか?
「ベル様が冒険者として稼いだ金、何に使ってたか知ってるよな?」
「え、ええと、たしか学問所とか作ってるんだよね? あとは職業訓練とか……」
「なんだ、知ってるんじゃないか」
よかったよかった。
「職業訓練の一環で、音楽や芸術を専門に教える場所がある。そこの生徒たちが卒業し、劇団を立ち上げたのがホープス一座だ。私はそこに劇の脚本を提供してる。無料では生徒たちの士気が下がるし、質も上がらないので公演の一部を取り、そこから私とミラの取り分を除いた分を芸能収入として国に還元しているんだ」
「脚本はその時話題になったものを中心に仕立ててるのよ。これが結構好評でさー」
「だな。私も書き甲斐がある」
今回もたくさんネタが入った。さて、どれを手につけるか。とりあえずベル様と大蛇は必須だな。
「も、もしかして、脚本家の『サー=ミラス』って……」
「私とミラの合同ネームだ」
パタン、とベル様が前のめりに倒れた。ベッドの上なので半分に折り曲がったというところか。
慌てふためく私を見て、ミラが大笑いする。
「お願い、俺を題材にするのはやめて……」
ベル様は頭を抱えて悶えているが、それはできない相談だ。なんせベル様を題材にすると、興行収入が一気に三倍になる。国にとってもよいことなのだから諦めてもらいたい。
それに、ベル様の正しい評価を人々に伝えるチャンスを、私たちがみすみす逃すわけがないではないか。
「ちゃんと見せ場作ってあげるからねえ、ふふふ」
ミラがベル様の頭を撫でつつ高笑いする。
嫌だああ、と叫ぶ姿を温かい目で見つつ、ベル様の回復に涙が止まらない私だった。
読んでいただいてありがとうございます。
いまいち出番がなかったサイラスくんが満を持しての登場! だったはずが何でこんなことに(汗)
サイラスはただのベル大好き人間でした。クールビューティ? 何それ美味しいの? ってアレ?




