2 ミランダ
私がここに来て2日経った。
ベル君はその間ずっと眠っているけど、体調のほうは安定している。
私は飛び込んだ時からずっと、ベル君に治療魔法を使っていた。触診をしなくてもベル君が死にかけているのはわかったからだ。
食事とトイレを除くほとんどの時間をベル君の体に光を流すことに費やしている。
左手をベル君の額に、右手を胸に置いて光を流すと、光は額から全身をめぐって胸から出て、私の中で浄化されてまた戻っていく。ベル君の体の中で淀みを作っていた濁りを私の光で分解して、きれいな輝きに戻すのだけど、これがなかなか大変だ。
「まったく、どこで何をしてたんだか」
右手に感じるのはベル君の体にたまったとんでもない量の疲労と、ひび割れが入ってる魔力の器。
人の器を感じるほど深く潜ったことはないけど、ここに来た日に緑の精霊たちから事情を聴き、正直ぶん殴ってやろうかと思った。
まあ、その精霊たち、有名なドライアドと泣き女だったから、聖女とはいえ私程度じゃ効果なんかないんだけどさ。
その場にいた全員の魔力を勝手に借りて治療をし、ようやくベル君が眠って一段落着いた。
「良かれと思ったんだ」
初対面のドライアドは全身緑色に真っ赤な花飾りの美女だったけど、今は萎れた花みたいになってる。すごい精霊のはずなのに、威厳なんか皆無だった。
「最初はベルの働きがよかったので様子を見てやってもいいなくらいの気持ちだった。それがな、あ奴はなかなか面白いのだ。極限まで頑張って死にかけてもオレの手を自分からは絶対に取らない。最初は格好をつけているのだと思っていたが、本当にオレの力は望んでいなかったと知って驚いた。それなのにこちらから手を差し出せばちゃんと握ってくれる。そこがまた愛い奴で」
「ああ、わかるな」
隣にいた泣き女が呟いた。ボロボロの服の隙間からたわわな横乳が見えてるのがなんともエッロい! こんな状況じゃなかったら是非お近づきになりたかったのに、残念。
「こ奴はワレに『月が綺麗だ』と初めて言った人間故、ついつい気にかけてしまった。本人は意味すら知らなんだがな」
なにしてるんだ、ベル君!
「月が綺麗ですね」とか、もうラブフラグじゃん!
泣き女も「手が届かないものですから」とか言わなかったのね。むしろ「死んでもいいわ」のほうだったのね。やだもう、ごちそうさま。
精霊たちのベル君に対する好意が伝わってくる。愛し子ではないけど同じくらい守りたかったんだろうな。さすがベル君。
というか、そんな状況になるまで何してたんだ!? 相変わらず無鉄砲なんだから……。
「お二方の気持ちは私にもわかります」
私はベル君を治療しながら言った。ため息つかなかっただけ頑張ったと思ってほしい。
「ほんと、ベル君、バカなんですよね。昔っから」
昔、と言っても出会ってまだ2年と少ししか経ってないけどね。
私も結婚したりいろいろ状況変わったからすごく昔に思えてしまう。
「兄君の治療のために魔力枯渇になって毎日ヘロヘロになってるのにポーションだけで乗り切ろうとしてたり、婚約者を守るために体を張ったら誤解されて避けられてたり、父親の無茶ぶりに耐えながら毎日傷だらけになったり。それなのに学院で一番でなくちゃならないからって寝ないで勉強して、体を鍛えて。剣はからっきしなんだって言ってたけど、冒険者になって使えないと困るからって一生懸命練習してた。今はかなり使えるようになったみたいだけど、昔はすっぽ抜けて飛んでいく剣を追いかけるほうが多かったんだって。みんながベル君は何もしなくても何でもできるって思ってたけど、本当は苦労してるんだよね」
「……」
「……」
「私は自分の人生に絶望していた時にベル君に助けてもらった。おかげでサイラス君やジャス君やライル君と知り合えたし、チャーリーと結婚もできた。まあチャーリーは手がかかるけどね。イケオジの今までの価値観をぶっ壊して私好みの男にしていく快感ったらもう。ってそれはいいのよ」
私は額に置いた左手でベル君をそっと撫でた。
「だから、ベル君が助けてって時にはどこにいても飛んできて助ける。まあ、今日は全くの偶然なんだけど、きっと光の神様が呼んでくれたのだと思うわ。ベル君を助けてってね」
言いながら、精霊たちや部屋にいるすべての人々を見回した。みんな複雑な顔でベル君を見てる。サイラス君や医師の方々も思うところがあるのだろう。私の近くに来て何かできることがないか聞いてきた。今のところ光魔法に長けた私にしか治療はできないから厚意だけ受け取ったよ。
「ベル君は何でも一人でやろうとするから、周りの人は大変なのよね。そんなベル君を応援したくなって、ついつい力を出しすぎて、それがベル君のためにならなかったのが辛いって気持ち、わかります」
「そうか」
「だからといってベル君の人生はベル君のものなので、200年も人の世と隔離するとか神樹の精霊の眷属にするとかは本人の許可がない限りやったらだめだと思うんですよ。そういう話をきちんとするためにまず、ベル君をもとの体に戻しましょう」
ねっ、と同意を求めた後、今度はアーチ様とアナ様を見る。
「そっちの二人もだよ。今は眠ったけど、つい先ほどまでは意識は起きてたみたいだから、たぶんやり取り拾えてる。この子の性格わかってるなら、ちゃんと精霊たちに謝って、ベル君に力を貸してくれたことに対するお礼を言うべき。それから私にまた力を貸してね」
二人はそれぞれ顔を赤らめてうつむいた。
王と王妃に不遜だって?
いいのよ、私はこの国に一人しかいない聖女。さらに言うと形式上は父親の妻、つまり母親みたいなもんなんだから。
悪いものは悪いって教えてあげるのは親の務めだしね。
夕方、ようやくベル君が目を開けた。
たまたま正面から顔を覗き込んでいた時だったのでびっくりしたけど、ベル君はもっとびっくりしたみたいで、目を丸くして何度もパチパチ瞬きしている。
「近いよ……」
「いいじゃない。減らないでしょ?」
抗議に軽口で返したら、ほっとしたようで嬉しそうな顔をされた。
うん、やっぱり、ベル君は可愛い。男としては昔も今もときめかないけど、なんというか、距離感がちょうどいいって感じかな。
私は今まで回していた光を心持ちゆっくりにし、大きく固まって澱みを拭うように流した。
「もう、またこんなになって」
大きくため息を吐きながら、額に乗せた手で軽く弾く。
「ママとしてベル君の心配をするためにチャーリーと結婚したわけじゃないんだからね。ちゃんとわかってる?」
「うん。ごめん。ミラに迷惑かけてる自覚ある」
「うう、素直かわいい。許す!」
弱ってるからか、いつもより素直な反応に悶えてしまう。綺麗な緑の目を潤ませて見上げるとか、もう反則! なにこのイケメン、マジ天使! これじゃアーチ様が過保護になるのわかるわ。
思わず目をぎゅっと閉じてじたばたしてしまったけど、気にしないでもらいたい。
ベル君は「結婚しても離れても変わらないね」と言って嬉しそうに笑った。
その後しばらく、無言でベル君の体に光を流しながらあちこち調べた。
光を内側に入れてじっくりと探っていくと、どこが悪くなってどうやったら最適な治療になるかがわかるのだけど、これができるのは私だけみたいだ。ほかの光魔法の使い手に話したら「そんな無駄なことで光を使ったら治療できなくなる」と言われてしまった。こっちのほうが効率がいいと思うんだけれど、考え方の違いだからそれはそれでいいと思う。結果として患者さんが楽になれば問題ないんだからさ。
「そんなとこまで見ないで……」
などと呟きながら枕に伏しているベル君。女の子じゃないんだからと突いたら涙目になった。まあかわいい。
仕方ない、今日のところはこのくらいで勘弁してやろう。
「そうね、今日はこのくらいにしましょう。これ以上やると負担になるからね」
主に精神的な、と言いかけてやめる。これ以上いじめないよ、聖女だもん。
私は手を頭の上で組んで大きく伸びをした。
「いやー、びっくりしたわよ。まさかこんなことになってるなんてねえ」
私は二人分のお茶を入れながら、のんびりと言った。
先日精霊たちにも話したけど、実はベル君が大変だから戻ってきたのではない。
実はこの間ベル君に送った『愛の水』が真っ赤な偽物だったのが判明し、チャーリーに頼んで近くのポータルから王宮まで直接移動してきたのだ。
「元とはいえ王に「緊急だから」と言われたら、従わざるを得なかったよなあ」
王宮のポータルは他のものと違って特別な許可がないと使えない。とはいえ、血の濃い王族は別だ。基本、公務で使うので、ほぼ自由に使用できる。
ベル君は苦笑していた。まあ、私もそれを利用した自覚はあるからテヘペロと舌を出したよ。
「チャーリーは王家から除籍したけど、まだまだ人気あるからね。特に中高年に」
「うん、わかる。実は俺も何度か使った」
腹黒いな、ベル君。でもそこがいい。
「まあ困るのはチャーリーが『自分が言ったことはすぐに実行されるとまだ信じている』ってとこなのよ。あの顔で自信たっぷりに「よろしく」なんて言われた日にゃ、田舎の領主様なんか断れないのよね。ごめんと両手を合わせつつ、利用させてもらうんだけどさ」
「……、まあ、ミラはそうだよなあ」
「ちっ」
舌打ちしたら笑われた。少しは元気になったようで嬉しい。
冷ましたお茶を飲みたいと言うので、背中に手を入れて上半身を起こすのを手伝い、ベッドの背中との間に枕とクッションをたくさんいれて寄り掛からせた。そこまでしなくてもと苦笑しているけど、ずっと寝ていた体を起こすしんどさは今だけでなく前の生でも体験している。養生中は体を休めたほうがいい。
冷めたお茶を渡して話を続ける。
「王宮のポータルに着いて、すぐにベル君の執務室に行ったら、ひーひー言いながらたくさんの書類に埋もれてたジョシュ君たちがものすごい勢いで走ってきて、ベル君を助けてって泣くのよ。もうびっくりして、急いでベル君の部屋に飛び込んだわ」
「あれ、父上は?」
「うん、もちろんおいてきた。邪魔だから」
「うわあ、ジョシュたちは苦労したろうな」
「みたいよ。でも私しばらく離れられなかったから助かっちゃった。あ、大丈夫よ、ちゃんと回収して、今は相手役としてセリア様に来てもらってるから」
元側妃のセリア様とは婚約破棄騒動の後で聖女認定された時に辺境まで治療に行き、以来ずっと仲良くしてもらっている。
チャーリーと結婚することになった時はわざわざ駆けつけて祝福してくれた。子どもは作ったけど夫としてはいまいちだったと言い、私の結婚と同時にチャーリーと離婚すると言う豪快なことをしてのけた人だ。
それでも私との仲は続いていて、先日もモンド領にチャーリーと遊びに行ってもてなしてもらった。まあもてなしと言っても領地の森林で遊んだだけなんだけど。
「それにしてもびっくりしたわ。部屋に飛び込んだらアーチー様は鬼の形相だし、アナ様は冷たい無表情だし、見たことのない精霊が2体いてオロオロしてるし。そばにはサイラス君や見慣れない人たちいたんだけど、全く目に入らないくらいの圧だったわよ」
「まあそうだろうなあ」
「しかも! ベッドを見たら、青い顔で額に汗を浮かべているベル君がなんとも言えない困った顔で唸ってるし! 思わずバッカじゃないの!? って叫んじゃったわよね」
「そういえばフラグって何?」
「そこは忘れて」
相変わらず変なところまで記憶してる奴め。
「ベル君の顔見てすぐに何かあったんだと気づいたから、さっと触診したんだけど、私一人の力じゃ修復できなかったのよ。だから周りにいた面々に魔力を借りたの。正直言うと、少し遅れてたら危なかったわー」
思わずため息をついてしまう。
「ベル君の魔力の器にひびが入ってて、それを深緑と青の魔力が何とかつないでた。でもその魔力は精霊のだから、もともと関わりがなかった人には強大すぎたのね。愛し子なら問題なかったかもしれないけど、ただの人の器にはなじめなくて、うまくくっつけることができてなかったの。だからそれを馴染ませるために人の魔力が必要で、できれば多種のものが欲しかったから、周りの人の魔力を借りたってわけ」
「ああ、それで目の前にたくさんの色が広がったのか。なんかものすごく重たかったよ」
思い出してうんうん頷いているベル君の鼻を指で弾く。
「それだけベル君に戻ってきてほしいってみんな思ってたのよ。ありがたいでしょ?」
「うん」
「あとね、精霊たちのほうは心から反省してたからそのせいもあるのかも。アナ様はドライアド様の愛し子なんでしょ? 愛し子にあんなこと言われたら、下手したら憔悴死するわね、精霊って」
「それはダメだ。俺のせいでなんか悪いことしたな……」
ベル君はその時のことを思い出したのか、しょんぼりしている。
ほら、やっぱり拾ってた。私は大きくため息をついた。
「そうやってネガティブになるのはベル君の悪い癖。ベル君のためにしたことをベル君が気に病んだら、したほうは報われないよ。申し訳ないじゃなくてありがとうって言いなさいな」
「うっ」
「まったく、相変わらず自惚れ王子なんだから。言ったでしょ、なんでも自分のせいって思うのはナルシストよって」
「ううっっ」
「わかったんなら、なんでこうなったのか洗いざらい白状しなさいな。報告書書くんでしょ? 人に聞いてもらえば自分の中で整理できるだろうから、後で楽よ。あ、そうそう、時系列もきちんと整理してね」
「……、はい」
というわけで、私はしばらくベル君とお茶を飲みながら、ナナトの渡し場での冒険譚をたっぷりと聞かせてもらったのだった。
読んでいただいてありがとうございます。
久しぶりのミラ様にテンションが上がる作者でした。




