1 ベルグリフ
ナナトから王宮に戻り、2週間が過ぎた。
兄上の腕の中で不覚にも意識を失った俺は、実はすごい熱を出していたらしい。自分では全く気が付かなかったけれど、王族付きの医師の見立てではポータルを出た直後くらいから熱はあったのではないかとのことだった。
いやー、兄上と姉上の顔を見て安心したからどっと疲れが出たのかと思ってたのに、そのころから体調悪かったのか。
医師だけでは高熱の理由がわからず、宮廷魔術師の長や魔法薬学の主任が来て大騒ぎしたと言われたけど、全然記憶にない。そりゃまあ、意識不明だったらしいから仕方ないよなあ。
それでも原因がわからなくてうろたえている人々の前に、ドライアド様と泣き女が突然現れ、それはそれは驚かれたのだと、先ほど見舞に来てくれていた姉上から聞いた。
聞くところによると、上機嫌で現れたドライアド様は泣いている姉上を見て驚き、事情を聴いて青ざめ、急いで泣き女を呼びに行ったそうだ。再び現れた時は慌てふためく泣き女とドライアド様という珍しい光景が見られたとのことだけど、姉上にもその周りにもそんな余裕はなかったらしい。
たまたまその時は兄上がサイラスと一緒に様子を見に来ていたとかで、狭い俺の寝室はこの国のトップが目白押しみたいな状況になったそうだ。
俺が熱出してる間に何してんだ……、と頭を抱えたが、今だから言えるんだろうなあ。
その時の俺は全身痛むし、北国に裸でいるみたいに寒いし、頭はガンガンするし、とにかく眠いし、体は重たいし、で本当に最悪な状態だった。
集められた権威たちの見立てでは『急激に魔力をなくしたり回復したりした上、器以上の魔力を常に注がれていたことで魔力回路が不安定になっている』とのことで『このままなら3日持てばいい状態』だった。
まあつまり、やりすぎた、ということだな。
本当に、俺は役に立たない。
いろいろやらなくてはいけないことがたくさんあるのに、体が動かないなんて、弱すぎる。
兄上にちゃんと報告しなくちゃならないのに何もしないまま落ちてしまった。
報告書はたぶん俺しか書けないから、早くしないと紫黒や月白さんに迷惑かけるかもしれない。
ナナトの渡し場もそうだけど、たくさんの資金を使って街を力づけたナナトの商業ギルドや、多くの冒険者を失った冒険者ギルドにも王家から何らかの支援をしてもらいたいと兄上に提案しなくちゃいけない。
ナナトの騎士団にも何かしら褒章とかあったほうがいいと進言したい。
俺の口座、いくら入ってたっけかなあ? これも調べてナナトの支援に回してもらわないと。
ああそうだ、今回のナナトでのことは芝居にしないようにきっちり釘を、あああああ、ひょっとしたらもう遅い? 俺、やらかしてきたしなああ。
ため息を吐きたいところなのに、熱で熱くなった息だけが口からこぼれる。
ああ、あちこち痛い。
そういえば、ポータルから落っこちた時は、妖精たちに押さえつけられて動けないだけだったな。
あの時もドライアド様が助けてくれたんだっけ?
そして、泣き女に会わせてくれて、お二人からの加護をいただけた。
おかげでナナトでのこともうまく収まったんだと思う。
ドライアド様からは緑の魔力と守りをいただき、泣き女からは水の魔力と回復の補助をいただいていた。
せっかくドライアド様や泣き女が手を貸してくれたのに、体がついていかなくて死にかけるとか。情けないったらない。
俺の魔法は支援がメインだし、回復と言っても微々たるものだ。だから、油断した。よく考えたら兆候はあったんだ。これくらいならと思いながら作っていた癒し水とか、ジャスやゴードン達にした治療はいつもより回数も多かったし、魔力切れでダウンしていたよな。
そのたびにドライアド様のお世話になったのに、使えることに安心してついつい調子に乗った。
体は鍛えられるけど、生まれ持った魔力の器は簡単に大きくならない。魔力が多い=魔力の器が大きいはこの世界の常識で、魔法は器に合ったものを使わないと足りない魔力分を生命力で補う。故に強大な魔法を使える者は時として体が弱い。
今まで器がどうのってのはあんまり考えたことがなかったし、もともと王族は魔力が多い血を受け継いでいるので平民の魔術師より比較的器が大きいから、これくらいなら平気なんだなあとか楽天的に思ってたんだよ。
そしたら、まあ、こうなってると。
これ以上ない自業自得。周りで心配してるみんなに申し訳なくて辛い。
ドライアド様の小さな手が額に当たるが、すぐに引っ込んだ。
泣き女も同じように触れるが、やはりすぐに手を引く。
「これは、不味いな」
「人の脆弱さを甘く見た」
遠くでぼそぼそと呟く声を拾ってみると、ドライアド様が周りの人々に『魔力の器にひびが入りかけているので自分のところに連れ帰る』と言っていた。だけど『二百年くらい眠れば治る』とか『器に私の魔力を馴染ませて眷属にする』とかは聞き間違いだと思う。
まあ、この国が守れるなら、それでもいいのか。別に王弟じゃなくても眷属のほうが守護の力は強そうだし、そっちのほうが役に立てそうだもんな。
などと変に納得してる自分もいて、つい苦笑する。
だが。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえ! もともとはお前らが勝手にベルを使ったんだろうが! 人は精霊の玩具じゃないんだ!! 連れ帰るなんてこの俺が許さん!!」
兄上が今までにない大声でドライアド様と泣き女を罵っているのが聞こえた。
だめだよ、兄上!
いくら王だと言っても所詮は人。神樹の守り手と大河の主にそんな暴言吐いたら、あっさり消されてしまう!
ドライアド様は姉上をとても大事にしているけど、配偶である兄上を好いているかはわからない。罵声一つで不興を買って、殺されたら嫌だ。
「その通りです、ドライアド様」
なんとか取りなしてもらいたいと思っていたのに、姉上までが兄上に賛同し、驚いた。愛し子である姉上がドライアド様に苦言を呈するのなんて初めてだ。
「ベル様はわたくしにとっても大事な方です。アーチー様がいらっしゃらない間、わたくしを支えてくれたのは紛れもないこの方。そしてわたくしのもとにアーチー様を返してくださった。今では大切な弟君です。そのような大事な方に手を貸していただけたことはありがたく思います。でも、ベル様は精霊の皆様が好きにしていいお方ではありません。もし、ドライアド様がベル様を連れて行くのでしたら、二度とお会いしたくありませんので、わたくしとの縁を切ってくださいませ」
ここまで強気な姉上は久しぶりに見た。そういえば学院にいたころから姉上は凛として格好良かったっけ。
兄上はともかく姉上の言葉にはさすがのドライアド様も堪えたようで、小さな声で「すまぬ」と呟くのが聞こえた。
泣き女は二人とは無縁だけど、あまりの迫力に驚いたようだ。「人が精霊相手に」との呟きが聞こえたが、なぜかその直後にため息とともに「ベルグリフだしな」と言ったのも聞こえた。なんか、すみません?
その後も言い合いは続いていたようだが、熱が高くなってきたようで意識が朦朧として言葉を拾えなくなった。
はふはふと息を吐きながら、ここ数日で何度死にかけたかなあとか思う。
その前はさほど死にかけてない、はず。
ナナトに行く前は2か月くらい王宮にいて、書類仕事をしてた。あんまり寝られなかったなあ。毎日ベッドに入って寝落ちしてたっけ。
その前は半年くらい冒険者をしてた。ギルドの依頼でオオトカゲを駆除したり、ヒクイドリを間引いたり。そういえば一緒に組んでいたミンクは元気かなあ。一緒に何度もオオトカゲに跳ね飛ばされたっけ。
あれ? 意外と危ない目に遭ってた? ヤダモウ。
そんなことを思っていたら、唐突に目の前が明るくなった。
ドライアド様の深緑でもなく、泣き女の深い青でもなく、兄上の燃える紅でもなく、姉上の萌緑でもなく、サイラスの冷たい蒼でもない、温かな柔らかい灯りの色。
この色には憶えがある。
あるんだけど、いったいいつ、城に戻ってきたんだろう?
「もう、バッカじゃないの!? またこんなにフラグ建てて!」
またわけわからないことを言ってるし……。
俺は苦笑し、ちょっとだけ手を振った。
途端に、様々な色が視界に重なって弾け、体中を包み込んだのが分かった。
温かいけど重たいし苦しい……。
たくさんの色が重なり、やがて真っ暗になって、そして………。




