脱出
不味い状況に舌打ちする。まったく、ランドはどういう教育してんだよ?
大蛇に飛びかかったはた迷惑な騎士はやっと状況を理解したのか真っ青になって震えていた。よく見ればゴードンたちとそんなに変わらない年頃みたいだ。最近入った若手かもしれない。ランドを始めとする騎士たちはめちゃめちゃ白い目で見ている。
まあ、気持ちはわからずでもない。あんな大きな魔物、つい手が出てしまうのは脳筋戦士の性だ。かなわないにしても一太刀、とは思わないが、そういう血気盛んな奴がいるのもまた事実。仕方ないな、若い騎士が目の前で死なれるのは気分悪いから、生きて戻れたら胃液吐くまで鍛えてやろう。もちろん、ここにいる奴らも止められなかったんだから同罪だ。
「お前ら、連帯責任だからな」
ちらりと視線を向けて睨むと、ランドは肩を竦め、騎士たちは若いのと同じくらい青くなった。
とりあえずこの件はいったん〆て、現状を確認する。
ベルは紫黒と並んで2体の大蛇の前に立ち、何やら話しかけている。胡散臭い笑みを浮かべているがそれなりに有効みたいだな。さすが王族。いつもと変わらないように見えるが、離れていても吐き気を憶えるほどの瘴気が少し薄まったところを見ると大蛇たちが乗ってきたんだろう。紫黒はもともと奴らの敵だそうだから大蛇たちをひきつけると思ってたが、それ以上にベルに興味津々なのには恐れ入る。どんな話をしているのか、ここまで届かないのが残念だ。
ベルが後ろ手に合図を送ってきたので、少しずつ後退し、大きく開いたままの入り口に向かう。
クラークが嬉しそうに目を細めたのが目に入った。横にいたゴードンは顔を赤くして目を伏せている。聞けばちらりとこちらを見たベルが二人に気づいて小さく笑ったんだそうだ。ただそれだけのことだったがものすごく嬉しい、とクラークは呟き、ゴードンは頷いた。ともに涙目だった。
「そうか」
それだけ言って二人の髪を掻き混ぜてやった。ベルも気にしてたんだろうな。とりあえずこいつらの目にやる気がみなぎったのは嬉しい。
ゆっくりゆっくり、カタツムリの如く進んでいく。
意識を刈り取った冒険者はとにかく重い。意識がない奴は重たく感じるってのもあるが、こいつらは図体が大きい奴が多い上に、金属鎧だの大剣だの重たい装備ばかり着けている。途中で何人かは目を覚ましたが、口を開く前に大蛇の瘴気に当てられて固まった。直後、正しく自分の置かれている場を理解し、コクコクと頷く。生き残っているだけあって場数は踏んでいたのだろう。これから自分たちがどうなるかも薄々察しているようだがおとなしくついてくる。意識があるのとないのとじゃ引っ張るほうの労力も違うので、騎士も少しだけ楽になったようだ。
じりじりと外に向かって下がる俺たちに気づいたのか、大蛇が妨害してきた。尾を震わせえ、地面に強く打ち付けて床に亀裂が走らせる。ひび割れの下からにじみ出た水が足元をジワリと濡らしていき、歩みを止めさせた。
じわじわと染み出てくる水は大河のものだろう。倉庫は船を横付けできるように作られているから、床の亀裂が大きな穴になったときには倉庫自体が崩れて川に落ちる可能性もあるな。俺は泳げるが、崩れる建物と一緒に沈んだら生き残れるかはわからん。
引きずられていた冒険者が服が濡れると不満を漏らすので、ついイラっとして水たまりにぶっこんだ。文句言うなら置いてくぞ、コラ。
「話をしながら騎士たちを逃がす時間を作る作戦か?」
ねっとりした男の声がこちらまで届く。どっちの大蛇の声だろう?
大きな尾は不機嫌そうに揺れている。動きを止めたまま次の攻撃に備えていると、ベルが肩を竦めて何か言った。
それに興味を引かれたらしい。大蛇たちが少し小さくなり、ベルの話を聞き始める。
様子を見つつ後退すると、ベルがちらりとこちらを見た。すぐに視線を戻して話を始めたので、撤退を再開する。
大蛇たちの気がこちらに向かないように音をなるべく立てないように進みながら、視線は大蛇たちからなるべくそらさないように気を付けた。騎士たちも同じだ。冒険者を引きずりつつ、役目に集中している。
途中、大蛇が尾を震わせて瘴気が濃くなったり、チロチロと炎を吐いたりし、そのたびに動きが止まったのでほとんど距離は稼げなかった。仕方ないことではあるが、一気に走り出すのとどっちがリスクが低いか悩ましい。
ランドも同じようで、目で指示を求めてくる。
さてどうしようかと思っていた時に、ベルが変なことを言うのが聞こえてうっかり突っ込んでしまった。騎士たちだけでなくゴードンとクラークも同じ気持ちだったのがなんともおかしい。
大蛇たちまでなぜかおろおろしていたのが面白かった。本人は肩を落として落ち込んでいるのだが、一瞬とはいえ場を和ませたのがベルらしいと言えばベルらしい。
しかし反動なのか大蛇の片割れが逆上したようにベルに向かって紫の炎を吐き出し、弾かれて流れた分がこちらに向かって来て、避けたクラークが大きな音を立てて転んでしまった。足元のハンマーに気づかないなんてスカウト失格だぞと呟いたら青くなっていたが、初級冒険者にはとっさの対処は難しいから仕方ないとフォローも入れておく。
「……、話が長かったか」
大蛇はそう呟くと、尾で床を強く叩いた。
メリメリ、と大きな音がし、俺たちと入り口の間に大きな亀裂が入る。亀裂はかなり広範囲で、特に入口周りの床が酷かった。俺たちの行く手を遮断するように大きく割れていて、運河の水が噴き上がっている。飛び越えられるかもわからない上、動けない冒険者を連れていくのは難しいだろう。
他の方法で脱出を試みるしかないな。
そう思ったのと同時に、大蛇の体から瘴気がを溢れ出たのを感じた。
全身の毛穴が開いたような気持になった。冷や汗がだらだらと背中を流れていくが、気にする暇もない。危険を知らせる警報が頭の中でガンガンと大音量鳴り響く。そのせいで耳の奥が痛い。
思わず周りを見ると騎士たちも同じだったようで、真っ青な顔をしてあちこちに視線を向けていた。起きていた冒険者は悲鳴をあげ、ゴードンとクラークは脱力して口を開けている。
「馬鹿、しっかりしろ!」
近寄って二人を頬を叩くと、はっと我に返り、俺を見つめてきた。ゴードンは唇を噛み、クラークは自分の口を押えている。悲鳴を堪えているらしい。
ランドも騎士たちを叱咤していた。騒がしい冒険者を蹴って黙らせる。混乱している奴は再度意識を刈り取った。ああ、めんどくさい。大変だがやるしかないか。
どんどん濃くなっていく瘴気の中で大蛇が巨大化したのが見える。
あの様子だとベルが大蛇たちを煽って怒らせたようだ。まったく、何言えばあんなに怒らせられるんだ? 見たところ高ランク冒険者パーティが依頼される討伐対象レベルだぞ、あの蛇。
巨大な蛇は天井よりも大きくなり、膨れ上がって瘴気と邪気を溢れさせている。身を折り曲げてベルたちを見下ろし、黒い瘴気を全身から湧き出させていた。口元からめろめろと吐き出している炎は毒気を帯びて暗い紫色をしている。
これは、ちと難しそうだな。
全員無事に逃げられる、そんな甘い考えは捨てたほうがいいかもしれない。
少なくとも冒険者たちを引きずっていたら大蛇たちに喰われて全滅するのは確実だろうな。ベルは魔術師としても剣士としてもそこそこ強いが、残念ながらそこそこだ。俺と同じで、将来的にAランク冒険者にはなれてもSランク冒険者にはなれないだろう。隣に紫黒がいるが、嫁の蛟ならいざ知らず、多少術が使える程度の蛇では相手にすらならないよな。
護衛として来てるんだ、せめて隣に立ちたかった。紫黒と替わりたい。ちっ。
そう思った瞬間、紫黒がものすごい勢いで飛んできた。
弓矢の速さで飛ひ込んだ紫黒は俺の目の前に落ちると勢いそのままに真上に飛んで肩に乗った。そこからくるりと首を一周して背後に下り、振り返ってシャッと息を吐く。
ほぼ同時に大蛇が紫色の大きな炎を吐いた。炎はまっすぐに紫黒を狙っている。紫黒に当たると言うことは俺にも当たるってことだ。
とっさに腕で庇ったのと目の前にデカい土壁が出現したのはほぼ同時だった。土壁は炎を遮断するとぐんぐん育って天井に届き、大蛇たちと俺たちの間を塞ぐ。
「ベルの土魔法か!」
呟くと、紫黒は再びシャッと息を鳴らした。イライラと揺れながら尾を一振りし、入り口と反対側に進んでいく。土壁のせいで薄暗くなり周りが見えづらい。大きな箱があるだけの壁に向かって進む紫黒を見ていたクラークが騎士たちより早くついていって、壁にある穴を発見したと戻ってきた。
「多分ベルさんのところから見えたんだと思いますが、高さ的に大蛇からはあそこにある箱で見えなかったみたいです。子どもの背丈くらいの高さの穴ですが、這い出せばランドルフ隊長でもなんとか出られると思います。目印として箱に発光塗料を塗ってきました」
それはありがたい。
指示を出すより早く、騎士たち全員が穴に向かった。
途中、土壁が傾いでヒヤッとしたが、すぐに1枚増えていた。ベルが増やしたのだろう。壁の向こう側は今のところ静かだが、見えないので不安が募る。
一人、また一人と冒険者を引きずった騎士たちが外に出ていく。細身のクラークが一人通れるくらいだった穴は、ランドが斧で壊して広げたため騎士が三人並んでも出られるほどの大きさになっていた。さすが豪快だな。まあ、どうせ直すんだから多少の大きさ違いは問題ないか。
最後のランドとともに倉庫から出ると、外は真っ暗になっていた。
倉庫の中はほんのり明るかったから気づかなかったが、だいぶ時間が過ぎていたようだ。先に出ていたマシューが光魔法で周囲を照らし、全員そろっているのを確認した。
「紫黒、ありがとな。助かった」
多分近くにいるだろう紫黒に声をかける。
応えがないなと思ったら、紫黒は桟橋の端で大河を見ていた。新月なので月はないが、空の星を見上げるように顔を上げている。真っ暗な大河を背にした紫黒は薄く光っていた。声をかけようと思ったが、先ほどの大蛇たちとは違う威圧感に阻まれる。
りゅー りゅるる りゅーる るるりゅ ……
淡い光の中から笛の音のような音がする。細く長く残る美しい高音は風に乗って大河を渡っているように見えた。現実感のない光景に騎士たちの動きが止まる。
りゅー りゅるる りゅーる るるりゅ ……
りゅるる りゅーる るるるりゅりゅー ……
りゅー るるり りゅーる るるりゅー ……
音がまっすぐに対岸に向かっている。そう思ったときだった。
対岸、船が打ち上げられていた湾の方角に小さな光が点々と灯り。
光がたくさん集まって大河に広がり。
ふわりと大きな輪を作って大河をゆっくりと漂い始め。
その中の一つが銀色の蛇の形をとってこちらに向かって。
銀色の蛇がだんだん大きくなって。
目の前に来た。
「わっちは月白と申しんす。待たせんしたね」
真っ暗な大河に映る月のような美しい銀色の大蛇。
大蛇は独特な人の言葉で言い、紫黒にそっと頭をつけた。
大きな銀色の蛇を見た騎士たちは戸惑っている。まあそうだろう、赤子同然にあしらわれていたからな。
それにしても大きい。中にいる大蛇たちと同じかそれ以上だろう。顔をくっつけられている紫黒とはつまようじと棍棒くらい大きさに差がある。
「ぬしさんらにわっちの言葉がわかるよう、術を使いんした。紫黒から話は聞いていんす。蛇の諍いごとに人を巻き込だこと、おゆるしなんし」
銀色の大蛇が俺に目を向けて、ゆっくりと下げた。うろこの一枚一枚が月明かりのように輝き、倉庫の穴まで照らしている。
我知らず、俺は膝をついて騎士の礼を取っていた。
「気遣い痛み入る。俺はリチャード=スィル=コルトハードという。紫黒にはここの騎士全員が世話になった。感謝している」
騎士たちが続々と膝をつく。拘束されている冒険者たちは地面に額をこすりつけるようにして平伏した。先ほどまで大河の大蛇を殺すと言っていたのに掌返したなと思うが、月白と名乗った美しい蛇にはそうさせる品性があった。
なるほど、これが神の使いかと納得せざるを得ない。今まで何度か会った格の高い精霊や聖獣と同じ神気を感じる。
いつの間にか隣に来ていた紫黒がドヤ顔で頷いているのがなんとなくイラっと来たが、気にしないことにした。
その代わり、隣にいるランドに冒険者たちを町に連れていくよう頼む。
「残念。この続きは見られないのだな」
「申し訳ないがそういうことだ。そっちは任せる。朝になったら会おう」
仕方ないと言いつつ騎士たちに指示を出すランドはいい友だと思うが、この先に起こることには絡めたくない。少人数で収めるほうがいいだろう。なぜかそう感じる。
続々と撤退する騎士たちを背に倉庫に戻ろうとすると、穴のところでゴードンとクラークがたたずんでいた。
「帰れ。さすがにこれ以上は助けてやれない」
これ以上は責任が取れない。冷たい声で言うと二人は身を竦めたが、意外にもすぐに頷いた。
「わかってます。ただ、ベルさんに僕らは冒険者を続けますと伝えてもらいたくて待ってました」
「強くなって、一緒に冒険できるように頑張るから、その時は一杯奢らせてくれと。頼みます」
二人は俺を見上げて目を合わせた後、深く頭を下げ、町に戻る騎士たちの元へ走っていった。
成長すると決めたら若い奴は早いな、と反省する。引き際がわかる奴はいい冒険者になる。頼もしく感じた後ろ姿に「やっと冒険者らしくなったな」と声をかけたくなったがやめた。
穴から入ろうとすると、話が済んだのか紫黒が戻ってきた。再び俺の肩に上り、耳元で息を吐く。礼を言って軽く叩くと、紫黒は視線を壁に向けた。壊せるか?と聞いているようだ。軽く壁を殴ってみて、首を横に振った。ここの感触だと多分魔法を重ねがけして補強してある。俺の魔法は火だから土壁の解呪はできない。
壁の向こうは少し前まで静かだったのに、急に騒がしくなっていた。ベルが何かやったようだ。土壁が揺れ、壁の端からは炎も見える。激しいやり取りが続いているようだが、今のところ両者ともに無事らしい。時折ベルの呟きも聞こえる。なんだろう、聞いているだけで緊張感が薄れるな。
紫黒と目配せをし、足音を消して近づくと、壁の向こうから話し声が聞こえてきた。
「困ったな、俺、綺麗な魔石になれると思う?」
やけに近いところから聞こえる。
魔石になる? 蛇の眷属に取り憑かれそうになってるんだろうか?
ナレノハテになった冒険者たちを思い出して背中に冷たいものが走った。ベルをそんなものにするわけにはいかない。何とかして助けなくては!
飛び出したかったが時期でないのはわかる。仕方ないのでじっとして機会をうかがった。紫黒の尾がものすごく震えている。
壁の向こうの声ははっきりとは聞こえなかったが、状況にそぐわないほど明るかった。何も知らない者が聞いたら知り合いと他愛ない会話を楽しんでいるようにも取れる。
「ただ、俺がここで死んだとしても誰かが君らを退治してくれるって知ってるからね」
「自分が死ぬ」とあっさりというベルの声にイラっとする。紫黒も同意見なのか、耳元でシューシューと不穏な音を鳴らした。
「俺は月白さんがナナト様をちゃんと父君の元に返してくれるだろうって信じてるし、君らが妨害しようとしても紫黒やリック、騎士たちが何とかしてくれるのもわかってる。だからまあ、喰われたところでそれはそれでいいかなと思って」
それでいいってなんだ!?
一瞬、頭の中が真っ白になった。
ベルの奴、今なんて言った?
自分の死体を食べさせて時間を稼ぐから、だ?
喰われてもそれはそれでいい、って?
進んで死にたいとは思わないが、とか当たり前だ!
生きて無事に帰ってこい、生きて側にいてほしい、そう思われてるから周りの奴らが手を貸す。
心配する、手を貸したくなる、守りたくなる。
喜ばれたい、笑ってもらいたい、ありがとうって言われたい。そばにいたい。
たくさんの奴にそう思われてるから、俺が護衛してるんだろうが!!
「俺はな、ベルを犠牲にしてまでお前らを助けたくはないんだよ!」
唸りながら壁を殴りつける。俺は紫黒を睨みつけた。
「なんとかしろ!蛟なら解呪できんだろ!この土壁を壊せ!」
紫黒ははっとした顔になり、頭をあげてりゅーと鳴いた。
外からりゅーるると返事が来たとき、紫黒は俺を突き飛ばした。細い体のどこにと思うほどの力に弾かれて木箱にぶつかる。
ほぼ同時に紫黒も箱の後ろに飛び込み、俺の目の周りをぐるっと一周した。きゅっと締められて視界が奪われる。
前触れもなく背後から波紋のような衝撃が来て、土壁を一瞬で崩した。
天井まで伸びていた土壁が砂になって落ちてくる。大蛇たちとベルの影が砂の向こうにあった。
「ええええ???」
ベルの情けない声が聞こえて苦笑する。紫黒が離れたので落ちてくる砂をもろにかぶりながら後ろにひっくり返りそうになっているベルの姿が見えた。駆け寄ろうとしたとき、外からまばゆい光が差し込んでくる。一筋の光だったそれは倉庫の中に入ると瘴気を焼き尽くすように眩く輝き、はじけ飛んで視界を真っ白く染め上げた。
まだ落ち続けている砂の向こうから空気をひっかいているような悲鳴が聞こえた。
耳を覆いたくなる不愉快な音だが今は構ってられない。悲鳴の方角から何かに弾かれたような人影が飛んできて目の前の木箱にぶつかる。
ベルだ!
慌てて捕まえようとしたが、運悪く俺の足に背中の真ん中がぶつかり、それを芯にしてぐるりと回って変なほうに転がっていく。慌てた紫黒が右足首を捕んで引き寄せられたが勢いは止まらない。紫黒の機転で方向を変えて倉庫の壁の穴から外に出したが、勢いそのままに運河のほうまで転がってしまった。
このまま行ったら大河に落ちる!
落ちたら飛び込むつもりで倉庫から飛び出すと、銀色の蛇が上手に受け止めて桟橋に乗せていた。さすが蛟、できるな。
「もう夜なんだ」
手足を広げて呟くベルに全身の力が抜けそうになった。
倉庫の中はまだ光が暴れている。今のうちだと倉庫から出て桟橋に向かった。
紫黒は文字通り飛ぶ勢いでベルの元に行き、腹に乗って尾で頭をはたいている。
「い、痛い……」
頭を抱えたベルのいつもと変わらない姿に安堵したら、ものすごく腹が立ってついげんこつを落としてしまった。
「痛いで済んでよかったなあ、ベル」
涙目で見上げてくるベルはどうして自分が叱られているのかわからない顔をしている。月白のおかげで明るく照らされている桟橋を見回し、騎士たちが撤退したと気づくと、ほうっと息を吐いた。
二人が無事でよかった、そう言いたげな目をしている。
そういうことじゃない。俺は思わず低い声で呟いた。
「俺がここで死んだとしても誰かが君らを退治してくれるって知ってる、ってなんだ?」
ベルの目が泳ぐ。
「だからまあいいかなと思って、ってどういう意味で言ったのか、説明できるか?」
「……、できません」
「まさかとは思うが、あの場で殺されても食べられてもまあ仕方ないとか思ってないよなあ?」
「…………、謝らないよ」
珍しくベルが反論した。
「ベル?」
「心配かけたことは謝る。でも、ほかのことは謝らない。そこはリックと言えど譲らないから」
きっぱり言い切られて、腹の中にいた怒りが溢れ、ベルの胸倉を掴んだ。ビリリッと音がして服が破れる。よく見ると服のあちこちが切れており、傷だらけで血が滲んでいた。そのほかもいろいろとボロボロだ。何でもないような口調で話をしていたが、相当のダメージを受けたのだろう。
こんなになるまで戦う必要があるのか?
こいつ、王子なんだろ? 国が守ってくれるんじゃないのか?
なんで自分をもっと大事にしようとしないんだ?
怒りにくらくらしていると、ベルはまっすぐに視線を合わせてきた。
目の色が元の緑に戻っている。魔道具が壊れるような目に遭いながらもなんで……。
「俺は自分ができることをした。できることしかできないから。それを咎められても悪いと思ってないから謝れない。リックだってそうだろ? 悪いと思ってないことを謝ったところで意味がない」
強い目だった。
俺ははっとした。服を掴んでいた手が緩む。
ああ、そうだよなあ。
ベルは自分ができることを精一杯やってきたんだ。
命を懸けるのもきっとその一環で、ベルにとっては『その程度のこと』なんだな。
いかんなあ、俺は。
ベルと言い、ゴードンと言い、クラークと言い。
自分がちょいと年が上だから正しい選択を教えてやらにゃいかんみたいな考えをしていたが、思い上がりだった。こういうのが老害って言うんだな。
すまんかったと言おうとしたが、あーとかうーとかしか言えなかった。
その代わり、俺は手を離してベルの髪をぐちゃりとかき混ぜた。
「騎士たちは全員無事だ。ベルの壁が役に立ったよ。ありがとな」
ストレートに褒めたら、ベルが涙目になった。こういうところは変わらないのになあとなんだかおかしくなる。
その時、倉庫に溢れていた光が収まって、大きな影が飛び出してきた。
読んでいただいてありがとうございます。
月白の言葉遣いは「文書変換「浦里」」さんで変換しています。的確な言葉を入れないとうまく変換できないようなので、多少おかしな部分はファンタジーとしてご容赦ください。




