樽と水と俺
紫黒と話してすっきりしたので、出かけている仲間たちが戻ってくるまでの間、自分にできることをすることにした。
簡単に言うと、癒し水を作れるだけ作ることにしたんだ。
下の屋台で使い終わった酒樽をもらおうと思い、ベッドから降りて扉を開けると、がっちりとした筋肉質の男が立っていた。聞けばいつもは荷運びをしている店員で、ピータと言うらしい。
ピータは立ったまま寝ていたようだったが、扉から顔を出した俺に気づくと走り寄ってきて、目の前でピシッと手をそろえて立った。
「ベベベ、ベリュさま、ですねっ!?」
「あ、いや、う、うん、ベルです。初めまして」
「うあああ、噛んだ!失礼しました!!」
ピータはジェロームから俺のことを聞いているとのことで、ものすごく慌てながら何度も何度も頭を下げた。何を聞いているのか、想像するのも怖い。
代わりに何をしているのかと聞けば、部屋を見張っているのだと答えた。リックがいない間、紫黒が護衛だと思っていたのだけど、ジェロームは人間の護衛もつけていてくれたようだ。忙しいときに人手を使わせて申し訳なかったな。
「忙しいときに申し訳なかったね。休憩とかは取れてる?」
「い、いえ、あ、はい!大丈夫です。」
うん、きっと休んでない。最初否定しようとしたよね? それに目の下のクマがすごいよ。
「ちょっといいかな?」
ピータの腕に触れると、どんよりとした疲れが体中に溜まっているのが感じられた。たぶん回復しきってないうちにまた働きだすのだろう。どんなに頑張っても、睡眠や休息だけで完全に回復って難しいからなあ。
指が冷たかったのか、ピータは体を硬直させている。ちょうどいい、そのまま動かないでいてもらおう。
触れた指先からそっと治療魔法を流す。今回は治療じゃないから水魔法と土魔法は半々でいいかな。水で疲れを流して、土で癒すイメージで。火魔法が使えたら血を少し温めて活力もつけられるのに残念。流れた疲れは呼吸とか尿とかで排出できるように循環のほうに送って、と。これでよし。
「おおっ!」
手を離すと、ピータは目と口をまんまるくして俺を見つめた。それから首や肩を回し、手足をブラブラと振る。
「痛くない!!」
「それはよかった。疲れは万病の元だから、体を大事にしてね」
「ありがとうございます!ベリュさま!」
うん、また噛んでるね。
とか思っていたらすごい勢いで抱き着かれた。ちょっとびっくりした。
元気になったピータはすごい勢いで走っていき、樽をたくさんもらってきた。
「もっと持ってきますか!?」
「い、いや、十分だよ。ありがとう」
目を輝かせているピータ。体の調子が今までになくいいそうだ。
でも……、さすがに10は多いんじゃないかと。
思ったけど、一度で全部持ってこれたと嬉しそうに笑っているピータにそんなことは言えず、ありがたくベッドのそばに並べてもらった。
「申し訳ないんだけど、また頼みごとをしたいので、呼んだら来てもらえるかい? 時間がかかるから休憩してもらってて構わないので」
いい返事とともに、ピータは部屋を出ていった。大きな足音が遠のいていくのが聞こえるので、下の屋台で何か食べてくるのかもしれない。水もたくさん取って疲れを流してほしいところだ。
たくさん並んだ樽を見つめていた紫黒は呆れた顔(蛇だからいまいち表情はわかりにくいはずなのになぜかこれはわかった)をしていた。
『本当に、なんというか、ヌシは阿呆だな……』
「……、これに入って隠れてブルータスに近づこうとか思ってるわけじゃないよ」
『知っとるわ!』
シュウシュウと息を吐きながら巻き付いてくる。今は普通蛇サイズなのだけど、俺の背丈くらいあるので拘束された気分だ。
『癒し水だったか、魔法の水を作るつもりなのだろう?』
「う、うん」
『はあ……。少しでも魔力を温存しなくてはならないと言うのはわかっておるのだよな?』
「わかってるよ。休んだおかげで今は魔力も全回復したし、魔力切れになる前に回復ポーション使うから」
『それはたくさんあるのか?』
「……、足りなくなったらジェロームに分けてもらえないかな、と……」
『他力本願だな?』
「……、ごめんなさい」
『魔法使いが魔力切れ起こしたらただのお荷物だと本当にわかっているのだな?』
「…………、ごめんなさい」
ううう、心が痛い。紫黒の言うこと全部正しいから反論できないよ。
涙目になっている俺を見て、紫黒は深くため息を吐いた。
『……、仕方ない。それがヌシだものな』
そう言うと、紫黒は巻き付いていた体をほどいて降り、そのまま扉から出ていった。呆れられちゃったなあとしょんぼりしつつ、それでもできることをと癒し水を作り始める。
それにしても大きな樽だ。昨日デボラに借りた樽より二回りくらい大きい。樽の横にぺたりと座り、中に手を入れたら底に届かなかった。これ一つで俺の全魔力使いきっちゃうかもしれないな。ポーション足りるといいが。
確かにこんな魔法使いは使えないな。
そう思ったら、苦い笑みが漏れた。
でも仕方ない、これが俺なんだし。
何もしないで待つのは性に合わない。月白さんのところに走って行って守れたらとか、利用されている冒険者たちのところに行って説得したいとか、鉄黒から聞いた蛇たちを探したいとか、やりたいことはたくさんある。
幸い寝ていたのは長い時間じゃなかったようで、日差しを見ると今は遅い昼食をとるくらいの時間みたいだ。日が暮れるまではだいぶあるから、まだ動ける時間はある。
だけど、俺が動いてしまったら、ダメなのもわかってる。
うっかり寝てしまった俺を休ませるために、みんな動いてくれていると紫黒に聞いた。ちゃんと休んで回復したらできることをさせてくれるはずだ。
だから、俺は仲間たちが戻ってくるまで、ここで待つ。
とはいえ、何もしてないと考えることがどんどん悪いほうに落ち込んでいく。
いくつになっても俺って人間は中途半端で役に立たないんだなあと思えて仕方ない。
実はその時はとっくに終わっていて、そんなことに気づかずに眠っていたのだとしたら、自分にがっかりするだろうなあ。
そんなことを思いながら水を精製していると、扉の外が少し騒がしくなった。
顔を上げると、袋をくわえた紫黒がジャスと一緒に入ってくる。
「もー!起きたらすぐに働くんだから!」
ジャスは樽の横にいる俺の隣に座ると、ぺちんと額を叩いた。ちょっと痛い。でもそのいつもの感じが嬉しい。
シャツの襟ぐりから包帯がはみ出している。俺が鉄黒と対峙している間に医師に治療してもらったそうだ。エルファリア商会のかかりつけ医はかなりの治療魔法の使い手とのことで、跡形もなく治ると聞いた。本当に良かった。
俺はジャスの傷の上に樽に入れてないほうの手を置いた。
「もう痛くない?」
「んー、さっきやったばっかりだし、疼きはするよ。でもちゃんと治ったから大丈夫。2.3日は安静にって言われてるけどね」
「そうか……、よかった」
ふいに、先ほどの光景がフラッシュバックした。
何度も何度も傷ついた足を打ち付けるジャス。
自分の胸にナイフを刺したジャス。
痛みに叫びながら鉄黒を剥がしたジャス。
血まみれで倒れているジャス。
死んでしまうかと思った。
もう話すこともできないかと思った。
そのジャスが、ここで、笑ってる。
「よかった……」
呟いたら、心の中が泡立った。
癒し水を作っていた魔法が止まる。急にやめても反作用はない魔法だからいいけど、呪文にリスクがある魔法だったら危なかったな。
奥のほうで固まっていたものが急に浮き上がってきてドロドロした澱をかき混ぜていく。濁っていた水をしばらく置くとうわべだけ澄んで下のほうに澱ができるが、それが一気にかき混ぜられてドロドロに濁った感じだ。抑えられていた感情が一気に上がってきて、思考を掻き混ぜていく。
何かが溢れて止まらなくなった。
「ベルうぅぅぅ」
突然、ジャスが背後から抱き着いてきた。肩に額を押し付けてくる。相変わらず子供みたいなじゃれ方をするなと思い、笑おうとしたとき、口からしゃくりあげるような音が漏れた。
「う、うう、ふ、ふぐっ……」
止まらない。喉の奥から出てくる音は酷く乱暴に体を震わせている。口を手でふさぐと少し聞こえなくなったが、無理やり落さえているせいか、涙がボロボロと零れ落ちた。うわあ、恥ずかしい。今日は涙腺が緩いのかもしれない。ジャスが背中側にいてくれてよかった。
「ありがと、心の友よ……」
おどけて言うジャスの声はいつもと違って揺れてたけど、きっと俺の体が震えてたせいだろうな。
しばらくして涙と音が止まったので、癒し水づくりを再開することにした。
先ほどの続きで樽に水をためていると、不思議そうな顔でジャスが言った。
「水、下から持ってきてもらったら?」
「ええっ!? 使えるの!?」
冒険者ギルドでは断られたと言ったら、ここの水は大丈夫だとの返事がくる。なんでも井戸の水をろ過する装置があるそうだ。
「砂の国のほうで使われてる奴だよ。ずいぶん前に面白がって買ってきたけど、ナナト大河の水はおいしいんで違いが判らなかったんだよね。そんなわけでお蔵入りしてたのを、井戸水使うには必要かなって出してきたってわけ。あの時はさんざん馬鹿にされたけど、役に立ったからみんなに褒められたよ」
そうだったんだ。
言われてみれば、料理とか大量に水使うのに不足しているとか言う話は出てなかったもんなあ。俺も気にしてなかった、というか気づかなかった。視野が狭い、反省だ。
横を見れば紫黒が揺れていた。とても愉快そうにしっぽを回している。ううう、なんだかなあ。
まあ仕方ない、これが俺なんだしなあ……。
凹んでいる間に、ジャスは人手を募って樽に水を入れてくれた。エルファリア商会の店員たちは本当に優秀で、あっという間にすべての樽が満たされる。重たい水をたくさん運ばせてしまい、ありがたいけどとても申し訳なかった。一人でできないことはしちゃだめだなとこれまた反省する。
そう言うと、ジャスは不思議そうな顔をした。
「一人でできないんだったらみんなでやればいいんだよ」
あっさりと言う。
「何でも一人でできるなんて、そんな人いないよ。僕はいつも店員の皆に助けてもらってるよ」
ジャスの言葉に店員たちは嬉しそうな顔をで応えた。相変わらず慕われてるなあ。
自分の足りないところを認め、周りの人間に助けを求めることができ、ちゃんと感謝の念を持っている。こういうとこがジャスの美点だなとしみじみ思う。
正直、俺は人に頼るのが苦手で、それでいつも手一杯になって迷惑かけたりして、落ち込んで、反省して、凹んで、ってのを繰り返している。このままじゃだめだとは思うんだけど、なかなかうまくいかないんだよな。
それはまあそれとして。
準備した水を水の魔力持ちのジャスが精製してくれたので、癒し水を作るのがぐっと楽になった。完全な純水になるように調整するための手間と魔力が減ったのでサクサクと進む。おかげで二時間かからずにすべての樽を癒し水で満たせた。
ただ、魔力は二回切れたけど。
倒れそうになると、かすかにドライアド様の気が感じられたのは秘密だ。きっと危険性がないので出ないでいてくれたんだと思う。ちょっとほっとした。
最後の樽を満たした俺が魔力切れでぶっ倒れていた時、ルイスが少年二人を連れて戻ってきた。
読んでいただいてありがとうございます。
ちょっとシリアスが続いたのでほのぼのを入れました。




