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泣いた赤子が気絶する

 眠る殿下を紫黒殿に任せ、一旦冒険者ギルドに戻るドアラ殿と同道するリック殿と別れたのち、父上とともに執務室に入った。

 一緒に来ると言うジャスはまだ一人で歩かせるわけにいかないので私が抱えている。明け方戻ってきたときには暴言を吐いて暴れ、先ほどまでは本当に死んでしまうのでは思われるほどの重傷を自らにつけた弟は、すっかりいつもの調子に戻って腕の中でにこにこしていた。


「お姫様抱っこだー」


 それでいいのか、20歳男なのに。しかもこないだ婚約者とイチャコラしてただろう? ちっ。


 まあそれはさておき、冗談が言えるくらい回復したのはベルグリフ殿下のおかげだ。無防備な顔で眠っておられるとジャスと同じく庇護欲に駆られるお方だが、会うたびに芝居の題材になりそうな目に遭われていて驚かされることこの上にない。

 先ほどのナレノハテもそうだ。22年生きてきて初めて見た魔物だ。冒険者のリック殿は慣れた手で始末していたな。私の足りない部分も指摘されてしまった。

 もっと精進せねば……。


 それにしても、慌ただしい朝だった。午前中だけで2.3か月分は働いた気がする。

 昨日からほぼ休まずに動いているので、ひと段落着いた時に思わず机で転寝してしまったが、その間も父上は手を止めていなかったようだ。我が父ながらすごいとしみじみ思う。同じくらいの年になったとして、私はあそこまでの商人になっているだろうか?


 そんなことを考えていたら、父上に呼ばれた。

 いかんいかん、気持ちを切り替えよう。


 オリーとショーンが執務室に大きいクッションをいくつも載せた長椅子を用意していたのでそこにジャスを下ろす。

 ジャスの肩に乗っていた灰色の小さな蛇が少し頭を下げた。灰青殿だったか。紫黒殿の子息だと言ってたな。ジャスは蛇の言葉を理解できないが、灰青殿のほうは人の言葉がわかると殿下が仰っていた。しかしなぜか会話が成立しているように見える。我が弟ながら驚きのコミュニケーション能力だ。


「さてと。それじゃ、こちらですることを分担しようかな」


 父上は椅子の背にチョンと座り、窓から外を眺めつつ言った。


「早めに食事が取れたおかげで芝居の見回りにも行けそうだね。自由市のほうも顔を出して商会が目を光らせているのを再認識させとくといいかな。これはルイス君の担当で」

「はい」

「ジャス君はこの高ーく積まれた各店舗への融資金やその他もろもろの経費を計算ね。大丈夫、ほとんど小口だから大きな金額じゃない。ちゃっちゃっと検算までできてて、さらに項目ごとの一覧表になってるとパパ嬉しいな」

「うひゃー」

「灰青君はジャスの手伝い。ついでにジャス君が無理した時に眠らせる役をお願いするよ。紫黒殿からベル君をちくっと刺した針を借りてきたからここに置いとくね」

「シャッ!」


 いつの間にそんなものを……。まあ、父上だからな。

 というか子蛇にまで仕事を振るあたり、さすが大商人だ。使えるものは何でも使う、そのくらいじゃないとああはならないのだろう。


「で、パパは、ふふふふ、ちょーっとお出かけしてくるよ。パパとおしゃべりしたい人が商業ギルドにたぁくさん来てるんだって」


 ものすごく楽し気な笑顔だが、それが何よりも怖いものだと私は知っている。


 打ち合わせが済んだので速やかに部屋を飛び出した。まごまごしていると仕事が増えそうだったからだ。

 すれ違う店員たちが笑顔で挨拶してくれる。くるくると働く店員たちはエルファリア商会の誇りだ。私の無茶振りに文句ひとつ言わずに応えてくれる心強い仲間たち。とてもいい笑顔で仕事をしているが、そういう時は気づかない疲れがたまっていることが多い。自由市で回復の低級ポーションを買って差し入れよう。


 エルファリア商会の建物を出る。

 玄関先は朝からずっと人々でごった返しているが、昼になったので商会の商品を委託販売するための手続きをしていた列はほぼなくなっていた。商品もだいぶ減っている。今から市場のほうで販売するにしても、購入した人が多ければ売れないだろう。

 その分、食べ物を置いている簡易屋台のほうが混んでいた。昼時間を少しずらして食事に来た者の列だろう。無償で飲み食いできるのが好評のようだ。


 そういえば、小腹が減った。

 確かに弁当は食べたが、あの席では味もしなかった。というか食べた気すらしてない。満腹だと体が動かないが、ここの焼肉串を2.3本もらう分にはいいよな。


 ということで、並んでみた。

 時間を無駄にしないように並んでいる人々に話を聞くと、自由市は盛況のようだ。特にカード決済がいいと言う。事前登録が少し手間だがエルファリア商会の店員が30人ほどで対応しているので思ったより早く手続きが終わるし、直前に設定した家族用の家族カードもとても好評だった。なにより使い過ぎ防止に上限金が決まっているので安心とのこと。気持ちよく使えてもらえているようで提案した身としては嬉しい限りだ。問題はこれから出てくるだろうが、今は素直に喜びたいな。


 自分の番になって焼肉串をもらう。料理人はなじみの店の者だったので、思わずお互いの手を合わせた。


「おかげさまで盛況だよ、ルイス」

「それはなにより」

「大蛇大蛇でどうなるかと思って毎日心配してたのが嘘のようだ。ほんと、いい仕事してくれたよ。おかげで俺らも仕事ができる。今日の分の報酬はどうなってる?」

「仕事が終わったら日給で払う予定だ。簡易屋台の料理人はどの店も店員総出で明け方から来てもらってるからな、その分上乗せするよ」

「そりゃ嬉しいね」


 周りにいた料理人が手を振って笑っている。


「そういえば芝居の弁当のほうに手が足りなくてこちらからも人手を出してもらったらしいな。思ったより忙しくさせてるようで申し訳ない」

「いやいや、料理人は料理してなんぼだ。材料や機材や光熱費全部そっち持ちだし、楽しませてもらってる。それに美味いと再度並んでくれる客もいるし、店が始まったら食いに行きたいと言ってくれた奴もいた。宣伝効果もあったよ」


 意外な成果もあったようだ。何だか嬉しい。


 焼肉を食べながらざっと屋台を巡回した。

 片付けが追い付かないのか、建物の隅のほうにごみが山になっている場所を見つけた。あちこちに散らかるゴミを片付ける係をと、手が空いている者を探す。


 幸い、冒険者ギルドから派遣された初級冒険者たちが手持ち無沙汰にしているのを見つけ、ごみの処分を頼むことができた。若い彼らはごみの処分と聞くと喉の奥で呻いた。露骨に顔をしかめる者もいる。

 気持ちはわかるが大事な仕事なのだ。


「せっかくの祭りなのにきれいな仕事をさせてやれず、申し訳ない。だがお客様に居心地よく楽しんでもらうためにはこのような裏方はなくてはならないもの。誇りを持って仕事をしてほしい」


 頭を下げると、彼らは少し目を見開いた後、なんだか嬉しそうに笑った。自主的にグループを作り、掃除を始める。


 その中に、変わった二人組がいた。


 駆け出し中の駆け出しだろう。10代半ばと見られる二人組で一人は革鎧を着こんだ戦士風、一人は身軽な軽装なので多分スカウトだと思われる。

 若い冒険者たちが組を作る中、二人だけはそっと屋台の陰に隠れるように立った。落ち着きなくキョロキョロし、焼肉串を羨ましげに見ている。その顔は一日中走り回ったように見えた。ひょっとしたら仕事があると聞いて急いできたところだったのかもしれない。


 少し気になったので、話しかけることにした。


「そんなところにいないでこっちの椅子に座るといいよ」


 近づき、横にいた知り合いに避けてもらって椅子を3つ空けてもらう。

 声を掛けられた二人はものすごい勢いで身を竦ませた。立ち上がり、そのままの速度で逃げようとしたところを捕まえる。片手で一人ずつ、手首をわしっとつかんだのだけど、これが冒険者の腕かと思うくらいの肉感で少し驚いた。


「驚かせたかな、すまない。私はルイス。エルファリア商会で働く商人だ」


 できるだけ穏やかに笑う。私の笑顔は『泣いた赤子が気絶する』と言われるのだが、今回はうまくいっただろうか?


「見れば食事もまだのようだ。そんなときに仕事を頼んですまなかったね。そこの屋台の焼肉串はものすごく美味い。私が保証するから一つ食べてみないかい?」

「……、でも……」

「お金のことなら心配いらない。自由市で買い物する分も冒険者なら登録カードで支払いができる。もちろん借金になるが、支払いは来月だ。冒険者ギルドの依頼報酬で支払いもできるから明日から依頼を受ければ問題ない。それにここの食事は無料だ。働いている者の賄いとして提供されてるものだ。君たちは先ほど掃除を依頼した冒険者たちと同じくギルドの依頼で来ているのだろう? 安心して食べるといい」


 にこりと笑う。二人はカチンコチンと音がしそうなほど固まった。しかもスカウトの少年は涙をはらはらと流し始めたではないか。

 笑ったら、冒険者が泣きだした。そんなに怖いのか、私の笑顔……。


「だめだよ、ゴードン。ボクら、こんないい人がやってることを……」


 鼻水まで垂らして号泣する少年。席を譲ってくれた知り合いを始め、周りにいた人々の視線が集まってくる。


「そんなこと言ったって……。クラーク、オレたちもう、戻れないよ……」

「ゴードン……」

「だって、オレたち、もう……」


 戦士の少年の声がだんだん小さくなる。

 ふいに、つかんでいた手首の下がぐにゃりと()()()


 別の生き物が入り込んでいるような感触に思わず手を離す。

 手袋の中に何かを仕込んでいた風ではない。二人はそれぞれ、うごめいている手首、正確に言うと手首の下で蠢いている何か、を握っている。


「痛い!!」

「いいい痛いいい!!!」


 二人は腕をつかんだまま転げまわった。

 異様な光景に人々が離れ、少年たちの周りに輪ができる。


 これは、ひょっとして!?


 つい先ほどのジャスの姿が思い浮かぶ。胸に届くナイフで自らを刺した弟は処置が早かったから助かった。

 この子たちは!?

 今なら、間に合うか!?

 俺は服を脱ぎ、ひも状に裂いた。


「ザグス、手伝え!片付けを頼んだ冒険者!全員集合!さっき作ったグループのまま待機!」


 呼びかけに答えた人々がやってくる。

 私はザグスに裂いた服を渡し、戦士の少年の動く手首があるほうの腋を強く縛るよう指示した。自分はスカウトの少年の腕を同じように縛る。二人は痛みに耐えかねて暴れているので、冒険者たちに体を抑えるよう指示した。


「この子、初めて見る子だ」


 白いローブの冒険者が言う。


「仲間じゃないのか?」

「うちのパーティではありませんね。誰か、この子たち知ってる?」


 冒険者たちはわらわらと近づいてきて苦しむ彼らの顔を覗き込んだ。


「わかんないなあ」

「見たことないね」

「ギルドで会ったことあったっけ?」


 痛みを訴えて叫ぶ少年たちを見ても平然としている。このくらいで騒いでいては暗いダンジョンに自ら入っていけないのだろう。私も動揺してはいられないな。


「あ、この子、こないだ大蛇退治派の人についてった子じゃない? たしか、戦士のゴードンとスカウトのクラーク」


 使い込まれた鎖帷子を鳴らしながら女の子が指さした。それで気づいたのか、何人かが手を叩く。


「ああ、あの見るからに嘘くさい戦士風おやじについてった子たちか」

「あんなデブ見て新品の鎧がかっこいいとか言ってたお笑い戦士の子ね」

「誰か止めてやれよって言ってたら行っちゃったんだったな」


 痛みを訴えていた二人の顔が赤くなる。心当たりがあるのだろう。

 冒険者は危険と引き換えの仕事。自己防衛ができてなんぼだと聞いたことがある。

 それでも。


「今はそんなことを言っている場合じゃないだろう?」


 私は苦しむ二人をこれ以上苛む気はなかった。


「無邪気に冒険ができるほど冒険者は甘くない。騙されるほうが悪い。だけどな、騙すほうはもっと悪い。騙されたほうを追い詰めるのは無責任だ。そんな話は暇な時にやってくれ。今は命に係わる」


 真剣に言ったつもりだが、冒険者たちは嗤った。


「いいとこの坊ちゃんなセリフー」

「大袈裟だなあ」


 まあそうなのだろう。私はエルファリア商会の三男。いいとこの坊ちゃんだ。

 だが、今はその言葉に喜んだり傷ついたり憤慨したりしている場合ではない。


「ナレノハテ」

「へっ?」

「これはナレノハテかもしれないんだ」

「ナレノハテ?」


 どうやら知らないらしい。初級の冒険者が相手をする魔物ではないのだろう。

 悲鳴を上げて身をよじる少年たちの手首の肉の下で蠢いていたモノは蠢く形を見せながら腕の上方に這い上がっている。ジャスの胸にいたものと同じだ、と本能が告げた。


「なんでもいいからナイフを貸してくれ」


 さすがに屋台の包丁は使えない。戸惑っている冒険者たちに極上の笑みを見せると、ヒッと声が上がって近くの剣士が短剣を貸してくれた。私の笑顔もたまには役に立つじゃないか。


「白いローブの君は回復術使える?」

「は、はい。初級ですが……」

「低級でいい、回復ポーションを持ってる者は出してくれ。支払いはエルファリア商会のルイスがする」


 言うが早いか、クラークの腕に短剣を突き刺した。

 目標は蠢いてる肉の部分。ゆっくりだったのでしっかりと狙うことができた。


「ぐあああああ!!」


 クラークの悲鳴が輪の中でこだまする。

 痛いだろう? もう少し我慢してくれ。多分その痛みは君の人生の糧になる。最も黒歴史としてだが。

 グリグリと短剣を動かすと、くっついていたモノが剥がれていくような感触があり、手ごたえを感じた。

 勢いよく短剣を抜き、肉塊と腕を切り離す。短剣に刺さったままのたうち回る肉の塊にどこからか悲鳴が聞こえた。

 そんなことはお構いなしに、短剣と肉塊を地面に叩きつける。


「傷に回復魔法!」

「はいっ!!」

「肉と短剣にポーション!」

「はいっっっ!!」


 クラークの傷は回復魔法で血止めがされる。初級なのでこの程度しかできないようだ。

 ポーションがかかった肉塊は悶えながら徐々に小さくなっている。小さくなっているだけで、ベルグリフ殿下の癒し水の時のようにはならないが、動きは止まったので良しとしよう。


 続けてゴードンにも同じことをする。投げてしまった短剣の代わりにと、近くの冒険者が短刀を貸してくれた。魔物の解体用だそうだ。

 戦士のゴードンのほうが体力があるので処理に苦労したが、よく切れる短刀のおかげでなんとか切り離すことができた。こちらのほうが元気なナレノハテ(?)だったので変な液体で服が汚れてしまったが、間に合ってよかった。


 それにしても、これを、どうしようか……。


 目の前には魔石化しなかったナレノハテと痛みで気絶した少年たちがいる。

 初級の回復魔法ではこれが限界だ、と言った白いローブの魔術師は魔力切れで倒れてしまった。そういえば彼らは初級の冒険者たちだった。無理をさせてしまったようで全員の顔色が悪い。


「おかげで助かった。ありがとう。今のは別報酬と冒険者ギルドに報告しておくよ」


 少年たちを両肩に担ぎ、立ち上がって頭を下げると、周りで固まっていたすべての人々に動きが戻った。

 何事かとやってきた野次馬や仕事に戻らねばと走り去る人々を見、ため息を吐く。


 いまだに蠢いている肉塊はゆっくりと小さくなっている。幸いなことに近くを通りかかった商人が上級回復ポーションを売っていたので購入し、対処できた。魔石になるまで待たねばならないかと心配していたので助かった。


 とりあえずこの子たちは冒険者ギルドに連れて行って対応してもらおうか。


「やれやれ」


 まだ見回りに出たばかりなのにさっそく騒動があるなんて、幸先が悪いな。

 しかもこれはまだまだ序の口、そう思いながら、私は冒険者ギルドに足を向けた。








読んでいただいてありがとうございます。


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[一言] 思わぬ所でナレノハテに遭遇でしたねー。 経験が役立つとはまさにこの事…
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