生き物の理
気が付くと、ベッドの中で紫黒に抱きついていた。
「うわあ……」
思わず呻く。
『どういう意味だ』
紫黒はシャッと息を吐くとするすると腕から抜け出た。どうやらリックの代わりに護衛をしてくれてたらしい。
外を見ると日が少し傾いていた。夕方まではいかないが、昼も遅い時刻のようだ。昼食を食べている間にうっかり眠ってしまったらしい。やはり夜は眠らないとダメなんだな、と反省する。
謝ると、紫黒は困ったように顔を横に向けた。
俺が呑気に寝ている間、皆はそれぞれ出かけたそうだ。
リックとドアラは冒険者を探しに行き、ジェロームとジャスは商会の仕事、灰青はジャスの護衛、ルイスは催しを見回りに行ったという。何だか申し訳ない。
休ませてもらったおかげで少し元気になったので、俺もできることをしなくては。
そう思って立ち上がりかけたとき、紫黒がきゅっと巻き付いてきた。
長い体をゆっくりと巻きつけて肩口まで上がり、くるりと首を回って正面から目を合わせる。
綺麗な黒い目に映る自分はものすごくやつれて見えた。
『夢に何か言われたか?』
思わず喉が鳴った。気づけば頬が濡れている。恥ずかしいことに眠りながら泣いていたらしい。紫黒以外に気づかれてないことを祈りながら急いで拭う。
『無理やり眠らせたせいかと思ったが、そうではないようだな。少し体を借りた故、ヌシが悪夢を見ていたのはわかっている』
「眠らせた? 体を借りた? なんのこと?」
『ま、まあ、そこはあとで説明する』
チロチロ、と出した舌で鼻先を舐められた。気にするなということらしい。
『朧げな夢ならそれでいい。夢とはそういうものだ。しかし、そうでないならしっかりと憶えているだろう? さあ、話すがいい』
「話すがいいって、そんなこと言われても……」
正直、口に出したくはない。
『口答えは認めん。話さないならヌシの記憶を読む術を』
「わかった! わかったから!」
黒歴史いっぱいだから記憶を読むのは勘弁して……。
シュルシュルとしっぽの先を回しながら脅してくる紫黒は本気だとわかる。自分に抱き着いて泣いている情けない俺を見て、ものすごく心配してくれたようだ。何だか申し訳ない。
仕方なく、先ほど見た夢を話して聞かせた。
夢ならあいまいなところがあってもおかしくないはずなのに、奇妙なほどはっきりと覚えている。あの時感じた激痛まで思い出され、話し終えたときには冷たい汗が体を濡らしていた。もう子どもではないはずなのに、怖くて全身が震えている。
『大丈夫だ』
いつの間にか夕べと同じほどの大きさになっていた紫黒は、太く長くなった体で包み込むように巻き付いた。
『鉄黒の思念に引っ張られただけだ。ナレノハテになったあ奴が滅ぶ前、視線を合わせなんだか?』
そういえば、紫黒に会いに行きたいと言った鉄黒と目を合わせたっけ?
だから少しでも回復したほうがいいと癒し水を使ったら、正体を現してリックに滅ぼされたんだった。
『それだな』
言いながら、紫黒がとがった鼻先を額に当ててくる。
すうっ、と何かが溶けた感じがして、気持ちが楽になった。まだ震えは止まらないが恐怖感は薄れている。
『相変わらず鉄黒は姑息だな。地味にヌシに嫌がらせをしていったようだ』
「嫌がらせ?」
『ああ』
鼻の近くに皺を寄せ、不快そうに息を吐く。
『鉄黒が感じていた不安や不満と同じものヌシから感じたのだろうな。眠ったらヌシが一番恐れているモノを夢に見るように暗示をかけていったようだ。命の危険は全くないが精神を削る嫌がらせ、奴の得意とする呪いだった。ワシも何度かかかったことがある。気分は良くないな』
よしよし、と撫でるように緩急をつけて優しく締められる。子蛇達をあやすときも同じことをするのかなと思ったらなんだか複雑だったが、ぐっと慰められた。
ただな、と前置きし、紫黒はシュッと息を吐く。
『だが、奴の呪いはそこまでの力はない。せいぜい過去に身悶えるほど恥ずかしかった出来事を思い出させる程度で、激痛を与えたり知らぬことで誹ったりすることはできないはずだ。わしがかかった時は月白との逢引でやらかしたことを延々と繰り返された程度だった』
紫黒、月白さんの前で何したんだろう? というかそれをその程度とか言う強い心臓いいなあ。
まあそれはそれとして。
「どういうこと?」
『つまりだ、所詮奴はナレノハテになる程度の蛇だった。そんな高度な術は使えぬ。だとすれば、それはヌシにかけられた呪いなのではないかと思う』
呪いか。
まあ、俺自身自分の血は呪いだと思ってるからな。ものすごく納得できた。
「俺の母や祖父母はウエイル一族の典型だったそうだよ。俺はその血を濃く継いでいるから、そういうこともあるんだろうね」
母と祖父母は隣国に入る前に処分されたと聞いている。処分、跡形もなく消されたという意味だ。それをしたのは兄上だが、させたのは俺だと思ってる。
だからきっと、呪われた。親を殺した子どもにはそれ相応の報いをということだろう。
仕方ない、自らが招いたことだ。後悔はしていない。俺が王になり、ウエイル公爵家がこの国で誰にも負けない力を持ったら、今のようにはなってなかったかもしれないんだから。
そして俺も、今のようには生きられていない。
今の俺はこんなにも自由で、人々に恵まれ、望まれて生きる世界に身を置いている。それだけで十分に満足だ。
そう言うと、紫黒は突然強い力できゅっと締めつけてきた。
『阿呆か!?』
苦しい……。
死なない程度だけど、息もできるしどこも痛くならないけど、ものすごく苦しい……。
『会ったばかりのヌシにこんなことを言えるほどの付き合いがないことはわかっとる。しかし、あえて言う。ヌシは阿呆だ!』
舌でぱしんと額を叩かれる。二股に分かれて舌は鞭みたいで地味に痛い。
額を抑えて呻くと、紫黒はシャーシャーと威嚇音を出しながら怒鳴った。
『生き物が自分のために生きることを一番にするのは当たり前だし、今よりもっとよくなるように上を目指すのも当たり前だ。そんなことで悩むなど、阿呆としか言いようがない!』
そんなことを言われてもなあ……。
『よいか、ヌシはそもそも生き物の理をわかっておらぬ』
紫黒はとがっているが柔らかな鼻先を額にぎゅっと押し当てた。
『生き物はな、ただ生きているだけではない。もっとよくありたい、そう願って進化していくものだ。そうでなかったら、このような国や町はなかろう?』
「うん……」
『ただ生きているだけでよいのならば、洞窟や木のうろで寝起きし、近くで手に入る物を食べていればいいのだ。それだけあれば生きていけるだろう? それだけでは満足できないから、棲み処を作り、狩りをし、集落を作っている。ワシら蛇はお互いの住みやすいように考えて生きている。試行錯誤を重ね、より楽に、住みやすく、皆が安心して生きていけるよう、知恵を出し合って暮らしている。そしてそれを次代に引き渡す。他の生き物とて同じだ。より上を求めるのは生き物の理ではないか?』
「……」
『ヌシにわかるように人で例えるか。ワシが子蛇だったころ、この地は葦が生えているだけの湿地だった。それを人間がやってきてこのような渡し場を作った。それとて自分が利益を求めたい、もっといい場所に住みたい、金を手に入れたいという傲慢な欲であろう? そのために人を踏み台にし、のし上がってきた一族とておる。ジャスティンの一族とて同じだ。ヌシの親だけではない。そのようなことで思い悩んでいては、人は全員血によって呪われていることになるではないか』
それはそうだと思う。
頭では何となく理解し始めているけど、感情が追い付かない。
『鉄黒とヌシの母どもは似ているのだ。自らを特別な存在だと驕り、そこそこの権力を持ち、他者を受け入れずに自らのみを至高とした。上を目指し、他を巻き込み、失敗した。奴らは自らの手で身を絞めた、それだけのこと。奴らはそれをすべてヌシの責とし、責め苛むことで自らを保っている。つまり、ヌシは奴らの憂さ晴らしに使われただけだ』
憂さ晴らし、確かにそうかもしれない。
「だけど、俺だって、同じことをしたよ」
兄上を王にするために、姉上と幸せになってもらうために、そう言いながら、母や一族を断罪した。自分を苦しめる人間たちを一気に排除しようとしたと言ってもいい。
『それがどうした?』
「どうしたって……」
『よいか、生き物はな、自分の次の世代により良いものを残すようにできている。そうでないものは淘汰されて消えていくのだ。故に、親は子を大事にし、子は親の想いを引き継ぐ。残念なことにヌシはそれを教わらなかったのだな』
「……、うん」
『ヌシがしたことは同じではない、そうワシは思う。直接知るわけではないから真実ではないやも知れぬが、ヌシの親たちは自分の為だけに力を振るった。ヌシは自分以外のために力を振るった。親たちは自分への利以外は排除し、ヌシは自分への利を排除した。故にヌシの親たちは淘汰され、ヌシは残った。どこが同じなのか、ワシにはわからぬがな』
そう、だといいなあ……。
脱力してベッドに倒れ込みそうになったところを太い胴に支えられた。
『それにな、ワシに言わせれば、ヌシはだいぶ傲慢だと思うぞ』
「俺が?」
『ああ。ヌシはウエイルの血がとかウエイルがとか、ウエイルであることを過剰なほどに意識しておる。コンフォートビターではなくウエイルが最大と言っているのと同じだ。それを傲慢と呼ばずして何が傲慢か』
ちろちろと舌を出す。どうやら笑われているようだ。
その時ふと、ミラに言われたことを思い出した。
『でもそれはベルグリフ様のせいじゃないからね。自惚れんな』
ミラにはいろいろと教えてもらっていたんだなあ。今頃になって気付くことがあるなんて、驚きだ。さすが聖女。本人は『腐っても聖女』とやたら腐ってることを主張していたけど。
「そっかぁ……」
傲慢で自惚れた王子なんて最悪だな。
そう思ったらおかしくて、気が付いたら涙を流して笑っていた。
読んでいただいてありがとうございます。
もとは前回アップした部分と合わせてアップする予定だったのですが、長くなったので二つに分けた部分でした。少し重たい話でしたが、次回からはまた呑気に行きます。




