ウエイルの血
痛みを伴う暴力表現があります。加えて鬱展開です。苦手な方はご注意ください。
あとがきにあらすじを載せますので苦手な方はそちらを見てくださるようお願いします。
※主人公の年を22と書いてましたが20歳の間違いです。見つけ次第修正してます
突然足元がなくなって水の中に落ちたような気分だった。
ひゅっと胃が裏返るような浮遊感ののち、上下左右すべての感覚がなくなる。何もない空間を漂っているようだ。どこにも触れず、空気の流れも感じない空間は自分がどこに存在しているのかわからなくなってただただ不安になる。
目の前にいたはずのジャスやリックの姿もない。
何かの術にかかって知らない場所に飛ばされてしまったのだろうか?
そんなことを思ってたら、突然足元に固い床ができ、背中に衝撃が来て前のめりに倒れた。起き上がる暇もなく、強い力で何度も何度も背を踏みつけられる。胃の上を強く押され、逆流してきた胃液を飲み込むと喉の奥が焼けた。
続いて上腕の内側や腿の裏側に激痛が来た。鋭くしなるモノで幾度となく叩かれる感触が次から次へと襲い掛かり、思わず奥歯を噛み締める。
この痛みは覚えがある。正直思い出したくなかったが。
ずしり、と頭を踏まれる。
今だと小さい足だと感じるが、子どもの頃の自分にはとてつもない圧力だった。しかもピンヒールが刺さる。頭の骨にヒールの形でくぼみができていたこともあったな。
『この、出来損ないが!』
ぴしり、と背中の傷に鞭が飛ぶ。
記憶にこびりついた女の甲高い声が耳に届く気がするが、そんなわけはない。
ぎゃあぎゃあと意味のない声をあげながら背や腕を打ち付ける姿は幻覚だ。痛みだって現実でないはずだ。
だって、母は、もうこの世にはいないから。
『お前のせいで、私は、死んだんだからな!!』
だが、こう言いながら、足をあげて何度も頭を踏みつけるのは紛れもなく母だった。
目の近くを蹴られて視界に星が飛ぶ。
鼻先を鞭が飛び、鼻血が噴き出る。
その痛みは確実に届いている。幻覚なら完成度が高すぎだ。
痛い、痛い、痛い……。
いつの間にか子供の体に戻っていた俺は子どものころにそうしていたように体を丸め、暴力と罵声に耐えた。
これは母ではない。母であるわけがない。だからこの痛みはすべて幻だ。
そう思うが、なくならない。母の声と痛みは恐怖とセットで刷り込まれている。
『そうだ、わたくしたちは、お前に殺された』
『孫が祖母を殺した』
『孫が祖父を陥れた』
『許さぬ』
『許さぬ』
『許さぬ』
どこからか二人分の声が重なって三人になった。祖父母だ。こちらも聞くだけで体が震えた。それぞれが鞭を振るい、あちこちに激痛が走る。
背中を焼き尽くすような激痛は気力までも焼いていった。
抵抗できず、ただ黙って頭を振る。
「違、う。俺は、俺は……」
呟くと、三つの足が背中の傷を掻き回した。
『お前はわたくしの言う通りにしていればよかったのだ。そのまま王太子でいればやがて王になり、わたくしは王母として贅沢な暮らしができたのに』
『お前はわしの人形だ。傀儡の王を立て、後ろ盾としてわしが実権を握り、この国に君臨するはずだった。このデイヴ=フィル=ウエイルがだ』
『わたくしはウエイル公爵家の者としての務めを果たせと言ったはずです。そのための躾もした。それなのに、ベルグリフ、お前はわが家を滅ぼした。そんなお前がのうのうとなぜ生きている?』
『そうだ、お前が死ねばよかったのに』
『お前が死ねばよかったのに』
『お前が死ぬべきだったのに』
いつの間にかあちこちから足や手が出てきて俺の体中を打った。
古い傷が開くような感触があるが、昔と同じように声をこらえて歯を食いしばる。
「貴方たちは、国を、この国を我が物にして、喰い物にしようと、していたでは、ないですか……」
痛みの奥から何とか声を出す。
「兄上とセリア様を、殺そうとし、俺を使って、王位を狙い、姉上を利用して、高位貴族たちを、取り込み、他国に、取り入って、国を内部から、食い荒らそうと、して、いた……」
嘲笑が起こった。
『そんなことは当たり前でしょう?』
『何を馬鹿なことを』
『わしらはウエイルなのだぞ。この国の真の王なのだ』
意味が分からない。ウエイルの何がそんなに偉いのだろう?
『この国はもともとコンフォートビターのものではなかった。わしらの先祖、ウエイルが治める土地だったのだ。古い歴史書には我がウエイル家こそがこの国の王だと書かれているではないか』
どこにそんな記述が? 聞いたこともない。単に勉強不足なだけか?
『知らぬのは仕方ない。コンフォートビターに都合の悪い記録など、帝王学で学ばせるわけがないからな』
『これはウエイル家の秘録』
『お前が出来損ないでなかったら、教えていたはずなのだ』
それらは『この国の隠された歴史だ』と声高に語った。
その昔、大森林に神樹がなかったころ。
この辺りには複数の小さな国があり、それぞれ豪族と呼ばれる力のある一族が治めていた。
ウエイル一族はその中で最も大きく、力の強い一族だった。
一番栄えていた時は今でいう彩の国のあたりまで手を広げていたという。
だがそれもやがて衰退し、西のほうから来たコンフォートビター一族に攻め込まれ、負けて、取り込まれた。その後もコンフォートビターは次々と周りの豪族を取り込み、貴族として迎え入れ、国を興したのだ。そして、王宮がある土地はウエイル一族の土地だったという。
故に、ウエイルは王族に次ぐ力を持つ公爵として存在していたのだと、声は高らかに言った。
また、それ故に次代の王にウエイル一族である俺がなることで、コンフォートビターは名ばかりの王になり、ウエイルの血を持つ者が真の王となったはずなのに、と。
俺は無言で首を傾げる。
たしかに、国の成り立ちはその通りだ。コンフォートビター一族がもともとこの地にはなかった魔法を使い、豪族たちを平定し、国となったと学んだ。その際に国の護りとして大森林に神が特別な樹を植え、それがドライアド様の神樹となったと聞いている。
しかし、それで言えばウエイル以外の貴族もこの国の古い王と呼べるのではないか?
姉上の一族、グッドウィル家も同じ成り立ちなのではないか?
疑問は鼻で笑われて終わる。
代わりに後頭部に圧がかかった。
『出来損ないだった故に伝えられなかった。すべてお前が悪い』
『わたくしたちは真の王の一族だったのに、お前のせいで殺された』
『身の程知らずの餓鬼のせいで』
ぐしゃり、と手足を潰された。感触だけの幻だと言い聞かせるが、痛みは現実そのものだ。思わず悲鳴を飲み込む。
支離滅裂なことを叫ぶ亡霊だと一蹴したいのに、心と体が言うことを聞かない。痛みに気絶すらできないまま、うずくまっていると、増えた嘲笑を従えた声は大きくなっていった。
『そうやって一生苦しむがいい』
『どんなに否定してもわたくしたちはお前の血の中にいる』
『心ならずもコンフォートビターとの間にできた忌み子』
『出来損ないのお前だが、ウエイルの血は流れている』
『お前はウエイルだ。その点だけは認めよう』
『その血を残せばウエイルの血も残る』
『血を残せ。息子よ』
『わしらは再度お前に痛みを与える』
『一族を取り潰しにした裏切り者め』
『死ぬ直前まで苦しむがいい』
『母殺し、祖父母殺しの罪を抱えろ』
嫌だ!
そう叫びたかった。
だが声が出ない。息もできず、ただただ苦しい。
嘲笑が響いた。
最後に全身を貫く痛みが走り。
そして。
ぱっと、すべてが消えた。
何もなくなった真っ暗な闇を漂っている。
先ほどと同じで上下左右の感覚もない。ひょっとしたらどこかに落ちているのかもしれないが、それもわからない。
痛みがなくなっただけでずいぶんと楽になった。今の姿に戻った体にはどこにも怪我はなく、やはりあれは幻だったのだと思う。
幻というにはひどすぎたが。
先ほどの騒ぎが嘘のように静まり返った空間で、ただ、流されている。
俺の血の中にいる、か。
思わず笑みが漏れた。どんなに厭わしいと思っても、この体を作っている血肉は父母から与えられたもの。ウエイルとコンフォートビター両方でできている。
もっとも、コンフォートビターとてウエイルとさほど変わらないかもしれない。兄上のことは尊敬しているが、父上を思うと複雑だ。
なんだろう、この妙な脱力感は。
何だか、もうすべてどうでもいいというか……。
「俺は、やっぱり、ウエイルなんだなあ」
傲慢で他者を攻撃せずにはいられない一族。
自分の利になるならば他者を犠牲にするのは当然だと思う、そんな一族。
母や祖父母だけがそうだと思っていたが、思い出せばそうではなかった。ごくたまに出席させられた親族だけの会の時、叔父や伯母も同じような顔で同じようなことを話していた記憶がある。
そういえば、あの時に俺をかまってくれたのは、今は彩の国にいるグリム兄様だけだったな。もう長いこと会っていない。グリム兄様の分家はウエイルを嫌って彩の国に帰化したと聞いたけど、息災でいるだろうか。
結局、婚約破棄を利用して、俺もウエイルと同じことをしたのだろう。
この国のためと言いながら、母や祖父母を国から追い出し、結果的に兄上に殺させた。
自分の手を汚さず、俺に害がある人々を他人の手で排除させたのだ。
やってることは変わらないじゃないか。
こんな汚れた血を持つ俺が、この国を愛しているとか守りたいとか言う資格はあるんだろうか?
それは本当に真実の愛なんだろうか?
ただの欺瞞ではないだろうか?
そんなことを思っていると、子どものころの兄上が浮かんだ。
『大丈夫! 俺とベルなら無敵だ!』
兄上はとてもいい笑顔を向けていた。
きらきらする極上の笑顔を持つ、半分だけ血のつながった兄上。
兄上は俺にとって太陽だ。
自信がなく、母や祖父に殴られ蹴られて育った俺にとって、大丈夫と言ってくれるのは兄上だけだった。
いつもいつも励ましてくれて、俺ならできると信じてくれる。
そんな兄上に嫌われたくなくて、一生懸命生きてきた。
兄上が大事だという国や人を守りたいと思った。
兄上が喜んでくれるなら頑張れるかもしれない、いや、実際頑張れた。
『俺はベルと二人ならこの国をサイッコーに幸せな国にする自信がある! そのために、いっぱい頑張ろうぜ!』
そういえば、兄上は子どもの時から無条件で俺を信じてくれてたな。
こんな俺でも、兄上を喜ばせることができるかなあ。
『できることをがんばればいい』
昔、誰かに言われたことを思い出した。神官長だったっけ?
俺、結構頑張ってると思うんだけど、頑張ってると思ってるってのは頑張ってないってことなのかなあ。
そんなことを思ってたら、無性に悲しくなって、涙がボロボロ出てきた。
20歳にもなって情けないが、誰も見てないからいいか。
そう思ったとき、どこからか大きな手が来て、わしわしと頭を撫でてくれた。
暖かい。
手は『大丈夫、頑張っているよ』と褒めてくれてるように感じた。
撫でられるたびに、砕けそうな心が和んでいく。
「うん、がんばる、よぅ……」
呟いたらなんだかとても楽になった。
そして、目が覚めた。
読んでいただいてありがとうございます。
今回のあらすじ
・眠らされたベルを襲う過去の記憶!幻に虐待されるベルピンチ!
・実はウエイル一族は国ができる前からこの地にいた豪族で、自分たちが真の王だと信じていたぞ!
・解放されたベルは自分がしてきたことが自己満足ではないかと思い悩む
大丈夫、夢です。
次回は目覚めたところからスタートします。また読みに来ていただけると嬉しいです。




