ほっとけないだろう?
ベルと黒い蛇はなにやらやり取りしている。傍から見たらベルが一方的に話しかけているだけなんだが、ちゃんと会話になっているというので驚きだ。あの能力、ほんと不思議だよなあ。
そんなことを思っていたら黒い蛇が腕に巻き付いた。冷たくしっとりした蛇の感触に一瞬戸惑ってたら、突然ベルの体が糸の切れた人形みたいに崩れた。
慌てて抱え込み、倒れないように支える。
顔色を変えて飛び出してきたルイスたちを制し、覗き込むと、ベルは意識を失っていた。
だが気絶というよりは寝落ちしているらしい。顔色はひどいままだが、すぅすぅと寝息を立てている。眠りはとても深いようで、体を揺すったり、顔を軽く叩いたりしたが、呻き声一つ上げない。
睡魔に襲われたにしても、いきなり寝るか?
昨日寝てないとはいえ、そんなことあるか?
「とりあえず僕の横に」
ジャスティンが端に寄り、ベッドの半分を空ける。華奢なジャスティンと細身のベルならこのベッドに二人入れても大丈夫そうだ。
抱え上げたベルは思った以上に軽い。子どもか!と突っ込みたくなったが今はそれどころじゃないな。
ベッドに押し込んでも、ベルは目覚める気配すらない。巻き付いた蛇を抱え込むようにして、すやすやと眠っている。
それにしても、いったい何が?
「心配することはない。ワシが眠らせただけだ」
横になったベルの口から低い声が出た。
明らかにベルの声ではない。ひょっとしてまだナレノハテの力が残っているのかとあたりを見回していると、蛇の口からシューシューと息が漏れた。
「ひょっとして、紫黒?」
ジャスティンがベルの首に巻き付いている蛇の頭に触れた。いつの間にか俺の腕から離れていた黒い蛇はベルの首にしっぽを巻き付けたまま、器用に移動してベルの胸の上に乗っている。
「いちいち通訳してもらうのも面倒だったのでな。こやつの体を借りてみた。水の魔力持ちと蛇は相性が良いからな」
「あー、僕も水だ。それで僕、乗っ取られちゃったんだねえ」
「魔力の問題だけではないが、入り込みやすくはある。鉄黒も乗り移りやすかったであろうな」
なるほど、ベルの口からこの蛇、紫黒の言葉が出ているってことか。知り合いの口から知らない奴の声が出ているってのは、なんというか、シュールだな。
声に悪意は感じられない。紫黒はベルと仲が良いみたいだが、護衛として確認したいことがあった。
「お前、ベルを乗っ取るつもりか?」
ジャスティンが蛇に取り憑かれていた時のことが頭から離れない。痛い痛いと叫びながらも必死で蛇から逃れたジャスティンは勇気があると思う。だが同じことをベルがしたらと考えると冷や汗が出る。胸にナイフを突き刺しても助けてやれる治療魔法を誰も使えないのだ。
返答次第では叩っ切るつもりで聞くと、紫黒はシューっと息を鳴らした。
「そんな面倒するわけがないだろう? 自分のだけで手いっぱいだ。逆に聞くが、ヌシはこやつの面倒を引き受けたいと思うか?」
「断る!」
「だろう? だからそのような警戒は要らぬ。用事がすめばすぐに術を解いてやる」
言いながら、紫黒はそっとベルの額に尖った鼻を押し当てた。
「入っているからわかるが、こやつの体はひどいな。薬と気力のみで動いているではないか。このままでは早死にするぞ。誰も気づかなんだのか?」
うっ、と思わず呻いてしまう。そういえば昨日は2回も癒し水を作らせてしまった。どっちも出来上がった時は半分くらい気を失ってたような……。すまん、ベル。あとで焼き肉奢ってやる。
周りの人々もそれぞれ思うところがあるようで目を伏せてる。仲間多いな。ことが済んだら焼肉パーティだな、んむんむ。
そんな顔を見た紫黒もゆらゆら揺れていた。こいつも思い当たる節があるのか。
「ワシもヌシらのことは言えぬ。昨日寝かさなかったことを後悔している。故に少しでよいので休ませてやりたかったのだよ」
ベルの横で半身起こしていたジャスティンが困った顔で胸に手を当てた。
「僕らがいくら止めても、できると思ったらやっちゃうんだよ。ベルは意外に頑固だからねえ」
「そのようだな。そんなところが神樹の精霊に好かれている所以なのだろう。わずかだがつながりを感じる。愛し子でもないのに驚きだ」
精霊の愛し子か。昔語りでしか聞いたことないな。精霊に愛されて力を無償で借りられるものだったっけか? 愛し子の身に何かあった時の精霊の怒りはとんでもないってことしか知らないけど。
あれ? そういえばベルって、妖精とか精霊とか魔物とかに力貸してもらってなかったか?
でも愛し子は多数の精霊でなくて、神に匹敵する力を持ったひとつの精霊に愛された存在だったはずだから違うのか。
まあ、なんだ、あれだよな。こいつ、ほっとけないもんなあ……。人外の存在にほっとけないとか思わせるってのもどうかと思うが。
「とはいえ先に詫びておく。ただの蛇であるワシがこんな術を使ったこと、驚かせただろう? だが魔法が使えるのは人だけではないのだぞ。198年も生きていればこのくらいはできるのだ。しかもこやつはただの人間ではなく、この国の王子だと聞いた。その男は護衛なのだろう? 心配かけたな」
ぺこり、と頭を下げた紫黒はとても礼儀正しい上に何というか格上の存在感があった。気が付いたら俺は膝をついて頭を下げていた。
その後、食事が終わった三人が椅子を引きずってやってきたので、ベルを囲んで(正確にはジャスティンのベッドの周りで、か)話をした。
ジャスティンの話を聞いた紫黒は遠くを見るように上を向き、しばし黙祷していた。隣にいた息子の蛇も同じように黙祷している。
仲間と言えなかったようだが、同族を失うのは辛いよな。
しかも群れを離れた元同族がヨメを狙ってるとか嫌すぎる。人を喰らって云々もあるが、そいつらが主君であるナナト様に害をなそうとしている事実は衝撃的だったろう。
「そうか……」
だが紫黒は短くこう言っただけだった。続けて頭をベルの胸に押し付けるくらい深く下げる。
「同族が迷惑をかけた。すまない。ナナトの蛇の長として、身を差し出してもよい。謝罪を受け入れてほしい」
隣で子蛇がシャーシャーと唸っている。ものすごい剣幕だが、紫黒は首を振った。
「違うぞ、灰青。長というものは一族のすることすべてに責任を取る立場にあるのだ。それがたとえ棲み処を離れたとしてもだ」
シャーシャー!!
「こやつらがワシを騙してなんの得がある? 現実を受け入れろ。蛇のすべてがワシらと同じ考えではないのは知っておるだろう? そのせいでお前の慕うこやつが死にかけておる。そして今夜はナナト様をお迎えし、お見送りをする大事な夜だ。互いに協力しなくてはいけないときに、個蛇の我儘を通そうとするものではない」
何だか耳が痛い。昨日蛇を信用できるかと言っていた会頭とギルマスも俺と似たような顔をしていた。蛇に諭されるとか、なんて言ったら蛇に失礼だな。
子蛇は不満そうだったが、おかげで場が和んだ。ジャスティンが手を出すと、子蛇はシュウシュウ言いながらも腕を伝って肩に乗った。話し合いの邪魔はしないという意思表示のようだ。
しばらくお互いの知ることを交換し、これからの動きを決めた。
会頭とルイスは引き続き町での催しを仕切る。町の人々を留めておくことでナナト様への儀式がやりやすくなるから。なるべく盛大かつ離れがたいものにしてほしい、と紫黒が言い、面倒かけてすまないと頭を下げた。
そうそう、ルイスの話だと、夜中に大蛇擁護派を名乗る人々が商業ギルドを介してやってきて、店員と一緒に働いているそうだ。
昨日ベルと会合に行ったのは無駄じゃなかったと聞いて嬉しい。
あの時ベルは短時間で町の現状と大蛇の話をし、エルファリア商会への助力を願って頭を下げていた。エルファリア商会の紹介状のおかげだとベルは言っていたけど、俺はベルが奴らを動かしたんじゃないかと思っている。最初、奴らは無責任に話し合いだけしている団体だったがやる気だけはあった。そのやる気を削がないように、かつプライドを折らないように、やるべきことを伝えられるのは才能だけじゃないと思う。
ドアラは大蛇退治派に所属している冒険者が喰われないように、手練れを率いて乗り込むと息巻いていた。紫黒によるとナナト様が禊を終えて大河から上がってくるのは夜中らしい。夕刻までに退治派の冒険者を無力化すればわざわざ食われに大河に行くことはないだろうとドアラは言う。
「冒険者ギルドが冒険者を助けに行くなんて、情けないねえ」
まったくだ。まあこの町にいる退治派以外の冒険者はほぼ全員と言っていいくらい町で店員の手伝いをしている。ドアラが声を掛ければついてくる手練れはたくさんいるのだろう。
ジャスティンは本調子ではないのでここで留守番になった。むくれているがついてきても足手まといなので仕方ない。その分、床についていてもできる仕事を会頭から指示されていた。
ちなみに子蛇はジャスティンの護衛につくそうだ。
「おいおい、大丈夫かよ?」
つい尋ねたら子蛇にかじられた。意外と痛かった。これなら平気だろう。
「で、こやつはどうするか、だが……」
ベルの口からベルの処遇を悩む紫黒の声が出た。だんだん違和感を覚えなくなってる。慣れってすごいな。
「ぎりぎりまで休ませてあげたいねえ」
会頭がのんびりと言った。父親の顔になってるのがなんとも。
「そうだね。冒険者のほうは荒事になるだろうから、ベルちゃんが来たところでどうしようもない」
ドアラが肩を竦める。ベルの魔法は支援系だから、今回は向かないだろうな。
「町のほうではこれから芝居が始まるのですが、婚約破棄の話なので……」
ルイスが困った顔してる。ま、まあ、気持ちはわかる。お互い気まずいわな。
「僕は父様の部屋で仕事の手伝いするよ。計算得意だしね。それくらいなら問題ないでしょ?」
ジャスティンはベルの前髪をひとしきりかき回した後、にこりと笑った。まだ顔色は良くないが、ベッドをベルに使わせたいという意味だろう。見た目より骨があるようだ。
その肩にいる子蛇は胸をそらすようにのけぞっている。頑張れよ、守護獣。
「んじゃ、俺はドアラと行くよ。護衛は任せた」
俺は黒い蛇の鼻先に手を差し出した。わかったとばかりに紫黒は鼻先を当ててきた。察しのいい奴で嬉しい。
部屋を片付けて出ていく前に、なぜか全員ベルの周りに集まった。
抱き枕状態の紫黒はすでに術を解いたらしく、シュッシュと息を吐きながら舌を見せている。
よく眠っているベルは悪い夢でも見ているのか、苦しそうな顔で眉を寄せていたが、ドアラが大きな手で頭をなでると、ふにゃりと笑って呟いた。
「うん、がんばる、よぅ……」
夢の中でも頑張っているらしい。
まったく、こんなのほっとけないだろう?
思わず苦笑する。
気づけば、この場にいる全員が同じ笑みを浮かべていた。
読んでいただいてありがとうございます。




