鉄黒の言い分
袋の中ではジャスの血がべったりとついた黒っぽい蛇が弱々しく動いていた。
袋から出ようと何度か伸び上がろうとするが、しっぽの先のほうがなくなっていてうまく動かないようだ。それでも時折毒のようなものを飛ばしたり、シャーシャーと激しく威嚇してくる。たぶん逃がしたらもう捕まらないだろう。
ちょうどショーンが医者を連れてきたので、ジェロームにジャスを託し、リックとルイスを連れて隣のルイスの部屋に移動した。
ルイスの部屋という名がついていたが、中にあったのは簡単な寝台とテーブルと椅子のみ。騎士団で借りた部屋とほぼ同じだ。まあ普段は寝るだけしか使わないそうなのでこの程度でいいのかな。そういえば王宮にある俺の部屋もこんなもんだった気がする。
ドライアド様のおかげで魔力には余裕があるけど、体はくたくたで倒れそうだ。まだ朝なのに今日一日持つかなあ。
そんな心配をしつつ、床に座る。毛足の長いじゅうたんが気持ちいい。さすがエルファリア商会。いい品そろえてる。
「大丈夫か?」
背後にリックが座って支えてくれた。甘やかされているようで恥ずかしいがそんなこと言ってる場合じゃない。ありがたく胸を借り、姿勢を整えてから、ルイスに袋をもらう。
袋を床に置くと、中の蛇が一瞬硬直した。警戒しているのだろう。
少しだけ袋を開け、しばらく置くと、蛇が顔を出してくる。
俺と目が合うと、蛇は舌をチロチロと出した。そのままじっとこちらを見ている。逃げる隙を伺っているようだが、体の大きな二人が退路を塞いでいるし、一応俺もいる。いろいろ聞きたいこともあるので、そう簡単に逃がす気はない。
しばし見つめあっていると、蛇のほうが折れた。ため息のようにシャーッと長く息を吐き、袋の口に首を載せる。
『誤解だとでも言っておけばいいか……』
頭の中に声が響いた。
紫黒の時と同じだ。ただ、今のは話しかけたわけではなく、独り言だろう。どちらにしてもルイスとリックには聞こえないようで、厳しい目を蛇に向け続けている。
「誤解って?」
聞くと、蛇はぱっと顔を上げ、目を丸くして俺を見た。
『ワタシの言葉がわかるのか、人よ?』
信じられん、と驚く蛇に、頷いて見せる。
「わかる、というか声が直接頭に響く。紫黒が話しかけてきたときと同じだったから君の言葉だと思ったんだけど」
なるほど、と言いたげに蛇は頭を振った。
「俺はベルグリフ。そっちは?」
『……、鉄黒』
名乗ると蛇はゆっくり袋から出てきた。
リックが身を固くして構えているのが背中を通してわかる。鍛えられた戦士の胸筋すごいなー、とこんな時なのに思った。そういえば前に兄上に抱き着かれたときも似たようなこと思ったっけ。そんなに胸筋好きじゃないんだけどなあ。
などと緊張感なく思っていたら、蛇が膝の上に乗ってきた。乾いていないジャスの血が服に筋のような跡をつけていく。
飛びかかってきそうなルイスを目で止めて、腕にくるりと巻き付いた鉄黒と目を合わせた。
血のような赤黒い目がきらきらと光っていて、吸い込まれそうだ。ずっと見ていたくなるような、そんな赤。深淵に飲み込まれるってのはこんな感じかもしれない。
一瞬、気が遠くなった。
同時にリックが背後から背を叩く。一度だけだったけど、とても痛い。
衝撃と痛みで我に返った。頭を振っていると、鉄黒が舌打ちのような音を出す。その首には鋭いナイフが突きつけられていた。
「ベルに何かしたら首を落とす」
ナイフを持つリックの声は恐ろしく低かった。見上げるとルイスも頷いている。
『殺す気はない。逃げられるか試しただけだ。ナイフをどけてくれ』
鉄黒の言葉を伝えると、リックは舌打ちしてナイフを下ろした。
刃先が離れると、鉄黒の赤い瞳が光を失い、黒っぽい色に変わった。巻き付いていた体をほどき、膝の上に乗って体を横たえる。今の術は弱った体にかなりの負担を与えていたようだ。
『先ほどの子どもと言い、ヌシの周りには強き者が多いのだな。まさか自分の胸を割いてしまうとは。あんなに強いとは思わなかった』
子ども?
ああ、ジャスのことか。
「ジャスは子どもじゃなくて、俺と同じ20歳の男だよ」
『フン。ワタシから見たらここにいる全員子どもだ。何せもうすぐ200歳になるからな』
「なるほど」
それは、ここにいる全員子どもだな。
『ワタシとてな、好きであ奴にとりついたのではない。青褐に利用されたのだ』
鉄黒は不機嫌そうに舌をちらちら出した。
『ワタシは確かに不満だらけだった。だがな、それだけだ。不満が多いのは悪いことではなかろう?』
「まあ、悪くはないね」
『そうだろう? なのに月白はシラミを見るような目でワタシを見るし、紫黒は要らぬことばかり言う。ナナト様には邪険にされ、同族の蛇たちには冷たくされ。ワタシの何が悪いのか。ただ良かれと思うことをしているだけなのだが』
「参考程度に何をしたか聞いても?」
『もちろんだ。まず……』
尋ねると、鉄黒はなぜか嬉しそうに自分語りをし始めた。
ワタシはもともとは小さなシマヘビで、紫黒と同じ時期に紫黒と同じ母蛇が産んだ卵から孵った。
ワタシと紫黒はシマヘビの中でも真っ黒な体を持ついわゆるカラスヘビと呼ばれる蛇で、とても目立つ存在だったのだ。その他大勢ではない、特別な蛇なのだぞ。
そんな自分をワタシはとても誇らしく思い、黒い蛇として将来的にはここを率いるのだと信じていた。
しかし、紫黒は違った。
嘆かわしいことに、黒い蛇を特別だと思っていなかったのだ。
黒い蛇はほかの蛇と違い魔力を持って生まれてくるので将来的に蛟になってナナト様のそばに使えることができるモノが多い。故に生まれたときから一目置かれているというのに、紫黒はそこらの蛇たちに交じってのんびり生活していた。
なにもしていないのに自分と同等、むしろそれ以上の結果を出してくる。
まさに、目の上の瘤だった。
さらに腹立たしいことに、同じ結果を出しても蛇たちは紫黒のほうを慕う。
ワタシのほうがいい結果を出せば紫黒を励ます。
同じことを言っても紫黒は恨まれないがワタシは疎まれる。
なぜだ?
何故だ?
しかもワタシがこんなに悔しい気持ちなのに、紫黒には全く届いていない。こちらがなにかをしても気にもしていない風に見える。
大変腹立たしく、いつか紫黒をギャフンと言わせてやることだけがワタシの目標になった。
そんなときだ。銀色の蛇が来たのは。
銀蛇、月白はナナト様の侍女候補として大河を下り、ワタシたちの棲み処に現れた。
年上の美しい蛇はしばらくしたら蛟になるのだと言った。
銀の蛇は黒い蛇と同等、いや、それ以上に魔力を持っている。魔力を持つ素質のある灰色の蛇が月の加護を宿すと銀色に輝くのだと言われ、その魔力は清廉だ。
透き通るような美しい魔力はワタシたちをたちまち虜にした。
そんな月白を見る目は二つに分かれていた。
憧れ、慕うもの。
妬み、嫌うもの。
青褐は前者だった。
青大将の青褐はどこにでもいる普通の蛇で、目立たない存在だったのだが、月白に声を掛けられたとかで舞い上がり、いろいろと世話を焼いていた。いろいろな蛇が月白と親しくなろうとしていたが、青褐はその中でも一番目立っていた。ナナト様に褒められたくらいかいがいしく世話をしていたように思う。
ナナト様に褒められたことが青褐を増長させたとも言えるな。
青褐の中で月白の一番は自分だという思いが育っていったのだ。
故に、月白が紫黒と親しくなった時は凄まじかった。
毎日毎日、紫黒の元に行き、月白から離れるように迫っていた。時には牙を向けたこともあったようだ。
それが月白に知られ、叱咤されたときはひどく落ち込んで涙を流していた。
しかし、しばらく経つと、青褐は妙なことを言い出した。
紫黒が月白を魅了しているのだと。
魅了の呪いで月白を縛っていて、解放してやれるのは自分なのだと。
月白が愛しているのは自分なのだと。
誰もがみなそんなことはないとたしなめたが、聞かなかった。
そうしてあの日、青褐は紫黒を襲った。
当たり前だが150年生きた紫黒と比べたら10年も生きていない青褐は赤子だ。あっという間にひねられて戦いにもならなかった。
青褐は口汚く紫黒を罵り、棲み処を去った。
逆に藍墨茶は後者の筆頭だった。
藍墨茶は自分の魔力は黒蛇よりも劣るがその分術を磨いたと吹聴しており、自分こそナナト様にふさわしいと信じていた。それがよそ者に横取りされたと言いまわっていたし、面と向かって月白を罵倒もしていた。
それがナナト様に知られてしまい、ナナト様付きの侍女の座を下ろされたのだが、月白が仕組んだと言ってとても恨んでいた。呪術に手を出したと聞いたのもこのころだ。
それもナナト様の耳に入り、棲み処にいることは許すがナナト様の目に入る場所にいることは禁じられた。自主的に去れということだ。
その後、藍墨茶を目にすることはなかった。
そのうち、先代の長が大河の主の元に行った。言葉通りの意味だ。死んだわけではないぞ。
次の長になるのは蛟になれるモノと決まっている。ワタシは当然自分だと思っていたが、当時は154歳の若造だったのでな。同じ年だった紫黒と長の座を争うことになった。
ワタシは何でもやったぞ。欲しいものを手に入れるために努力するのは当然だろう?
しかし、結果は紫黒が選ばれた。
何もしていない紫黒が選ばれたとき、ワタシは藍墨茶の言葉を思い出した。
紫黒は魅了を使うのだ、と。
故に無効だと言い張ったが、誰も聞いてくれなかった。
すでに魅了されていたのかもしれない。
ワタシはしぶしぶ従った。仕方あるまい。棲み処から離れる気がないのだから。
そうして、時が過ぎた。
青褐と藍墨茶に会ったのは満月の日だった。
ナナト様が大樹のうろで禊を始める少し前のことだ。
月明かりの中、獲物を探していたら声をかけてくるモノがあり、振り返るとそこに懐かしい蛇がいた。
ただ、最初は誰だかわからなかった。魔力の質が変化していたからだ。
青褐も藍墨茶もどこで何をしていたのかはわからぬが、蛇とは違う生き物になったとわかる気をまとっていた。ゆらゆらと神経質に体を揺らす癖は相変わらずだったがな。
奴らはワタシのそばにやってくると、棲み処はどうなっているか、ナナト様の禊はそろそろかなど、探りを入れてきた。もちろんワタシは答えたよ。奴らが紫黒に迷惑をかけるといいと思った。面倒ごとを起こしてくれるならありがたいではないか。
すると、奴らはワタシに協力しろと言ってきた。
年下の蛇のくせに生意気なと断ると、奴らは舌を出して嗤ったのだ。今思い出しても憎々しい。
背を向けて去ろうとしたときに、藍墨茶が何やら呟いたのに気づいた。それが呪いだったと気づいたのは術がかかった直後だ。
次に気づいた時、ワタシは青褐に取りこまれていて、身動き取れない体になっていた。
そうして、あの子どもに取り憑かされたのだ。
『不満は多いが、ワタシは悪いことはしていない。紫黒のことは嫌いだが、それだけだ。ナナト様の御渡りもつつがなく過ぎるよう祈っている。そんな蛇を青褐は利用したのだよ』
そう言って、鉄黒は顔を上げた。
今は黒っぽくなった目に俺が写っている。先ほど感じた魔力のようなものはない。
『こんなことになってしまったが、ベルグリフとやら、ワタシは人とは何とかやっていけると思っている。紫黒に会えばわかる。行かせてはくれないか?』
さて、どうしよう。
リックとルイスを見ると、二人は俺の判断でいいと言いたげに頷いた。それもまた困るんだけどな。
「行かせてあげてもいいけど、その前に傷を見るよ」
『傷?』
「ジャスに刺された傷だよ。ナイフ突き刺さっていたよね?」
『そうだったか? 気づかなかったな』
言われてはじめて気づいたと言いたげに鉄黒は自分を見回している。
俺はものすごく違和感を覚えた。
あんなに血が出ていたのに?
というか、刺したまま床に叩きつけられていた気がするんだけど、あのすごい量の血はすべてジャスのものだったのかな?
「とりあえずこれで血を洗うよ。少し我慢して」
言いながら、ポーチから癒し水の瓶を出し、少し振りかけた。
『ぎゃああああああああああ!!』
水がかかった瞬間、血がブクブクと泡立ち、うろこが剥がれ落ちた。鉄黒が膝から転げ落ち、のたうち回りながら絶叫する。
『は、謀ったな!!?』
えええ?
これ、今朝作った癒し水だよな?
蛇には合わなかったとか? 試してなかったから悪いことした。
「謀ってない。でも傷が深くて薬が効き過ぎたのかもしれない。昨日、蛇の子どもにした治療魔法に替えるよ」
『……、嘘でないだろうな?』
「ああ。昨日会った小蛇、灰青っていったかな? は元気になったよ」
うろこがはがれた場所に手を当て、あの時の要領で治療魔法を流す。
水に土の魔法を添えてゆっくり流していると、ドライアド様の樹の魔力が少し混ざった。その瞬間、勢いよく手が弾かれ、うろこの一部が崩れ落ちる。
『うぎゃああああああ!!!!!!!!!』
指の跡が残るくらい焼けただれた体を呆然と見つめた。
『き、キサマ!!騙したな!!』
「騙してない!そもそも俺は攻撃魔法は使えないんだ。なんで鉄黒は治療できないのか聞きたいのはこっちだよ!」
『くっ、人間め。口を開けば嘘ばかりだ』
鉄黒は血と膿をまき散らしながら俺を睨んだ。そのしっぽが徐々に崩れていく。俺は治療しかしていないはずなのに、どうなってるんだ?
『忌々しい人間め。ナナト様の犠牲になってしまえばよかったのだ。そのために血を垂らしてきたのに、月白の奴め、めんどくさいことをしおって』
言いながらもどんどん崩れていく。崩れた部分は粘り気を帯びた液体のようなものになり、床の上に溜まっていた。フルフルと震える姿はスライムのようだ。
『ナナト様が人を害してこの地に留まり、ワタシたちは人を喰らって蛟になる。紫黒と月白は青褐と藍墨茶にくれてやり、人がいなくなったこの地は我ら蛇がナナト様と永遠に暮らす楽園となる、はずだった、のに……』
ゆっくりゆっくり、鉄黒の形がなくなっていく。
『ナナト様が大河から出てくる直前、冒険者たちの血を捧げて我らが血肉を喰らうはずだった、のに……』
とうとう頭の部分まで崩れた。ぐしゃりと音がして、同化した粘液が揺れる。床に吸われるでもなく、ただ留まっている粘液を見つめることしかできない俺に、リックが言った。
「さっきの癒し水を瓶ごとくれ」
口を開けただけでほとんど残っていた瓶を渡すと、リックはそれを粘液にかけた。
粘液に水がかかった瞬間、ブクブクと音を当てて泡が立った。泡がたつほど粘液は小さくなり、最後には小さな塊になる。
「それは?」
ルイスの問いに、リックは塊を投げつつ答えた。
「魔石だ。こいつ、もう魔物にされてたんだよ。だからベルの治療でこうなった。いわゆるナレノハテってやつだ」
ナレノハテ。
魔物は自らの眷属として生き物を魔物にすることがある。たいていはその魔物に命を奪われたものがなるが、そういったものは生き物でも魔物でもない。術者の力によって魔法が使えたり特別な能力を持ったりする場合もあるが、中途半端な存在としてそこにあるというだけのものになることが多い。そういう存在に治療魔法を使うと逆反応を起こして形を保つことができなくなり、肉体が崩れてスライムのような粘液上になる。これをナレノハテという。
生き物と魔物は区別が難しい部分もあると言われているが、ナレノハテになった生き物は自分がそういった存在になったことを知らないまま存在しているモノが多いそうだ。いまだに研究途中であり、詳しいことはわからないが、冒険者泣かせの存在とも言われている。
ナレノハテを見分けるのは比較的易しい。今のように治療してみればいいのだ。治療が害になる場合はナレノハテで、ちゃんと治る場合は生き物か魔物と言われる。ドラゴンだと思ったらナレノハテだった、なんてこともあるそうだ。
「大体な、蛇が人間に取り憑くとかおかしいだろ? その時点で魔物だって気づけよ。ほんっと、ベルは呑気だな」
「うっ」
「ルイス、お前もだ。袋に入れたからいいってもんじゃない。魔封じの道具とかあるだろ?」
「ううっ」
「まあ、そんな間抜けな二人だからこそ護衛の俺が活きるんだがな。はっはっは」
もう返す言葉もない。
俺はルイスと顔を見合わせ、がっくりと肩を落としたのだった。
読んでいただいてありがとうございます。
ナレノハテの説明部分を修正しました。アップしたお話には問題ないので読み飛ばしても大丈夫です。
11月にこの話を書き始め、お陰様で楽しい時間を過ごさせていただいています。読んでいただいたり、感想や誤字報告やブクマをいただいたりした皆様に心より感謝しています。
来年もよろしくお願いします。
※ベルグリフとジャスティンの年を22と書いてましたが20歳の間違いです。見つけ次第修正してます




