ベルと僕
とまあそんな感じでウトウトしていた僕だけど、外の様子はなんとなくわかってた。
いやあ、色々恥ずかしいこと言ってくれちゃってる。困ったなあ。
やめてー、って口を押さえたくなるようなことばかりだけど、なんだろう、どこかすがすがしい気持ちもある。
だってさ、ずっとずっと押し込めていた黒い心を代弁してくれてるんだから。
僕が四男なのは仕方ない。そういう星の下に生まれてる。
衣食住に困ることもなく、恵まれた環境で何不自由なく育ててくれた。大事にされてる、ありがたい、ともちゃんと思ってる。
だけどさ、やっぱりあるじゃん、心の中に。
兄様たちはちゃんと跡取りとして立派にいろいろ教え込んでいるのに、僕は小さなことしかさせてもらえない。味噌っかす扱い?
みたいな気持ちとか。
父様は僕にとっても甘い。今回は中身が僕じゃないのがわかってたのか拒んだけど、ちゃんとした理由だったら金貨1000枚でも出してくれると知ってる。学院に入れるときだってだいぶ寄付をしていたと聞いてるしね。それでちょっといじめられたけど、まあ許容範囲。
だけど、甘いのと認めてくれてるのは別だよね。お前はパパの庇護がないと何もできないからって言われてるのと同じだもん。
それが僕にはとっても苦しかった。
一人前として見られたい、と背伸びをしてもみたけど、無理だったから諦めて、今に至る。
まあ、言いたいことたくさん言ってるし、我儘やってる自覚はあるからねえ。無理な我慢はしてないけどさ。
ベルのことも、きっと似たようなもの。
僕はベルがとても好きだけど、ベルはどうなのかなってずっと思ってた。
だって、王子様なんだよ、ベルグリフ殿下なんだ。いくら近くに感じても、その存在は遠い。
それはベルにアーチボルト陛下を初めて紹介してもらったときに思った。
やっぱり本物の王子様は違うなあ、そううっかり口走ってしまったのを覚えてる。
ベルは僕がアーチボルト陛下の王子さまっぷりを見て言ったんだと思ってるみたいだけど、違う。立派な陛下を相手に対等に渡り合い、かつ、自分が持っている権利をすべて渡しても兄に尽くす懐の深さに王族としての気高さを感じたんだ。
同じ補欠でも僕とは違うんだなあと思った。
ちくり、と心にひびが入った。
それでも、ベルのことは嫌いにならなかった、ううん、なれなかったよ。むしろこの人に認められたい、そばにいてもいいって思われたいと思った。
だから。
あの事が終わって、ベルがどこかに行っちゃうんじゃないかと心配だった。
もっといろいろ知りたいと思ったし、知ってほしいと思った。
これは僕のエゴ。わかってたけど、止められなかったんだよ。
僕はいつだって自分のことばっかり考えてる。
認められたいし、必要とされたいし、大事にされたいし、一番だと思われたい。
でも現実は甘くない。わかっているからこそ、僕は心を隠す。どろどろと淀んでいるのはずっと前に押さえつけた僕の心なんだろうな。
『ああ、とてもよくわかる』
何かが呟いたのに反応し、ずきり、と胸が痛んだ。
痛みとともにあるのは大きな黒い塊。塊はぷるぷると動きながら黒いものを垂れ流している。塊がほぐれて長い紐みたいになったので、初めてそれが蛇だとわかった。
『まさか人も同じとは。驚いた』
蛇が動くと全身に痛みが走る。頭の真ん中から足先まで、太い縄でぎゅうぎゅうと巻かれているような圧迫感で息苦しい。口を開けると黒いものがどんどん出ていく気がして、気分が落ち込んだ。手先からどす黒く染まっているような気分だ。
『ワタシはね、人も憎いが蛇だって憎いんだ』
ゆっくりと呟き、蛇は赤い目をこちらに向けた。底が見えないくらいに赤黒くて、血だまりみたいに見える。
『お前の心に食い込んだらとてもいい気持だ。お前も同じなんだな。人を好きだ好きだと言いつつ、劣等感に締め付けられてる。心の奥底から信じたい家族はお前以外を愛していると信じてるし、友情を渇望している王子は聖女や宰相見習や騎士見習いのほうばかり向いていて自分を見てくれないと思ってる。ああ、何と心地よい負の感情』
「……、そんなこと……」
『ないとか言いたいよな。安心しろ、ワタシもだ。お前の心とワタシの心はとても似ているんだ』
黒い蛇はとても嬉しそうにシュシュっと息を吐き、長い舌を出した。
『ワタシはもっと評価されてもいいんじゃないかと思っているのに、劣っていると月白に追い出された。人に毒を向けたという理由だ。当たり前だろう、棲み処を破壊されたのだぞ? しかも渡し場を拡張するとかそんなつまらない理由でだ。そこには愛しい蛇もいたが、紫黒のほうがいいと言って出て行ってしまった。ワタシに終始観察されるのが気に入らないと言いやがって、何が不満だかわからん。好いたモノの近くに住んで見つめることの何が悪い?』
相手が好きならともかく好きでもないんなら気持ち悪いよと言おうとしたけどやめた。言葉をはさむ隙がなかっただけなんだけどね。
『ナナト様もそうだ。近くでお世話をするモノは蛟でないといけないというから毎日せっせと殺して喰らっていたのに、血の味を覚えた蛇に用はないと捨てられた。毎日食っていれば血の味とて憶える。あれはうまい。命をたっぷり含んだ血がまずいわけがないではないか』
うっとりした目を空に向ける。目の色が血と同じなのはそのあたりからなのかな、とふと思った。
『そう思ったからワタシは、ナナト様が禊をしている大樹のそばに人の血を垂らした。もちろん殺してはいないぞ。たまたま通りかかった人どうしのいざこざで流れた血だ。まあ片方は死んでしまったようだがな、ワタシの知ったことではない。汚れているかもしれないが、ナナト様は以前、大河で汚れた人の血を舐めてしまったことがあると言っていたから、きっと気に入ってもらえると思ったのだ。ナナト様が美しく頬を染めて感謝の言葉をくれる、またワタシをそばに置いてくれる、そう思ったら胸が震える思いだよ』
ものすごくいいことをした、そういって胸を張る蛇を見ていると複雑な気持ちになる。こいつにはこいつなりの想いがあり、正しいと信じているものがある。その基準に従って動いているのだろうけど、僕とは相いれない気がするな。
その後も蛇はべらべらと一人語りしたので、やっと現状を知ることができた。
「要するに、キミはナナト様に認められたいってことだよね?」
『んむ』
「そのためにブルータスとグレイスを利用したと」
『んむ。青大将の青褐は蛟になって長年の瘤である紫黒を蹴落としたい、山棟蛇の藍墨茶は自分のほうがナナト様に気に入られていたのに先に蛟になった月白が専属侍女になったのが気に入らない、そんなとこだな』
「そのために人を利用したってこと?」
『んむ!』
いや、そんな胸張って言われても、ねえ……。
『人とて別の生き物を己のために利用するであろう? 食うためではなく魔物を狩って、皮をはいで売ったりしているではないか』
「まあそういえばそうだねえ」
『だからワタシや青褐や藍墨茶が人間を喰らって蛟になるのはおかしなことではないよなあ』
え?
今、なんか物騒なことを聞いたような?
「戦える人間を集めていたのは、大蛇を殺すためじゃないの?」
ち、ち、ち、と蛇は舌を出して首を振る。
『強いものを喰らえばその分の力が手に入るだろう? ワタシたちが冒険者を、それも戦いのできる奴らを集めたのは、贄としてだ。雑魚ばかりで無念だが、あれだけ喰らえばワタシらは絶対に蛟になれる。まあ奴らが月白と紫黒を殺せるならばそれでもいい。奴らの血でナナト様が喜ぶかはわからないが、ワタシらでその血を啜ってもいいしな。ククク』
「……、同族の血でもいいんだ」
『もちろんだ。人間だって同じだろう? 国外に追放したモノを国境で殺したりしていると聞くぞ。自分に仇なすものを始末するのは心地よいではないか。お前もそういう謀に加担した記憶を持っているではないか』
言われてみれば確かに。
僕はベルのために婚約破棄を利用してウエイル一族を追放するという謀に加わった。それは悪いと思っていない。納得して引き受けたことだし、何よりベルに酷いことをした人を許せないとも思った。
ぶっちゃけ、私怨だよねえ。
ブルータスたちと何が違うって言われたら、答えられない。自分のためにやったことだし。もちろん後悔してないし。
『だからお前がワタシに力を貸すのもごく普通のこと。深く悩まず、ワタシと同化して蛟になればいい。ジャスティン、お前はワタシたちが有効に使ってやる』
偽名ばれちゃったんだなあ、そんなことを思ったら頭の中がまた白く白くなってきた。
何にも考えたくない……。
僕はこいつに吸収されて蛟になるのか。それもまた人生なのかも。
一つ一つ、記憶が薄れていく。
父様、母様、兄様、店の皆、ミラ、サイラス、ライル、学院の友達、アーチーボルト陛下、アナスタシア妃殿下……。
そして。
ベルグリフ=ヴィル=コンフォートビター、ベル……。
ふうっ、と意識が途切れそうになったとき、とてもとても暖かくて涙が出そうなくらい優しい何かが流れ込んできた。
同時に、遠くから声が聞こえた。
「俺の初めての友達はジャスティン=エルファリア、ずっとそう思ってる」
暖かな何かは光だった。柔らかくてまぶしくない、穏やかな輝きがじんわりと体を温めてくれる。
それは僕を包み込むと、ぐるぐる巻きついていた蛇に触れた。
『や、やめろ、それに、触れる、な……』
光が触れた瞬間、蛇は硬直して悲鳴を上げた。見ればしっぽの端のほうが光の中に溶けていく。たくさん集まっている粒がほどけてばらばらに壊れるような感じだ。
その光には憶えがあった。
水と土の複合魔法。二属性持ちの少ないこの国で使えるものはごくわずかだ。そして、こんなに優しくて暖かな魔力を持っているのは僕の知る中ではただ一人。
「そうか、僕、ベルの初めての友達なのか」
急速に頭がはっきりとしてくる。
どうしよう、すごく、嬉しい。
僕だけじゃないんだ、ベルもちゃんと僕を友達だと思ってくれてるんだ。
そう思ったら、僕の形がだんだんはっきりしてきて、奥のほうから力が出てくる。
僕を同化して蛟になる? 冗談じゃない!
冒険者たちを殺して食う? それはどうでもいいけど、そんな不吉なことがあったら渡し場が潰れるかもしれないじゃん! 商会だけじゃなくて皆困る!
紫黒だか月白だかしらないけど、私怨はそっちに直接ぶつければいいんだ。よく考えたら周りを巻き込んだだけじゃん!
そりゃ、大なり小なり矛盾はある。不満だって不安だって嫉妬だっていっぱいある。だけど、それをみんな何とか折り合いつけて、自分の中で消化して生きてる。僕だっていろいろと思うところあるけど、それなりに頑張って生きてるんだ。その努力を無視してワタシと同じとか? ふざけんなああ!
あああ、なんかいろいろ腹が立ってきた!
こんなとこでぼやぼやしてる場合じゃないね。そろそろ本気を出しますか!
(ってさっきから本気だとかそういうのは言っちゃダメなんだよ)
「君の言い分は聞いた。次は僕のターンだよ!」
ぐるりと巻かれた蛇の体を力いっぱい引っ張る。こんなの引きちぎってやる!と思ったらブチブチと切れ目が入って蛇が悲鳴を上げた。なるほど、きっとここは僕の夢の中だから、思ったことは力になるんだな。
『う、ううう、お前も、やめろ。逆らっても無駄なのは、わかっていたはずだろう?』
身を割かれつつある蛇が僕の体に巻き付いて抵抗する。苦しいけど、さっきより体に力が入る気がする。気持ちって大事なんだなあ。
ふいに、視界が開けた。
酷い有様になっている部屋と、血まみれの僕の手を握ってるベルが見える。後ろのほうにいるのは父上と、オリーとショーンか。あとは昨日知り合ったリック? 向こうのほうからルイス兄様が飛び込んできたのも見える。
なんだろう、この気持ち。
「ごめん、ベル。僕は、ほんと、バカだよねえ」
視線をずらすと、机の上にナイフを見つけた。いいところにいいものがあるじゃん、嬉しくなって笑う。
何かが胸のあたりでうごめいているのがわかった。心臓に近いところに塊のようなものがある。
さっきから僕と話しているのはこいつか、となぜか確信した。
ブルータスが僕の手を握った時、憑りつかせたんだろう、すごく痛かったもんね。こんなところから僕にいろいろ言ってたのかと思ったら無性に腹が立った。
ナイフを手にし、狙いを定める。
『やめろ、お前、そんなことしたら、お前も……』
頭の中で叫び続けるそれに、僕はナイフを思い切り突き刺した。
読んでいただいてありがとうございます。
だらだらと長くなっておりますが、話はゆっくりでも進んでいますので、もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。
感想・誤字報告ありがとうございます。
山かかしって書いてた。ヘビスキーにあるまじき失態!!ハズカシイ……。




