大蛇を退治したいのは
ベルが何やら叫んでいるのが遠くに聞こえる。
大丈夫、と言いたいところだけど、ちょっと無理かなー。
僕は再び支配されそうな右手をなんとか支えて胸のナイフを押す。ぐりぐりと突き刺すと、そこにあるモノが頭の中で悲鳴をあげた。
『馬鹿な!こんなことが……』
うん、僕はバカだ。知ってたけども、うっかり忘れてたみたい。
でも叫んでいる奴も相当バカだとは思うんだよ。だって僕から早く離れればこんな目に合ってないんだからね。
お互い自業自得ってとこ、かな。
そう思いながらさらにナイフを突き刺すと、僕の胸にも痛みが走った。
まあ、仕方ない。刃物で刺してるんだから痛いのは当たり前だよね。
『お、お前、なぜ、こんなことを……?』
声の主は痛みに呻きながら怒りを向けてくる。僕だって怒ってるんだからその辺はお互い様なんだけど、そういうのは気にしないんだ。
そんなことを思いながら、僕はどうしてこうなっているのかを思い出すために記憶を手繰った。
大蛇退治派の集会をこっそり覗き見していたら、突然声を掛けられた。
「そこの子供、寝たふりはばれている。顔を上げろ」
耳に入る女の声は綺麗だったけどとても冷たかった。
仕方なく顔を上げる。
何かに鼻がぶつかった。近すぎて一瞬わからなかったけど、よく見たら女の顔がすぐ近くにある。ぶつかってたのはその人の鼻。なーんだ、鼻か。せっかくならキスで起こしてくれてもいいのに気が利かないなあ。
「寝たふりなんて人聞きの悪い」
僕は後ろにずれて衝突を避け、あくびをする。
女はテーブルをはさんだ正面にいて、身を乗り出すような形で僕を睨んでいた。ものっすごい美人は怒った顔も綺麗なんだなあと感心したよ。
部屋には先ほど近くで雑談していた男たちがいるんだけど、光の速さで飛び退いたのか、壁に背を押し付ける形で固まってた。人のことさんざん子ども扱いしておいてこの仕打ちとは。なんとも頼りにならないね。
「邪魔にならないように伏せてただけじゃないですか、綺麗なお姉さん」
「……、キサマ、見た通りの人間ではないな」
「いやだなあ。僕は見た通りのつまんない子どもですよ」
にっこり笑いつつ、綺麗なお姉さんを見る。
この辺りでは珍しい褐色の肌は艶やかで、触ったらしっとりしてそう。いい化粧品使ってるのかな。
髪はまっすぐな黒髪がお尻の近くまで伸びていて、額に深紅の宝石が付いたサークレットを着けてる。あれは、魔石じゃないみたいだけど何の石だろう?
顔は、うん、確かに美人さん。きりっとした釣り目がとっても色っぽい。ま、僕の好みじゃないけど。
背丈は僕よりちょっと高いくらいか。むー、ちょっと負けた感じ。それにみんなが言ってる通り、すごいスタイルだねえ。胸もお尻もそのちっちゃい布地じゃ半分も隠れてないのに、ネリーと違ってマントすらつけてない(まあネリーが出していたとしても食指は動かないか)。女性の大半がつつましく隠している部分を大胆に露出してる辺り、むしろ男らしい? いや、女は女らしくってことなのかも。
まあこれだけのことを1秒くらいで観察したら、女は嫌な顔をした。
「すごい値踏みされた気がする」
間違ってないけど値段はまだつけてないよ。
「お前みたいなのはいらん。なぜここに来た?」
尋ねられたので先ほど見張りらしい男にしたのと同じことを話すと、女はフンと鼻を鳴らした。
「嘘をつくな。臭いで分かる」
臭いとか。僕は思わず苦笑した。
「お姉さん、綺麗なのに野性的なんですね」
「なっ!?」
「でもきっとそこも含めて魅力なんですね。みなさん、とても美しい女性がいるってさっきから話してましたよ。僕も会えたらいいなって思ってたから、今はとても幸せです」
見てみたかったのは本当だもん、間違ったこと言ってないよ。
女はぽかんと口を開けた。美人だから許される間抜けな顔って感じだね。
周りにいた男たちは最初のうちは驚いていたが、僕と女のやり取りを見ているうちに緊張が解けてきたらしい。少しずつ騒ぎ出して、中にはこちらに話しかけてくる者もいた。扉の向こうから様子をうかがっていた者も何人か部屋に入ってきている。
「なんでもない。この子どもに用があるとブルータス様に言われただけだ」
そう言うと、女は僕を無理やり立たせ、引っ張った。
「面白い子ども。少し気に入った。ブルータス様に会わせてやろう」
集会が終わると、冒険者たちはいっせいに出ていった。
魔術師が前祝だと言って報酬の半分を先渡ししたからだ。集まっていた人々は歓声を上げ、風のように出ていった。
ちなみに、報酬の一部は僕が負担した。持ってきた金貨2枚分、資金にしてくださいって渡したらこんなことに使うなんて思わなかったよ。これですっからかんになっちゃったけど、まあ仕方ないね。
「人払いにちょうどいいだろう?」
魔術師はククっと笑い、先ほどの小さな部屋に行った。
中に入ったのは魔術師と呪い師の女と僕の三人のみ。うわあ、ドキドキだね。
先ほどのテーブルは片付けられていて、椅子が3脚残っているだけだった。会議室返却時には机は全部たたんで壁際に避ける、と絵で片付け方を示した注意書きが貼ってあったので、その通りにしたようだ。意外にちゃんとしてるんだなと変なところで感心しちゃった。
魔術師と女は何でもないように椅子に座ったが、座り方がなんか変。椅子の上にちんまりと体をたたんだみたいに座ってる。よく見たら椅子の上で胡坐を組んでいた。そういえば彩の国や南の国の一部では椅子でなく床に敷物を敷いて座る文化があるって聞いたことがある。二人はそっちの人なのかもしれない。
僕は年少者の礼を取り、深くお辞儀をしてから名乗った。
「初めまして。僕はジェイム=ズボンドです。どうぞジェイとお呼びください。両替商で修行してます。お忙しいときに僕ごときに時間を割いていただけましたこと、感謝します」
思い立って膝を床に着き、両手をついて頭を下げる。なんだっけ、ドゲザだっけ? 床に座る文化圏では最大の礼って聞いたけど、合ってるかなあ?
這いつくばった僕を見た魔術師は喉の奥から変な声を出し、目を細めた。
「人でもとぐろを巻くのだな」
何か違うと思ったけど、反論しなかった。
魔術師はブルータスと名乗った。噂通り真っ黒いローブを着た男で、フードで顔を半分隠している。年齢はわからないけど、話し方がなんとなく気障っぽくて、ネリーの言う「スカした男」ってイメージがぴったり。個人的にはあんまり好きじゃないかもしれないな。
ちなみに呪い師はグレイスというそうだ。南の島の出だと思ったけど、この辺りの人だという。単に地黒なだけだったんだねえ、とちょっとがっかりしたのは内緒だよ。
ブルータスは僕が大蛇を退治してほしいと思っていると誰かから聞いたようで、興味津々と言った体でこちらを見ている。舐めるように見る、という表現があるけど、ほんとそんな感じで、体中を細い舌で舐め回されているような気がして気味が悪かった。
「お前は大蛇を憎んでいるのか?」
ブルータスが問いながら目をきらりと光らせる。極端に白目が少なくなったように感じたのは気のせいかな?
どう答えようか悩んだけど、ここにいる子どもだったらこう答えると想像しながら頷いた。
「憎んでいるかはわかりませんが、困っているのは事実です」
「ほう?」
「僕はこの渡し場で修行をしていますが、お店が開店できなければ仕事がありません。手が空いた時に勉強をすればいいと思うけど、それだけではご飯が食べられない。働かないとお金が手に入らないからです」
「金だけか」
「もちろんそれだけではありません。物がなくなれば当然価格は上がります。手持ちのお金では買えないので、買い控えが起こる。食べ物は高くて手が出なくなり、買い手がつかないので腐りますよね。生活必需品以外は売れないから在庫になる。店はどんどん潰れるでしょう。そんな危険を起こしているのが大蛇なら、退治するのは当然ではないかと」
正直、僕はベルが調査しているので大蛇のことで動いているのであって、なんでもなかったら大蛇退治派にいると思う。父様や町で蛇を守護獣とたたえている人以外は多かれ少なかれ僕と同じなんじゃないかと思ってるしね。
だって、どんなに理想を掲げてもおなかは膨れないし、懐は満たされない。
原因がわかっているのなら、取り去ろうって思うのが普通なんじゃないかなあ。
まあ、大蛇を退治しただけではダメなんだろうなってのは、大河に出た船が大破した事件のおかげで知ってるので、この人たちが何かしてくれるなら僕は見てればいいんだなあと、漁夫の利を狙ってもいるんだけどね。
「なるほどな」
ブルータスはなんだかうれしそうに笑った。
その横でグレイスは何やら呟いている。何をしているんだろうと思って見つめていると、突然胸をぶるぶると揺らして踊りだした。
おおう、眼福!
と、言いたいところなんだけど……。
なんだろう、この漂う違和感。
まず、踊りが全然きれいじゃない。色っぽいというより生々しい。
さらに言うと、胸の肉の揺れ方が、なんというか、すごくおかしい。巨乳ってあんなに波打って動くかなあ? たしか酒場のメアリ姉さんのスイカみたいな胸はもっとボールが跳ねるみたいにバインバインしてたはず。グレイスの乳は紐みたいに伸びたり、すごく平らになって顔面を覆っちゃったりしてるんだけど……。
そのとき、身に着けていた呪符が1つ割れた。
のけぞっていたグレイスの目が細くなる。ああ、踊りは呪いだったのか。僕を呪おうとして護符に弾かれたんだな。
「ほぅ」
ブルータスも声を上げた。なんだか楽しそうだ。ちぇっ。
くるくると軟体のように動くグレイスが僕の顎をそっと撫でた。うええ、気持ち悪い!
「呪い除けを8つ、魅了除け、目くらましの術と、体内に解毒、対麻痺、対眠、自己回復、の効果確認。ここに来るだけにしてはずいぶんと用心したものだ」
その間に探られていたらしく、くっくと笑われる。
やっぱり見切られたか。まあ仕方ない。付け焼刃の対策が全部効くとは思ってなかったよ。
「おお、子供ではなかったのか! 外見も若返らせているとは、人の術はすごいな」
「……、これはただの童顔ですが」
「童顔とは若返りの特性か?」
「いえ、ただの視覚的効果です」
からかわれてるのかな?
そんなことを思っている間にもブルータスは僕を観察していた。そのうち本名とかもばれちゃうんだろうなあ、と半分自棄になっていると、グレイスが踊りをやめ、おもむろに僕の隣に座った。
「床にそのまま座るとお尻が冷えますよ」
半分以上出ているお尻は冷たい床には辛いかなと、上着を脱いで床に置き、その上に座るように手を差し出す。グレイスは不思議そうな顔をし、しげしげと僕を見た。
「私の尻に触れたがる男は多いが、心配をしたのはお前が初めてだ」
まあ、それだけ見せびらかしていたら、触りたくなっても仕方ないのかもね。僕は遠慮するけど。だって後が怖いもん。
「おもしろいな、お前。いらんと言ったのは撤回する。欲しくなった。青褐、頼む」
「馬鹿、ブルータスと呼べ」
「おっと、すまぬ」
ブルータスは青褐という名前なのか。僕と同じ偽名とは、用心深くていいね。
聞こえなかったふりをして座りなおしていたら、ブルータスが僕の右手をいきなりつかんできた。
ただの握手にしては力が入りすぎだと思う。なんとも強い力に出かかった悲鳴を飲み込んだら、右手首と右腕につけていた護符が砕け散った。
うわあ、これ、不味い奴?
「藍墨茶のために特に強い眷属を用意してやった。好きに使うがいい」
ブルータスの言葉に乗って右手から黒い塊が入り込んでくる。爪の間から入り込んで血管を剥がして上ってくるような、凄まじい痛みが襲い掛かってきた。
「痛い、痛い、痛い!!!」
パリン、パリン、と護符が砕けていく。砕けるたびに全身を痛みが襲い、頭の中を真っ白く焼いていく。
首周りにあった最後の護符が砕けた瞬間、僕は意識を手放した。
その後は夢の中にいるようだった。
何かもやっとしたものに覆われたまま、遠くの声を聞いている。
心配した通りの展開になっているみたいで、僕は自分の個人情報やここに来た目的などを洗いざらい話してしまっていた。やめたいと思っているのに、体が言うことを聞かない。
強い酒を無理やり飲まされた時、こんな感じだったな。
ブルータスが送り込んだ塊は僕の中でもう一人の僕になったようだ。
その僕は僕が心の中にしまっていた感情をさらけ出している。とても恥ずかしいのでやめてほしいけど、頭と体が動かない。
その僕はブルータスとグレイスをじっと見て、とても嬉しそうに笑っている。
『人間の権力者の坊ちゃんか。使えるな』
『しかも王族とつながってるらしい。素晴らしい』
『われらの無念、こいつを使って晴らせるか』
僕を含めた三人は大きな声で笑っている。
『私を差し置いて一の侍女になるなど、許さない』
『本当は俺が長になるはずだったのに、生意気な』
『巣穴を荒らした人間どもを守ろうとする蛇に死を』
嗤っている三人の姿がいつの間にか人間ではなくなっていた。
それは、とても大きな蛇だった。
僕の中で何かがすとんと落ちた。
そうか、だから変なことを言ったり、妙な動きをしていたりしてたんだね。
それにしても……。
「人間の敵は人間のように、蛇の敵は蛇なんだなあ」
どこもかしこも世知辛い、そう思ったと同時に、何か大きなものに包まれるようにして夢に引きずり込まれてしまった。
読んでいただいてありがとうございます。
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