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ジャスティンと俺

 部屋に飛び込んだ俺の目に最初に入ってきたのは荒れた部屋の真ん中に座り込んでいるジャスの姿だった。手には割れたガラスの破片が握られていて、じゅうたんに赤い染みを作っている。


「ジャス!」


 悲鳴のような声で名を呼ぶと、ジャスはゆっくり顔を上げ、俺を見た。

 にやあり、と笑う。


「やあ、これはこれは。王弟ベルグリフ殿下ではございませんか。ご機嫌よろしゅう」


 こんな顔でこんなことを言うジャスは見たことがない。黒い髪と黒い目は多分変装して出かけた名残なのだろうが、内側からあふれている黒い負の感情に染められたように見えた。俺が知っているジャスはこんな禍々しい気を放っていない。

 というか、ジャスはもうずっと前から公式の場以外で俺のことを「殿下」と呼んだことはない。


 誰だ、これは?


 驚きで体が硬直する俺を見てジャスは肩を竦めた。


「やだなあ、そんな顔しないでくださいよ。僕が悪者みたいじゃないですか」


 そして初めて手が血まみれになっているのに気づいたように、ガラスを投げ捨てる。大きい破片が小さな音を立てて飛び、足元に落ちた。


「なんか痛いと思った。手ってこんなにも弱いんだなあ。便利だと思ったのに」


 指を動かすジャスを見つめていると、後ろからリックとジェロームが追い付いた。俺の隣に来ると、縫い付けられたように入り口に止まる。


「これはいったいどういうことかな、ジャス君?」


 いつもの調子で尋ねたジェロームに、ジャスはクククと笑ってお辞儀した。


「ひどいじゃないですか、父上。帰ってきたばかりの僕を閉じ込めるなんて。おかげでケガをしてしまいましたよ。おお、痛い」


 大袈裟に手を振るとふさがっていない傷から血が飛んで周囲を汚していく。ジャスは滴る血をぺろりと舐めると、喉を鳴らし、うっとりした目をした。


「僕はただ、大蛇退治派の皆様に資金提供をしてあげてほしいとお願いしただけなのに。今夜、あの憎い大蛇をブルータス様とグレイス様が退治してくれるというのに、どういうわけか冒険者たちがどんどん逃げてしまうんです。だから彼らに金貨1枚ずつ支払うって話になりましてね」

「それはさっき聞いたね。でもなんでうちが冒険者たちに金貨一枚という大枚を払わなくちゃいけないんだい?」

「なにを言っているのですか? 渡し場を荒らす憎い大蛇をわざわざ退治してくれるんですから、渡し場で一番の大店であるこの店が資金を出すのは道理でしょう?」

「そんな道理はないと思うよ」

「この僕が賛同しているのです。可愛い息子が町のために頑張ると言っているのに、父上は冷たいですね。やはり四男ではスペアにもならないってことですか?」


 ジェロームの笑顔が深くなる。笑っているのになぜか怖い。だがジャスはまったく気にしていないようで、くすくすと笑いながら前髪を払った。


「まあ、そうですよね。僕は学院でもさほど大した成績を残したわけではないし、商会のために貢献もしてない。ただ、王弟殿下のご学友で、親しくベル様と呼べるだけの間柄ってだけ。そんな僕がいくら頑張ったところで、父上の目には映らないですよねえ」

「……、ジャス君」

「いいんですよ、事実です。まあ、だからこそ、今回は大蛇を退治する勇者たちと一緒にこの町のためにと思ったんですけどね。僕はこの通り非力だから、お金しかないんですよ。僕の貯金だと足りないんで、融資してほしいなあって、それだけなんですけどね。なに、たった金貨500枚ですよ。息子の値段としては安いでしょう? それともそんな価値は僕にないですかね?」


 ジャスはしても無邪気な顔で笑った。その笑顔はいつものジャスのものと似ていたが、まったく違う。


 たしかに、ジャスは四男で商会の中ではまだ重要な地位についているわけではない。でも修行中なら当たり前だし、なによりエルファリア商会の人々はジャスにとても期待していると聞いている。店員のジャスに対する態度を見ても明らかなのに、なぜこんなことを言うのだろう?


「さっきから聞いてりゃ、意味わからん」


 俺の前に一歩出て、リックが言った。


「おい、ジャスティンだっけか? 俺は頭が悪いし、今来たばっかりだからいまいち状況がわからん。そんなに話したいんなら、何でこうなってんのか説明してくれや」


 ジャスはリックをじっと見て、ニヤァと笑った後、かわいらしく首を傾けた。


「それってお願い?」

「まあそんなとこだ」

「土下座して頼むくらいのお願い?」

「そこまでじゃないから言わないんなら別にいい」

「ははは、正直な人~。いいよ。そういう人好きだし」


 笑うジャスの顔は口の端がすごく伸びて耳の近くまで行きそうだった。


「僕が昨日、大蛇退治派の会合に忍び込んだのは知ってるんだっけ?」

「ああ」

「そのときね、僕、グレイス様に話しかけられたんだ」

「グレイス様ってのは?」

「そこからだったか。グレイス様はね、呪い師。すっごい綺麗な人なんだよー」


 言いながら、ジャスはくねくねと体を動かした。


「すごく綺麗なお姉さんはね、僕を魔術師のブルータス様のところに連れてってくれてね。こんな僕をとても褒めてくれたんだ。子どもなのに大蛇退治に興味があるなんてすごいってね。それで、たくさんお話したんだ。冒険者の人たちや町の人たちも僕とたくさんお話してくれた。大蛇がこの町をダメにしているって、みんな言ってた。だからね、僕にできることはしなくちゃって思ったんだよ」


 ふふ、と笑い、掌に溜まった血を舐める。


「大蛇はね、この町には必要ないんだ。むしろ悪なんだよ。夜になる前に退治してしまわないといけないんだ。じゃないと大変なことになるからね。そのために必要なものはもうそろってるんだって。冒険者たちはそのためにとっても必要なんだってさ。僕は冒険者じゃないからそこに連れてってもらえないって言われちゃったけど、その分、お金をたくさん用意してほしいって言われたんだ。両替商のフィギスさんのところで修行してるんだったらそこからもらってくればいいって言われたんだけど、さすがにフィギスさんのお金は悪いでしょ? だからうちでもらえないかなと思って、帰ってきたんだよ。それなのに……」


 ジャスは近くに落ちている椅子を蹴飛ばした。重たい椅子は少し角度を変えただけだったが、ジャスの足からは嫌な音がした。どこか痛めたようなのに、ジャスはまったく気にしていない。


「帰ってきたら、なんだか祭り? みたいなことをするとか言ってるし。しかも今日一日? 父上はいったい何を考えてるんだって、つい大声を出してしまったら、何も言わずにこんなところに閉じ込めるんだもん。ひどいよね? 僕はちゃんと町のために考えたんだよ。なんで父上は大蛇を守ろうとしているのさ? 意味が分かんない!!」


 ガンガン、とイスを蹴る。そのたびにジャスの足が悲鳴を上げる。しばらくすると、足に力が入らなくなったようで、ジャスは転がった椅子に腰かけた。


「あんな大蛇、百害あって一利なしじゃない。ベルグリフ殿下だって見たでしょ? 人々が苦労してる様子。確かに蛇はこの町の守護獣かもしれないけどさ、守護獣に街が滅ぼされるなんて、シャレにならないよ。危険を冒してまで立ち上がってくれた大蛇退治派の人々こそ大事にするべきなのに、王は何で大蛇を守ろうとするのさ? 月白になにかされたの? 紫黒は王弟を(たぶら)かした? 蛇が人を守るわけがないじゃない? 所詮魔物だよ?」


 一息に言って、こちらを見るジャスに、リックはふむふむと頷いた。


「なるほど。ジャスティンは大蛇退治派に入ったってわけだな」

「やっと話が分かる人に会えて嬉しいよ」

「それはよかった。実は俺もな、噂の呪い師のことは気になってたんだ。いい機会だから、お前が見てきた美人の話をもっとしてくれよ」


 リックの言葉に、ジャスはとても嬉しそうに頷いた。


 二人が会話に花を咲かせ始めたのを、俺はただ見ていた。


 何を言ったらいいのかわからない。

 これは、本当にジャスティンなんだよな?

 でも、俺が知ってるジャスじゃないってだけで、ジャスじゃないと決めつけられない。何かが化けているのかもしれないが、それならこの居住区に入れない。昨日、紫黒は俺と一緒だからここに来られたが、魔物や商会に害なすものは入れないよう建物自体に特殊な魔法が組み込まれているのだ。


 ジャスはリックととても楽しそうに話をしている。その顔は見慣れたジャスの顔だ。


「ベルグリフ殿下はこの国を愛しているんだよね?」


 見つめていたら突然話を振られて、面食らった俺はただ頷いた。


「この国を愛してる、言うのは簡単だけどさ、それだったら今苦しんでいる人を助けるのが筋だよね? なんで大蛇を助けようとしてるの?」

「そ、それは……」

「所詮口だけなの? 王族っていいね。自分が口にしたことに対して責任取ってくれるのは周りの人なんだもん。みんなに祭り上げられて、ぜいたくに生きてるんでしょ? 学院にいたときもちやほやされてたもんね。僕は一緒にいていつも羨ましく思っていたよ」


 笑みを含んだ言葉に、殴られたような衝撃が来る。いや、殴られたほうがましだった。

 ジャスは顔を歪めて笑っている。


「愛、愛、愛ね。愛の為なら何してもいいんだよね? 婚約破棄騒動の時、自分の親を切り捨てた人だ。僕だっていつ切られるかわかんないよ。友達なんていない人だし」

「俺は!」


 裏返る声を必死に抑えながら、話す。言葉を選ぶ余裕はなかった。


「俺は、ジャスを、初めてできた友達だと、思ってる」

「はっ!そんなん口だけだろ? 殿下は僕を信用してないじゃないか」

「違う!」


 確かに、以前は誰も信用しなかった。

 そう、2年前、ミラに言われるまでは。


 信用したらその人はひどい目に合うかもしれない。

 俺が信用したせいで人が傷つくところを何度も見た。

 俺に良くしてくれたせいで彩の国の大使として国内に戻れなくなった叔父一家。

 俺が懐いたせいで解雇されたメイド。

 俺を助けたせいで辺境に行かされた騎士。

 俺と仲良くなったせいで社交界から冷たい目で見られてしまった生徒。

 みんな、俺が近づいたせいで、人生が変えられたと言っていた。誰も俺に怒りをぶつけなかったが、ただ、悲しい目で去っていく姿は見ていて辛かった。


 だから、信用したらダメだと思った。誰も傷つけたくないと切実に願った。


 そうしたら、ミラに言われた。


「神官長様のところには助けを求められたんでしょ? 信用できてるじゃない。それでも神官長様はひどい目に合ってないと思うけど?」


 言われて驚いた。

 そうだ、幼かった俺は、ただただ、助けてくれる人を思い浮かべ、まっすぐ神官長のところに兄を連れて行った。

 それは神官長を信頼していたから。

 利用しようと思っていたわけではない。打算も何もない。ただ、ただ、助けてくれる人は神官長しか思いつかなかったから、そこに向かった。

 あのとき、俺は確かに神官長を信用していたんだ。


 それを思い出したら、とても力が抜けた。

 俺は自分のせいで何もかも悪いほうに向かったんだと思っていたが、必ずしもそうではなかったのかもしれない。

 何もかも自分のせいでと思うのは傲慢だ、とミラは言った。

 それだけのことなのに、涙が止まらなかったのを憶えている。


「確かに、俺は誰も信用できなかった。でも、そんな俺に友達というのを教えてくれたのはジャス、君なんだよ」


 俺はゆっくりとジャスのそばに行き、膝をついた。そして痛めている足を取り、そっと治療していく。


「なっ、なんだ、なにをするんだ!?」


 ジャスは足を引っ込めようとしたが、痛みはないにせよひどく傷ついてしまっている足は思ったように動かないようだ。俺は自分の膝の上にジャスの足を載せ、ゆっくりと水の魔法を流した。

 傷めた足の痛みが指先から伝わってくる。同調だけで悲鳴を上げそうなほど痛い。


「俺は、傲慢だったんだよ、ジャス。自分のことは自分でできるし、兄上の治療だってちゃんとできるし、一緒に勉強だってできてる、そう思ってた。誰から見ても立派な王太子であるよう、学院ではふるまっているつもりだった。帝王学とか生徒会とか辛かったんだ、ほんとはね。だけどそんなことは言えなかった。言ったら、ウエイルに殺されるから」

「な、なにをいきなり」

「うん、わかってる。ごめんね。でも、きっと今でないと言えないんだ。人がいて恥ずかしいけど、今のジャスでないと聞いてもらえないと思うんだ」


 ゆっくりゆっくりと土の魔法も加えていく。歪んだ骨がゆっくり戻り、痛めた筋も元通りに修復されてきた。内側で出血していた血は組織になじんで吸収されていく。自分の魔力で治せるケガでよかった。


「俺はね、婚約破棄をして、冒険者になったら、どこで死んでもいいって思ってた。俺は自分に流れる血が、ウエイルの血が忌々しくて仕方ないんだ。母や祖父の血が流れるこの体が嫌いだし、この血を残したくないんだよ。だから、すべて終わった時に、この血を断とうと思ってた。そんな俺をここに留めてくれたのがジャス、君なんだ」

「え?」

「ジャスは忘れてるかもしれないね。パーティのあと、一人で旅立つ準備をしていたら、部屋にジャスが来て、朝までずっと一緒にいてくれた。他愛のない話をしたあと、ジャスは言ったんだよ。友達っていいもんでしょ? って」

「そうだっけか……」

「ふふ、忘れてたか。俺はさ、あの時初めて、友達ってこういうものなんだって思ったんだ。損得勘定抜きで、ただただ相手のために手を貸してくれて、終わった後一緒に喜んでくれたり、悲しんでくれたりする。今までそんな人いなかったから、とても嬉しかったんだ。だからね、ジャス」


 俺は足の治療を終え、血まみれの手を取った。


「俺の初めての友達はジャスティン=エルファリア、ずっとそう思ってる」


 ジャスは何も言わず、身動きもせず、ただじっと俺を見下ろしていた。その掌からは今も血がにじんでいる。ガラスの破片は刺さっていないようでほっとした。そこにもゆっくりと治療の魔法をかけていく。

 傷の周りを修復しながら、体の様子を探っていくと、胸のあたりにあるしこりのようなものに触れた。

 なんだろう、これは?


 その時、ジャスの体が大きく震えた。


「や、やめろ、それに、触れる、な……」


 ジャスの口から低い声が漏れる。


「ジャス?」

「う、ううう、お前も、やめろ。逆らっても無駄なのは、わかっていたはずだろう?」


 ぐるる、と喉が鳴るような音が続く。大きくえずくような音を出しながら震える体から、別の声が聞こえてきた。


「ごめん、ベル」

「ジャス?」

「僕は、ほんと、バカだよねえ」


 言いながら、薄く笑う。

 そして、ジャスは机の上にあった小さなナイフを取り上げると、自分の胸に勢いよく突き刺した。







読んでいただいてありがとうございます。


言葉尻など、後日修正が入るかもしれません。ご容赦ください。

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