知らない人にもらったものを食べたらいけない
夜明けを紫黒と並んで見ていた。
明け方の空は大河の端からゆっくりと紫色になり、美しいピンクで世界を染めた。建物や木々のすべてをシルエットにしてしまう、とても美しい始まりの時間。夕焼けの赤に切り取られるそれとは違う、みずみずしい感じがする。
夜明けを待つ時間は不安が多かったけど、太陽が和らげてくれた。朝になるだけでこんなに安心するなんてのは冒険者になって初めてダンジョンから出てきたとき以来かもしれない。
夜番の騎士が交代しているのが見える。夜中に何事もなくてよかった。ロイの言う通りだったな。疑って悪かったと反省する。
夜気ですっかり冷えてしまった体を温めるため、紫黒に頼んで一度部屋に戻してもらった。ここから一人では部屋に戻れないのがなんとも。まあ連れてきたのは紫黒だから責任を取ってもらわないとね。
俺を部屋に戻した後、紫黒は出かけて行った。またあとでと言っていたので、大河で合流できそうだ。
今日はまず何をしよう、考えていると窓ガラスに映った自分が目に入った。
こりゃまたひどい。屋根で風にあおられていたから髪はぼさぼさだし、冷え切ってるから顔色も悪い。一日くらいじゃ隈なんてできないからいいんだけど、疲れが顔に出ちゃってるよ。一睡もしてないのがばれるな。
ベッドのわきにある小さな机に水差しと空のコップがあったので、簡単に癒し水を作って飲み、魔力ポーション2つも続けて飲み干した後、空のポーション瓶に残った水を詰めて袋に入れた。昨日のと合わせて癒し水の在庫が5本になった。今日はこれを全部使うかもしれないなあ。
そんなことをしていると、扉がノックされ、返事をする前に開いた。
「おお、起きてたか。早いな」
すでに身支度を整えているリックが入ってくる。
「おはよう。早いのはそちらも同じだよ、リック。というか、今、ノックの意味あった?」
「雰囲気は大事だからな」
言いながら部屋を見渡して、じいっと俺を見つめた。
「ベッドがそのままだ。寝てないな?」
「うっ」
「ちゃんと休まないとだめじゃないか。ポーションで体力や魔力は回復するかもしれないが、休めるときに休まないのは冒険者として怠慢だぞ」
「ううっ」
「まあ過ぎた時間は戻らない。今日は長いぞ。しっかり護衛するから任せとけ」
「……、はい」
頼りにしてるよ、リック。
身支度する間に、紫黒とのことを話した。屋根の上でと言うところでまず「危ないことはするな」と小突かれ、毛布一枚で夜明けまで過ごしたと言うと「体調管理をしろ」と殴られた。まったくその通りで反論のしようがない。癒し水とポーションで回復したと言ったら、水差しに少し残っていた水を没収された。そこだけは嬉しそうだったのでまあよしとしよう。
「さて、まずはどこから回る、王子様?」
にやにやしつつ、聞いてくるリック。ううう、甘々だとからかわれてしまった気がする。今日一日頑張って見返さねば。
「とりあえず朝ごはん食べて、冒険者ギルドに寄ってから、エルファリア商会にいくよ。ジャスに会えるといいんだけど」
冒険者ギルドは静かだった。
営業していないのかと思ったが、扉は開いている。中に入ると酒場のテーブルにはほとんど人影がなく、ギルドの受付にも職員以外誰もいなかった。
依頼がないから人がいないのかな、と思いながら酒場のカウンターにいるデボラに挨拶する。
「おはようございます。今日は空いてますね」
デボラは肩を竦め、親指で厨房を指した。
「中にも一人しかいないよ。昨日の夜中にエルファリア商会から依頼がきてね。いきなり「夜が明けたら景気づけにぱーっとやりたいから人手が欲しい」って、マスターに破格の日当を提示してきてさ。仕事にあぶれて暇してる冒険者は大喜びで出かけて行ったんだよ。それだけじゃ足りないって、ギルドの職員まで連れて行ったんでこのありさまさ。今日は客も来ないだろうし、開店休業だねえ」
ルイスは早速動いたみたいだ。きっと夜通し働いてるんだろうな。
「デボラさんはいかなかったんですか?」
「誰かが留守番しないといけないんだったら、あたしが残るのが道理だろ?」
さすが女将、となんだか感動した。俺もこういう人になりたいなあ。
受付でリックが話をしていると、ドアラが下りてきた。なんだか疲れた顔をしている。依頼のせいで夜中から働きっぱなしだよとか呟いているから相当大変だったんだろう。
「おはよう。早速だけど部屋まで上がってきておくれ。お互い話すことがありそうだ」
言いながら奥に引っ込んでいく。わざわざ呼びに来てくれたようだ。何だか申し訳ないな。
俺はリックとともにギルドマスターの部屋に向かった。
ドアラの部屋はまた書類で埋まっていた。一日で復活する書類を見て大変だなあとしみじみ思ったけど、今日は手伝えない。頑張れ!と心の中で応援しよう。
昨日通されたソファに座ると、ドアラは簡単に人避けの魔法陣を作動させ、自分も座った。
「さてと。まずは昨日に続けて礼を言う」
座ると同時にドアラは頭を下げてきた。
「あの後、受付の陰に隠れて話を聞いてたらね、冒険者から「しつこく大蛇退治派から怪しい勧誘を受けて困っている」とか「勧誘されて集会に行ってみたものの、胡散臭いから抜けたい」とか「抜けようとしたら違約金を支払わされた」などのトラブルが相次いで寄せられてたんだ。ダリルに確認したら、昨日だけで10件、一昨日までを含めると30件ほど寄せられてるらしい。忙しさにかまけて見落としていたあたしの手落ちだ。ベルちゃん、ありがとう」
すでに被害は出ていたようだ。強引な勧誘と新人冒険者への脅迫など、ギルド内で起こったり、ギルドの威を勝手に使って結ばれた契約などはギルドマスターが裁けるから、大蛇退治派に乗り込んでバッタバッタと切り倒してくる、とドアラは息まいている。
「その場の勢いに押された新人や目先の利益に目がくらんだ奴らなんぞ、助けんでもいいだろう? 甘いこって」
リックは笑いもせずにぶつぶつ言っている。冒険者は他の職業と違って自己責任なのにと言ったところかな。俺もそう思う。でもギルドとして冒険者を保護するのも大事だと思うから、甘いとは言わないけどね。
「言ってくれるな。あたしだって思う」
ドアラは苦笑した。そういえばドアラはSランクまで上がった冒険者だとどこかで聞いた。今は引退しているとのことだから色々あったんだろうな。
「で、そっちはどうだった?」
今度は俺の番か。俺は昨日の話をかいつまんでした。
紫黒と話をしてわかった大蛇の話に、ドアラは軽く眉をひそめた。
「蛇がそんなことをね。というかベルちゃん、あんた、蛇と話ができるって、おかしいとか思わなかったのかい?」
「おかしい?」
「そうさ。リック、あんたはその紫黒とやらの言葉はわかるのかい?」
「いや。ぜんぜん。というか蛇と話すとか普通ないだろ?」
言われてみれば。
「みんなそのあたり気にしてなかったからスルーしてたなあ」
「スルーって……。誰もおかしいと言わなかったのかい?」
「だって、ベルだからなあ。こいつ、初めて一緒にダンジョンに潜った時、妖精に近道教えてもらってたし、森の獣に薬草もらったとか言って差し出してくるし、駆除対象の魔物と仲良くなって殺せなくなって依頼失敗したこともあるし。まあ実はそいつは駆除したら森が枯れてたって話だったから結果オーライだったわけだが」
「……、なんだい、そりゃ」
「まあそんなわけで、最初は怪しんでいた仲間もそういうもんだってなったんだよ。みんなそういう経験からじゃないかと」
リックがしみじみ言う。
うう、確かにいろいろ思い当たる節はあるよ。でも俺にとっては日常だし、みんなそうだけど言わないだけだと子供のころから思ってたんだ。違うって知ったのは冒険者になってからなんだよ……。
「で、思い当たる節は?」
「ポータルの事故でドライアド様と泣き女に会って、お茶と飴玉をもらいました」
「食べたとか言わないよな?」
「……、微妙な味でした」
思わず敬語になる俺を見て、リックは自分の右手を顔に当てた。
「知らない人にもらったものを食べちゃいかんって習ってないのか!?」
「し、知らない人じゃないよ。精霊だよ」
「もっとタチが悪いだろう!!」
「だ、だって、あの場合断れないし……」
身の置き所がない。
「ドライアド様は偉大なミスト大森林の管理者だから無条件で信頼してるし、泣き女とは会って時間経ってないけど悪いモノではないと思ったし、さあ……」
「精霊にもらった食べ物を口にして、そいつの眷属にされたと言う昔話とかたくさんあるだろう? 毒だったら死んでるんだぞ」
「ううう、反論できません」
「まったくお前は……。一人で大丈夫とか言うからでかけさせてみれば、なぜか大蛇と知り合いになって、連れ合い連れて帰ってくるし。こんな無茶な奴、どう護衛しろってんだ? 勘弁してくれよ」
「まあまあ」
愚痴を言い続けるリックを申し訳なく眺めていると、ドアラが間に入ってくれた。助かったよ。
「この子の無茶は今に始まったことじゃないってのはわかったよ。蛇と話ができるのも納得した」
何だかおかしなところに落ちたみたいだけどまあいいか。
話を戻すよ、と振ってから、ドアラは続けた。
「で、大蛇のほうは本当なのかい?」
「本当か、とは?」
「今日の夜中にナナト様、だっけか? が旅立ったら、大河の渡しを開放するって話だよ」
その点は屋根の上で確認している。俺はこくりと頷いた。
「紫黒の話ではナナト様が御父上の元に戻られれば大河を封鎖する意味はないとのことなので、明日の朝からは平常に船を出せると思います。心配でしたら、俺が最初の船に乗せてもらって確認してもいいです」
「信じていいんだね?」
「はい」
大きく頷く。
別れ際、紫黒は『またあとで』と言ってた。夜明けまでずっと、何も言わずに横にいてくれた。信じてくれてるかはわからないけれど、信じたいと思ってる。
俺の目をじっと見つめたあと、ドアラは大きく口を伸ばして笑った。
「わかったよ。冒険者ギルドは今日一日大蛇を保護する方向で行く。明日になっても大蛇が大河を封鎖していたら、退治派を支援するがそれは構わないね?」
「はい。その時は俺は口を出しません」
ドアラは俺を信じてくれたようだ。よかった。
深く頭を下げると、横にいたリックが鼻を鳴らした。
「明日は退治かよ。また極端だな」
「あたしは嘘吐きが嫌いだからさ。それで十分だ」
紫黒の話が真実なら、明日大蛇が大河にいることはないし、船は邪魔されないはず、ドアラはそう言っている。
「ま、どのみち今日はギルドの仕事はほとんどないだろうね。依頼はすべて、朝からやるっていう祭り、でいいんだね? がらみの件だ。報酬もいいし安全だからと、大蛇退治派から逃げてきた冒険者もすべてそっちにいっちまった。なんでも豪華な食事まで振舞われるそうじゃないか。あたしもあとで行ってみようと思ってるよ」
なんだか楽しそうだ。町の人もこんな顔をしてくれるといいな。
話がすんだので、俺とリックは席を立って次に進むことにした。
次は、エルファリア商会だ。
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