ナナトの冒険者ギルドにて 4
「痛たた……」
急いでいたらうっかり足がもつれて下まで転げ落ちちまった。俺としたことが、失敗したぜ。
ま、日ごろ鍛えた美しい筋肉には傷ひとつつかなかったがな。はっはっは。
それにしたって、ベルもお人よしだよなあ。たしかにギルマスの手が空くまですることはないが、手伝ってやることもないだろうに。しかも書類だぜ、事務仕事だぜ? 信じられん。
というか、こっちの手が空くまで大蛇とか町の様子とか、色々することはあると思うんだ。冒険者ギルドで噂話を仕入れるのだって、情報収集として仕事の一環じゃないかと思うんだが。
そんなことを思いつつ、ベルのダシを飲みに行ったら、もう2/3もなくなってた。樽の前にはまだ列が残ってる。あやうく飲み損ねるとこだったぜ。
「横からごめんよ。あとでベルとギルマスに持ってくから、とっといてくれ」
デボラに言うと、そりゃ大変と呟きながらグラス2つにダシを入れて戻っていった。2つじゃダメなんだ、俺の分もないと。
仕方ないので、ダシを汲んでいる娘さんに頼んでカウンターのジョッキ1つ分を追加してもらう。娘さんはくすくす笑いつつ、ジョッキになみなみと注いでくれた。
「ありがとう!素晴らしい娘さんだ。あとでクッキーでも差し入れしよう」
「やだ、騎士さまったら」
娘さんは頬を赤くして笑った。
そんな感じで仲良くなり、今はカウンターをはさんで話をしている。可愛い女の子とおしゃべりしてご満悦、とか勘違いしちゃ困るぜ。これだって情報収集の一環なんだからな。
娘さんはロザンナと言う名で、生粋のナナトっ子だと言う。ナナト民に多い栗毛を頭のてっぺんで結んでいて、歩くたびに揺らしている。
ナナト大河のすぐそばに家があると言うロザンナは、大蛇をよく見るのだと言った。
「大蛇さんに毎日挨拶してから出てくるんだけど、たまにこっちに向かって尾を揺らしてくれることがあるの。あたしは結構好きよ」
「へー。女の子は蛇が嫌いで『きゃー』とか言うんだと思ってたぜ」
「いやだ。そんなことしてたら河のそばには住めないわ。蛇なんて普段からたくさんいるんだもの」
「ほう?」
片眉を上げる。珍しい仕草なのか、ロザンナは楽しそうに笑った。
「結構知られてないんだけど、ナナト大河の河川敷って蛇の巣がたくさんあるのよ。もともと水場に住む蛇は多いの。餌も豊富だし、人もあんまり立ち入らないしね。だから家が大河の近くだと、ネズミを捕りに蛇が家に入ってくることがよくあるのよね。こちらとしてはネズミ捕ってもらって助かるからいちいち追い出さないけど、同居はできないから適度な距離を取ってるって感じ。ま、簡単に言えば、この辺りの町の人たちよりは蛇慣れしてるって感じかな」
「なるほどねえ」
「それに蛇神様の祠だってあるんだから」
蛇神様?
聞いたことないな……。少なくとも王国の神殿の神ではないと思うが。
顔をしかめたのがわかったのだろう。ロザンナは手を休めて説明してくれた。
蛇神はナナト大河付近で昔から親しまれている土着神だそうだ。
その姿は巨大な蛇。まさに今、大河にいるような姿らしい。
ナナトでは蛇が守護獣だが、それはこの蛇神信仰からも来ているらしい。大河にいた巨大な蛇が大河を治める龍神に下って使いとなったとも言われているそうだが、はっきりしたことは伝わっていない。
蛇神は各渡し場にいて大河を守っていると言われ、感謝を込めて、二年に一度、王国にあるナナト大河の渡し場を順番に回る形で祭りがあるそうだ。去年ムナトの町だったので、来年はナナトで行われるらしい。渡し場はイナトからトナトまで十あるから、二十年に一度の祭りってことになるのだろう。
大きな祭りではないので、渡し場の町に住んでいなければ知らない人が多いと言う。
詳しいなーと思ってたら、実はロザンナ、酒場で働く傍ら、冒険者ギルドで行われている地元歴史講座に通っているそうだ。地元の知識を冒険者に生かせれば、とかなり真面目に学んでいるそうで、ものすごく詳しい。
それはありがたいんだが……。
「すまん、そういう難しいことはいまいちわからん」
両手を合わせて拝むと、ロザンナは呆れた顔をした。
「仕方ないわねえ」
歴史の話はベルにたっぷりしてやってくれ。喜ぶから。
まあそれはともかく、その蛇神を祀っている祠が、先日、無理に川を渡ろうとして大破した船が流れ着いた砂浜にあるんだそうだ。
「それは興味深いなあ」
「でしょー?」
ロザンナは嬉しそうに笑う。
「あたしね、今いる大蛇さんは蛇神様だと勝手に思ってるの。だからあんまり追い出してもらいたくないんだけど、今は大声で言えないのよね」
「なんでさ?」
「だって、渡し場が、ね。現状、大蛇さんが邪魔して船が出せないのは事実だし……」
確かに。現状だけを見れば、大蛇のせいで渡し場が使えず、物資も不足して町は荒れている。いなくなってくれてまた渡し船が再開すれば生活も元に戻るだろう。大蛇を退治しろという怒りの声も仕方なく思える。
「あーあ、早く何とかなってくれるといいなあ。今のままだと威張ってる冒険者にまた絡まれちゃう」
「俺は威張ってないぞ」
「知ってる。だからちゃんと相手してるじゃない。おいしい水だってあげたでしょ?」
「その点に関してはすごく感謝してる!」
そう、ベルのダシはほとんど終わってしまったのだ。ほんの少し残った分はギルマスとベルと今働いているギルド職員の分だけで、きれいな瓶に移してしまってある。ダシをくれとギルドに来る奴らはないと知るとしょんぼりして帰るが、こればっかりは仕方ない。ベルの魔力は無限じゃないし、まだまだやること多いしな。
「それにしても、ベル様って素敵よねー」
ロザンナは水が入っていた樽を拭きながらうっとりと呟いた。
おいおい、ベル「様」ときたぞ。うっかり王子って言っちまったからばれたんだろうか? マズイ。団長に叱られる……。
「神秘的な黒い髪と目が本当に素敵。顔も立ち姿もかっこよくて本に出てくる王子様みたい。本当に冒険者なのってくらい物腰も柔らかいし、何より礼儀正しいし。顔だけ男なら冒険者にうじゃうじゃいるけど、ベル様は違うのよねー。マルガリタとサンドラは仕方ないとして、お堅いデボラやまじめ一直線のダリルまで虜にするなんてびっくり。ああ、ずっとこの町にいてくれないかなあー」
全然関係なかったー! よかった。
ちなみにベルは緑の目を黒に見せるような魔道具を目に入れている。緑目は王家の血の証だから、すぐ王子だとばれてしまうそうだ。そういえば一緒に冒険していた時は青い目だった気がするが、その時によって変えるのかね。
というか、ベル、相変わらず無自覚の人たらしかよ。まあ仕方ないか。ベルだしな。
ほんと、すげえ王子様だと思うが、本人は全くそう思ってなくて、昔はよく凹んでたっけ。今もそうだったら一発殴ってやろう。
それにしても、蛇神か。今いる蛇だけでも大変なのに、また新しい蛇が出てくるのは勘弁してほしい。
ベルはこの後大蛇を見に行くって言ってたから、話しといたほうがよさそうだな。
「おっと、引き留めちまったな。デボラに叱られる前に退散するよ。いろいろありがとよ」
思ったより長く話し込んでいたらしい。奥のほうから痛い視線を感じる。
立ち上がると、ロザンナは小さく舌を出し、クッキーよろしくね、といって奥に引っ込んだ。
その後は時間まで酒場でのんびりと過ごした。
掲示板に依頼を見に来たものの、依頼書が何も貼っていないのを見てため息をついて去る冒険者たちを眺める。銅の鬼神を見ていたらしき冒険者はそっと立ち去ったが、知らない者はイライラとテーブルやギルド職員に八つ当たりしたり、悪態をついたりしていた。
見苦しいが、気持ちはわかる。
冒険者が依頼をもらえないってことは、収入がなくなるってことで、死活問題だ。さらに言えば今は物価も上がっている。あっという間に蓄えが底をつき、寝床すら危うくなる。
さっきギルマスの部屋に行く途中にあった簡易宿泊所に泊まれた奴らは幸運だ。ギルドの宿泊施設は基本無料だし、よほどのことがない限り追い出されない。支払いが発生しても依頼をこなせば報酬をあてられる。四人一部屋の狭いとこが多いが文句は言えないよな。
事実、この酒場にも何人か行く当てがなさそうな冒険者がいる。
路上で寝る奴らもいるだろう。冒険者が路上生活者になって治安を乱し、騎士団が出てくることもある。
冒険者ギルドと騎士団とは協力関係にあるが、それぞれが別の組織なのですごく仲がいいわけじゃないと聞いてるし、商人組合がそこに加わったらさらに難しいらしい。今の状況は町にとっては最悪だろうなあ。
ああ、なんか頭痛くなってきた。珍しくいろいろ考えたからか?
「……、退、……、明日……」
考えたら負けだと、ぼやっとしていたら、隣のテーブルの会話が聞こえた。
人様の会話を盗み聞きするのは行儀が悪いが、素行が悪いのは俺の良さでもある。
そこでは中年の男がいかにも冒険初心者風の若い二人と話をしていた。中年男は新品の鎧を身にまとい、雰囲気だけなら戦士っぽいが、残念ながらそう見えない。あんなに太ってたらまともに戦えないと思うんだが、動けるデブの可能性は否定できないか。外見で判断したらダメだったな。
初心者風の二人はまだ10代半ばだろう。一人は戦士、一人はスカウト装備だ。それぞれ目の前に並べられたランチ皿をすごい勢いで空にしたらしく、いろいろと散らかっている。
そんな奴らが、こそこそと顔を近づけて話していた。普通に話せばいいのに、なんとも怪しい。
そんなわけで、寝ているふりをして耳をそばだてた。
「ほんとにやるんですか?」
「ああ。考えてみろ? 君たちはまだ来たばかりだろう? 依頼を受けなかったらどんどん金が減っていく。あの大蛇のせいで。違うか?」
「違わない、けど……」
「まあ、気持ちはわかる。王宮から退治するなと通達が来ているらしいしな」
「だったら……」
「だがな、待ってる間、私達は収入がない。このまま行ったら冒険者家業は廃業だ。冒険者を続けたかったらこの町を出ていくしかない。だが、その金すらなかったら?」
「……」
「わかるな。あの大蛇は有志が退治するしかないんだ。なあに、退治して船が戻れば、王様だって納得する。罰なんてないさ」
「……、やろう、クラーク」
「ゴードン、何言って」
「イーノスさんの言う通りだ。やらなきゃ、もう、金がない。明後日には宿代払わないといけないんだぜ。このまま行ったらここで食事すらできなくなるんだ……」
「うっ…………」
「わかってくれたか。私も辛いんだ。わかってくれ」
それからしばらく話をして、彼らは去っていった。代金はイーノスとやらが払っていたな。
なるほどねえ。
イーノスと言う男は大蛇退治派。不満を持つ冒険者を集め、煽動して大蛇を仕留めようとしているんだな。
奴は戦士でも冒険者でもなく、どっかの商会の回し者だろう。見てくれを冒険者っぽくして信用を得るつもりなんだろうが、新品の装備じゃ俺たちみたいなベテランはまず信用しない。と言うかあの腹じゃ……。少しは鍛えろ。
若い二人はまんまと奴の手に入ってしまったようだが、どうするか?
大蛇退治派が悪と決めつけることもできんし、盗み聞きしていた身としては止めるのも違う気がする。
そもそも冒険者となったら生きるも死ぬも自己責任だ。人に言われたからやめるなど、言語道断。そんな奴らに冒険者を名乗られたくはない。若いんだから好きにすればいいさ。何事も経験経験。
ロザンナが大蛇擁護派みたいだから、どっちにつくかと言われたら擁護派だな。騎士は可愛い女の子につくに決まってる。絶対そう。
頷いていたら、先ほど案内してくれた受付嬢が来て、時間になったからギルマスの部屋に行こうと声をかけてくれた。
「おお、もうそんな時間か。教えてくれてありがとな」
そういえば、俺、護衛対象ほったらかしてる!
事務仕事やりたくなかったから逃げてきちまった。ベルはともかく、ギルマスに叱られたくないなあ。
いや、情報収集!情報収集してたんだよ!間違いないから!!
とか思いながらもなーんとなく腰が引けて、ギルマスの部屋の前に来た時は、つい、受付嬢の後ろに立ってしまった。
仕方ないんだ、防衛本能だったんだ。女の子を盾にしたんじゃないんだ。信じてくれ!!
そんな俺の目と耳に届いたのは……。
「いやったあぁぁ!!終わったー!!」
「ホホホホホホホ!! 終わったわ! 終わったわよぅぅ!!」
「マスタードアラ!やったよ、俺たち、がんばったよ!!」
「がんばったわよ!!ベルちゃん!!あなたってサイコーよおぉぉぉっ!!」
変なテンションで笑いながらハイタッチしているギルマスとベルの姿だった。
俺と受付嬢の間に生暖かい空気が漂ったのは言うまでもない。
読んでいただいてありがとうございます。