ナナトの冒険者ギルドにて 2
リックが受付職員と話をしていると、ものすごい音を立てて扉が開いた。周りにいた人々が一斉に口を閉じる。
「あたしの留守中に何の騒ぎだい!!?」
シーンと静まったギルドの入り口に大きな丸い影があった。逆光でよく見えないが、入り口のほとんどを影が埋めてしまうほどの大きさだ。
影は周りにいる人々を弾き飛ばしながらこちらに向かってきた。リックと同じくらい体格の良い戦士が倒れている。以前、学院でミラに教えてもらったボーリングという玉遊びみたいだなあと感心していると、影は受付の前で止まった。
「こんなにとっちらかって。いったい何があったんだい?」
椅子に座ってぼーっとしている職員とそばにいるリックに話しかける。職員は影を見るとぱっと立ち上がり、姿勢を正した。
「ぎ、ギルドマスター!おかえりなさい!」
どうやらあの丸い影は冒険者ギルドのマスターのようだ。
逆光じゃなくなったので、姿が見えた。ぽってりとした鼻が目立つ、大きな女性だ。ぱっちりと大きな目は青いアイシャドウと長いまつげで飾られている。淡い栗色の髪はすごいくるくるに巻かれていて、全身をより大きく見せていた。
なかなか迫力のある女性だな、と思い、つい見入ってしまった。失礼かと思ったが、周りにいる人々も女性にくぎ付けになっているから、許してもらおう。
ギルドマスターはリックと話をしている。
リックはギルドマスターと面識があるようだ。騎士団に所属しつつ冒険者登録もしているから顔が知られているのかもしれない。
それにしてもリックと目線が合う背の高さと、重なったリックをすっぽり隠してしまう巨体は存在感が半端ない。声も大きく良く通る。なんというか、女傑を体現してる感じだな。さすがマスターと呼ばれるだけのことはある。
挨拶しようと近づいたら、リックが目で「まだ来るな」と合図してきた。話を通してくれるようだ。リックは本当に頼もしい。
そういえば先ほど泥だらけにしてしまった場所、そのままだった。だいぶ暴れていたから被害甚大だろう。掃除しないと申し訳ないな。
そう思いながら床を見ると、すでに綺麗になっていた。職員だけでなく、手の空いている冒険者や野次馬が掃除してくれたみたいだ。
「片付けさせてすみません」
急いで行って謝る。
「いやいや、このくらい、すぐ片付いたから大丈夫だよ」
「魔法で出した泥だからか、もう乾いてたしなー」
「それよりも、助かったよ。ありがとう」
ペコペコしてたら、逆に礼を言われてしまった。
聞けば銅の鬼神とやらはたいへん素行の悪い冒険者で、低ランク冒険者に難癖をつけたり、女性に手を出すのはいつものこと、町の人々にも迷惑をかけていたと言う。あまりに苦情が多いので、マスターが帰ってきたら追い出そうと職員たちで話し合っていたところ、聞きつけられて暴力を振るわれていたんだそうだ。さらにそれを理由にしていろいろと脅していたらしい。
「ギルド職員が冒険者を差別するのかと言いながら、無関係なデボラをボコボコにしてしまったんだ」
「大蛇を討伐させろと今日は言ってたが、昨日は大蛇を保護してやると言っててな」
「あまりに支離滅裂なので受付のマルガリタとサンドラが抗議したら殴られて、受付長のダリルが庇ったが、骨を折られ……。どうしようもなかったところにあんたらが来てくれたんだ」
それはよかった。
「女性に手をあげるなんて、酷い冒険者がいたものですね。あ、いや、男性ならいいって話でもないんだけど……」
言い方が悪かった。これじゃ女尊男卑だ。慌てて謝ると、笑いが起こった。和やかになってよかったよ。
そのとき、目の前の職員の顔に大きな隈ができているのに気づいた。
よく見れば隣の冒険者らしき男は顔色がよくないし、商人風のおじさんはしきりに肩をさすっている。酒場のカウンターでグラスを磨いている女性は腕に大きな痣ができていた。
ギルド内の雰囲気も重い。ギルマスが戻ってきたことでいくらか不安は和らいだようだが、皆、疲れがたまっているのだろう。それなのに笑顔で話しかけてくれた。職員教育が徹底している。この町のギルドは優秀そうだな。
よし、待ってる間に、できることをするか。
俺は酒場のカウンターに行き、空いている樽がないか聞いた。
「樽、かい? 仕入れがないから空き樽ばっかりだよ」
カウンターの女性は手を休め、苦笑しつつ答えてくれる。よく見ると腕だけではなく目の周りも薄い痣が残っていた。腕はだいぶ痛むようで、グラスを持つ手はこわばっている。銅の鬼神とやらは無遠慮に好き勝手やっていたようだ。
「一つお借りしてもいいですか?」
「かまわないけど、何に使うんだい?」
「癒し水を作ります。その前に、少し失礼しますね」
カウンターに置かれた手に触れると、女性は腕を引こうとしたが、痛んだのか身を強張らせた。驚かせてしまって申し訳ないが、少し治療させてもらう。先ほど失敗したので水7に対して土は3で、ゆっくりと治療魔法を使った。ミラの光と違い、水と土の治療は穏やかで弱い。体力回復は完全に行かないし、ケガも大きなものは難しいが、子どものころに日常的に受けていた程度のものには有効だ。このくらいならすぐ消えるだろう。
指先から水の冷たさと土の温かさを伝え、女性の体を一周させて、戻す。魔法が終わると、その顔は驚きに満ちていた。
「い、痛く、ない」
「それは良かったです」
にこりと笑う。女性は嬉しそうに笑い、デボラと名乗った。酒場職員を束ね、女将のような仕事をしていると言う。
「おかげで仕事が楽になる。ありがとよ。それで、樽はこのくらいでいいのかい?」
差し出されたのは人が一人入ってしまうくらいの大きな酒樽だった。
……、ここまで大きいのは、少し辛いかもしれない。
「水があると助かるのですが」
「ごめんね、水は運河から汲めなくなったから、裏の井戸のを使ってるんだ。あんまりいい水じゃないから沸かさないと食事に使えないし、あんまり勧められないよ」
と言いながら、別の冒険者にはその水を出している辺り、豪快と言うかなんというか。
仕方ない、水から作るか。リックはまだ話し込んでるし、時間はたっぷりありそうだ。魔力は、……、足りるといいなあ。まあなんとかなるか。
樽の中にはワインのかすがこびりついている。それを軽く拭い、開いたほうを上にして置く。
「すみません、カウンターの端でいいので座らせてもらえますか? 人を待っているとこなので」
「いいよ。何か食べるかい?」
言われて、昼を回っていることに気づいた。そういえば朝も軽く食べたくらいだったな。
「お願いします。できれば片手で食べられるもので」
「あいよ。ちょっと待ってな」
デボラは厨房に向かって何やら注文してくれた。何が出てくるんだろう? 楽しみだ。
リックの分は、……、あの調子だとだいぶかかりそうだから自分で何とかしてもらおう。
待っている間、癒し水を作る。
作り方は簡単。
まずは魔法で樽に水を張る。水があるとこの工程は省略できるけど、代わりに完全な真水に調整しないといけないのでトントンかな。魔法の水は純水なので味がないと言われたことがあったけど、そこまで繊細な舌ではないので俺にはわからない。
次にその水に手を入れ、完全な純水にする。いつもは省略できるんだけど、今回は空き樽に酒がこびりついていたので調整しないと使えない。汚れは土魔法多め、細かい砂の目で漉すイメージで純化する。
綺麗にした水に、水と土が5対5になるように魔力調整をしながら治療魔法を入れていく。山の土や砂を抜けてきれいな水が湧き出すところをイメージするといい。
そうしてしばらくすると、水がほんのりと光るようになる。魔力が蓄えられた証だね。それで完成。
そこらにある魔法だと思っていたが、実は俺が最初に作ったらしい。
眠っていた兄上がやっと目覚め、飲み物だけとれるようになったと神官長から教えられた時に知恵を絞って考えたものだ。兄上に少しでも元気になってもらいたくて、飲み水に魔法を入れることを思いついた。当時は教本なんてなかったから独学でいろいろ試し、完成させたものだった。最初のころは治療もしていたので何度か魔力切れで倒れたな。まあ、おかげで魔力が上がったので結果オーライ。
最初、神官長は俺が兄上に水を飲ませるのを微笑ましく見ていたそうだが、みるみる回復したのでびっくりしたと言っていた。低級ポーションのほうが効果はあるし、ただの水よりよかった程度のことだと思うけど、当時の兄上はそれくらい具合がよくなかったんで、すごく嬉しかったなあ。
ここの人たちがこれで少しでも元気になってくれるといいんだけど。
「お待たせ、って、なんだいこれ!?」
しばらく集中していたら、カウンターの向こうでデボラが大声を出した。いつの間にか目を閉じていたらしい。顔をあげると湯気の立つホットサンドとカップが乗ったトレーを持ったまま、デボラが固まっている。
おっといけない。魔法使ってると周りが見えなくなるんだよなあ。
見れば樽はきらっきらに輝く水で溢れそうになっていた。癒し水、上手にできたみたいだ。
できたみたい、なんだけど……。
「魔力入れ過ぎた……」
道理でくたくたなわけだ。ちょっと気合入れ過ぎたらしい。気づかなかったらよかったんだけど、気づいてしまったらもう体が重くて仕方なくなってしまった。
カウンターに突っ伏す。
ゴン、という素敵な音がして、目の前が暗くなった。
少しの間寝ていたらしい。
気が付くと隣にリックがいて、肩をものすごく揺すられていた。そのたびに額がカウンターに擦れる。痛いからやめてほしい、と言うか、酔う……。
「起きてるから、寝てただけだから、気持ち悪くなるから……」
呻くと、リックは手を止め、俺の背をバシンと叩いた。
うん、すごく痛い。
「ビックリするから倒れるな!」
「……、前向きに検討する」
「確実に返答しろ」
「ううぅ、ごめんなさい。反省しました」
ゆっくり起き上がる。
デボラが持っていたトレーが隣にあったが、中身は冷めてしまっていた。もったいないので一つ食べようとしたら、新しいのと交換されてしまったよ。断ったんだけど、温めなおしてリックに出すのでいいらしい。
温かいスープを飲むと、全身に熱が回る。体のほうも起きてきて、頭がすっきりした。仮眠って大事だな。
「それで、そっちはどうだった?」
尋ねると、リックは軽く肩を竦めた。
「正直挨拶くらいしかできてない。どうしてこうなってんだと揺すられてわかるとこ説明しただけで終わったよ。あっちが先に手を出していたので正当防衛として認めてくれたのは良かった。騎士団に迷惑かかっても困るしな」
「そかあ」
「まあでも、この後はここにいるそうだから、話はギルマスの部屋で聞きたいんだと。あちらも昼飯だからしばし待てって言ってたし、少しくらい落ち着いてもいいさ。この後の予定は?」
「ここ終わったら大河に行って大蛇に挨拶して、そのあとジャスんとこ。宿泊先は決めてないから、もし泊まるところがなかったら騎士団にお世話になろうと思う」
「了解。お供するよ、王子様」
王子様はやめてほしい。ほら、デボラが変な顔してる。
リックも気づいたのか、ヤベェと小さくつぶやいたのち、話題を変えた。
「そういえば、何で倒れた? 疲れたんなら先に宿探すか?」
「ああ、大丈夫。単なる魔力切れ。魔力ポーション飲むから心配ないよ」
「なんだよ、掃除でそんなに魔法使ったのか?」
「いや、掃除はしてくれてたんだ。だからお礼にと思ってこれを……」
まだ手が入っている樽を視線で示す。出来上がったから手を出してよかったのにすっかり忘れてた。出した手についた水をなめて味見する。うん、不味くはない。氷水のように冷たい感触が喉を通り、体を潤すのがわかった。癒し水は乾いた体に染み込み、たまった疲れを流す効果がある。なかなかよくできたみたいでほっとした。
樽の中の輝く水を見つけたリックは、目を水以上に輝かせて嬉しそうに言った。
「おおっ、久しぶりのベルのダシ!」
「……、ダシって、ひどいなあ」
「だってベルが作ってるんだからダシだろ? いやー、マジ嬉しい。これ好きなんだよなあ」
言うが早いか、カウンターの上にあった空のジョッキをつかみ、水を汲んで飲む。
「これこれ!この味だよー!ううう、疲れが消えていくー。この一杯のために生きてる!」
「酒じゃないんだから。それに低級の回復ポーションより効果低いよ」
「いやいや、前にダンジョン行ったとき、これなかったら確実に全滅してた。地味なんだけど効くんだよ。体だけじゃなくて精神的にも疲れが取れると言うか」
「……、そりゃよかった」
昔はまだ戦えなくて、このくらいしか役に立てなかったんだよ……。でもまあ、喜んでもらえていたなら嬉しい。
リックが騒ぐので、あっという間に人の輪ができてしまった。みな、興味津々でこちらを見ている。足りるかな、とちょっと心配になったくらい多くの目が「早くよこせ」と言っていた。
「デボラさん、申し訳ないけど、これ、お任せします」
「任せとき!」
デボラの目が輝いたと思った瞬間、カウンターの奥からこんなにいたんだってくらい人が出てきて、手にした紙のカップに癒し水を注いでいった。さすがナナト、紙の使い捨てカップなんてあるんだ。物流があるところは違うなあ。
水を受け取った人々はリックが飲んでいて毒見がすんでいるからか、まったく躊躇せず水を呷った。
「うまい!」
「な、なにこれ、おいしい!」
「マジ生き返る!」
「魔法の水ってこんなに美味いのか!」
「痛かった肩が軽い!」
「首が回るぞ!」
「これで低級ポーションより効果がないなんて……、嘘だ」
「……、ベルさんのおいしい水」
「ベルさんの手が入ってた水……。イイ」
喜んでもらえて何より。たくさんの人に飲んでもらえてよかった。もう半分なくなってしまったから、ギルドに作り方を置いていこう。
そんなことを思っていると、水で乾杯している人の声が耳に入った。
「「ベルのダシに乾杯!」」
……、頼むからその呼び方は勘弁してほしい。
恨めしい目を向けると、リックは口笛を吹きつつ、温めなおされたホットサンドをかじった。
読んでいただいてありがとうございます。
誤字報告、感想、ありがとうございます。大変ありがたく、励みになっております。話の進みが遅くて申し訳ありませんが、楽しんでいただけたら嬉しいです。これからもよろしくお願いします。




