ナナトに行く前に
会議室はポータルを設置している建物の1階と2階の端に1つあった。
1階の会議室は広かったが、休憩所になっていたようで、あちこちに騎士や魔術師が倒れている。屍累々みたいで笑えない。まるで武闘会のときの控室だと学生時代を思い出した。
何人かが俺に気づいて立ち上がりかけたけど、そのままで、と身振りで制し、静かに扉を閉めた。
ポータル職員たちの疲労困憊した姿を見ると、本当に11日経っていたんだと実感する。
そういえばドライアド様のような精霊は人間と生きている時間軸が違うと文献にあった。ともにいるとその精霊の生きている時間の流れに同調してしまうそうだ。一緒にいる人間はいつもと同じように過ごしているので気づかないが、戻ってみたら知り合いがすべて年寄りになっていた、という話もある。11日程度で済んでよかったのかもしれない。
2階の会議室はひっそりとしていた。聞いたところ、指示を出せる立場の役職を持つ者が利用していたが今は引き払っているという。俺が戻ってきて忙しくなった人々だ。指示出したら休んでほしいが、立場上難しいだろう。役職がつけばそれなりに優遇されるが、その分の責任があると言うことだ。兄上もたまに姉上といちゃつく程度でほぼ一日働いているしなあ。
それはともかく、場所が確保できたので、報告書に取り掛かることにした。
幸い、紙もペンもある。使わせてもらおう。
机に向かって書き出しを悩んでいたら、コンコンと扉が鳴った。
「ベル様ー、おなかすいてません?」
返事をする前に扉が開く。
同時に、木の盆にたくさんのサンドイッチとポットを乗せたジャスティンが嬉しそうな顔で入ってきた。
「こら、返事を聞かずに開けるんじゃない!もっと言うと勝手に入るんじゃない!!」
隣で怒鳴る男に見覚えがある。ジャスティンのすぐ上の兄、たしかルイスだったな。今は実家のエルファリア商会で商会長である父の補佐として働きながら修行していると聞いた。
それにしても、相変わらず本当に兄弟なのかと思うくらい見た目が違う。成人しても学生に間違われるジャスティンは小さくて華奢だが、ルイスは背が高くがっちりとした筋肉質で戦士のようだ。まあ、どちらにしても商人には見えにくいところは似てるかもしれない。
「久しぶりだね、ルイス。元気そうで何より」
兄を無視してせっせとサンドイッチを並べているジャスに苦笑しながら挨拶すると、ルイスはその場に膝をついて臣下の礼をした。
「お久しぶりです、ベルグリフ殿下。ご無事と聞き、馳せ参じました」
「固いなあ。冒険者ギルドで会った時はそんなじゃなかったじゃないか。気にしないで適当に座ってくれよ」
「そういうわけには参りません。あの時はベルという冒険者でしたからあのような発言をいたしましたが、今は王家の一員ベルグリフ殿下として視察に来ていると聞いております。駆け出し商人ごときが殿下にお言葉をいただくだけでもったいなきことですのに」
うん、ルイスは相変わらず固い。初めて会ったときに『筋肉みたいにバッキバキなんだなあ』と感心したのを思い出す。
「固いなあ。ベル様がいいって言ってんだから、いいじゃない。ルイ兄様も座ったら?」
その前ではジャスティンがさっさと自分の分の茶を入れ、サンドイッチをかじりながらくつろいでいる。こちらは相変わらずマイペースだな。
とはいえ、ジャスも最初はがちがちだった。
生徒会で初めて顔合わせしたころはみんなが緊張していたから言えないけど、婚約破棄の計画を打ち明けて手を貸してほしいと頼んだ時から徐々に変わっていったんだったな。
自分が変われば相手も変わるんだと実感したのはあのときだった。お互いこんなに変わるとは思ってなかったけど、居心地は悪くない。友達とはこういうものなんだ、と教えてもらっている気がするよ。
「ジャスの言うとおりだ。ルイスにも迷惑かけたろう? 俺はこの報告書をあげないとナナト大河を見に行けない。申し訳ないが、案内を頼みたいから少し待っててくれるかい?」
ルイスは不服そうだったが、ジャスティンを見てため息を吐き、弟の隣に座った。
「ジャス、これが終わったらナナト大河の蛇がどうなっているのか聞きたい。急ぐけど昼まではかかると思う。休んでて」
「りょーかいです。んじゃ、これ食べたら寝まーす」
そういいながら椅子から飛び降りたジャスはカップに茶を注いで俺の机に置いた。
「ベル様、お茶飲んでね。疲労回復元気茶。ミサキ姉様の実家のお茶だよ」
「ミサキ様?」
「うん、ギルバート兄様の嫁様。彩の国でお茶を作っているんだって。結構おいしいよ」
言われてみればいつもと違う香りがする。色もいつもの赤い色と違い、黄色みのある緑色だ。いい香りに誘われて一口飲んだら、すごく渋くて驚いた。渋みと一緒に苦みが残るが、その苦みが頭のもやもやを消してくれる。元気になると言うより目が覚める感じかな。
「まっず!これ、蒸らし時間長すぎて渋みとかが出てるじゃないか!」
同じくジャスティンが差し出した茶を飲んだルイスがを白黒させて飲み込んでいる。そういうものかと思ったら違ったようだ。
何やら口論が始まったが、おかげで頭がすっきりしたので良しとしよう。
報告書を書きながら、昨日(11日経っていたらしいが俺の体感時間ということで)のことを思い出す。
まず、いつものようにポータルに入ったんだったな。
あの時に事故があったことは聞いていたので、ちゃんと確認してから入ればよかったが、俺以外の人が事故にあったら大変なことになっていだろうからその点では幸運だった。慣れてくると忘れてしまうが、確認してから入ると言うのをルールに取り入れてもいいかもしれない。
入った時に聞こえた音は泣き女の声だった。
あれはどう書いたらいいかなあ。形容できない。ただ頭が痛い音だった。こちら側で聞いた者はいなかったのだろうか?
泣き女の声で魔力がかき消されたことが今回の事故の原因なのは間違いない。
ポータルの移動は魔力がかき消されると切れる。俺はミスト大森林の中に飛ばされていたが、いつもそうなのかはわからないのではと思う。
実験できないから何とも言えないのが辛いな。何か手があればいいのだけど。まさかもう一度泣き女に泣いてもらうわけにはいかないしなあ。
妖精たちはいたずら好きで困ったが、悪意がなかったのはありがたかった。いろんなところを探られて参ったけど、精神的なダメージくらいだ。むしろ守られていた感じもある。
こちらはたまたま妖精が多い場所に珍しく人間が来たからと推測した。妖精たちは気まぐれなので、進んで手を貸してくれることは少ない。今回はドライアド様がいてくれたので気を許してくれたのかもしれない。
ドライアド様は本当に不思議な方だった。助けていただけたのは姉上が愛し子だと言う部分が大きいのではないかと思う。俺自身に価値はないと思うが、死んだら姉上が悲しむ。愛し子を溺愛する精霊には耐えがたいのではないかと推測。
でも姉上が愛し子というのは兄上とグッドウィル公爵との秘密なので報告書にかけないな、ううむ……。
泣き女のことは本当にこちらの落ち度だ。ウエイルの血はここでも害になったのだなと情けなく思う。同じ血が流れている俺を許してくれた泣き女の心の広さに感謝している。
しかしこれも報告書には書けないな。さすがに父上が国外追放にした公爵たちを罪人といえども兄上の影が始末したとは言えない。当時、兄上はまだ王太子だった。王の命に背いた私刑を行ったことになる。
というと、泣き女のことはなしで報告書をあげて、兄上にだけ知らせたほうがいいのか? んむむ……。
しかし、そうすると魔力が途切れた原因を書くことができないので、報告書が成り立たなくなってしまう。
さて、どうするか。
「うー……」
悩んだ末、事実を隠蔽するのはやめた。都合のいいところだけ残された報告書などゴミ以下だ。むしろないほうがいい。
ということで、起こったことを私見をはさまないよう注意して書いた。偏った情報は判断を狂わすので好ましくない。当事者だから難しいけど、できる限り第三者の目線で公平に書く努力はしなくては。
その後の処理は兄上に丸投げしよう、そうしよう。俺は頑張った。きっと頑張った……。
3時間後、報告書は無事提出できた。仕事が早いと魔術師たちは励ましてくれたけれど、自分的には『目標、2時間』だったからなんとなく負けた気がしている。
「終わった終わった」
呟いて大きく伸びていたら、近くで寝息が聞こえた。
目をやると、そばの机に突っ伏して、ジャスティンが気持ちよさそうに眠っている。
俺の視線に気づいたルイスが起こそうとしたので、首を振って止めたあと、立ち上がってそばにあった毛布を掛けた。
「弟がすみません」
「いや、ジャスには随分と苦労かけたみたいだ。本人曰く4日くらいほぼ寝てないらしい。そんなに心配してもらって、なんだかくすぐったいよ」
少しでも体が休まるといいと願う。
ふわふわした髪に指を滑り込ませると巻き毛の犬を撫でているような気持になる。お互い20過ぎた成人男性なのに何やってるんだと苦笑したが、不思議とジャスにはそれを許す雰囲気があるんだよな。
ジャスのそばにあるサンドイッチの皿とポットを盆にのせ、空いた机についてルイスを呼ぶ。
「もう少しで昼だね。せっかくだからサンドイッチをいただくよ。ルイスも食べよう。残すのはもったいない」
「はい」
「つまみながら、今のナナトことを教えてほしい。大蛇が出たことで人々にどんな影響が出ているか、困っていることはどんなことか、騎士団の様子はどうなのかなど、ルイスがわかる範囲でいいから頼む」
ルイスはこくりと頷いた。
誤字報告や感想もとてもありがたいです。励みにして頑張ります。