グマラ砦の泣き女 2
それからしばらく、泣き女と二人(懐に妖精もいるけど)城壁で月を眺めて過ごした。
大きな満月は太陽のようなまぶしさはないけれど、闇の中ではとても明るく輝いている。眼下を流れる大河にきらめく影もまたとても美しい。身を乗り出さないと見えないのがもったいない。まあ高すぎてくらくらするのが難点なんだけど。
最初老女だった泣き女は、しばらくすると赤子になり、すくすく育って銀髪の幼女になったのち、俺と同年代の女の子になった。
話しやすいように努力してくれているようで嬉しいけど、ボロボロの衣服の隙間から肌がちらちらと見えて目のやり場に困ってしまう。特に胸のあたり。内側から押し上げられてとんでもないことになってる。男がみんな豊満好きだと思われてるのか悩むなあ。いや、嫌いとは言わないけどその部分だけで評価するのは個人的にどうかと。
とはいえ俺のマントもあちこち引っかかって穴が開きまくっているから人のことは言えないか。
「月が綺麗か」
泣き女はふふふ、と笑う。
「今日は特にきれいな満月ですよね」
月を見上げて同意すると、泣き女はなぜか顔を赤らめた。何か変なこと言ったかな。
そういえばあまり女性と二人きりで話をしたことがなかった。婚約者の有無にかかわらず、二人きりは危険だ。どんなことになるかわからないから怖い。
そういえばミラとはよく二人で話したけど、所詮ミラだしなあ。っと、いかん、心の声がばれたら社会的に半殺しにされる……。
「ヌシのような人間には会ったことがない」
泣き女は穏やかな顔で言い、俺と同じように月を見上げた。柔らかく降ってくる月の光が泣き女を成長させたようで、今は艶やかな銀髪の美女になっている。
「泣き女の声を間近で聞き、失神しないだけでも相当な胆力なのだぞ。体中を声で切り刻まれるモノもいる。精神的なダメージだけで死んでしまうモノとているというに。なのに、ヌシは平然と横に立った。それだけではない。突然頬に触れるなど……」
顔を両手で覆い、下を向く。
確かに初対面の相手に失礼だった、と大変申し訳なく思っていると、泣き女の指の隙間からくつくつと小さな笑いが漏れた。
「触られて嫌でなかったのは、久しぶりだった……」
そのまましばらく、泣き女は肩を震わせていた。
他愛ない世間話をする。
泣き女は王国の北にあるラメール国の出身で、生まれたときはマラヤ山の谷に住んでいたそうだ。冬になって雪が降ると国を見に行けるので、それが楽しみだったとか。もともと数が少なかったと言うから寂しかったのかもしれない。
谷で長い年月を過ごした後、試しにと春になってもそのまま過ごしてみたところ、溶けたりすることもなく存在できた。おかげで多くの生き物ーを見ることができ、新鮮で楽しい毎日だったが、ある時、場所や生き物に溜まる負の感情を身に取り込んでしまうことがわかった。
それはほんの偶然だった。
何かに引き寄せられて入った場、そこには多くの人間たちがいて、なにやらバタバタとしていた。今までに見たことのない雰囲気に我知らずたじろぐ。
一歩下がった時、黒い塊が見えた。
不快な感じのする、得体のしれない感情、場に溜まった負の塊。
気味が悪い、泣き女は顔をしかめ、ひゅっ、と息を飲んだ。そのとき同時に、それを吸い込んでしまったのだ。
ビックリしたと同時に具合が悪くなり、反射的に口を開けた。
するとどうだろう、取り込まれたものが意味のない音になり、口から飛び出したではないか。
音に驚いた人々は逃げ出した。
泣き女は我が身を黒くしそうな不愉快な感情を吐き出し続ける。大変苦しいが、身から黒いものが出ていくうちに体は楽になっていった。
そして完全に毒気が抜け、泣き女がその地を離れた次の日。
大地が大きく揺れ、建物が崩壊。あっという間に地割に飲み込まれた。
泣き女の声で逃げた人々でその場に戻らなかったものは、全員被害を免れたと言う。
「そんなことが続いてな。その地の危機を泣いて知らせる精霊といわれるようになった」
泣き女は淡々と続ける。
彩の国では嫌われている、泣き女は不機嫌に言った。
話は10代前の帝まで遡る。
当時、帝には三人の妃がおり、一人はラメール王国の人間だった。
鮮やかな桃色の髪に赤い目をした、彩の国では珍しい外見の女だったと言う。
その女が泣き女と親しかったそうなのだ。なんでもマラヤ山のふもとからやってきた聖女だったらしい。
そして、その女のせいで彩の国の政治は大いに乱れたのだと言う。いわゆる傾国の美女だったのだろう。詳しいことは記録にないのでわからない。
ただ、女が身に受けた悪意を泣き女が散らしていたそうで、呪いを返されたものの口から呪い説が出ていたようだ。
「ここに来たのは偶然だが、ヌシに会ったのは必然かもしれぬ」
泣き女はゆっくりと俺の髪に触れた。
「この髪、同じようなものを持った輩に、ワレは二年前、会った」
二年前。
今日のように月が大きく見える夜、ナナト大河をのんびり揺蕩っていると、どす黒い悪意が多数、コンフォートビター王国から彩の国に向かっているのを見つけた。
数は約二十。夜目の利かない人間が大河を渡るには無謀な時間だ。
そのうち三つだけが馬に乗り、ほかは走っていた。獣道程度のものしかない森をよく、と感心した覚えがある。
3つの影からは吐き気がするほどの悪意を感じた。
ひとつは年を経た男。ガリガリに痩せた皺だらけの顔には憤りが濃く出ている。
ひとつは年老いた女。対照的にまんまるだ。ゆるんだ肉がドレスの皺と同化して揺れている。
ひとつは中年の女。きちんと装えば傾国ともいえる美女なのだろうが、顔に浮かんだ憎悪ですべて台無しだ。
全部が夜の闇のように黒い髪を振り乱し、尽きぬ悪態を吐いている。
「あのガキ、今までの恩を忘れよって、わしらを謀るとは、許さぬ……」
「そうですよ!わたくしの甥は彩の国の重臣。きっと何とかしてくれます」
「許さない、息子の分際で、母を陥れた罪、決して許さない。今までの躾が甘かったのだ。鞭程度では足りなかった」
口からこぼれる言葉はすべて呪いだ。耳に入るだけで気分が悪くなり、目をそらす。老人の妄言は嫌いではないが、それらは昔の武勇伝などの悪意ない話に限られる。
さっさとどこかに行くといいのに、と思った。こんな美しい夜にふさわしくない者たちだ。普通はこんな無防備な人間どもを森の魔物は通さない。無事だったのは魔物にすら関わりたくないと思わせたからだろう。ある意味勇者だ。
そんなのとともにいる人間たちの顔は歪んでいた。そこにもいろいろな負の感情がある。なぜにこいつらについてくるのか不思議だが、そういう矛盾はよく人が抱え込むものだ。
「彩の国で甥と合流後、帝に謁見したら、コンフォートビター王国の現状を訴えよう」
「息子が母を騙し、それを受け入れた貴族たちの惰弱さを語り、国民と領土を奪うことの利益もね」
「私からすべてを奪ったのだ。奪って何が悪い」
これらの言葉は難しくて意味が分からない。
それに、これだけの悪意だ。新天地で受け入れられるのは難しいだろうに。
まあ、ワレには関係がないこと。
そう思っていたとき、王国側の森から黒い影が飛び出してきた。
影と悪意の主はしばらく何か言い合っていたが、相いれることはなく、結果的に殺しあって終わった。
腕の差は歴然だったようで少数の影だったにもかかわらず、悪意の主は全滅。血の匂いが濃く流れ、魔物たちを騒がせた。肉なれば魔物だっておいしく食べるのではなかろうか。
やれやれ、人間は騒がしいな。
溜息をついた瞬間。
たった今、泣き女の存在を見つけたとでもいうように、残された悪意が牙を剥いた。
「というわけで、ワレは悪意をたくさん取り込んでしまった。急ぎ生き物の少ない場所にこもり、少しずつ身から追い出していたのだが、日が経つにつれなぜか悪意は育っていってな。とうとうワレを飲み込み始めていた。助けを求めようにも間に合わなかった。制御が効かず、この地のモノには迷惑をかけてしまったこと、悪いとは思っている」
申し訳なさそうな泣き女を見る俺はただただ頭を抱えて呻いた。
二年前。
美女をつれた老夫婦と護衛。
彩の国の甥が重臣。
影によって全滅した。
それって、あれだ。
まぎれもなく、俺の、言いたくないが、あれだ、親とかだよ。
夜の闇のような黒髪、って、ウエイルの血が濃く出ている証拠だし。
二年前に追放された後は不明で処理されてたし。
ということは、ドライアド様を始めとする森の生き物が困り、泣き女に迷惑をかけた原因は……。
「ほんと、申し訳ない」
俺にできるのは土下座だけだった。
「と、いうわけです」
俺は泣き女に今までの記憶を見てもらった。大変恥ずかしい部分も披露することになったが仕方ない。
泣き女を苦しめた悪意の毒、原因は国外追放になった俺の親族。
さらにその原因を作ったのが俺の計画した婚約破棄騒動。
ということは、一番の原因は、俺だ。
母たちは爵位剥奪の上国外追放にして処理は済んだ、と兄上から聞いた時に、流さないできちんと報告を求めたらよかった。仮にも公爵だったのだ、プライドだって高かった。兄がきっちり処理したのはわかっていたが、精霊たちに被害が及ぶまでは考えていなかった。大変申し訳ない。
激しい自己嫌悪でくらくらする。
こんなんで国を愛してるとか、甘すぎだなあ、自分。
俺の額に指先を置き、記憶を読んでいた泣き女は、何とも言えない顔をしている。
「お、おぅ……」
時折変な声を出しているが、何か面白い場面でも見たのだろうか? 黒歴史部分だったら泣きたい。ミラに言いくるめられてツインテール猫耳娘とやらをさせられたこととか……。うぅっ。
「ちょっと、背を見せてみろ?」
「はい?」
「いや、確認、させてくれ」
泣き女の手が背後の上着下部から中に入ってきて、背中をめくった。
懐に入っていた妖精たちが驚いて飛び出てくる。みんな顔色も戻り、飛べるようになっていた。よかったよかった。
冷たい手が背に残る傷跡を這う感触。気持ち悪い。変な声出そう。
「……、悪かった」
泣き女はそっと服を戻した。手の冷たさで体が冷えてしまい、ちょっと震える。
「治療魔法で消えなかったのか?」
「え?」
「いや、その、背の傷……」
「ああ、これですか。知り合いの聖女も頑張ってくれたのですが、古すぎて無理だそうです。深くて辛い傷でしたが、骨や神経は無事でしたので、今はさほど辛くないですよ。寒かったり雨の時は少し痛むので、冒険者としては欠陥品ですけどね」
背中以外にも腿や上腕の柔らかい内側などの服を着たら見えなくなる部分には赤黒い傷が残っている。
ミラはこれ以上消えないと謝ったあと、子供にするように頭をなでて褒めてくれた。
「頑張った勲章だね」
それ以来傷を見るのが辛くなくなった。トラウマを一つ消してくれた聖女様に感謝だな。
だがその直後のあれはなんだったんだろう?
「あああ、しまった、フラグを一つ回収してしまった。ベルの恋愛が……」
と、意味不明なこと言っていたが。
そのごしばらく、泣き女は目を閉じて何かを考えていた。
俺のしたことを思い出しているのだろう。原因となったからには何か償えることがあればいいのだが。
「ヌシの記憶のおかげでいろいろ知った。感謝する」
やがて、泣き女は顔をあげ、俺の目をじっと見つめた。
「気に病むことはない。ヌシのせいではないことは理解した。ドライアドにも迷惑をかけたことを詫びたい。連れて行ってもらえるだろうか?」
こう言って、深く頭を下げる。
周りをくるくると妖精たちが回っていた。泣き女の声に乗せられた悪意でダメージを受けていたのに、くすくす笑いながらいたずらしてくる妖精たち。何事もなかったような顔だ。素晴らしいな。見習わねば。
「もちろんです」
嬉しくなって、笑いながら頷く。何とか円満に解決しそうだ。よかった。
にこにこしている俺を見ている泣き女の顔は明るく、かわいらしい同年代の女の子のものになっていた。
「不思議だがな、ヌシに涙を拭かれたとき、溜まっていた悪しき何かがきれいさっぱりなくなったのだよ」
礼を言う、と頭を下げられる。
特別なことをしたつもりはないので困惑していると、不意に泣き女が笑い出した。
「そうだ、礼として一つ忠告しよう。月が綺麗などと、みだりに女に言うものではないぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。この国では言葉通りかもしれないが、彩の国では『貴女のことを愛しています』、ラメール国では『月のように美しい貴女をお慕いしています』という意味だ」
「っっっ!!??」
「くくっ、知らなかったか。まだまだ青いな、ベルグリフよ」
俺は真っ赤になった顔を両手で隠し、地面に転がって身悶える羽目になった。
黒歴史が一つ増えた。
読んでいただいてありがとうございます。
ツインテ猫耳娘コスのベルやパツパツボロボロローブの泣き女はマニアックだったと反省しているが後悔はしていない!




