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グマラ砦の泣き女 1

 グマラ砦はナナト大河を見下ろす崖の上にある石造りの砦で、今から1500年ほど前に作られた。ナナト大河を行き来する軍船にとても有効で、大河をはさんだ攻防戦の拠点だったとある。

 当時、この辺りは国の線引きがあいまいで、領土をめぐっての戦いがあったという。

 神樹の守りでミスト大森林は戦火と関りはなかったと歴史書にはあるが、ナナト大河付近は別だったらしい。ところどころにある砦の名残が激しい戦いがあったことを示している。

 当時あったとされる多くの砦はそのほとんどが長い年月のうちに森に飲み込まれて消えたが、グマラ砦だけは当時の姿そのままに残されていた。

 正確に言うと、50年前、王国領土に侵入しようとしていた隣国、彩の国の盗賊除けの拠点として修復したのだ。大河を渡って侵入する盗賊たちは王国に深刻な被害をもたらし、一時期外交も断絶していた。だが当時の彩の国王が謝罪し、協力して盗賊を討伐したことで、再び国交が戻ったのだった。

 討伐後、グマラ砦は再び放置された。王国の貿易港、ナナトを一望できる立地ではあるが、そこまでの道のりが険しく、使い勝手が非常に悪いのと、その後に作られたハルマ砦のほうが利便性がよかったためだ。

 そんなわけで、今では苔や木々に覆われて砦としての機能はない。そのうち他の古い砦と同じ道をたどるのだろう。


 そんな朽ちた砦に、泣き女はいるという。






「すごいところに来ちゃったなあ」


 顔にかかる葉を払いつつ、俺は大きなため息をついた。

 こっち、こっち、と手招きする妖精たちに軽く手を振る。あの大きさと飛行能力があれば砦まで行くのは楽だよなあ。

 誰も使わなくなった道は森に飲み込まれ、行く手を阻んでいる。木の根や枝だけではない。滑りやすいキノコや爆発するキノコ、枝から落ちてくる蔓。森に拒まれている感じだ。

 時折、魔物が作ったとみられる道を見つけるとすごく嬉しい。大型の魔物は自分の通り道を作るので、枝や下生えがちょうどよく押さえつけられていて道がはかどるんだ。まあ、間違っても会いたくはないけど。


 ドライアド様と別れてどのくらい時間が経ったかわからない。


 多少の援助はしてやると言われた通り、森に住む魔物は姿を見せなかった。少し耳を澄ますだけで大きな獣の気配がするほど生き物の密度が濃い場所なのでとてもありがたい。


 ただ、大森林はその名の通り深い森なので、日の光の多くは遮られ、今が昼なのか夕方なのか見当もつかなくて困った。たぶん夜になればわかるんだろうな。明かりなどないから真っ暗闇になるに違いない。そうなったらお手上げだ。妖精たちが照らしてくれるかもしれないけど、足元までは無理だろうしな。

 それより前に、なんとかたどり着ければいいんだけど……。


 そんなことを考えていたら、やっと森が切れてきた。

 水の音がする。大河が近いらしい。

 音をたどって歩いていくと、眼下に大河を見下ろす崖に出て、離れたところに砦の影が見えた。思わず息を飲んだほどの高さ。落ちたら死ぬなと思うと体が震える。

 砦と反対側の山影にオレンジ色の夕日がある。王宮のポータルを使ったのは早朝だった。ドライアド様に助けられた時が遅くとも昼前だから、結構な時間休みなしで歩いたことになる。そう思ったら急に足がふらついた。

 日が暮れ切ってしまう前に行きたいなあ。

 目的地が見えたのにほっとしたのと、崖沿いを行くことで木々がなくなり、道がよくなったのが幸いして、完全に日が暮れる前に砦に到着できた。




 到着後、簡単に野営の準備をした。

 砦の扉は朽ちてしまっていたが、中に入ると雨風くらいはしのげそうだ。空には大きな満月が顔を出している。星も明るく、天気は良さそう。雨が降ることはないだろう。


 準備と言ってもできることは少ない。ポータルでナナトの町に行く予定だったのと、落ちたときに荷物をなくしたのとで、身に着けているものくらいしか持ち物がなかったんだ。

 一応Bランク冒険者だからベルトにつけた小さなポーチに最小限のものは入ってるけど、中身は小さなナイフに火打石、ケガしたときに使う布、固形食糧のかけら、小さくたためるコップ、あと金貨と銀貨が一枚ずつ。我ながらガラクタだなあ。

 まあ火打石を入れていたのはえらい。これで暖が取れる。枯れた枝はそこら中に落ちているから、枯れ草と一緒に集めれば一晩くらい何とかなるだろう。


 とはいえ、慣れないと火を熾すのは難しい。頑張れ、自分。


 カチカチ、と打ち付けていたら、どこからともなく飛んできた赤いドレスの妖精がぴかっと光る指を枯れ枝に当てた。

 たちまち種火ができ、焚火になる。

 嬉しそうにくるくる回る妖精にすごく負けた気がしたが、ここはありがたく礼を言った。

 それを見た妖精は腰に手を当ててドヤァ顔をした。


 コップに魔法で作った水を入れて飲み、ついでに顔を洗っていると、不意に空気が凍り付いた。

 砦の奥のほうで何かが動く気配がある。

 ゆっくりと歩き、見に行くと、大河を見下ろす城壁の上に何かがいた。

 城壁に半分ほどかかった月を背にした影は長い髪を振り回すような歩き方をし、真ん中で止まる。



 キーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!



 壁をひっかくような騒音は空気を震わせながら伝わってきた。

 最初はささやかに、しかし急激に大きくなる、騒音。

 ドライアド様は泣き声と言っていたが、そんな生易しいものではない。空気の振動で髪が舞い上げられ、頬にシュッと傷が走る。

 こんな時、風か空気の魔法が使えたらよかったのになあ。

 水魔法で頬の傷を抑えつつ、呟く。

 その間にも音はどんどん大きくなっていき、せっかく燃えた火を消してしまった。火を起こした妖精が地団駄踏んでいる。

 壮絶な音と戦っているうちに、音が複数のものでできているのに気づいた。耳が慣れてきたのか、それぞれが聞き取れるようになってきた感じ。


 それは慟哭。

 それは憤怒。

 それは叫喚。

 それは呪詛。

 それは怨嗟。

 それは嫉妬。

 それは不平。

 それは悲哀。


 どの部分をとっても胸が苦しくなる負の感情だ。


 いいことなんて一つもない!!!


 と、それらは泣き女の全身を使って主張する。


 登ってきた月を背にした影は思ったより小さく見えた。遠目にも豊満な体を揺らし、這いつくばっている泣き女。絶叫ともいえるほど大きくなっている泣き声に、なぜか心が痛んだ。


 ピシ、ピシ、と砦の大きな岩にひびが入る。

 今はまだ大丈夫だろうが、こうやって泣き女が泣く限り、砦は崩れてしまうだろう。


「べりゅ……」

「べりゅ……」

「べりゅ……」


 何かが耳元で囁いた。

 泣き声の隙間から聞こえた声に目を向けると、妖精たちが地に落ちている。身にまとっていた光が点滅し、黒い何かに変わりかけているではないか。


「妖精たち!こっちにおいで!」


 とっさに跪いて妖精たちを回収した。ちょうど両手に収まるくらいの妖精たちはみなとても苦しそうにしている。


「く、くりゅしい、よぅ……」

「いたい、よぅ……」

「たしゅけて…………」


 妖精たちが弱弱しく呻いた。顔が真っ黒になりつつある。悪意という毒に当てられたのかもしれない。水と土の魔法を混ぜた治療術を使うと少し顔色は良くなったが、ぐったりとしている。どうしたらいいのかわからなかったが、取り急ぎ全員を懐に収めた。もぞもぞするのは仕方ない。


「今からもっと苦しくなるけど、俺の服の中で申し訳ないけど、耐えられそう?」


 聞くと、服の中が少しだけ光った。

 俺は服の上から軽く妖精たちを撫でると、城壁の泣き女のところに向かった。






 泣き女は月を見上げて泣いている。


 遠くからだと影だけだったが、近寄ったことで姿が見えた。

 女なのはわかるが、年齢はわからない。角度によって幼女だったり老女だったり、妖艶な美女だったりしている。体つきもその時によって違うのに、遠くの影だと豊満なのは不思議だ。まさか俺の趣味だと思われてないよな?


 泣き女は大きく白目をむいていて、感情がわからない。泣いているのだが泣き顔ではなく、ただ口からあふれる音を発しているみたいだと思う。


 悲しくないのに泣かなければならない業なのか?

 それはきっととても辛いだろうな。


 正攻法で城壁に向かっているが、特に妨害されることはなかった。むしろ来い、みたいな? 魔物退治は初めてではないけど、近づくだけで一苦労だった記憶しかないので新鮮だ。まあ泣き声だけど十分妨害になっていると言われたらそうなんだけどさ。


 近づくにつれて大きくなる騒音に苦労しつつ進み、やっとこさ泣き女のすぐ近くまで行った時には、大きな月はてっぺんに上っていた。

 ポーチからナイフを出す。こんなナイフで何ができるかはわからないけど、ないよりはましだろう。


 真横に立つくらいまで行ってやっと、泣き女は俺に気づいた。

 泣き声が止まる。


「何をしに来た、人間。われを滅ぼすか?」


 それに代わって、聞き取りにくい呻き声が口から出た。

 泣き女は老女の顔で俺を睨んでいる。低い声は凍える風のようだし、白い目が動いて少し怖い。

 ぐしゃりと歪んだ醜い顔は泣き声に含まれていた負の感情を全部抱え込んでいるようだった。悪意に晒され、背中が寒い。


 泣き女を、滅ぼすのか?


 ドライアド様はそうは言わなかった。というか何かしろとすら言われていない。泣き女という精霊を滅ぼすかどうかは俺の責任ってことになるのだろう。

 たしかに、この精霊はこの地に災いをもたらすのかもしれない。現に懐の妖精たちは毒気に当てられて瀕死だ。今、泣き女を何とかしなくては危ないと言われたら、確かに危険だと肯定できる。

 ただ。

 本当に、そうなんだろうか?

 妖精たちは本当に泣き女のせいで死にかけているのだろうか?


 そんなことを考えた時、泣き女の頬が月の光をわずかに反射したのを見つけた。

 濡れた頬の意味するところは、この状況だと一つしかない。


 俺はナイフをしまい、くしゃっとした布を取り出した。


「月が綺麗ですね」


 言いながら、そっとしわだらけの頬を拭く。


「俺は見た通りの情けない男ですが、泣いている女性を意味もなく傷つけるほど落ちぶれてないつもりです。よかったら事情をうかがっても? 話によっては敵になるかもしれませんから、無理強いはしませんが……」


 できる限り優しい男に見えるよう笑いかけると、泣き女はただただ口を開けて固まったまま、俺を見つめた。







読んでいただいてありがとうございます。

この回から少し短くなりますが、このくらいのペースで進めていこうと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「月が綺麗ですね」 ご立派。 この状況でこれが言えれば大したもの。 [一言] 妖精に連れて行かれるのは、好意であっても洒落にならないことも多いのですが、今回は純粋に助けられたようで何より。…
[気になる点] バックパックは文字通り背中の鞄の事なので間違いです。 ポーチバックの事ですよね
[一言]  ジャブでプロポーズしていくスタイル。
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