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Be buggy アイドル  作者: thethethethe
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この世にメシアはいない

本で囲まれた部屋の中で力を込めたタイピング音がけたたましく鳴っていた。既に日が沈み、机に置いてあるデジタル時計は10時を指していた。この部屋の主が血涙を流す勢いで打っているのは編集者から幾度となく催促された雑誌『青春アイドル』のコラムだ。梅田はため息をつきながら何度も推敲しコラムの一字一句を大切にする。この仕事が嫌な訳ではない、推しのドームツアー全通の夢よりも仕事を優先したからだ。今頃開場の方ではメンバーの誕生日をお祝いしている頃だろう。


「アイドルが好きすぎるが故に、アイドルから遠ざかってしまう……」独り言はそのまま原稿に反映されていく。


2回生の梅田良乃は大学のアイドル社会学専攻で、大学生でありながら運が良いことに何個かライターとしての仕事を受け持っていた。物心つく前からガラガラではなくペンライトを持っていた生粋のドルオタである梅田にとってはアイドルの歴史や、エモーションについて詳らかに書けるこの仕事が天職だった。それが功を奏して新米アイドルのキャッチコピーやコンセプトの設定に携わる事も出来た。しかし好きを仕事にするという事の弊害に今真正面からぶつかっている。このライブに行く事は前もって編集者に伝えていたものの誤魔化し方が悪かったのか予想以上に仕事が重なり、金銭が関わっている以上好きなものに面と向かって好きと言える機会がなくなっていた。「アイドルは遠くにいる存在ではあるが、同じ世界に住もうと思うのか、もっと遠ざかって応援しようと思うのかはドルオタによって異なり、」


「私にとっては、近くて遠い……」一拍置いて、ふと本音が漏れる。


気付いた時にはいつもよりも執筆活動に熱が入り、限られた字数を大幅に超えていた。しかしながら字数をオーバーしてしまうのは毎度の事なので、気にも留めなかった梅田は編集者に原稿をメールで送りついでにその旨を伝える。与えられた仕事以上の仕事をしてもボーナスが貰えるわけでもないのは重々承知していたが、それでも彼女の熱量は会社に勤めて1年経った今でも消える事がなかった。生きる希望になるアイドルは輝き続けるし、どれだけ遠くにいてもその輝きは消えることなく北極星よりもまばゆい光を放っていた。

「その輝きをずっと追えることが出来たらどんなに良いことか」虚無が梅田を襲う。原稿が終わった後は1週間ほど現場も学校も何もない時間があるからだ。脱稿したてだが既にライブが終わっている時間帯の中で、複雑な心境に陥る梅田はライブのレポを見ようか見るまいか虚空を見つめ心中で緩やかなせめぎ合いをしていた。普段は自身が現場に行っていないレポートを見ても百聞は一見にしかずといった感じで、感想を呟いている人を避け1人壁打ちをするアカウントに閉じこもる。結局そうすることにした。自室と同じような缶詰め空間でコラムのテーマを書くに至ったきっかけを呟く。あとで思い返せるようにと本にしおりを挟んでいるようなものだ。今回の場合は3年前に活動していた7人組グループ『ゼリーズ』の解散ライブが起因になっていた。

「海中で僕ら、ひかめく君達と挨拶をするよ!」その言葉に、幼い頃の梅田良乃は心を奪われる。ドルオタの両親に連れられ自分の足で初めて現場に行った時のことだった。アリーナの最前から輝く彼らを見た梅田は、鳥肌が全身を駆け巡り日常の嫌な事など最初からなかったように推しに見惚れ、「チュウォン」を好きになる。風に吹かれて流れる髪、滑らかなダンス、肝が座っている堂々としたパフォーマンスはライブが終わっても脳裏に焼きついていた。何よりも歌声が好きで声帯に惚れたといっても過言ではなかった。言語の壁など些細な事だったし、推しとは国内外問わず惹かれ合う物だとこの時から自身の中で推しを通してアイドル哲学を身につけていく。「愛してる!」あなたといる時間がどれだけ楽しいか!彼女はライブや握手会で幾度となくそういった思いをチュウォンに伝えていった。ボードで、肉声で、ペンライトで……その度にチュウォンは、癖でやる含み笑いをして優しく対応してくれた。推しからリアクションが貰えた梅田は嬉しくて眠ることが出来なかった。そんな長く続いていくかのように思われた多幸感にあふれた日常は、呆気なく終わってしまうことになる。

『ゼリーズ』活動10周年という節目の年に、訃報がスマホに舞い込んできた。冬休み、友達と遊んだ帰りに最寄り駅のベンチにへたり込んだ事を鮮明に覚えている。「嘘……」感情はどん底に叩き落とされた。二度と、チュウォンの写真が更新されることはなくなってしまった。苦しんで亡くなってしまったようで、後に公開された遺書は酷く心を痛めつける内容になった。灰色の空から雪が深々と落ちてくる。電車から社会人達が蜘蛛の子散らすように、ベンチで泣いている梅田には目もくれず自身の目的地へ向かっていく。一時は焦点が合わず電車の警笛に敏感になるほどだったが、どうしてこんな事になってしまったのか深く詮索することはせずにまずはメンタルの回復に努めた。梅田の母も父も、一緒に悲しんでくれた。推しを悼む心を両親が理解して海外に行きドルオタが集っている聖地をめぐった。そうやって全てを踏まえた上でも、チュウォンはまだ生きていると信じられる気持ちが残っていた。笑顔だったメンバーの喪服を見ても。

生まれて初めて出来た推しを失ってしまった梅田は、漠然とした空虚を抱えたまま人生を生きることになってしまった。その後も6人体制で活動していた『ゼリーズ』を応援していたがメンバー間のぎこちなさは見ればわかるように不安を示しており、会場内に伝染して重たい空気が流れていた。正直、推しが生きている事実が羨ましいと思ってしまう考えすらあった。「もう一度その笑顔が見られたら……」彼女はありもしない幻影を見るようになった。程なくしてグループは解散する運びとなる。

「僕達はしばらく海に潜るけど、海の色を映す空からも、君達を見ている人がいるからね!」ある1人のメンバーがそう言った。そう言った途端、梅田はあり得ないほど涙が出た。タオルで口元を押さえて必死に崩れ落ちるのを耐えた。同じように過呼吸になり、嗚咽混じりの声が方々から聞こえてくる。終焉とはこういう事なのかと大それた事すら感じた。メンバーの何人かも泣いていたのでそれがまた涙腺にきた。最後の大合唱に至るまで涙の輪は途切れなかった。「本当に見たかったものって、なんだったんだろう」そう呟いた梅田の目には、ステージの上に7個並んだスタンドマイクとセンターに立つ予定だったチュウォンを照らす照明と、6人が肩を震わせながら生前に収録していた7人の新譜を歌う姿がぼやけながら映った。それが、梅田が参加した解散ライブの一部始終だ。

1つのグループに絞って応援する梅田だったがこればかりは流石にこたえて、今は別のアイドルグループで推しを見つけて応援している。郷土心製品(KDP)に所属している「ヨンサ」という名前の生まれつきアイドル気質な男性アイドルだ。自尊心があれほど広大であると見てるこっちも救われる気分だった。ただ、少なからず、前の推しを投影してしまっていることがあり、それがかすかに罪の意識としてあった。

あらましを呟いた所で少しばかり眠気が倒れ込んでくる。梅田は少し横になろうとパソコンを閉じ机の向かいにあるベッドに横になった。枕元にチュウォンとヨンサのトレーディングカードを添えて、チュウォンの命日から1000日経った今日を粛々と終わらせた。「いい夢が、見られますように……」そう言って10分足らずで深い睡眠を手に入れる。





夢の中で目を覚ました梅田は自我がある事を確認し、初めて明晰夢が成功した事を喜んだ。「念じれば、全てが叶う!これ本当!?」眼前にはヨンサの握手会の光景が広がっていた。願わくばチュウォンも見たかったが、出力するにはいささか情報が足りないようで少し悲しかった。

どちらにせよ自分のところまで順番が回ってきた。自我はちゃんとあるはずなのにどうしてもパニックになってしまう。

「あ、あの握手会初めてなんですけどいつも見てます!ライブのダンスが素晴らしくて……」全てを伝えようと思っても、剥がしは無情で近づいてくる。

「アリガト〜」片言で彼は営業のような笑みを見せた。

「時間でーす」剥がしは梅田の肩を質実に掴んで出口へ連れて行こうとし双方に手を離すようお願いする。


しかし、いつまでたっても手を離さないのはヨンサの方だった。どうして、と梅田が疑問に思った瞬間剥がしの存在が消えてしまったことに気付く。まさしくそれは二人の時間だった。ヨンサは梅田の目を見つめこう言い放つ。

「梅田良乃、君を天国からずっと見ていたよ」


そう言った瞬間、周りのおぼろげな握手会の風景は質感を持ち始め次第にロケットの重厚的な内装へと変わっていく。「行こう、僕の故郷へ!」

「へ?」梅田はあっけらかんとした様子でよく分からない機械をいじっている人達の間に放り出された。振り返るとヨンサはこの科学者たちの司令塔のようなスタンスをとり荘厳な雰囲気を漂わせ玉座に座っていた。さっきまで手を握っていた人物とは思えないほどの威圧感がヨンサのオーラを担っている。まるで、楽屋とステージで豹変する彼のスイッチを覗いてしまったかのようだ。

指揮を執るヨンサにアイドルの面影はない。いや、これもアイドルの内に内包されるのだろうかなどと梅田が現状に即していないことを思っていると、ヨンサが梅田にこちらに来るよう促した。梅田は、手すりに掴まり一段一段と踏みしめながら鉄よりも重たそうな質感の素材で出来た階段を上っていく。アイドルに近づく度に罪悪感からなるわだかまりが胸を締め付けた。何もしていないのにパトカーが横切ると怯えてしまう時のような気持ちを抱いていた。あなたの母国語をしっかりと覚えてもいないようなダメなオタクが近づいていいはずがない。「やっぱり私には……」どこへ連れて行くのか知らないけれどあまりにも重荷です、そう言おうとした瞬間ヨンサが映画のワンシーンのように発射合図を出した。

「type:フェンゼンム、熱供給で得られた反応で直接推進剤を加熱膨張。エネルギー充填完了。時間がない、スペースプレーンへ移行しスピードを調整。繰り返し要請する。光年を超える速度へ、至急調整を。うん、ありがとう。目標、1光年先にある「向こう側」へ。所要時間は約30秒。成功率80%、ヒトの生存率1%。」

「待って!1%!?それってどういうこと!?あなたが出てる恋愛ゲーム内で出来るガチャの最高レアと同じぐらいなんだけど!?そんな確率じゃ、あなたも危ない!」梅田は急いで歩み寄り止めるよう指示する。

「落ち着いて。僕は『天使』なんだ。」

……そこまでアイドルになろうとしなくていい、アイドルである前にあなたは人間なんだと梅田はヨンサの姿を捉え目を潤ませた。

ヨンサは彼女の言わんとしていることを感じ取ったのか、椅子から立ち上がり優しく肩を寄せてこう言った。「でも君は確かに危ない、僕につかまって!発射するよ!」科学者の1人がカウントダウンを始める。「発射まで、5、4、3、」ロケットのエンジン音がけたたましく鳴り響く。その振動が内部にまで伝わり2人は足をすくわれそうになった。椅子の背後でしゃがむのがやっとで、安全な体勢は今すぐには取れそうにない。

梅田は今ここで、推しに抱きかかえられることの異常性を自覚する。「あああの私みたいな人がこんなに近づくことは許されていないから……」やっと言えた時には、先ほどよりも親密にヨンサが抱きしめていた。揺れる頭の中でヨンサの声がはっきりと聴きとれる。

「それでも、生きるって決めたんでしょ!」既にロケットは出発してエンジンが動く爆音が骨や肉を突き破って心臓に直に訴えてくる。音と心臓が一体化し自分自身が何であるのか忘れそうになり、液状化しそうになってもそれでもヨンサの声が家を支える大黒柱のように、心の中に確立された存在として梅田は頼らざるを得なくなった。

「もうすぐ、着くよ。ほらしっかりくっついて離れないで。」

「さすがにそこまでは出来ません……」消極的になる梅田をヨンサはあいも変わらず抱きしめていた。

「うーん、これから大丈夫かな……」一抹の不安を抱きながらロケットは、不時着した。

「念じた想いが冷めて届かなかったのかな?」ヨンサは派手に壊れたロケットを見て冷静に考察をしていた。幸いにも無傷で済んだ梅田はロケットから這い出てくるネズミのようなものに視線を移す。ここが未知の場所であるにもかかわらずネズミたちはプルームのようにやわい雲の上を颯爽と走りながら、決められた目的地に向かって姿を消した。しかしネズミの巣のようなものは近くには見当たらず、重ねて太陽が届かない場所に位置しているのかこの場所は10m先も見えないほど薄暗い様子だった。

一体ヨンサはこんな場所でどのように生活しているのか、謎は深まるばかりだった。普通夢で推しと星が瞬く夜空を眺めるのはロマンチックであるはずだが、夢で訪れるような場所に定住しているとどうにも感情には高揚感はなかった。

「そういえば、ここMVの撮影場所じゃない……?」独り言のようにぽつりと呟いた言葉をヨンサが拾う。

「ああ、監督の人にMVを作る際僕たちの故郷はどういう風だったか教えてくれと言われたんでね。みんな忘れているだけで僕たちの本懐はずっとここだ」曲げていた膝をまっすぐ伸ばしゆっくりと立ち上がったヨンサは梅田の方を向きながらそう語る。梅田は目が覚めたらこの様相を綴るつもりだと密かに企んでいた。公表したとしても宇宙人にUFOで拉致された人の証言のように信憑性はないのだろうが。

「さあ。お手をどうぞ」突然差し出された手に梅田の調子は少し狂う。

「これは夢、これは夢……私は重度の夢女子……じゃないと“私が”ここにいる意味が!無いの!私は面倒くさいオタクだから!」梅田は叫び手を取ることを拒む。

「あまり謙虚すぎるのも、かえって周りの迷惑になる事だってあるんだよ。はい、君は“僕に選ばれた1ファン”だ」アイドルは現実を超えた夢を見せてくれる。ヨンサには羽が生え、後光がさしていた。

「ハッ……!あっ、そうか。そうだったわ……」頭を振って梅田は取り乱した心を平静にしようと試みた。

「じゃあ今から上司に報告しないと。壊れたとはいえ無事に着いただけで九死に一生を得たようなものだし、奇跡的なケースとして記憶と記録の中に留めてもらおう」「上司って……?」彼女が訊ねた時遠くから人影が垣間見えた。

「あ…ドウモ」「大きな音で飛び起きてみたら、お前か。まだ派遣期間は終わっていないはずだが?地球に残っている仲間たちに、どう説明するつもりだ」「夜分遅くにすみません。仲間には連絡しているので」

「本当か?楽屋に付いた途端お前が行方不明になったそうだが」ドスのきいたその声は、アイドル伝説を語るうえで必ず名前が出る伝説級アイドル、チホだった。その声を聞いて梅田は飛び上がる。

「あー!!アイドルの始祖ともいわれるアイドルオブアイドルのチホさん!あなたがいたからアイドルの歴史が大きく動いたといっても過言ではない最高のアイドル!会えるなんて夢みたい!夢だけど!」

「これが……例の?視察していた時よりも生で聞くとうるさいものだ……」「え?私のこのバカオタク加減、ここにまで伝わっていたんですか?恥ずかしいし複雑なんだけど……」梅田は五体投地した姿勢から照れ臭そうに居住まいを正して向き直る。

「それより聞きたいのはここがどこなのか、2人に羽が何故生えているのか、どうして文化が違うのに言葉が伝わるのか不思議なんですが」「ああ、言うのを忘れていたね。指示することに夢中で……でもこれは君の夢の中なんだよ。だからご都合主義のように話がうまく進んでいるんだ。だから僕たちは天使なんだよ。君の妄想を反映したまでさ」「……にしては質感が本物すぎるし、8K程の解像度か何か?」「それは全部夢だ。今はそう思っていればいい」チホが口を挟んだ。「今はって」天使2人にはぐらかされた梅田は訝しむ。少なくとも、このような重度の夢女子、あるいは電波のような考えは一度もしたことが無かったからだ。羽が生えている情報源は何が原因なのか、肩甲骨の内側まで探ってみたくなるほど怪しんだ。と同時に、夢が現実と混濁してアイドルがそこにいること以外感覚がロケット内部の手すりのように掴めないことに恐怖を覚える。

「……何故“私を”ここに連れてきたんですか?」するとヨンサは珍しく高圧的な態度で言った。「むしろあれだけ『エモ』を語れるのになぜ自分自身のポテンシャルに気付いてないの?」聞き覚えのある単語だが、何か違う意味を含んでいるような気がして梅田は意を決して聞いた。

「エモ、とは?」

「ふむ、いざ答えるとなると定義が難しいが、人間の豊かな感受性から生まれる説明のしようがない塊で、私たちにとっての生きる原動力のようなものだ」意味としては最後の部分以外地球にいる時とさして変わらないようだ。もっとも梅田はその言葉を使うと語彙と感情が減るような気がして無意識的に忌避していた。

「言いたい事は分かります。エモってそうですよね!でも原動力って?」興味のある話なので梅田はライブの必需品であるメモをポケットから取り出した。

「我々天使は、エモを糧にして生きている。。そのエモを宇宙の中で一番多く輩出してくれるのは地球にいる人間という検証結果が出たのだ。だから我々は地球に腰を下ろしアイドルを遣わせている。エモがないと私達は天国や地球問わず生きられないので、天国にいるアイドル適性の高い魂を地上のアイドル研修生が“一人前のアイドル”になる瞬間にその体に下ろして、地球の各地でライブやサイン会を行いエモを天国に届けているのだ」「私個人の見解では、体と魂は別々に分けられるようなものでもないと思うんですが」話を聞く事に疲れたヨンサが梅田の隣へ腰を下ろして喋る。「まあなんというか、地球で生まれた人間の魂に僕らが混ざるんだ。地球でその人間のアイドルデビューが決まった瞬間にね。そして混ざった」

「うーん…?魂と体が必ずしも合致するわけではないんじゃ…?臓器移植をしたとして移植希望者とドナーの相性が必ずしも良くなるとは限らないように」梅田はメモを取りながら堅実的な質問を投げかける。

「だから天界での魂を選別する儀式、地球でアイドル達がするようなオーディションを天界でも行っているんだ。君も見たことがあるだろう?事務所が望むような理想のグループに若いアイドル達が淘汰されていく様を」ヨンサが指しているのはサバイバルシステムでデビューするアイドルの事のようだ。ヨンサ自体は事務所にスカウトされ練習生時代を積み重ねていたので、そういった形のデビューへの苦労に対する表現にややまごついているようだった。

「そういうサバイバルは胸が痛むから見ないけど、まあ、オーディションの形式なら大体わかります。アイドルに求められる基本的な素質とそれに加わる特技や人間性の評価、人生について先輩アイドルも審査側に回って判断するんですよね」

「ひいては梅田、君に天界でのこの儀式を担当してもらいたい。ちょうど担当の天使自身がアイドルになったから人手不足だったのだ」突然の宣告に梅田は腰を抜かした。

「うぇ!?私が!アイドルの卵の!オーディション!?」「厳密にいうと卵の殻ではなく中身につまっている黄身や白身のオーディションをしてもらいたいんだ」ヨンサの普通の人とは一味違ういつものジョークも今は反芻する気になれなかった。

「外見がない分、人間にとっては分かりやすいのではないだろうか。期待しているぞ」「既にやることになってるし……」梅田は夢ならここで覚めてくれ、と願うばかりだった。アイドルというジャンルが好きな分、自分で他人のアイドル人生の一存を決めることなど到底出来そうになかった。

「大丈夫、最近天使の魂を下ろしすぎたせいで、オーディションを受けるものも少しヘビロテ気味だし、対話をすればすぐわかると思うよ」

そういう問題では、と言おうとした所で疑問が次々と浮かぶ。

「そもそも!この世界での輪廻とか魂の循環とか、そういうのってどうなってるんですか」この質問にはチホが腕を後ろに組みながら答えた。

「魂の動きは変わらない。寿命がない天使の穢れなき美しい魂はこの天界よりももっと高い場所にある浄化された美しい街ラノハーマに住むという高邁な精神を持っているため、自身の知名度を上げ他との差別化を図るべく上へ上へとのぼる向上心があるのだ。そしてここにいる魂の増減は、地球で夢半ばにして果てた人間や社会に触れていないまま一生を終えた純な魂が集まるかどうかで決められる。まあ、そんなものたちが安楽を手に入れようとして地球に移り、そこでトップアイドルになった暁にはあらかじめ決められた派遣期間が終わった後に神の審査を経てラノハーマの永住権が与えられる」どうやら、天国よりも高い位の至上の楽園があるらしい。

「じゃあ、どうしてチホさんはここに…?その十分すぎる輝かしい功績があるなら上に行ってもいいのでは?」

「私はソロデビューした後ラノハーマへ住めるようになったとお達しが来たが、自分から進んでここに居座ることを選んだ。アイドル達にとってのプロデューサーのような役目を果たしたいと思ったのでね」胡麻をする様にヨンサが口を開いた。「チホさんはすごいよ、普通のプロデューサーよりもやっぱり元アイドルだった分アイドルの事をよく分かっている。今地球で活動しているアドストローやテコテコも全部チホさんの魂を鑑定出来るスキルがあってこそだ」そう言われてもチホはまだまだ上には上がいるといった風で、後輩から慕われていても決して驕った態度をとらないのは本当のようだ。

「それは、めちゃくちゃスゴイ……私は推しグループに一生を賭けるタイプの人間だから他のグループへの知識はミーハー程度だけど、どこも良い噂が絶えないグループじゃない……」ふとしてヨンサは、冗談でアンニュイな表情を浮かべた。「そうだね、僕達のチームじゃ太刀打ち出来ないと思う……」「あっ推しにこんなこと言わせるの罪だ私」思うよりも先に口が出た梅田はプレゼンをするようにどんどん長所を述べた。

「そんなことない!徹夜でいっぱいレッスンして大人数なのに一糸乱れぬパフォーマンスで毎回ステージの上で魅力迸っててコンセプトも最高で20人全員センターになれるパートが毎回あってオタクとしてはめちゃくちゃめちゃくちゃ嬉しい限りなの!そしてなんといっても世界を!癒しに!導くあなたの愛嬌が!好き!!」「フフ、ありがとう!そんなファンがいてくれるだけで僕は嬉しいよ」梅田はやっぱり疑問を感じる。どうして早口のオタク構文がきちんと伝わっているのか?「今の、一言一句伝わってた?」

ヨンサは顎に手を当てて軽く考えた後空を見ながら答える。

「君の母語でも、僕の地球上での母語でもない天界の言葉だからかな。本当は僕たちの真の第一言語はこれなんだ。人類に限らず植物や動物にも伝えられる言葉なんだよ」

「え?顔だけでなく言葉も次元の壁を越えてたの?」「僕たちは本来全知全能だからね、でも地球に降り立つと重力や国と国の境目など色々と制限がかかるんだ。天使の羽も失うし」伏し目ながらに彼は呟いた。

「地球の重力がそうさせているのか……でもどうしてここに無理やり来ても天使の羽が生えているの?」

「それは…ある国と国が秘密裏に開発している音の壁も次元の壁も越えられる高性能なロケットに乗ってきたからだ。それは地球から天国に行っても次元の影響を中にいる者に与えないのさ。君は君のまま生きているし、僕は天使から天使へ、ただそれだけだよ。まあ成功してよかったかな」不時着したロケットを苦々しそうに見つめる彼から、国単位で動いても次元を超えることは非常に難しいことが伝わってきた。ただそのプロジェクトに実験体として連れてこられたのがしがないアイドルオタクなのが梅田にはまだ納得がいかない。

「いずれ分かるようになるさ」ヨンサは梅田の心を見透かしたようにそう語った。

「杞憂になるならそれでいいけどね……って、全知全能だからって何も心理を読まなくても」梅田は隣にいるヨンサ、人間を超えたその存在に畏怖の念を感じ取り軽く距離をとる。

「……でもアイドルと天使は別のものなんでしょ?天使から天使へ、ヨンサが?地球のアイドルから天国の天使への間違いじゃないの」

いつの間にかロケットの解体作業に移っていたチホが背中を向けながら喋った。

「ヨンサは、世にも珍しい物心つく前からの天性のアイドル気質だったのだ。だから我々の魂の介入はいらなかったし今の今までアイドルではなく天使として生きていた。だから地球に行っても天界に行っても自我を保つことが出来る。魂も汚されていないし天国にとっては有望株だろう」

「だからそんな僕に目をつけるとはなかなかお目が高い。僕に見惚れる人はごまんといるけど天使のたちを判別出来る人は今までいなかったからね!地球でも一度コラムで僕の天性について熱弁してくれたでしょ?だから君ならきっと出来るよ、仕事が!」ヨンサはぐいと梅田に迫った。

「や、でも、私既に地球で仕事してるし……」少ないとはいえ、一応コラムも仕事の内だ、と梅田はプライドを持って善処しかねる。

先ほどとはうってかわってヨンサが神妙な面持ちで梅田を見つめ喋った。「梅田ちゃん、宇宙と地球では時間の遅れが生じて、宇宙旅行者が地球に着いた時必ず若くなっているんだ。この天界、クオミイニョンって言うんだけどね、ここと地球では1秒の単位のずれがとても大きく反映される。そしてこのクオミイニョンはブラックホールに近いから時間を進む光が歪んでいるんだ。そのせいで時差が1時間や1日どころではなく、天界で過ごした1週間が地球での1日になるような、ね。だからオーディションが終わった後に地球に帰っても日は昇っていないし何ら問題はないよ。普通なら」普通って?梅田の地球人を天国に連れてきた時点で全てがイレギュラーのように思える。

「結局のところ地球の仕事に支障が出そうな気がするんだけど……」残骸を片付け終えたチホが2人の前に現れた。

「君は、昔いたアイドルグループ『ゼリーズ』を知っているだろう」梅田の心拍数が上がる。

「長年続くベテラン達で結成から未だ人気の衰えないグループだった。ライブや握手会に限らず地方公演や生配信など使えるメディアをすべて使用して、持ち前の芸術的感性とアイドルを掛け合わせたそのグループ独自のコンセプトが見る者を魅了させた。だが人気絶頂の最中、グループの1人が自ら命を絶った。誰にとっても大きな損失だったし、メンバーも気に病んで、ほどなくしてグループは自発的に解散した」

「僕のロールモデルでもあった人なだけにとても悲しかったよ……」

「知ってる、知ってますそれ。死ぬほど聞きました。私の推しだった人。いつも推すグループは一筋とは言うけれど、推しの顔も見れないし…グループも解散してしまってはどうしようもなくて、泣く泣く、私は彼の残滓を今の推しグルに投影せざるを得なかった」梅田は俯きながら限界にほど近い感情を露呈する。

「君の生きづらそうな気持ちはよく分かるよ。それでも、僕たちの事は好きでいいからね」ヨンサは心から微笑んで、気が滅入ったファンを救う。

「ありがとう……でも、ここが天界ってことは私の推しのチュウォンの魂はいたりするんじゃないですか?」

「非常に言いづらい事ではあるが、限られた時間の中で終わりを迎えたアイドルは期限までにアイドルの魂が天界に戻り活動していた人間の個体は一般人に戻るが一つだけ、この循環に禁忌がある。『ファンが悲しむこと』というのがあり、それは私含むラノハーマの者たちがアイドルの行動に協議を交え、禁忌に触れたもの、それを破ってしまったアイドルは有無を言わさず地獄に送られる」

「そんな、悲しい事って……」良乃はおもわず泣きそうになる。

「一度地獄に落ちたアイドルは、絶対に天国へ帰る事は出来ない。汚れた魂は……天界にとって邪気が満ちているから」

「しかし彼の体と元から体に付与されていた…アイドルになる前の人間の魂は、かろうじて回収出来た。ラノハーマで静かに眠っていることだろう」チホが咳払いをして話頭を転じる。

「……昔私は、天界の書斎である伝説を見つけた。皆は半信半疑かもしれないが私は昔からずっと信じてきたものだ。その伝説とは、『今は亡きアイドルを地上に発現させる』というものだった」

「本当に⁉そんなことが書いてあったんですか?」

「地上に出回っていないという事は、あまりにも現実味がないからだろう。その本を解読してみると、「発現させるためにはかなりの数のエモが必要になる」と書いてあった。具体的な数は書いていなかったが、恐らく一人のアイドルが一生をかけても集められない数だ」「だからあんなにアイドルを誕生させて推しを発現しようと…?」

「君だけじゃなくて僕、上司、それに世界中の魅了されていた人がそう願っているからね」

「それも懸念して私は上の者と相談し決断した。今いるアイドルから事務所や国籍問わず人気の高いメンバーをそれぞれのチームから集めて数カ月の期間限定チームを集めて、もとある魂にさらに天使の魂を吹き込みスーパーアイドル達を誕生させる。そうすれば既存のファンは新たな組み合わせに熱狂して膨大な量のエモを集められ、推しを発現させることが出来るだろう」

「以上の点から、君にその担当をしてもらいたいんだ」「一度引き受けたはいいけど、一気に重大責任のように思えてきたわ……それに、」

たとえ世界中を震撼させたアイドルとはいえやっている事はエゴ以外の何ものでもない、他にも低迷して人知れず去ったアイドルだって過去にはごまんといた。梅田は複雑な心境の中で葛藤する。

「まあ善は急げ、口よりも手を動かせだよ!オーディションの関係者入り口はあっちあっち!」ヨンサは梅田の背中を押して入り口まで移動させようとした所で狂った現実に順応してきた梅田が冷たい言葉を投げかける。

「いや、羽があるんだからチホさんみたいに飛べばいいのでは?」

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