巡る表情
俺はみなしごだ。
おっと、憐れむのは勝手だが態度に出すな。腹が立つ。
まあ、人は得てして想像できない部分をステレオタイプで補おうとするものさ。
一度目は許すし、そういう思い込みを上手に利用している奴もいる。だが、俺は二度目は怒る。
覚悟して憐れんでくれ。
まあ、今の生活に不満は無いんだ。
三食食えて雨風もしのげる。
いわゆる雑用も嫌いじゃないし、優しい家族もいる。
すまない、俺も今、想像できない部分をステレオタイプで補ってしまった。
いわゆるホームレス、そんな生活も案外楽しいかもしれないな。
孤児院で育っているからといって学校で見下されることはない。
むしろ孤児院の子はおぎょうぎが良いと褒められるくらいだ。
これもマザーと偉大な先輩たちのおかげだ。
俺だって、我ながらスレたガキだとはわかっているが猫のかぶり方ぐらいは心得ている。
マザーは俺たちの世話を見てくれている人だ。
あと、孤児院の先輩たちも俺たちの面倒を見てくれている。
その中でも特にジェナー君はとても面倒見がいい。
ジェナー君は俺より年上だけどみんなからジェナー君って呼ばれているから俺もジェナー君って呼んでいる。
貧乏くじを積極的に引くような性格だ。
あと、ジェナー君は、風呂のときと寝るとき以外は目を黒い布で隠しているんだ。
なぜかっていうと、ジェナー君は自分の目が嫌いなんだとさ。
あと、一度だけジェナー君が寝ている隙に目隠しをこっそり触ったらものすごいスベスベしていて気持ち良かった。
だからジェナー君はみんなから慕われていてジェナー君を真似て黒い布や紙で目を隠す弟妹たちも少なくない。
そんなジェナー君は医者を目指して猛勉強している。
俺はそんなジェナー君を見て存分に勉強できるようジェナー君を助けるようになった。
俺は、俺たちはジェナー君が大好きだ。
一緒に公園で遊ぶ時間が一番楽しい。
特に印象に残っているのは、公園で俺が転んだときジェナー君が、『辛いときは泣きながらでも笑顔になると少し楽になれるよ』そう言って変顔を見せてくれたことだ。
その変顔があまりにも目隠しとミスマッチで思わず吹き出してしまった。
そうしたら痛みも引いて少しだけ楽になれた。
ありがとうジェナー君。
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少し前から孤児院に小綺麗で美人な女の人がときおり来るようになった。
同じ頃、ジェナー君は肩まで伸ばしていた長い髪を切った。
「だれなの?」って、ジェナー君に聞いたらここの孤児院のパトロンだよって教えてくれた。
でも、その時の俺はパトロンって言葉の意味が分からず、知ったかぶって後で辞書を引いた。
パトロンは出資者 スポンサーという意味なんだと辞書には書いてあった。
誰が言い出したかは忘れたが彼女のことをみんな姫様と呼んでいる。
間違えた。正確にはみんなではなかった。ジェナー君はあの人とかそんな感じで呼んでいて、マザーは名前に様付けして呼んでいる。
姫様は俺たちの邪魔をする。
ときたま孤児院を訪れジェナー君と客間で二人っきりになるのだ。
その間ジェナー君と遊べないのが残念だ。
覗き穴越しに盗み聞いた範囲だと姫様がいろいろジェナー君に話しかけるがジェナー君は無関心そうに相槌を打つだけだった。
なにが楽しいのか理解できなかった。
マザーに聞いたら姫様はジェナー君に焦がれているんだとさ、意味が分からないや。
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急にジェナー君の具合が悪くなった。
大丈夫だと本人が言うがマザーと兄ちゃんに根負けして病気が伝染するものではないと分かるまでジェナー君は部屋に閉じこもった。
医者の話によるとジェナー君の病気は伝染することはないしすぐさま命に関わらないが外出は出来る限り控えた方がいいと医者に言われた。
俺たちはとても悲しかった、もう二度とジェナー君と公園で遊べないことが。
ジェナー君はもっと寂しそうだった。
学校にも行けなくなったんだから仕方ない。
それ以来俺はジェナー君の前で学校の話を出来る限りしないようになった。
平気で学校の給食がおいしかったとかジェナー君の前で話す弟妹たちの神経が理解できなかった。
でも、追い払うのも違うし内心悶々としていた。
あれ以来ジェナー君の心からの笑顔をみれていない気がした。
これまでは、ジェナー君が一番心を許している兄ちゃんと一緒にいるだけで心から笑っていた。
兄ちゃんはこの孤児院でジェナー君の次に勉強ができる兄ちゃんだ。
いつもは孤児院にお金を入れるために中学生でも出来る仕事をやっていて忙しそうにしている。
自慢じゃないが俺は頭の出来は良くない。
学校の宿題も一人では進まないことがよくある。
前まではジェナー君に手伝ってもらっていたが、最近は兄ちゃんに教えてもらっている。
この孤児院に医者が来た、隣の町の医者が。
その医者は自分の跡継ぎに優秀な子供が欲しいらしい。
孤児院にいる中で一番勉強ができるのはジェナー君だ。
ジェナー君は将来医者になりたい夢を持っている。
でも、健康で勉強もジェナー君の次に出来る兄ちゃんの方がお医者様には良かったらしく17歳の誕生日が来たら兄ちゃんを引き取るらしい。
オレは悲しくなった。
一部始終を聞いていたらものすごく身勝手な雫が無関係な俺のほおを濡らした。
俺は涙を拭いて目の前の宿題に意識を向けようとした。
「宿題、教えようか?」
ジェナー君が俺に問いかける。
俺は思いっきり首を振ったが、ジェナー君に押し切られ結局教えてもらうことになってしまった。
最初は遠慮があったが心の底から楽しそうに教えてくれるジェナー君を見て胸の悶々とした気持ちの正体が分かった。
不幸が次から次に矢のように襲ってきたはずのジェナー君があまりにもいつも通りなのに、それを見てるだけの俺の方が悲しい気持ちになっていることが、どうにもならないほどやるせなかったんだ。
ロクに外出も出来なくなって、寿命も減って、医者の夢は最大の友人の方が近づく、俺の感性からすればそれは不幸にカテゴライズされる。
でも、他人の心の奥底は理解できない。
理解できない物は創造で補完する。
自分は無関係なのに勝手に同情する。
俺が嫌いなことを俺自身がやっているじゃないか。
ジェナー君は、いつも心の底から笑っていたんだ。
俺が悲しいから相手が悲しいと決めつける。そんな俺が嫌いになった。
また、身勝手な雫がほおを濡らした。
「どうしたんだい?」
ジェナー君はオレの気も知らずにとぼけた顔で言った。
いや、真剣な顔だったのかもしれない。
そのとき俺は視界が歪んでいたんでよく分からないんだ。
俺は恥ずかしくって宿題をほっぽりだして布団の中に逃げ込んだ。
布団の中で自己中な嗚咽が止まらなかった。
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そんなことから約二ヶ月の時が流れた。
あと一年と少しで兄ちゃんとはお別れで、そうなればジェナー君を除けば俺が最年長格になる。
それにふさわしく、ジェナー君、マザー、兄ちゃんを手伝ったり、手が回らないところをサポートしたりできるような立派な人間になれたと思う。
でも、一つだけ引っかかることがある。
それは、掃除、洗濯、料理、食器洗い、弟妹達の世話、医者になるための勉強、室内で出来る内職、それと姫様の相手を日常的にこなしているジェナー君はオーバーワーク気味ではないだろうかということだ。
ジェナー君が病気になって学校に行かなくなってから、むしろジェナー君は忙しくしているように見える。
なぜそこまで働くのか聞いてみようと口に出そうとして、ようやく理由に気が付いた。
ジェナー君は弟妹達に学校に行かない自分をうらやんで欲しくないんだと。
また、無理しないでという言葉が喉まで出かかる。
この二ヶ月、幾度となく飲み込んできた言葉だ。
俺はジェナー君の負担を出来るだけ減らしてあげたかった。
でも、ジェナー君にそう言っても「分かってる。無理はしないよ。ありがとう」みたいなこと言うに決まっている。
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今の季節は梅雨。
孤児院中で洗濯物を部屋干しする時期だ。
今日は学校は休みだが雨で弟妹たちの世話が大変になることが予想された。
朝早くから姫様が来た。姫様はジェナー君と話すためだけにときおり孤児院を訪れるのだがこんなに早い時間に来ることは珍しく、興味本位で客間に聞き耳を立てた。
どうやら今日は姫様の誕生日でバースデーケーキを夕暮れまでにジェナー君に作って欲しいらしい。
上手に作れたら乾燥機を恵んでくださるそうだ。
材料を置くと、姫様は黄色い高級そうな傘をさして雨の中に消えた。
弟妹達は突如沸いた果物に群がるが、マザーがたしなめる。
ジェナー君は姫様にケーキを作らなければならないことを乾燥機のことは隠してマザーに伝えた。
マザーはジェナー君の普段している仕事を俺たちに割り振った。
それを誠心誠意一所懸命の心構えでやったおかげで、意外と早く終わった。
俺は元気が有り余っていたのでジェナー君の手伝いに行こうとした。
ジェナー君に手伝わせて欲しいと頭を下げた。
ジェナー君は一瞬困ったような顔をしたあと、笑顔でありがとうと言って生クリームを混ぜるよう指示してくれた。
もちろん、孤児院には電動の泡立て器なんて物はないから人力で混ぜる。
ジェナー君がもう良いと言うまで無心になって混ぜ続けた。
混ぜ終わると一気に疲れが出てその場に俺はヘたりこんでしまった。
結局、ケーキ作りは生クリーム作り以外全てジェナー君がやった。
夕暮れになると雨はすっかりやんでいた。
空には見事な虹が架かっていた。
姫様が客間を訪れた。
姫様はいつもジェナー君と二人っきりにしてくれと頼むんだ。
でも、この客間は隣の部屋から覗けるマザーも知らない穴がある。
そこから俺は朝と同じく二人のやりとりを覗いた。
ジェナー君には気がつかれたようで覗き穴と布越しに目が合った。
ジェナー君は姫様にケーキを渡した。
姫様はそのケーキに一瞥をくれた後ケーキを床に落とした。
俺には呆然と見ていることしかできなかった。
振り返るジェナー君と布越しにまた目が合った。
ジェナー君は自分の唇に人差し指を重ねた。
ジェナー君はそのまま黙って雑巾を取りに行った。
「残念、狼狽えると思っていたけど」
「期待を裏切ったことは謝るよ」
そう言いながらジェナー君は落ちたケーキを拭き取る。
「そう、乾燥機の話はもちろんなしね」
「ごめんね」
「本当にジェナーくんって狡いのね」
ああ、覗き穴越しに謝るジェナー君を見て僕は心が締め付けられる。
なにが出来るでもないのに、穴から目が離せない。
「土下座なさい」
ジェナー君は正座して頭を床に触れさせた。
俺は見ていられなかった。
目を閉じると瞼の裏に虹が映った。
とても綺麗だ。
うっうっ
目から身勝手な雫が垂れた。
口から自己中な嗚咽が漏れた。
これからの事はあまりよく覚えていない。
_
四ヶ月のときが流れた。
俺は最近、鬱だ。
世界がこんなにも美しく一生懸命なのに、俺がたまらなく醜く怠惰なのが嫌だ。
弟妹たちの世話と勉強で手いっぱい。
働いて孤児院に金を回しているジェナー君と兄ちゃんは心の底からすごいと思う。
そして、二人が、マザーが、弟妹たちが、そして俺が、俺によく頑張ったと言われると悔しい気持ちになる。
自分の限界はそこだって言われている気がしてたまらない。
俺は年上の二人に比べて勝っているところがない。
その事実を咀嚼するのに膨大な時間を要した。
それを忘れられるのは弟妹たちと一緒に遊んでいるときだけだ。
けっして、弟妹たちが俺より劣っているから優越感を感じているわけではないと俺を信じたい。
最近は自分をオーバーワーク気味にして目の前のこと以外を考えないように心がけている。
この孤児院には十月に少し遠くまで紅葉狩りに行く恒例行事がある。
綺麗な景色を見て今日ぐらいはゆっくり休むようマザーに言われた。
ジェナー君抜きで手放しで楽しんで良いものか悩んでいた。
ジェナー君も、ジェナー君と一番仲の言い兄ちゃんも一昨日辺りから様子がおかしい。
なにもしない行きの電車が正直一番辛かった。
なにもしていないのが辛くて弟妹たちがトラブルを起こすことを祈っている自分に気が付いた。
あまりにも自分が怖すぎて、自分が人間とは別な残酷な生命体に思えてきた。
でも、残酷な生命体にもなりきれない中途半端な自分が嫌いになった。
目に映る、耳に響く、肌と触れる、舌で転がす、鼻孔に入る、その全てが俺より輝いていた。
全ての輝きが俺を傷つけた。
俺の理想も輝いていた。
でも、辛いのに、辛いだけだった。
こういうときに身勝手な雫はあふれない。
こういうときに自己中な嗚咽は出てこない。
8年近く前のことを何故か思い出した。
転んで、ジェナー君に『辛いときは泣きながらでも笑顔になると少し楽になれるよ』と言われて励まされたこと。
笑おうと思った、ひさしぶりに。
笑えなかった。
もう何年も笑っていない気がした。
周りに弟妹たちと兄ちゃんとマザーがいるのにもかかわらず俺は独りだと思えた。
なにもする気がおきなくなった。
マザーの言うとおり今日一日なにもしなかった。
でも、休めもしなかった。
この辺りから露骨に孤児院の食卓が豪華になった。
あと、ジェナー君が髪を伸ばし始めた。
だれかに売るのかな?
_
あっという間の9ヶ月が過ぎ去り、兄ちゃんと別れの日が訪れた。
兄ちゃんは女みたいな格好をしていた。
のんきな弟妹たちは女の子みたいなど無邪気に兄ちゃんをほめる。
でも、兄ちゃんは輝いていなかった。
俺はなにも言えなかった。
「ねえ、マザー。なにがあったかは聞かないけれど一つだけ聞かせて。兄ちゃんは幸せかな?」
俺は出来るだけ静かに言った。
「分からないよ。でも全ての子供たちが幸せであるように私はいつも祈っているよ」
マザーの優しい声で言ったことを俺は飲み込めなかった。
「なんだか、よく分からないや」
「正直、当の本人だって分かっているか怪しいもんだね」
マザーの底抜けの笑顔にあえて俺は誤魔化されることを選んだ。
_
兄ちゃんはこの孤児院から去った。
ジェナー君の顔を見るとどんな顔をしていいのか分からない顔をしていた。
俺はジェナー君にこう言った、
「悲しいとき、苦しいとき、そういうときこそ笑おう。少しは楽になるよ」
、底抜けの笑顔で。
下のリンクからこれの原作に飛べます。
そちらではジェナーくん目線で今回の物語が語られます。
こっちを読むと相乗効果で面白さ1.2倍になること間違いなしなので読んでみてください。