平民皇后の受難
皇国・天城。
北と西を山に、南と東を海に囲まれた緑豊かな国には、数多の獣人たちが暮らしていた。
代々烏の名を持つ一族が統べる皇国は、今はとても平和なものである。
しかしこの国には、特別な方法で后を選ぶ風習があったのだ。
「どこへ行きやがったのですか陛下ー!!」
夏の日差しが照りつけ、じめじめとした空気が体にまとわりつく。
それは、国の中枢にある皇宮でも例外ではなかった。
しかしそんな暑さの中でも、少女の叫び声は大きく響く。
美鈴は肩で息をしつつ、皇宮の長い廊下を駆け抜けた。
歩くたびに、木の廊下がぎしぎしと鳴る。それはまるで、彼女の怒りを弁明しているようである。
叫んでおいてなんだが、いる場所の検討はついていた。ただ、叫ばずにはいられなかったのだ。
でなければ神託で皇后に選ばれた理不尽も、こうして走り回らなくてはならない理由も、受け止めきれなかったのである。
臣下たちは皇后のその様子に慣れきっていて、笑顔で見送る始末。それにも腹を立てつつ、美鈴は皇宮でも一等広い庭へ降り立った。
じりじりと肌を射す日光に眉をしかめつつ、着物の襟元を直す。白銀の髪の間から覗く白い耳がぴくぴくと動き、音を探っていた。そんな中でも美鈴は無心になって歩く。一心不乱に目的地を目指すのだ。
四季折々の花々が咲き乱れる庭でも、ここは夏の花を植えている一角である。
石畳で作られた道の周りには白と紫の桔梗が咲き、若草の空で輝く星のようだ。
小さな橋が架かる池には、睡蓮と蓮の花が芳しい香りを漂わせながら咲いていた。なんとも言えず豪華である。
その橋を渡りきると、また別の香りがしてくる。その香りを放つ花木が、美鈴の目的地であった。
そうして目の前に見えてきたのは、クチナシの木。美しい黄色の花をほころばせ、芳醇な香りをこぼしていた。
美鈴が着物の裾から覗く尻尾をひとつ揺らすと、ちりんっという鈴の音が鳴り響く。鈴を高く鳴らしたのは、この鈴をくれた相手への当てつけでもある。
そしてクチナシの木の上を睨みつけた。
「……陛下。もう、会議の時間ですよ」
「……あれ。もうそんな時間だっけ?」
ぼんやりとした声が、空から降ってくる。
そこには、一人の男がいた。
ぼさぼさの黒髪は目元を隠すように伸び、その間から金色の瞳がわずかに覗いている。
着ている着流しもだいぶはだけており、なんともだらしなかった。
かろうじてお洒落と呼べるのは、美鈴があげた赤い髪紐で結ばれた長髪である。
こんな見た目では誰も信じてくれないとは思うが、彼こそ、 今代皇帝陛下霞なのである。
美鈴は内心嘆いた。
(どうしてこの方は……こんなにもだらしないんですかっ!)
身なりを整えしゃんっと背筋を伸ばせば、とても美しい人なのだ。
しかし美鈴以外が髪や衣に触れようとするのを嫌がるし、髪も整えようとしない。尚且つ会議があるときは必ず渋る。美鈴がこうして見つけに来ない限り、出ようとしないのだ。
そう。霞はとてもちゃらんぽらんで、ヘタレなのだ。
そんな霞を引きずって連れて行くのが、美鈴の后としての役割と化していた。
(おかしい、おかしいですよほんと……)
そもそもこの国の后が、神託で選ばれるのが悪い。
神託で選ばれると分かっているため、国は民たちの学のほうにも力を入れており、国民の大多数が物書きもできるし、そろばんも扱える。地方のほうにも学び舎たる寺子屋があるのが、その証拠だ。女児でも学べる下地があるというのは、他国から見たら珍しい制度であるらしい。
そのため、この国には奴隷はいない。ということになっている。
皇族以外の者は皆同じ位置におり、誰にでも学ぶ権利があり、優秀な者なら皇宮に勤め、上に行くことだって許されているのだ。
だからと言ってまさか、その神託で自分が皇后に選ばれるなど。思いもしなかった。
なんせ美鈴は、商家に生まれ育ったのだ。根っからの商人である両親から学んだことと言えば、どこにでも商売の種は落ちているということ。お金に関してのことは、けち臭いくらいが丁度いいということ。そして、現実的であれ、ということだ。
それが骨の髄まで染み込んでいるため、美鈴もまた頭の回転が早い上にけち臭く、現実的な思考を持ち合わせているのである。
(だからと言って、実の娘をダシにして商売しないで欲しいですけどね!!)
めでたく『商家の娘』から『神託で選ばれた皇后』に格上げされたということで、現在実家は大変賑わっている。
なんせ『神託で選ばれた皇后の実家で売られているもの』である。大抵のものは売れるのだ。
しかもそこを商機と見たのか、あちこちにコネを作りそろばんを弾き、がっぽがっぽとお金儲けをしてしまったというのだから、さすがとしか言いようがなかった。そのお金を自分のところに回し、裏で色々と使わせてもらっているから、美鈴としても文句は言えないのだが。
商人はこれぐらい図太くないと、やっていられないのである。
だからこそ、美鈴には霞という存在がもどかしく見えた。
(こんなにも押し出せる部分があるのに、どうしてそれを出そうとしないのでしょうか)
そんなことすら思う。
しかし彼は頑なに、それをしようとしてはいなかった。されど美鈴の言葉だけはなんとなく聞くのだから、余計に訳が分からない。
(神託で決められた相手と言えば聞こえはいいですけど、ただの政略結婚なんですよね。実際は)
美鈴はそんなことを思いながらも、ぷりぷりと怒る。
「早く降りてきてください。降りてこないなら私がそちらに向かいます。そして落とします」
「……美鈴ってさ、僕に関することに毎回厳しくないかな?」
「厳しくもなりますよ。だってこんなにちゃらんぽらんなんですもの。それとも本当に落としに行ったほうがいいですか?」
「降りる、降りるから待って。ね?」
ひらりと、袖から漆黒の翼が覗く。
彼はそれを器用に使い、地面に着地した。
それを見た美鈴は言う。
「あれくらいの高さなんですから、そんなもの使わなくとも着地できないんですか?」
「僕は烏だからね!? 白猫の君とは違って、そんなことできないからね!?」
なんと情けない。
美鈴はそう思いながらも、袂から出した手拭いで霞の顔を拭く。そして持ってきていた櫛を使い、髪を結い直した。
最後に襟元を整えれば、先ほどよりはまともになる。
(なんでわたしが、ここまでしなくちゃならないんでしょうかね……)
ダメ夫の尻を叩く妻というよりかは、まだ年端もゆかない子どもの世話を焼く母親のようである。
にもかかわらず世話を焼かずにいられないのだから、困ったものだ。
一歩離れ身なりの確認を終えた美鈴は、ひとつ頷く。
「はい、これでもう大丈夫です」
「ありがとう、美鈴。こんなお嫁さんをもらえて、僕は幸せ者だなあ」
「……そんな無駄口叩いている暇があるのなら、仕事をしてください仕事を」
「あれ、照れてる?」
「何を根拠に」
「耳がぴくぴく震えてるし、尻尾がそわそわしてるよ。可愛いなー美鈴は」
その言葉に、美鈴は頬を染めた。自身の尻尾を握り締め、片耳を抑える。気が高ぶると、どうにも感情が表に出てしまうのだ。まだまだ甘いと痛感する。
(この方もこの方です……! どうして、神託により選ばれたわたしに甘言を吐くんですかっ!)
そう。そうなのだ。霞は何かと、美鈴を褒めたりからかったりするのである。この性格のせいか、男と付き合ったこともなかった。そんな美鈴が狼狽えるのは、ある意味仕方のないことである。
だから美鈴はめいっぱいの虚勢を張り、霞に向かって叫ぶ。
「そんなこと言っていないで、とっとと行ってください陛下! 会議に間に合いませんよ!?」
「……うーん。ちょっと違うなぁ」
「……なんですか唐突に」
顎に手を当て首をかしげる霞に、美鈴は胡乱な眼差しを向ける。それはそうだ。「行ってらっしゃい」と言ったのにそんな返しをもらうなど、不本意極まりない。
しかし霞は悪戯っぽく笑うと、こんなことを言う。
「ふたりきりのときくらいは、名前を呼んで欲しいなぁ」
「……………………は、い?」
予想だにしなかった台詞に、美鈴の思考が本格的に停止した。
(何を言っているんでしょうこの人……)
そもそも皇族の方の名前を呼ぶなど、恐れ多くてできない。それは皇后であったとしても同じだ。皇族はそれだけ、民から神聖なものとして扱われているのである。
その実態がこんな、どこか抜けたヘタレ皇帝であったとしても。
子どものように世話の焼ける、生活能力が皆無な皇帝であったとしても。
変わらないのである。
「何をおっしゃられているのか、分からないのですが」
牽制の意味も込めて、一際硬い言葉を使ったのだが、霞にはそれが通じないようだ。むしろさらに楽しそうな顔をしている。
美鈴はぶるぶると体を震わせた。
(こぉんの……ダメ男は……っ)
「そんなこと言ってる暇があるんなら、とっとと仕事をしてきなさい!!」
そう言い切り、美鈴は霞を叩き出した。
***
まったくもって、何がやりたいのか分からない。
そんなことを思いながら、美鈴は皇后としての仕事をこなしていた。
美鈴は、商家の出である。つまり、お金に関することには強いのである。
今まで不満があった商業系に関することに手を出そうと、色々な案をまとめて財務大臣に掛け合ってみてはいるものの、それが現実になったことはない。だいたい全部、鼻で笑われて終わりだ。
しかしそれでは癪なので、財政の無駄を指摘した上に証拠をきっちり数字で提示してやったりと、密かに一戦交えていたりした。
そんなことはさておき。
商業に関する知識は飛び抜けて高く、寺子屋でも好成績を残していた美鈴だったが、皇后の仕事となるとそうはいかない。彼女は以前以上の努力を強いられていた。
これも、神託のせいである。
しかもその伴侶があんな、なよなよしたヘタレなのには、どうにも納得がいかない。
そして何より気に食わないのは、そのヘタレの甘言に惑わされ、心が傾いでいっている点である。
(あり得ない、あり得ないです……)
美鈴はその気持ちを胸に、一心不乱に筆を走らせる。
隣に居る教師など目に入っていない。教師のほうも、あまりの熱に声をかけるのをためらっていた。
美鈴自身が優秀なこともあり、教えることが少ないということもある。
そんな皇后教育と皇后の執務を終えて、美鈴は休憩に入っていた。
「失礼いたします、皇后陛下」
侍女が入れてくれた茶を飲みながら、ほっと一息吐く。小さいが茶菓子も出てくるため、美鈴はこの時間をとても楽しみにしていた。
贅沢な暮らしに、豪奢な着物が着られる。
その代わりに、やらなければならないことは山積みだ。しかし自分にできることなどたかが知れている。
美鈴は溜息を吐き出した。されどここで落ち込んでいる暇はない。
午後からは霞とともに、外を見て回らなくてはならないからだ。
あの男が一日中隣におり、尚且つ民草の前に出るこの機会である。気を引き締めねばならない。しかもふたり分。
なんせ、あのへらへらした男が隣にいるのだ。必然的に擁護に回らなくてはならない。
(この国の先行きもそうですが、わたし未来にも不安が募ります……)
あのダメ男の性根を、どうしたら叩き直せるのか。
これからの人生、それを考えて生きていくのは面倒臭い。でも言わずにはいられないというのだから、なおさら面倒臭かった。
(わたしの明るい未来は、いったいどこに……)
お金に困らない生活になるのであれば、誰に嫁いでもいいなんて思っていた過去の自分を殴りたい。
確かにお金には困らないが、代わりに精神が磨耗した。
なのにそれに相反する感情が芽生え始めていることに気づき、さらに落ち込む。
「はぁぁぁぁ…………」
心の底から嘆きを口にする主人に、侍女は不安そうな眼差しを向ける。
そんな視線に気づかないまま、美鈴は懸念している市井視察に臨むことになった。
誰だこれは。
美鈴が市井を視察し始めてから思ったことは、その一言に尽きる。
しかしそれほどまでに、霞は別人であった。
髪や身だしなみなどは、美鈴が直した通りの状態である。違う点といえばいつもの着流しではなく、礼装たる漆黒の狩衣に身を包んでいるということくらいである。
しかし、内側からにじみ出る気品というものが違った。
とてもとても、高貴だったのだ
道を歩けば、民は自然と頭を下げる。
その雰囲気に、心の底から平伏するのだ。
それだけの力が霞にはあった。
美鈴とて、隣にいなければ頭を下げていたに違いない。
しかし彼女がそれをしないのはひとえに、霞の平常時を見ているからである。
それを見ていた美鈴は、全精神を使い全力で抗う。
(絶対に。絶対にこんなヘタレに、頭なんて下げるもんですか……!)
頭を下げたら最後。自分の中の常識が崩壊する。それだけは避けねばならない。
されどそれにしたって、これはないと思う。
(普段もこうしていたら、わたしが口うるさく言う必要なんてないんですけどね……)
しかしそれがなんとなく、悲しい気もした。自分の仕事が取り上げられてしまったような。そんな気持ちにさせられたのである。
そんなことを思ってしまった美鈴は、内心ふてくされる。それをなるべく表に出さないよう努めた。
そんな美鈴を視界に入れた霞が、目を瞬かせる。そして声をひそめて口を開いた。
「どうしたの、美鈴。体調でも悪い? 日差しが暑かったかな?」
「……悪くありませんよ、陛下」
美鈴は、霞のこういうところも苦手だった。
どうして耳と尻尾に気をつけていても、その違いを見破られてしまうのか。
どうして霞の前では、自分の感情を制御できなくなるのか。
何もかもが腹立たしい。
その腹立たしさが恋心に繋がり始めていることを、美鈴はなんとなく悟っていた。
それを口にしようなど、露ほども思わなかったが。
(分かっています。わたしは神託で選ばれた皇后。ゆえに、陛下と愛までもらおうなんてこと、考えてはいけないのです)
だから刺々しい態度を貫き、それだけは悟られまいと努力し続けているのだ。
こんなヘタレに惚れているということが癪でもあったし、何より愛なんていう感情を霞からもらおうと思う心そのものが、嫌だったからである。
しかしそんな美鈴に、霞は笑いかけた。
「今日も、市井は平和だねえ」
「……そうですね。陛下のような方が治めている国ですからね」
「あれ? 美鈴、珍しく優しくないかい?」
「わたしの言葉を良い方に捉えられる陛下のその能天気な思考、とても素晴らしいと思います」
この方の隣で、最後のそのときまで毒を吐き続けていられたならそれで良い。そう思えるくらいにはほだされている自覚がある。
本人に口にすることは、これから先絶対にないが。それが美鈴の、最後の意地だ。
「美鈴のそんなところが、僕好きだなぁ」
「寝言は寝てから言ってください」
「分かった。寝たときに言うことにする」
「……冗談です忘れてください」
「え?」
今日も今日とて悪態をつきつつ、美鈴は仕事をこなす。
夕暮れまで見て回った市井はとても、平和であった。
***
日もとっぷり暮れ、寝る時間になる。
皇宮の一角にある皇帝と皇后の寝所の周りは、いついかなるときも人払いがされており静かであった。
そんな静寂の中に、一つの影が浮き上がる。
それは、霞であった。彼はいつものように着流しを着て、庭先に降り立っていた。
そんな霞の周りを、漆黒の鳥が飛び回る。
烏だ。
自身の化身たるその鳥を腕に留まらせた彼は、ふう、と息を吐いた。
「どうしてごみって、掃いても掃いても湧いてくるのかなぁ……」
気だるげに告げるその言葉には、普段とは比べものにならないほどの毒が含まれている。美鈴といるときのちゃらんぽらんさはどこにいったのかと、そう思ってしまうほど。霞は皇帝らしい空気を見に纏っていた。
彼がごみと揶揄するのは、霞に反発する勢力と、美鈴に手を出そうとする者たちのことである。寝所にも忍び込もうとし、霞の手で始末したこともあった。
掃除してもキリがない。
そのため霞は密かに、反乱因子をまとめて制裁しようと目論んでいた。
もちろん、そんな穢らわしい面を美鈴に見せることはない。
美鈴は知らないが、霞はそうやって裏で様々に動き、彼女の安寧を支えていた。
美鈴は、何も知らなくて良い。
そう、思う。
でなくては、『神託』などという大層なもので縛りつけた意味がなくなってしまうのだ。
この国に、本当の意味での神託なんてものは存在しないのだから。
神託というのはあくまで、皇帝が好いている娘を娶るための口実に過ぎない。
だから様々なことをし、美鈴から男を引き離してきたのだ。彼女の周りに男の影がなかったのは、そのためである。
相応の時期が来たら、神託と嘯いて召し上げるのだ。
実に業が深い一族だと、霞は改めて思う。
烏は、国に安寧をもたらす代わりに生贄を求める一族だ。
太陽の化身とまで謳われる彼らには、国を照らす力がある。その力を最大限発揮できるのが、隣りに愛おしい伴侶がいることなのである。
この国が栄え始めたのは、二百年ほど前のこと。その頃の天城はとてもひどいものであったと言う。土地は荒れ狂い、皇帝は圧政で民草を苦しめ続けた。その際に国民が求めたのは、清く正しい統治者であったというわけだ。
その願いを聞き届けた神は、自身の使いたる烏を人の形にして現世に送り、国を統治するように言った。国から離れないと誓う代わりに用意するように求めたのが、女だったというわけだ。それが、今の天城の始まりである。
伴侶と言えば聞こえは良いが、要は生贄だ。その事実を知る者は、烏の一族とごく一部の者以外にはいない。
だから烏の一族は、清く正しく民を導く良き指導者でありながら、自身の欲望に従い后を望む。
それが、ある意味での神託であることに変わりはない。
その内実が、ひどい執着からくる偏愛だったとしても。
好いている相手の意思など関係なく、自身のもとに囲うものだとしても。
言わなければ、どうということもないのだ。
霞自身も、美鈴からの愛を得られるなど露ほども思っていない。ただ、だんだんとかしいできていることは知っていた。それを悟られないよう、隠そうとしていることも。彼は知っていた。
「可愛いなぁ、美鈴は……」
だから霞は、気づかないふりをする。
霞は、美鈴がそばにいればそれで良いのだ。十二分に満たされる。
それに美鈴の口から零れる辛辣な言葉も。その裏側に隠されている照れも。何もかもが愛おしかったのだ。
ゆえに、髪はわざと切らないでいるのだし。
身なりもだらしなくしている。
それを見て怒る美鈴が可愛いのと、彼女が直してくれるのがなんとも言えず心地良いからである。
美鈴からもらった髪紐は後生大事にするつもりだ。
美鈴を見つけたのは、本当に偶然だった。化身を飛ばして視察をしていたとき、彼女が実家たる商店で働くのを目撃したのである。
白銀の髪に、澄み切った青い瞳。
肌も同様に白く、雪のよう。
何より気に入ったのは、愛らしく揺れる猫耳と尻尾。そして、見た目の割に辛辣なその言葉である。
最後のそのときまで彼女なりの愛を聞けるなら、それはそれで幸福だ。そう、頭の狂った烏は思う。
自身の化身が陰に戻ったのを確認した後、霞はそっと身を翻した。
まだ初夜を迎えてはいないが、彼女を抱き締めて眠るのが霞の日常と化していた。それが何よりも楽しく心踊る。
朝起きたときに「あれほど隣に敷いてあるしとねで寝てくださいと言ったのに、どうしてまた忍び込んでいるんですかー!」と怒る声が、今から聞こえてくるようだ。
あの罵倒が朝から聞けるなど、幸福以外の何物でもない。無能のように振舞っているのも、時々真面目に働くのも、すべてがすべて美鈴の可愛らしい反応を堪能するためであった。
「あんまり同じことばっかりしてても、つまらないしなぁ。明日はどうしようか。でも必ず迎えに来てくれるのは嬉しいしなぁ……」
そんなアホらしいことを考えながら、霞は疲れ切った様子で眠る美鈴のしとねにもぐり込み、その肢体をそっと抱き締める。彼女の耳がぴくりと揺れた。それがまた可愛らしくて、うっとりしてしまう。
「おやすみ、美鈴……」
そうぼやき、霞は穏やかな眠りについた。
***
「どこへ行きやがったのですか陛下ー!!」
今日も今日とて、皇宮に美鈴の叫び声が響く。
彼女は肩で息をしながら、庭先に降り立った。
日差しが痛いほど照りつけ、肌を焼く。
美鈴はそれに眉をしかめながら、しかし臆することなくズカズカと歩を進ませた。
白と紫の桔梗の花の横を通り過ぎ、睡蓮と蓮が咲く贅沢な池を渡り、クチナシの木の下へ向かう。
しかし今回はいつもと違った。
空から、クチナシの花が降り注いできたのだ。
黄色い花が甘い香りを散らしながら落ちてくる様にあっけ取られた美鈴だったが、髪やら着物やらがクチナシの花まみれになったことに気づき身をぶるぶる震わせる。
「………………へ、い、か?」
今度はどのようなことをしでかすのかと思えば、花を降らせてくるときた。
子どものような所業に、美鈴の怒りがふつふつと湧いてくる。
「いらっしゃい、美鈴! わあ! 花まみれだね! 綺麗だよ!!」
「そんな言葉で騙されるわけないでしょうがー!!」
クチナシの匂いが髪と着物に付くわ、身なりがひどいことになるわ、散々だ。綺麗などという言葉などには惑わされない。そう。少し嬉しかったとしても、許せる行為ではないのだ。
「もう、我慢の限界です。今日こそは木から落とします、絶対に落とします! この庭を整えるために、いったいどれだけのお金がかかってると思ってるんですかー! 花をむやみに摘んで撒き散らすなんて、言語道断です! 万死に値します!!」
「美鈴物騒だよ!? そして気にするところそこなの!?」
そんなこと、知ったことか。お金はこの世で一番大事なのである。
美鈴はそう思いながら、着物の袖をめくり裾をたくし上げた。今更、露出など気にするものか。
「わたしがそこに行くまで待っててくださいね霞様? 叩き落しに行きますから」
「あ、美鈴、僕の名前呼んでくれた! 美鈴ってそういうところがとても律儀だよね。やっぱり可愛い!」
「………………落とす。絶対に落とします」
「怖い!」
ぎゃいぎゃいと騒ぎながらも、ふたりの攻防戦は続く。
――本日も、天城の国は平穏そのものであった。
短編・中編企画第二弾。
もふもふな世界で繰り広げられる、ひとつの愛の形です。
和風、もふもふ多め(平民味方)、皇帝×平民、ヘタレ(皇帝)、ハッピーエンド
というお題を使わせていただきました。
二つ目のタグがよく分からなかったので、勝手に「もふもふ世界観ね!了解!」と解釈。
ハッピーエンドなのかどうなのか。作者には分かりません←おい
なんでかヤンデレました。こればっかりは、好みの問題ですね!好みって怖い!!
満足していただけたでしょうか?
お題にそえているのか。また、これでいいとおっしゃってくれるのかが一番不安です!でも私は楽しかったです!
最後まで読んでくださった方々、本当にありがとうございました!